ポストモダン・リヴィジョニズムと虐殺否定論


以下、きわめて単純化された整理と厳にお断り。


今更言うまでもなく、リヴィジョニズムとホロコースト否定論は区別さるべきもの。以前も書いたけれど、リヴィジョニズムすなわち歴史修正主義あるいは「歴史の見直し」とは、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立としてこの数十年来繰り広げられてきた知的営為であり、それはヨーロッパに発する近代批判の運動と期を一にしていた。


問題は、そうしたポストモダン・リヴィジョニズムが史学的なメイン・ストリームを超えて史学的立場それ自体を無限に相対化するものとして機能してしまったことにある。むろん、68年以降の近代批判の過程において史学的立場それ自体が相対化されることは悪いことではなかったし、そもそも歴史の必然であったろう、ヘーゲル的に言うなら(笑)。しかし史学的立場それ自体が無限に相対化されたとき、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立はメイン・ストリームを超えて史学それ自体の無限相対化ひいては無視へと帰結した。


「教科書が教えない歴史」を国民に教えるために国民の教科書を作る。それが史学的なメイン・ストリームに対するナショナリズムに基づく異議申立として厄介であったのは、つまり彼らは史学的な手続に頓着しなかったから教科書を作り採択させようとした。ナショナリズムゆえのこと、と言ってしまえばそれまでだけれど。坪内祐三福田和也は違和感を言明していた。「教科書が教えない歴史」を国民に教えるために国民の教科書を作るってどんだけ国家主義だよ、ナショナリズムには付き合えません、と。当時、民俗学者大月隆寛に対して坪内氏が直接そう言ったのは、問題意識を同じくしていたとの思いがあったからだろう。それもすべて10年ひと昔。


わかりきっていたことだが、ナショナリズムに基づく史学を偽装した闘争は端的に大衆運動として展開された。70年代80年代を経て史学的立場それ自体が無限に相対化される90年代後半を、彼らは最初から知って運動に臨んだ。ゴーマンかましたマンガ家を筆頭に。当時、網野善彦に対して小熊英二が言ったことだけれど、内容が正しくないとあれに対して指摘してもまるで意味がない。つまり史学的立場それ自体を彼らは確信犯として顧慮しない、だから史学的立場に基づく指摘や検討や批判にも意味がない。


「教科書が教えない歴史」を国民に教えるための国民の教科書を作る活動は、多数のアカデミシャンのコミットと繰り返された議論にもかかわらず、大衆運動として展開され史学的立場を必ずしも省みることはなかった。言うまでもなく先ずその点において、80年代の網野氏の史学的業績と90年代の大衆的教科書採択運動は、まるで違う。


そのような、68年以降の近代批判と期を一にするポストモダン・リヴィジョニズムにおける史学的立場それ自体の無限の相対化と共に、現代のホロコースト否定論はヨーロッパにおいて発動した。「教科書が教えない歴史」を指摘し検討し啓蒙することそれ自体は、それが厳密な史学的立場において為されようが為されまいが、構わないし結構なことで「教科書が教える」という概念に対する批判と共にそれは正しくポストモダン・リヴィジョニズムです。


そもそも「教科書が教える」という概念に対する批判として70年代、80年代の広範なリヴィジョニズムはあったので、その洗礼を経た知的態度が「教科書が教えない歴史」を国民に教えるために国民の教科書を作る、という発想に対して甚だ懐疑的、あるいは冷淡かつ冷笑的であったことは当然のこと。しかし、90年代の大衆的な教科書運動は、70年代80年代のポストモダン・リヴィジョニズムの帰結としてあった。この因果関係を解くことが、歴史認識をめぐる現在の昏迷において要請されていることであり、そしてその問題意識は小熊英二を含めて00年代の知的課題でもあった。

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ポストモダン・リヴィジョニズムにおける史学的立場それ自体の無限の相対化においてホロコーストの事実性が疑問視されそれが人口に膾炙する。人口に膾炙すれば、大衆運動としては勝利する。つまり大衆運動とはもっともイデオロギッシュなもの。私はナチマニアなので言いきりうるが、最大限留保して言っても、ホロコーストの事実性それ自体は史学的にも確定している。にもかかわらずホロコーストの事実性それ自体を否定する議論が人口に膾炙するのは、史学的立場それ自体が無限に相対化されたことの結果としてある。つまり、史学的立場それ自体の市民社会における信頼の失墜の結果としてある。


