「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。


迷ったし柄でもないけれど、書くことにします。ひとつの、むろんきわめて主観的な「証言」として。お断りしておくと、長いです。


次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系

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私も足を運んでいました。


話には前段があって、私の事情の経緯説明から。


私は東浩紀の10年来の読者で、東工大の授業の速記録についても前年度のそれから、速記者に黙して感謝しつつ目を通していた。とりわけ本年度のそれは速記録の時点で滅法面白く、南京大虐殺をめぐる発言が波紋を呼ぶ以前から私はずっと読んでおり、授業に足を運んで直接それを聞きたいと思いつつも、場所時間の都合で多く物理的な事情から無理であったし、もうそういう柄でもないかと勝手に自分を納得させていた。昔は関心ある著述家の大学での授業は、モグリに寛大なことが公然なら足を運んだけれど。


今回の一連の経緯の中で、私は11月24日付の記事と12月8日付の記事を掲示した。むろん、その議論や理論的立場に対して批判的な内容の記事を書くことと上記は矛盾しない。そして、12月5日に行われた授業の速記録がアップされた(更新されたのは12月8日以降なので、私は前記事を掲示してからそれを拝見した)。


東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病


一読して思った。直接聴講せずにいられようか(反語)。私の関心領域に即した私なりの異はむろんある。それと問題は別として、かくも密度の濃い、そして一目瞭然でテンションの高い授業をスルーすることについての納得は、自分の中ではありえなかった。むろん、その理論的立場に対する批判的な内容の記事を書いた以上、授業での発言を実際に確認したい、とも個人的に思った。モグリに寛大とは聞いた。風の噂でなくネットを通じて。


足を運ぶことに決めた。その時点で12月12日にしても物理的に微妙だったけれど、片付けるべき野暮用を倍速で公私共に片付けて、渋谷からふらりとひとり文字通りの手ぶらで向かった。開始時刻前に無事当該の教室に到着。東工大大岡山キャンパスは今年1月の『思想地図』発刊記念シンポジウム以来。


そして。片付けるべき野暮用を公私共に倍速で片付けていた私は12月11日の朝からネットを見ていない。また、私は調べ物以外で携帯からネットを見ない。したがって。toledさんの新規記事はほぼ常に拝見しているけれど。


あずまんの授業行こうぜー! - (元)登校拒否系


その時点でこのエントリを私は知らない。見ないままに私的な野暮用の現場から直接大岡山に向かった。私がその存在を知ったのは東氏の口からで、帰宅してから確認した。なので。私は藤田直哉さんの新規記事もほぼ常に拝見しているけれど。


http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081212/1229060746


こちらのエントリについてもその時点で存在を知らない。起ころうとしているらしい「授業突撃祭り」について私はまったく把握していなかった。状況を。――むろん。


http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20081208/p1


buyobuyoさんのこのエントリは知っている。私の判断には関係ない。ただ、buyobuyoさんと東氏が幾らかの質疑を交わすなら聞きたいとは思ったし、そしてbuyobuyoさんが授業を壊すとも思えなかった。私はただ東氏の授業を聞きたいと思った。私は耳が遠いので、聞き漏らすまいとして聞こうとしないと専門的な内容の講義については難しい。なので、ということでもないけれど、そもそもそうした場で直接質問する習慣はあまりない。


他の人が来るということをその時点で私は知らない。ただ、ネットにおける一連の議論とその波紋という経緯があり、そして東氏の12月5日付の授業速記録がアップされたので、私のような新規モグリは他にもあっておかしくない、とは思っていた。


私自身は、現在問題となっている東氏の一連の発言を「挑発」とはまったく受け取らなかった。「煽り」とも。そもそもその対象ではなかったし(私は左翼ではない)、私は東氏の一連の発言を、授業の講義内容に関心あるなら直接聞きに来ても構わない、という「公的声明」と受け取った。私は、ということ。


ただ。経緯に拠る限り、またその経緯を東氏が把握していなかったとしても、たとえばbuyobuyoさんやhokusyuさん、そして何よりもtoledさんが、東氏の一連の発言を私のように受け取らなかったとして、それはまったく妥当と私は思う。


東氏のブログでの発言に発する経緯に拠る限り、またそのネット上の経緯をネットを見ない東氏が把握していなかったとしても、そのことについて、たとえば「自意識過剰」と、少なくともbuyobuyoさんやhokusyuさんやtoledさんが批判されたり揶揄されたりする謂れはない、と私は思います。授業に潜りに行くことを事前に公言することは私自身はしないけれど、「挑発」の応酬の結果としてそれがあったことを否定しうるものではない。

