人生という名のSL


個人史は終焉しない。続く。


http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20071118171045


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意味から強度へ、と読んだ。――死語に類するが。半ば自己毀損なアッパーな強度よりも、淡々としたダウナーな強度を生きる人の方が、当然のことながら多く、また強く、長生きも長持ちもする。乾電池のように。そして、賢明、と、手前味噌として言う。


手前味噌とは、現在の私の前提でもあるから。強度の実感なくとも、淡々と生きることが人生の要諦と考えている。もっとも。斯様なダウナーな強度を生きることを、かつて宮台氏は唾棄した。「超越」と比した「内在」と呼び、日常に頽落する豚であると。私の理解が正しければ。



上書所収の鼎談において瞭然であるが、氏は、自身の実存ゆえに理解し得なかったのだろう。意識と行動において、殊更に「脱社会」化することなく、日常に頽落して、ダウナーな強度を淡々と生きる人のことを。


ゼロ年代の想像力」のことは素で知らないのであるが(連載も第二回までしか読んでない)、上記増田を拝読して、頭に浮かんだのは、よしながふみ作品のことではあった。たとえば――『愛すべき娘たち』の、歳若い男と再婚する、主人公の生物学上/戸籍上の「母親」の啖呵を。


愛すべき娘たち (Jets comics)

愛すべき娘たち (Jets comics)


または。人生とは総括より過程である、と読んだ。自身の人生を、中途において、意味的に総括するべきではない、とも。人生とは、「生きる事」それ自体であるのだ、と。価値的な意味を、過剰に、また、言説的に付与するべきではない、と。


言うまでもなく、人生においてそれは真実である。然るに、人生を語ることにおいては。増田氏の人生は知らない。語りにおいて周到であると感じたのは私。実感を問うなら、あるある、ではある。既知の認識。むろん、それを丁寧かつ繊細な文として現すことは、また別。組立は、素晴らしい。


薄井ゆうじという作家の私は読者で、作中に頻出する、おそらくは作家自身の世界観/人間観と、等しい認識であると、近しく感じた。「愛」と言葉にした途端に、愛は遠ざかってしまう、と記した人が在った。「孤独」と言葉にした途端に、孤独は遠ざかってしまう。「痛み」と言葉にした途端に、痛みは以下略。


言説的に付与された、正負いずれであれ過剰に価値的な意味を、人生の営為に持ち込むと、あまりよいことがない。あまつさえ、長い時を経て復讐される。まさによしながふみであるが――そのようなことは、生きている瞬間においては、誰もがわかっている。花嫁衣裳を夢見る15の娘でなければ、父の尊厳を夢見る幼いパパでなければ。


とはいえ。人は自身の生を価値的な意味によってデコラティブせずにはいられない。語るに際しても、自己規定に際しても。不自由なこと。そして、不自由であることが文化であり、やってる本人楽しかったりもするのである。多く男は。社会的な錯誤にせよ、ごく私的な錯誤にせよ、錯誤は錯誤に違いない。


勘違いで己を拘束して何が楽しいかというと、楽しいのである、それが、男の威厳を守ってきたから、これまでずっと。拘束の紐帯によって、世を生きる男たちの連帯は、形成されていたりもする。


人生観の相違に社会的な権力構造が介在しているか否か、と問うたとき、そうではないし、そのような時代ではない、自由である以上、個々人の考え方と選択の問題、という返答であるなら、私は何も言うことがない。御自由に、と思う。


結局、自身の人生を自ら語ること自体が、実存を露呈する罠である。ゆえに、アナロジカルに記す、フィクションであるがゆえに無害な諸物を引き合いに出して、迂遠に。終風翁のように、聖書の内容を示すことは、浅学ゆえにできないけれども。


ニーチェに始まる一連の議論がある。了解しているし、私自身は同意する。誰かが言った通り、ニーチェは読むと元気が出るし、身をもって自身の言を生きてみせた。そして。ニーチェ「的な」認識を他に対して積極的には採らない、一般化して言挙げない。それが、私自身の結論であった。


人は、死者の声を聞く。それをして村崎百郎は電波受信と言った。靖国信仰を有する人の幾らかは、電波信者であるのだろう。ところで人は死者の声を聞く。社会は、そのことを前提として織り込んで運行している。私は死者の声を聞かない、という人は、むろん在る。