対する処方箋とは何か。むろん言論弾圧でも思想統制でもなく、市民社会において私たちが史学とその立場を改めて信頼し、対して史学とその立場がそれに応えることしかない。大衆に迎合せよという話ではない。市民社会の信頼に値する仕事を市民社会に対して示すということ。つまり、自分で埋めた石器を自分で発掘してはならないということ。


そんなのは前提であって、私は否定論の流通に史学が責あるとは思わない。にもかかわらず史学とその立場が否定論にかかずらわなければならないのは、無限相対化の結果として市民社会において失墜した、史学的立場それ自体の信頼を回復するため。ドイツにおける否定論の非合法化とは、そうした市民社会における信頼の合意としてあるのであって、ある人が言っておられた通り、現在の日本の民度でそんなことやったら危なっかしくてかなわんというのは正しい。つまり、日本に市民社会は未だない。


責あるのは誰か。自分で埋めた石器を自分で発掘したところでさしたる問題でないのがホロコースト否定論で、なぜなら史学的立場それ自体が無限に相対化されるということは史学的方法論それ自体も相対化されるということだから。そして大衆的に支持されれば宜しい。そんな無謬というか無敵のゴッドハンドがゴロゴロしているのが否定論業界で、そして彼らは史学的立場それ自体を無限に相対化するための陰謀論の提示に躊躇ない。自分で埋めた石器を自分で発掘して無問題が史学と。自己紹介乙、というか、考古学の市民社会における信頼失墜は大きな問題だった。だから否定論とは史学ではないし、ポストモダン・リヴィジョニズムでもない。ポストモダン・リヴィジョニズムの振りをして史学をその方法論もろとも無限に相対化しようとする何か。


自分で埋めた石器を自分で発掘してはならない。それは学的倫理に留まらず、学的立場とその方法論に対する市民社会の信頼をめぐる合意形成の条件であって、市民社会におけるそのような信頼の合意とその形成を顧慮しないのが、一般的な虐殺否定論の特性としてある。そしてその特性は、ポストモダン・リヴィジョニズムの一般的な特性でもあった。


むろん、両者は等号で結ばれない。けれども、そこにこの問題の深刻な要所がある。ややこしい書き方をしているのは、レイシズム許すまじ的な議論はもう無理、という認識が私にあるからで、それもまたポストモダン・リヴィジョニズムの帰結ではある。が。

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hirokiazuma.com


翻って我が国の南京大虐殺否定論と、一連の東浩紀の発言について。つまり、学的立場とその方法論に対する市民社会の信頼をめぐる合意形成を、必要としない社会に私たちは事実として暮らしている、というのが東氏の一連の主張で、合意形成を必要と考える知的立場がそれに対して原理的にも駁するのは当然のことだけれど、問題は、価値判断を措くにせよ、合意形成を必要としない社会に私たちは事実として暮らしているか否か、暮らしているなら、そのとき必要な市民社会の信頼をめぐる合意形成、すなわち社会契約とはどのようなものか、ということで、東氏は最初からそのことを言っているし、構想も開示されてはいる。約するなら。


――学的立場とその方法論に対する市民社会の信頼をめぐる合意形成に即して、すなわちモダンのセオリーにおいて、現在のネットにおける「南京大虐殺論争」のソリューションは示しえない。なぜなら、そもそもそのような従来的な合意形成に即してインターネットの言論空間は編成されておらず、それこそがネットの本質であるからして、また来たるべき人間存在の本質たりうるかも知れないからして、そうした空間における公共性は市民社会の信頼をめぐる合意に基づいては編成されないし、また編成されるべきでもない。