■■■


12月12日夕刻の東工大大岡山キャンパス。授業開始時刻前の当該の教室。背が高くスマートでハンサムな人がいて、toledさん、いや、常野雄次郎さんだった(ブログの写真よりずっと御本人は格好良い)。私は人の顔は一発で覚える。ブログの過去記事で拝見していた。


常野さんの友人らしきふたりのうち、ひとりがhokusyuさんだったことは後で知った。「いつもブログ拝見してます」とも声を掛けなかったのは、なら私も「自己紹介」すべきではあるからで、対面で本名以外で呼ばれたことがない私はそれは避けたかった。後の祭りだけれど、今となってはそのことを後悔している。むろんそのとき私は、東氏の一連の「挑発」については知っていたので、常野さんも授業に潜りに来たのか、流石だ、と思っていた。つまりそのようにしか思っていなかった。


年配の上品な風貌物腰物静かな口調の女性が教室に入ってきて板書し始めた。私はその人をその雰囲気からずっと「大学の先生」と思っていたけれど、事務の人と知ったのもまた帰宅してからのこと。私は大学生であった経験がないので大学の機構等には些か疎い。アカデメイアの理念についても。


事務の人は板書して、そして板書した内容を教室の聴講者、というか聴講希望者に告げた。学生証を提示してください、と。異例のこととは思った。モグリの増加に対する措置か、と思った私は未だ状況を理解していない。


学生証は持っていません、学外者です、と事務の人に告げると、学外の方は東先生が来られるまでいったん退出してください、東先生の方から教室の外で説明があります、聴講についても東先生が判断します、との説明で、私を含めて大勢の学外者は退出した。この時点では聴講希望の学外者は全員教室前の廊下で待機。退出するとき、ドア近くで、常野さんが事務の人にネットでの経緯について説明する姿が目に入った。


10万はてなポイントを進呈します。東浩紀の歴史修正主義を基礎づける記述が<デリダの文献にある>ことを発見できたら - (元)登校拒否系


このエントリとそれに対する反応について、東氏は自身の授業の聴講生から概要を聞き、そのことに対する反応として『歴史認識問題についていくつか』というエントリを掲示した。そして以下のように記した。

文字情報ばかりといえば、はてなブログでは、ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ「東浩紀、許さん!」とか言われているらしいのだけど、上記のように、ぼくからすればそれは授業の内容についても僕の立場についても明らかに誤解している。そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。

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そのことについて常野さんは事務の人に説明していた。そのことは東先生に、と事務の人は応じていた。結局、常野さんと友人の方も含めて教室前の廊下で聴講希望の学外者全員が待機する。


常識のことは知らないが、私はモグリは表向きこっそりやるものと思っている。東氏がNGなら私は普通に帰った。他の人は知らず、それは私個人にとっては自明のことで、東氏と東工大と受講生たる東工大生のリソースの裁量問題であり、そして私は授業聴講が人生ではない。人生の余分をリソースから捻出して潜りに来た。駄目元前提で動くことには慣れている。詳細な速記録をアップしてくれる人もいる(いつも感謝!)。少なくとも、私が文句を言う筋合にはないし、別に言う文句もない。


しかし、東氏が説明のうえで聴講許可について判断されるとのことなので、かつ常野さんと東氏のやりとりにも関心あったので、他の大勢の学外の方と共に教室前の廊下で待っていた。受講生たる東工大生の方には申し訳ないと、私個人としては思う。付け加えると、つまりこの時点ではゼロアカメンバーの方たちも教室前の廊下で待機していた。


私はこの時点でなお、常野さんがその日の午前に掲示した『あずまんの授業行こうぜー!』エントリの存在を知らず、それを受けて掲示された藤田さんのエントリの存在も知らず、面識ある人はなく、つまり状況をまるで把握していない。野暮用を公私共に倍速で片付けた結果疲れやすい身体がいっそう疲れボケがちな頭がひときわボケていたがためと言訳させてほしい。


――そして東氏が到着。

■■■

 さて、授業開始予定時刻を少し過ぎると、「東先生」がつかつかと歩いてきて、宣言しました。「はい! 前回以前から潜ってた人、入っていいよ」。


 ここで僕は、さっき「東先生に聞いてください」と言われた質問を東先生にしてみました(記憶が曖昧なんですが、一緒にいた友人によると僕はこのとき名前とidを告げたそうです)。

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1.この報告者(非東工大生)の方は、最初に嘘をつきました。


該当エントリにもあるように、ぼくはまず教室外の廊下で、「前回まで潜っていたひとは教室に入っていいです」と言いました。10人弱の人間が残りました。しかし、そのときに彼は黙って、しかもぼくの背後のドアから教室に入ろうとした。ぼくが気づいて止め、「君は出てたかな」と問いただしたところ、彼は「出てました」と答えました。これはおかしいな、と思ってぼくが「でも顔を知らないよ」とあらためて問いただしたところ、その男性は「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」とへりくつをこねはじめました。それで問題のひとだとわかりました。それが、このひととぼくが最初に交わした会話です。