他に、自身の聞く死者の声を強制してはならない。死者の声は、誰の目にも見え、誰の耳にも聞こえる体にて、存在しない。ゆえに。個々人のレベルにおいては、人生観の相違である。共同性のレベルにおいて、問題が所在する。靖国批判へと繋がる。


敗戦後論

敗戦後論


しかし人は死者の声をごく私的に聞く。個々人が。そのことが、共同性のレベルにおいて、集合的な意識を構成することに、私は賛成しない。死者の声は、個々人が勝手に聞く、いかなる声でいかなる内容か、聞く個々人に準拠する。村崎百郎が、電波受信、としたことの、かく啓蒙したことの意。


自らの聞く死者の声に耳傾けることは、正負において心地よいことであり、人の生きる甲斐である。個々人の単位において。神の顔を公的に共有せんと問う者はない、神の相貌は個々人の胸にある。すなわち、日本においては倫理道徳が区別され難い、という話ともなる、が、日本論は措く。


自身とその身内の幸福を奪わんとするものは排除する、というのは、端折って言うが、端的にはマフィアの理屈である。マフィアの理屈を市民が公然と口にする時世ではあろう。マフィアの理屈を「権利」とすることには賛成しない。個と共同体と社会は相違する、社会は特定の個の幸福や共同体の延長にない。


正面きってのバトルになれば、安定社会において、善良な市民は勝つ。私は市民主義者であるが、マフィアの理屈をそれと知らず持ち出す市民は支持しない。自身の生は肯定さるべきと、自己が確信すれば無問題であるか。それは市民と言わない。


人が、昆虫のように、単に生き、繁殖し、死ぬなら。なぜ人は「愛」という言葉を「孤独」という言葉を「痛み」という言葉を発明したのか。好きとか嫌いとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

 息子は今、七歳になった。私は今も、相変わらず何者でもない、と思っている。息子に持たれかからないように、いつも思っている。息子は私の何かではない。私の人生は、私の個人史は、息子が生まれたことで確かに意味を持った、と思う。そしてそう思われる。しかし、息子は私のものでは絶対にない。息子は成長するにつれ自我を持ち自分の意志を表すようになった。息子は自分の人生を生きていく。私は自分の人生を生きていく。個人史は終わらない。


 私は風景ではない。夫と息子と長く暮らすうちにそう思うようになった。かつての恋人たちに対して、私は風景であり、一種の彩のようにしか思っていなかった。しかし、そうではない。人生は、時間は一人一人の、それでしかないものだ。それは時折交差する。通り過ぎるだけの風景ではなく、ぶつかって、形を、向きを、何かをお互いに変えたのだ。


 私は、自分が生きる意味を理解した。それは私が生きる事自体にあるのだ、と。意味を与えるのではない。ここにただいることだけで、意味があるのだ、少なくとも私にとっては。そしてそれで十分である。


生きることに意味など必要ない。自身が生きていることを、許されている、という実感さえあればよい。ひとかけらでも。自身が生きていることを、許されないがために、正負いずれにせよ価値的な意味の装飾を纏う人がいる。あるいは、許したくないがために、好んで意味の衣と正負の価値を纏うのか。錯誤の一切を排すなら、生死とて、錯誤である、生死とは痛覚ではない。


増田。「私」が、配偶者や子との生活を通じて、自身の生を、許されていると考えるに至った、とも勝手に読んだ。他人であれ誰であれ、あるいは死者であれ、その存在を、言葉は悪いが「ダシ」にして、自身の生を許すのは自身である。一切は、勝手な自己との契約でしかない。自縄自縛であり、ごまかしの妙案を、人はうまいこと考えつく。遠い昔に。


ゆえに。人は「愛」を「孤独」を「痛み」を発見したのだろう。さすれば人は、他と繋がることを前提に、自身の生を許し得るから。そして。以上の言葉を直截に用いることなく、以上を直接的に記すことなく、以上の概念とその化学反応を描いた、上記増田に敬意と感謝を。


最後に。「肉親の情」は習うより慣れろ、とも、読んだ。真実。名文かは知らず美しい良文と私も思う。