学的立場とその方法論に対する市民社会の信頼をめぐる合意形成とは、市民社会において「正しさ」を基準とする信頼に合意するということで、むろんこの「正しさ」とはPCのことではないが、PCへと還元されない学的な「正しさ」を基準とする信頼において合意されないのがネットの言論空間であるからして、そのとき公共性の構築は従来的な市民社会観を範としえない。そのようなネットの言論空間において公共性の構築と称して「正しさ」を基準とする信頼に合意すべきと学的立場とその方法論を提示することは間違っている――ということと思う。それは一貫した見解と思う。


「実感」の問題とはそういうことで、人はPCへと還元されない学的な「正しさ」にそれを理由としてコミットしないのが、モダン過ぎ去りしポストモダン状況の前提ということ。自身の実感伴わぬがゆえに。繰り返すけれど政治的正しさのことではない。普遍主義とは、というか現代におけるロールズ的な態度とは正義の構築において実感の有無を問わない、のではなく実感の有無を相互的に乗り越えうるし相互的に乗り越えるべきもの、と捉える考え方のことで、対してローティ的に言うなら、人は個人としてコミットすることの理由に個人的なフックとフラグをしか求めない、そのことに対して正義を持ち出すことは、端的に他者に対する暴力たりうる。自己批判を込めてそのことは思います。


そして、個人として実感伴わずゆえにフックもフラグも立たない事柄に対して正義において他人のコミットを強制してはならない。別の言い方をすると、学的立場とその方法論に対する市民社会の信頼とは「正しさ」に対する信頼たりうるが、そのことを徒に政治問題化してはならない。政治とは個に対する暗黙の強制の別名であるから。


にもかかわらず、学的立場とその方法論に対する市民社会の信頼をめぐる合意形成が覿面に政治問題化するのは、「そもそも論」として、学的立場それ自体の無限の相対化が理由にある。ゆえに、平等と反差別という近代の原理をめぐる闘争として、たとえば南京事件をめぐってネットで議論が為される。要するに「現在のネットにおける「南京大虐殺論争」」について東氏は端的に誤解しているし、たぶんロジカルミスしておられる。


つまり、養老先生がよく言っていることだけれど、学的立場それ自体が無限に相対化され学的立場とその方法論に対する市民社会の信頼をめぐる合意形成が脱臼するとき、学問は政治の餌食になる。そのことが証明されたのが、08年のこの現状ではないか。遡ること40年前、68年の東大闘争において、研究室をロックアウトされたそのことを養老先生は今でも繰り返し記し、現在の山本義隆に対して再三冷淡な言を述べている。

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私の立場はというと『リアルのゆくえ』に言及した以前の記事に記した通りで、付け加えることは、東氏は端的に誤解している。「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」とは「公共空間の言論」に限定された議論で、そして東氏はネットにおける「南京大虐殺」をその枠組において論じている。この場合の「絶対的真実」とは全人類が合意しうる認識のことで、つまり全人類が合意しうる認識とは正義の別名で、ポストモダニズムの理論的帰結としての限界において、それはない。で、ネットの議論に限定したとしても「南京大虐殺」についてそうした主張が異議申立のごとく提示されるということは、つまり、再三になるけれど、東氏は根本的に誤解しておられるのではないか。


特に東氏に対する批判において、問われているのは第一義に、全人類が合意しうる認識としての1937年の南京における出来事ではなく、学的立場とその方法論に対する市民社会の信頼をめぐる合意形成であって、つまり虐殺それ自体をめぐる事実性のことでも、まして人類的合意の問題でもない。


つまり、東浩紀歴史修正主義的発言が問われているのではなくて(問うていた人もおられたかも知れないけれど)、東浩紀市民社会における学的立場とその方法論に対する市民社会的な信頼についてどう考えておられるのか、合意形成の筋道についてどのように構想しておられるか。


むろん、そのことに対する回答は既に東氏の一貫した議論において再三提示されている。少なくともモダンな合意形成の筋道は現実的に無理である、と。近代人の常識を改めて構築しそのことに合意するには、私たちの社会は既に難しい、と。それは初著作以来の一貫した見識と私は思うけれど、市民社会に基づく近代人の常識を改めて構築しそのことに合意することに賭けて実際にネットで活動してきた人が駁することは、原理的にも、また状況論に照らしても、当然のこと。