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「へりくつをこねはじめた」かは別にして、東氏の記述は事実関係として私の記憶と合致します。私の印象に残っているのは、東氏が授業に出ていたかと最初に常野さんに問い質したとき「間接的に出ていました」と常野さんが答えたことで、間接的にとは「ブログを通して」ということで、それを常野さんのついた「嘘」と判断することには私は抵抗ある。後述するけれど、私は常野さんが「嘘をついていた」とは思わない。以下、特に断りなき場合常野さんの報告エントリから引用。

あずまん:プンスカプンスカ! プンスカ! ピュー!(すごく怒っていて圧倒されました) あのね、僕は君のことなんか知らないよ。会ったことない。君のブログも読んでないよ。なんで僕が君を入れなきゃいけないの。


ツネオ:え、いや、だって東さんのブログで……。


あずまん:あのね、君はわかってるの? 君がやってるのは挑発だよ。


ツネオ:いや、それはそっちじゃないですか。いや、挑発じゃないけど、招待してくれたじゃないですか。


あずまん:してないよ!


ツネオ:してますよ、ブログで。


あずまん:してない。(事務の人に)井口先生どこ?


ツネオ:授業に来て質問してよ、って書いてたじゃん。僕のブログへのレス・エントリーで。


あずまん:だから僕は君のブログなんて知らないって。


ツネオ:いやいやいやいや。それで次の週のブログで、誰もこなかったからがっかりした、みたいなこと書いてましたよね? 僕はあれを見て、ああ、この人は僕に来てもらいたいんだな、と思ったんですよ。


あずまん:君なんか呼んでないってば!


ツネオ:ええ、だってー。


あずまん:あのね。(事務の人に)井口先生来ないな。いや、さっき会ったばっかりなんだよ。どこ行っちゃったのかな?


ツネオ:入っていいですか?


あずまん:だめだって! あのね、君、自分のやってることがわかってる? 君は煽ったんだよ。


ツネオ:いやいやいやいや、煽ってないよ。


あずまん:君が煽ったから、こんなに来ちゃったんじゃないか!(東工大生ではないモグリ希望者が、8-10名ほど廊下で待機してました)


ツネオ:煽ったりしてません。


あずまん:ふざけるなよ、僕はちゃんとプリントアウトして持ってるんだよ。(と言って、僕の昨日のエントリーを取り出しました)


ツネオ:読んでるんじゃん!


あずまん:危ないんだよ。わかってるのか? (事務の人に)井口先生まだかな?


ツネオ:危なくないって。何にもしないよ。


あずまん:現にこんなに集まってるじゃないか!


ツネオ:いや、みんな弱そうじゃん。大丈夫だよ(←もし、この発言に傷ついた人がいたらごめんなさい。みんな男の子でした。僕は「弱い」ということを悪いことだとは思ってません。そして実際にあずまんに比べたらみんな圧倒的に弱そうでした。でも男の子に対して面と向かって言うべきことではありませんでした)。


あずまん:とにかく……。


ツネオ:っていうか、知り合いじゃないですよ。この人(Xさん)は友達です。この人(Yさん)はその友達です。でも、それ以外の人は知りません。


あずまん:だからブログに……。


ツネオ:いやたぶん関係ないって。


モグリ希望者Aさん:あの、すいません、東先生。僕、???で見て、それで来ました。


あずまん:そうか、じゃあ君は入っていいよ。


モグリ希望者Bさん:あの、以前XXXでお会いしたんですが。


あずまん:おお、覚えてるよ。入っていいよ。


モグリ希望者Cさん:あの、

モグリ希望者Dさん:あの、

モグリ希望者Eさん:あの、

モグリ希望者Fさん:あの、

モグリ希望者Gさん:あの、


(同じようなやりとり。結局、あずまん、事務の人、Xさん、Yさん、僕だけが廊下に残りました。あ、あと知らない人(Zさん)が立ってました)


ツネオ:じゃあ僕も。


あずまん:おい! 僕は君のこと知らないって言ってるだろ! だいたいなんだ、ここにプリントアウトしてあるけど、ほら見ろよ、「ただし、糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。東浩紀は悪いのだし、そのことは指摘されるべきだけど、それはユーモアを維持しつつ穏やかにできるはずですから」って書いてるじゃないか。これは煽りだろ!


ツネオ:いやいやいやいやいやいや。それは煽りじゃないでしょ。


あずまん:煽りだよ。


ツネオ:煽ってないってば。それは違う(ここで、一瞬terracaoさんのエントリーを思い出しました)。


あずまん:煽ってるじゃないかあ!