以前の記事に記したことに付け加えるなら、私の見解は。全人類が合意しうる認識としての「絶対的真実」が理念としてであれ葬られ同時にロールズ的な現代の普遍主義が死ぬとき、人は個人的真実を信じ、個人的真実にコミットして、そして公的に発言し行動する。そのことが政治たりうる、ポストモダン的状況とはそういう卑近なことで、そしてネットは排外主義的言説の生成装置と化し、小泉純一郎は勝利する。むろんそんなことは東氏は承知で、リベラルはその理論的帰結においてそのことを許容せよと再三言っている。私はリベラルではないけれど、許容は大いにする。何か言うべきと思ったら記事を書く。


ポストモダニズム系リベラルの理論家」としての東氏の主張の要所は、人が個人的真実を「私的信念」として信じるに留まらずpublishすることを「公共空間の言論」の条件にして要諦と考える点にある。それは近代の常識でもあるが、その先があってそれが肝心。――「公共空間の言論」は「開かれて」いるがゆえにそこにおいて「絶対的真実はない」から、人が「私的信念」たる自らの信じる個人的真実を「公共空間の言論」にリリースすることを、全人類が合意しうる認識としての「絶対的真実」において抑圧してはならない、それが「公共空間の言論」のその意味である。


ということで東氏は自身の信じる個人的真実を公共空間の言論にリリースした、という言行一致でもあるけれど。つまり東氏は「公共空間の言論」においてそのことに意味があると考えている。私もそれはそう思っている。そして、東浩紀にとって「東浩紀南京大虐殺は(規模の議論はともあれ)あったと考える。」ことは私的信念の範疇に属する事柄であり、そして私的信念に過ぎない。それが、東浩紀の理論的立場。


ポストモダニズム系リベラルの理論家」としての東浩紀は「公共空間の言論」において「南京大虐殺はなかった」と個人が私的信念を公的にリリースすることを許容する。虐殺それ自体をめぐる人類的合意を形成する営為が同時に他者に対する抑圧であってはならない――それが「ポストモダニズム系リベラルの理論家」の主張です。


それはその通りで、虐殺それ自体をめぐる人類的合意形成の限界から出発して他者性というポストモダンの正義へと至ったのがデリダなので、一貫して東氏は正しくデリディアンではある。虐殺それ自体をめぐる人類的合意形成の限界から出発して虐殺者という他者性へと至ったことも。


それはヨーロッパの人道をめぐる円環としてあり、9.11におけるアメリカの経験となった。むろん、近代人の常識は措いても、現代の西欧人は虐殺者という他社性を許容するが虐殺それ自体は許容しないし、その思想的バックボーンも態度において許容しない。「絶対的真実はない」とは公共空間の言論において虐殺者という他者性と出会うためのまさにdeconstructionであり、そして東氏は全人類が合意しうる認識なき場所における脱構築しえない正義としての、もっともラディカルな他者性を信じておられるのだろうけれど。


問題は、繰り返しになるけれど、全人類が合意しうる認識としての「絶対的真実」が理念としてであれ葬られ同時にロールズ的な現代の普遍主義が死ぬとき、つまり人道をめぐる人類的合意形成の理論的帰結としての限界が他者の個人的真実の公共圏への反映を結果するとき、人は個人的真実を信じ、個人的真実にコミットして、そして個人的真実を公共空間の言論にリリースするどころか公共圏としての市民社会に反映させるべく行動する。


結果、ID論と水伝と「ぼくのかんがえたれきし」と虐殺否定論が公的に流通し政治的な大衆運動と化し、そして公共空間の言論ひいては公的な市民社会は政治的な大衆運動の草刈場となる。びっくりするほどプレモダン、あるいはびっくりするほど第二次大戦前のヨーロッパ、ではある。

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個人的真実しかないなら、人は自身の実感に基づく私的信念の反映としての個人的真実を信じる。それは当然のことで、東氏も再三そのことは記している。そして人道をめぐる人類的合意形成がその理論的帰結としての限界において、個人的真実の公共圏に対する侵犯ならびに公的流通の枷たりえなくなるとき、人は自身の属する民族国家の過去の蛮行を公的に否定し始めた。そのことを市民社会は許容しうるかと問うたとき、微妙と私は答えるが、許容しえないと答える方が普通であってそれは記してきた通り市民社会の意味を知るなら当然のこと。