ツネオ:違うってば。あのね、じゃあこうしてみてよ。それ5部くらいコピーして、東さんが信頼してる人に配って読んでもらいなよ。それで聞いてみてくださいよ。


あずまん:なんで僕が君のブログをコピーしなきゃいけないの! だいたい他にもYouTubeにアップしろだとか書いてるし。


ツネオ:面白いじゃん。きっとみんな見たいと思うよ。


あずまん:ふざけるなって。しかも、僕は読んでるんだぞ。前のエントリーも。はてなポイントをプレゼントするとかいうやつ。


ツネオ:読んでるんじゃん!


あずまん:そこで、君は僕には関心がないとか言ってるじゃないか。何が目的なんだ!


ツネオ:そんなこと言ってないよ。う? 言ったかな? いや、言ってないと思うよ。少なくともそういうニュアンスじゃない。


あずまん:あれ? (XさんとYさんに)君らはXXXで……。ああ、久しぶり。じゃあ君らはいいよ。


ツネオ:じゃあ僕も。


あずまん:お前だけ残れ!


このやりとりのほぼ一部始終を私も見ている、というか私の目の前で行われていた。私の記憶では聞き取りうる範囲で別のやりとりもあったように記憶する。それが常野さんの恣意的な操作とは思わない。つまり「別のやりとり」が公開されたとしてネットユーザーの心象を左右するようなものではない。成立していない対話を書き起こしたとして誰かを貶めることにしか役立たない。東氏が、常野さんが、ということではなく、私はそういうことに関心がない。


――当日のことについて私が書きたくなかったのは、ネット越しの誰かの心象を左右するために「事実」を開示する行為に私は与したくなかったから。誰かを「人格的に」非難したり悪者にしたり痛い奴と嗤ったりあるいは煽ったり挑発したりすることに私は関心がない。それが政治だとか私はまったく思わない。「チキン」「ヘタレ」といった概念に私は関心がない。印象について一言だけ述べるなら、東氏は真剣に腹を立てていたし、常野さんは東氏の剣幕に困惑しているように映った。


上記引用とは多少相違するけれど、私の記憶では、東氏はプリントアウトして手にしていた常野さんの『あずまんの授業行こうぜー!』について一部読み上げた。読み上げた箇所は。

 ただし、糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。

 東浩紀は悪いのだし、そのことは指摘されるべきだけど、それはユーモアを維持しつつ穏やかにできるはずですから。


そして東氏は常野さんに向かって言った。これで糾弾会をやるつもりでなかったとは言わせません、と。今、改めて引用して思うことには、糾弾や糾弾会の是非は措き、というのは以前に書いた通り、糾弾駄目絶対という立場では私はないからだけれど、初めて常野さんのブログを読む人がそのレトリックを解さなかった場合は誤解するだろうし、そしてレトリックを解さなかったとして個人の資質とは言い難い。高度に発達したレトリックは上島メソッドと見分けがつかない。それが上島メソッドでないと見抜くには、たぶん慣れがいる。


東工大での授業を糾弾の場とすることの是非は措いても、誤解した東氏がそれを非と考えることが間違っているとは私は思わないし、ましてチキンとかヘタレとか思わない、というか私はそういうことに関心がないし、ことこの件については関心がない。そういう問題ではないと思っている。一連の「挑発」に伴う経緯がチキンゲームの様相を呈していたことは私にも了解しえたことであるとしても。

■■■


東工大に行ったよー - 過ぎ去ろうとしない過去

(前略)そもそもあの状況で一番敵対性をむき出しにしていたのは一人で一気にまくしたてたあげくこっちの話を聞く体勢がまったく無かったほかならぬ東さんなので*4、誠意なんて見せる余地もなかったのですが。

これは客観的に見てもそうだと思います。東さんは誰が見てもそうわかるほど最初からキレていました。


誤解ゆえにせよ自分の仕事場で真剣に腹を立てていた人に対して「キレていた」という表現を私は使いたくないけれど、少なくとも東氏が当初「とりつくしまがないように見えた」ことは私の主観においてもそうです。


私は最初、そのことの理由がわからなかった。常野さん、というか私を含めた残った「10人弱の人間」に対して東氏が真剣に腹を立てていることのその理由が。聴講NG、ということならそれでまったく構いません、と私自身は思っていた。そして東氏は常野さんに対して激しく抗議していた。目の前のやりとりを目にしながら、私はなぜそうなっているのか最初わからなかった。


常野さんに対する怒りは、11月28日付のひとつの発端となったエントリを掲示したから? それとも「非礼なことを書いていた」から? ――そのことについて直接訊ねるタイミングを察しかねるくらいには東氏の剣幕は「とりつくしまがなかった」し、対して常野さんが言っておられることは私にとっては要領を得なかった。『あずまんの授業行こうぜー!』エントリの存在を私が知らず、状況についてわかっていないのだから当然だけれど。少なくとも、口だけ達者な私の才をもってしても「まあまあまあ」と割って入れる状況でなかったことはガチ。


東氏が常野さんの当該エントリの一節を読み上げたことも含めて、やりとりを窺う中でやっと、私は状況を察し把握する。常野さんがその日、東氏の授業聴講を広く呼びかけるエントリを掲示し、そのエントリが修辞的なものにせよ内容不穏であったらしいこと――は。東氏がつい先刻、そのことを知り常野さんの存在を知りそのブログの内容に目を通したらしいことについても。あぁ――と私は把握し了解する。


つまり、今回初めて授業に来た「10人弱の人間」は常野さんの呼びかけによって集まった手合、と東氏は考えておられるのか、と。経緯を把握して、考えても無理ないこととは私は思った。


東氏は私たち――残った「10人弱の人間」――が徒党を組んで来た、と言った。そのことを常野さんが否定すると、徒党を組んでいるのでないなら、グループが別なら、そうわかるように離れてください、と言った。


グループも何も、残った「10人弱の人間」に徒党どころかグループで来た者さえいなかった、と私は記憶する。みな勝手にひとりで来ていた。常野さんは友人と連れ立っていたけれど、その経緯についてはhokusyuさんのエントリに詳しい(私はhokusyuさんが嘘を言っているとは微塵も思わない)。


というか、グループなら東氏の厳しい抗議に対して謝罪にせよ反応しえたろうし、常野さんをひとりで矢面に立たせるようなことにもならなかったろうけれど、みな知らん者同士で初対面で、そもそも私にとっては事情がわからない。常野さんがなぜ問い質されているのかも。


ただ、東氏の話をすぐ側で聞いていた私は、事情についてはどうにか把握した。常野さんがその日、東氏の授業聴講を広く呼びかけるエントリを掲示し、そのエントリがレトリカルにせよ内容不穏でもあったため、東氏がそのことを問題としておられることについて。


東氏は本当に常野さんのことを今日まで知らず、今日常野さんのエントリとそのブログの存在について知らされた。なら、このように対応して無理もないとは私は思った。私は常野さんが嘘をついたとは思っていないし、東氏が嘘をついたとも思っていない。そんなの当たり前のことと私は思う。他人を貶めようとする行為は、多く自分を貶めている。


授業を妨害しに来たのか、と東氏は真剣に腹を立てていた。それは、東氏の「挑発」に始まる経緯や東氏の理論的立場を措くなら、また誤解の結果であったことを措くなら、妥当かつ正しい怒りと私は今でも思うし、そのときも思った。私の個人的な性分に過ぎないけれど、誇りと信念を持ち合わせている自身の仕事についてその仕事場を守るため真剣に怒る人には大きな敬意を払うべきと私は思っている。東氏の「挑発」に始まる経緯や東氏の理論的立場を措くなら、また誤解の結果であったことを措くなら、ということと再度断るけれど。だから常野さんを咎めるものではまったくないし、私はまったくそう思っていない。


付け加えると、それがアイヒマンと彼が誇りと信念を持ち合わせている仕事でも? という指摘は肝心で、かつて東氏も授業で指摘しておられたことだけれど、それについては措く。だから、繰り返すけれど私個人は、ということだけれど、私は東氏がNGなら普通に了解して帰った。別にそれで、仕事人東浩紀への印象も著述家東浩紀への尊敬も変わらない。大学人として云々にはあまり関心ない。思想家としては、理論的立場に対する異は先の記事で記している。


既に状況は無理っぽいなという感じだった。東氏は「とりつくしまがない」ように私の目には映ったし、また東氏は残った「10人弱の人間」について誤解していた。他の人のことはわからないが、少なくとも私については誤解していた。そして東氏が誤解することをその日の経緯をその場で知った私は無理ないことと思ったし、別にとばっちりとも思わない、私も無節操なおっちょこちょいではあった。これもまためぐり合わせ。


帰ろうか、と思っていたけれど――しかし。私にとってのNGワードを東氏は口にした。「徒党」と。

ツネオ:危なくないって。何にもしないよ。


あずまん:現にこんなに集まってるじゃないか!