少なくとも、それは、既に、歴史の問題ではない。政治の問題であって、政治において侵犯される市民社会と、政治において毀損される、市民社会が信頼しその価値を位置付けるべき史学的立場とその方法論の危機です。そして、そうしたことが「歴史の問題」ということであって、だから虐殺否定論に準じる歴史修正主義は「私たちの社会」にとって深刻かつ危機的な問題なのです。


少なくとも、市民社会に価値を置く限りはまったくローゼンメイデン問題ではない。つまり法学的観点に基づく個人的嗜好の他者に対する強制という問題ではない。東氏も史学的立場とその方法論は別の話(すなわち専門家/アマチュア問題)と考えておられるようで、そもそもさして関心ないのだろう。


そして政治の問題であるとき、人道をめぐる人類的合意形成を、たとえ東氏がデビュー以来論じ続けてきたような理論的帰結としての限界あろうとも、私たちは理念としてであれ掲げ試行し続けると合意すべきか――それが市民社会の価値であると。合意すべきという立場の人たちが、今回東氏を批判している。


理論的帰結としての限界を認識し指摘し続けてきた東氏は、その合意という「あえて」こそ公共空間の言論をその公共性それ自体さえ否定する政治的詐術であり現実に有害と指摘し主張している。有害とは、公共空間の言論を抑圧し閉鎖するということ。私の意見は、リベラル批判/知識人批判に限定するならともかく状況論としては違うと思いますよ、という。むろん東氏はリベラルと知識人を批判している。


ローティは、人は自身の実感に基づく私的信念の反映としての個人的真実を信じるからこそ、人道をめぐる人類的合意形成が理論的帰結として限界ある以上、そして個人的真実の公共圏に対する侵犯と公的流通を押し止めることが困難である以上、人が自身の実感に基づく私的信念の反映としての個人的真実において、普遍たりえず限定的であれ現実解としての人道へと至りうる契機を社会において涵養すべきと主張した。


東氏を進んで批判する気にはならない私の意見は、これは皮肉ではまったくなく、そもそも人は頭脳明晰な哲学者/批評家のように公共圏において曖昧に生きているわけではない。実感に基づく個人的真実が個人的なものに過ぎないと信じるならそれを公共空間の言論にリリースすることも公的に流通させようともしない。まして大衆運動を組織し展開しようとは。


修辞的に書くなら。人道をめぐる人類的合意形成の限界というポストモダニズムの理論的帰結に立脚して、何が根差し、何が生まれ、何が大輪の花を咲かせたか。蔑視は肯定され、差別は容認され、過去の虐殺はやむなきこととされた。人道をめぐる人類的合意形成には限界があり、現代の普遍主義とはインテリの理想論であるから、と。むろんそれは鬼子であったけれど、記事の前半に記した通り、鬼子が生まれる前提は準備されていた。ヘーゲル的に言うなら(笑)、歴史的必然において。


これも「大きな物語」の亜流に過ぎないかも知れない。しかしまことに、行為には帰趨あり、蝶の羽ばたきは状況に無関係でなく、そして合成の誤謬はある。たとえその全体を見通しうることなくとも、見通しうるというのがモダンの夜郎自大であったとしても、少なくともその結果に責任を負うことが「知識人の責任」という概念において、知識人の責任だろう。


人道をめぐる人類的合意形成には限界あるか。「公共空間の言論」において理論的帰結として限界あることは知っている。東氏の認識は正しい。しかし、近代の原理に即して形成された合意は、市民社会の要諦を構成している。すなわち、平等と反差別は。たとえそれが「かのように」のかりそめであろうとも。