ツネオ:いや、みんな弱そうじゃん。大丈夫だよ。


あずまん:とにかく……。


ツネオ:っていうか、知り合いじゃないですよ。この人(Xさん)は友達です。この人(Yさん)はその友達です。でも、それ以外の人は知りません。


あずまん:だからブログに……。


ツネオ:いやたぶん関係ないって。


東氏は私を含めた残った「10人弱の人間」に対して、幾度か、徒党を組んで来た、と指摘した。繰り返すけれど、私個人は、東氏がそのように誤解して無理のない経緯と状況だったと思う。ただ。ブログで再三記している通り、私は徒党を組むことが何より苦手で嫌いで、そのように思われることは仕方がないにせよ誤解ですとだけは申し上げたかった。


誰も徒党を組んで来てなどいなかったし、その点については常野さんだってそうだった。というか、残った「10人弱の人間」にその日の午前にアップされたという常野さんの『あずまんの授業行こうぜー!』を見て来た、という人が結局ひとりでもいたのか、わからない。私は、みな少なくとも東氏の授業に関心あるものと思っていた。常野さんもそうだった。


id:toled氏に対する誤解について - Thirのノート


そのことは常野さんも説明しておられたけれど、私が聞く限りにおいては要領を得なかったし、つまり私にとって要領を得ない以上、そして私が問題のエントリに目を通してさえいない以上、口の挟みようもなかった。確かに東氏も「まくしたて」てはいた。


私は状況の一端しか把握していなかったけれど、東氏が、私たちのことを常野さんのエントリに煽られて徒党を組んで来た授業妨害目的と考えておられることはわかったので、そしてそのことは無理のないことといえ(他の人の「真意」は計りかねたけれど)端的に事実関係についての誤解なので、そして目の前で繰り広げられている常野さんと東氏のやりとりは正直埒があかないもので、東氏は早々に「井口先生」を呼ぶよう事務の人にお願いしており(「井口先生」が文藝評論家の井口時男氏であったとこれも帰宅後に知った)、これ以上人が増えるとますます埒があかないと判断して、その場を立ち去る前に誤解についてだけは説明したいと思った。ので割って入った。「あの、東さん」と。


――常野さんのエントリでは。

モグリ希望者Aさん:あの、すいません、東先生。僕、???で見て、それで来ました。


あずまん:そうか、じゃあ君は入っていいよ。


モグリ希望者Bさん:あの、以前XXXでお会いしたんですが。


あずまん:おお、覚えてるよ。入っていいよ。


モグリ希望者Cさん:あの、

モグリ希望者Dさん:あの、

モグリ希望者Eさん:あの、

モグリ希望者Fさん:あの、

モグリ希望者Gさん:あの、


(同じようなやりとり。結局、あずまん、事務の人、Xさん、Yさん、僕だけが廊下に残りました。あ、あと知らない人(Zさん)が立ってました)


――と描写されている「モグリ希望者Aさん」が私。なぜそれ以降の、常野さんが記したやりとりについても記憶しているかというと、常野さんがエントリに記しておられる東氏と常野さんのやりとりは、ほぼ私の目の前で行われていた、ので東氏が常野さんのエントリのプリントアウトを読み上げたくだりについても私は覚えている。単に常野さんの記憶違いと思う。私だって記憶違いしているとも思う。


むろん常野さんは私同様記憶に即して書いておられるので、たぶんこれを読んだ常野さんにとってもそうであるように、発言当事者としての私の記憶と常野さんの描写とは私の主観においては食い違う。常野さんの描写に対してどう、ということではまったくないけれど、私の主観に即した記憶について。


私は仕事の外では自分の先生でない人について「先生」とは直接呼びかけない。敬意とはそういうことではないし、それを蔑称と考える人もいる。「養老先生」とか書くけれど「栗山千明様」みたいなものでもし直接面と向かったら「養老さん」と呼ぶだろう。


眼鏡を外した私は、常野さんと東氏とのやりとりに「あの、東さん」と割って入って、手短に、内容としては以下のように述べた。敬語等が「ございますです」調のグダグダになったことは記憶する。


「誤解があって、こちらの方(常野さんのこと)のブログとは関係なく、ネットに東さんの授業内容を速記録として公開しておられる方がいますよね(東氏は無言で頷く)。その先週の、つまり12月5日の授業の速記録を拝見しまして、是非、直接授業を聞きたいと思って、いや、聴講させていただきたく思って、伺いました。」


こちらを向いて黙って聞いていた東氏が即座に、そうですか、わかりました、ではどうぞ、入って構いません。と半分開いたドアを指した。


私の主観に基づく記憶では、少なくとも私のグダグダな敬語での覚束なかったろう説明に対して東氏は「そうか、じゃあ君は入っていいよ」というような口調の応対はしなかった。むろんフレンドリーなはずもないし、にこりともせずそう言ったけれども。


私は東氏に面識はなく事実上の初対面です。私は所属も氏名も名乗っていない。東氏にとっては、どこの馬の骨とも知れん奴である。著作を拝見しているとすら私は東氏に対して告げていない。