「公共空間の言論」における人道をめぐる人類的合意形成の限界は「人間」をめぐる政治的闘争において市民社会の信頼をめぐる合意を破壊する。東氏の議論に対して私は、面白いSFですね、と皮肉でなく思う。そしてディックにせよイーガンにせよ遠藤浩輝にせよ『虐殺器官』にせよ、面白いSFは私は好きだけれど――というか批判する諸君はもっと『キャラクターズ』に始まるあずまんの小説を読むべきと思うけれども――それは分析に基づく思考実験ですよね、という。仮に十分に予見的であるとしても。


むろん分析に基づく思考実験も面白いSFも結構です。しかし、それらの提示によって、政治的闘争どころか端から人道概念への顧慮なき言説にさらされる――東氏にとってのあるべき――公共空間の言論に対して、市民社会の信頼をめぐる合意に基づく学的立場とその方法論の価値を再度位置付けようとする活動への異議申立たりうるか、というと、否ではないでしょうか。そのような市民的活動が従来型のモダンな権威主義でしかない、と考えておられるとしても。また異議申立でなく立場表明とお断りしておられますけれども。

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ネットに顕著なように事実として現状がポストモダンである以上、ネットの言論空間において公共性の構築と称して「正しさ」を基準とする信頼に合意すべきと学的立場とその方法論を提示することも、個人のコミットに対して正義を持ち出すことが他者に対する暴力たりうることに対する意識を欠いて正義に依拠することも、それはロジカルエラーである、ということなら――そのように感じている人は他にもおられると思います。少なくともこれは、そういうことではありません。


ネットにおける南京大虐殺とは政治タームでしかなく政治的な代理戦争として学的立場とその方法論の「正しさ」が示されている、という懐疑が広くあるようなので、また東氏もほぼそう言いきってしまっているので、そしてそれは単純に誤解なので、そういうことではないです、ということは明記しておきたく思う。個人的真実の公的流通を図る大衆運動という政治に対して、市民社会の信頼をめぐる合意を形成するべく、あるいはそれ自体を日本社会とそのネット空間において構築すべく、試行が模索されています――水伝であれ南京であれ。


東氏にとってはともかく、ポストモダニズム系ならざるリベラルにとっての課題は、第一義に人道をめぐる人類的合意とその理論的帰結としての限界ではなく、市民社会の信頼をめぐる合意形成であって、そしてその場所から人道をめぐる人類的合意を改めてtrialしよう、というモダニズムの賭けです。市民社会構築の活動はネットを舞台にしたときイデオロギー的運動たりうるか、原理的にも、状況論としても、否、と私は思います。


市民社会の信頼をめぐる合意形成さえ理論的帰結において限界がある、少なくともポストモダン状況にあってモダンのセオリーに即したとき、決定的に限界ある、と考えておられるなら、いや主張しておられることは存じ上げていますが、一貫した立場であり議論ではあります。それもまた分析に基づく思考実験であり面白いSFと、私は考えるのですが。哲学者/批評家を貶めているのではありません。ただ市民社会の知識人としては――というのは指摘される通りと思います。市民社会の知識人であること、またそうあることをたとえば大塚英志から強制されることに昔から苛立っておられることは存じ上げています。私はファンですが、確かに吉本隆明は酷いことをしたのかも知れません。


そして「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」ことと市民社会の限界は、必ずしも等号で結ばれないのであって、そしてそのことはヨーロッパ的市民社会を留保しつつも是としていたデリダが再三強調していたことであって、デリディアン東浩紀の批判さるべき点はその点ではないでしょうか、というのがフランス語の読めないポストモダニズム系シニカルの理論家(笑)としての私の見解です。


最後に。私は以前、愛・蔵太さんに対して批判的なことを書いた。個人的な苦渋というかアンビバレンスがなかったわけではない。ポストモダン・リヴィジョニズムの功罪が、光と影が、彼の人のはてなにおける著名な活動には典型的にあった。あまりにもくっきりと。むろん、行為遂行論は措き、愛・蔵太さんが否定論者ということではない。ただ、私は勝手ながら、ポストモダニズムのひとつの臨界を、愛・蔵太さんの一連の歴史認識問題をめぐる活動に見た。そして、私は限界だと思った。もう無理、と。愛・蔵太さんが無理ということではむろんないけれど、ポストモダン・リヴィジョニズムの無理を、そのリテラルな極北において私は知らされたのだった。