予想外の対応に私は拍子抜けする。東氏はそのとき廊下に待機していたゼロアカ道場やずやさんに対して「やずやも入っていいよ。前に授業出てただろ」と声を掛けた。そして拍子抜けして立っていた私に「どうぞ、貴方は構いません。やずやも」と言った。「いいんですか」と訊ねると、「ええ、どうぞ」と応えた。


それが空手形にせよ「誠意」とそれに基づく人間同士の「信頼」という概念に個人的にコミットする私の世界観においてはそれを蹴ることは東氏の一時の誠意と信頼に対する反故なので、失礼します、と東氏に一礼して教室に入った。


むろん、こうした考え方に対する批判的視座があることは知っているし、そのひとつがポストモダニズムであることもデリダの言う「歓待」であることも知っている。ただしこの場合は私はそれを採らない。それが私の判断。東氏は自身の授業について聴講希望者としての私を暫定的に信頼した。即座に判断した。言うまでもなくこの信頼とはフレンドリーを意味しない。授業とその聴講希望者であることに変わりない。


私が教室に入って以降の廊下でのやりとりについては私は知らない。ただ、東氏が「徒党」に関する誤解を知り、また常野さんのブログエントリとは関係なく潜りに来た聴講希望者も、東氏が授業妨害を意図しない人、授業内容に関心を持って来た人については聴講許可する方針であることを知って、それで。

モグリ希望者Bさん:あの、以前XXXでお会いしたんですが。


あずまん:おお、覚えてるよ。入っていいよ。


モグリ希望者Cさん:あの、

モグリ希望者Dさん:あの、

モグリ希望者Eさん:あの、

モグリ希望者Fさん:あの、

モグリ希望者Gさん:あの、


と常野さんが描写するようなことになったのだと思う。つまり、聴講希望の旨を説明した、ということと思う。具体的にどのようなやりとりがあったのか私は知らない。ただ。教室に入った東氏が授業を始める直前、「10人弱の人間」のうちふたりほど立て続けに東氏に対して自身の聴講希望の旨を説明しようとして、東氏は遮り、OKとすぐに示した。


廊下が静かになって、東氏が教室に入って授業を始める。したがって、ニアミスしていたようだけれど、私はbuyobuyoさんの姿を見ていない。授業の中身はガチでした。真剣。

■■■


授業終了後、私はすぐ帰ろうとして、板書をメモしようと教室に戻って携帯にメモしていたところ、東氏が他の聴講者と雑談しており、聞こえてしまった話から、はっきりとわかったことは。――そうした話の内容を書くべきではないことは承知です。けれども。


東氏は本当にはてなでの一連の議論を直接は見ていない。「間接的に」自身の授業の聴講者からその概要を聞いている。是非は措きます。だから――東氏は冗談めかしつつも懸念していた。このことは次回の授業に持ち越すかも知れない、今度こそ多勢で来なければよいが、と。私が内心思ったことは――左翼は知らず「はてなサヨク」にそんな「動員力」ない。一声かければ1000人集まる空幕長と違って。それはとても健全なことで、だから私ははてなの左翼を信頼している。


誰が正しいとか間違っているとか善いとか悪いとかヘタレとかチキンとか非常識とか、少なくとも対立の当事者でなくその場に居合わせた者は思えることではない。反省とは公然と他人に対して要求するものではなく、自分で黙ってするもので、そして私は授業中、東氏の濃密な雄弁に引き込まれながら、気が咎めていた。


言うまでもなく、hokusyuさんらが友人として常野さんに付き合ったことはまったく徒党を意味しないし、当然のこと。私は東氏に面識ないことと同様に、常野さんに面識ない。思想的立場においては東氏に近い。常野さんとは意見は色々と違う。ただ、徒党を嫌う長文書きブロガーとして、常野さんに対してシンパシーを持ち合わせていた。


何かできたろうか、とは今でも思う。こうして記憶を書き起こしていると余計に。誰がどうという話に私は関心ない。現場に居合わせた者は、自分に何ができたろうか、とだけ考えて、自身を省みる。ほかのことには関心ない。


不幸な出会いだったと思う。繰り返すけれど、東氏に対して直接質問はしたろうけれど、常野さんに授業妨害の意図あったとは私は思わない。東氏は「彼ははてな界隈では有名なのでしょうか」と言っておられるけれど、toledさんがはてなで有名なら、それは確たる問題意識を持ち合わせているからで、単なるチンドン屋ではない。


私が言うのもなんだけれど常野さんの文章はレトリカルで、そして東氏はその日人から知らされるまで常野さんのブログの存在それ自体を知らなかった。これも繰り返しになるけれど、レトリックを括弧に入れることなく当該のエントリを読んだらあのような強硬な態度になって無理ないとは私は思う。


それは東氏が「間接的に」はてな界隈での議論を把握し了解しその間接的な了解に基づき批判者に対して論駁しその態度について「挑発」していたことの帰結で、常野さんやhokusyuさんやbuyobuyoさんが授業に来ることそれ自体は当然と思う。


常野さんが『あずまんの授業行こうぜー!』エントリをアップしたことについては、私ならしないと思うけれど、私と常野さんの判断は違う。そして、常野さんが東氏の授業に「間接的に出ていました」と言ったことについては、あながち間違いでも嘘でもない。つまり、一連の経緯の結果として、そういう状況だった。その状況と、ひいてはその現実における帰結に、東氏が必ずしも責ないとは私は思わない。私に責なきわけでもないように――「顛末」について。


自分に対する批判的な記事を書いた人はお引取り願う、ということなら、私も帰ったろう。しかし常野さんに対して東氏が問題としていたのはそういうことではなかった。そして私は常野さんのその行為について、知ったそのとき単純に不可解だったし、常野さんの説明はそのとき私にとって要領を得なかった――それは私が経緯をわかっていなかったからだけれど。


私はあのとき常野さんをフォローするべきだったろうか。私は常野さんの友人ではなかった。状況が十全にわかっていたら? 事前に常野さんに声を掛けていたなら、フォローする理由にはなったろう。今となっては「あとの祭り」。わかっていることだけれど、私は根本的に冷淡で心なく功利主義的な人間で、それを取り繕って人間の顔をして暮らしている。ジャッジしうるのは、いつだって第三者で、それは仕方のないこと。そして私はこの一件について「第三者」ではいられない。行為の帰趨。


東氏が問題で常野さんも問題なら、そのときその場にいてろくなことができなかった私も問題だろう、と私は自分で思っている。私は「ちゃっかりと」東氏の授業を聴講した。その授業は私の関心領域に即して滅法面白く興味深かった。そのことが「私の関心領域」に照らして甚だしい欺瞞であることくらいは知っている。だから気が咎めている。むろん東氏のことではなく、私の欺瞞の話。


スーザン・ソンタグは、アクチュアルな現場で個として考えることの肝要を説き続けた。アクチュアルな現場において個として判断することは、自身が倫理的矛盾にさらされる、ということであるから。矮小なひとつの事例として、私は改めてソンタグを思い出した。私個人にとっての、おそらく個人史的な、まったく矮小な話だけれど、しかし私自身にとっては、結構へヴィーな倫理問題だった。


解は出ない。出ないままにこの記事を書く。煮え切らないことばかり書いているのはそういうことでもある。一般論には還元しえないし、したがって煮え切らないことばかり書くことになる。――だから、書きたくなかった。

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ひとつだけ。批判ではなく――というか、この件について誰かを批判する気は私にはない。批判するなら自分自身だろう――これもまた誤解なので指摘させていただきます。

私の聞くところによれば、東先生はその場で「以前から聴講していた人、及び以前に自分に面会したことのある人」は潜っても良い、という判断を行い、その判断基準から唯一漏れたのがid:toled氏でした。その場にいたほかのはてサの人は、「以前に自分と面会したことのある」という条件を満たしているため入出は可能であったわけですが、id:toled氏を一人でおいていくことは「友達としておかしい」との理から、それを拒否したわけです。

id:toled氏に対する誤解について - Thirのノート


この部分については、そうではありません。私は初めて聴講に足を運んだし、東氏に面会したことはない。ロフトプラスワンやABCでのトークライブや講演には足を運んだことがあるけれど、普通それを面会とも面識とも言わない。thirさんが述べる「その判断基準」からは私も漏れます。「貴方とは違うんです」という話ではむろんない。


東氏の「判断基準」が、複数の人が指摘するように、そのとき恣意的に臨機応変に運用されており、つまりは常野さんの排除という結論/目的ありきで運用されていたものか、そのことはわかりかねます。私に言いうることは、少なくとも最初、ネットでの呼びかけのもと徒党を組んで授業妨害に来た手合と新規のモグリを誤解しておられた東氏は、そのことについて誤解と知って以降、別個の臨機応変な判断を下したのだろう、ということです。


そうした「恣意的な選別」と「合目的的な排除」たりうる行為の是非については措きます。措く、とはまさしくポジショントークで、現場で東氏と常野さんのやりとりを他人事のごとく嘆息して半ばただ眺めていた者としては、そして自分についての誤解を解いて、結果、常野さんを置き去りにしたに等しい私が、自分の判断でなく他人の判断について是非を言えたはずもない――ということです。