37年間の孤独


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/975628.html


はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):【愛知立てこもり】「あなたを安全に保護したい」 愛知県警、容疑者の身柄確保


ブックマークコメントを一読して安堵した。むろん、結果的には、到底ベターな対応とは言い得ない。大石先生の批判は妥当と思う。私ですら、経緯と映像を確認して「…………。」となった。


素人警察のお粗末: 大石英司の代替空港


交渉事の見切り: 大石英司の代替空港


付け加えることもない。ただ。件のブクマコメントに目を通せば、言わずもがなのことであるかも知れないが、看過し難く思ったので、記しておく。そういう発想は、ない、ということを。警察には、アレな意味での世話にしかなったことのない私であるが。


上記『痛いニュース(ノ∀`)』に抽出された書き込みから。

30 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/05/18(金) 21:16:55 id:rqY26/M10
身内を殺されてもなにもしないヘタレ愛知県警


違うよ。間違っているよ。

47 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/05/18(金) 21:17:24 id:zKSJ7YIL0
こんな屈辱
警察の中の人は平気なの?


平気だとでも思っているのか。警官殺しに対して、個々の警官が、あるいは警察機構が、某かを覚えることがないとでも。事実、時に「意趣返し」は執行される。ただし、それでも、警察機構はバラライカさん率いる遊撃隊ではない。


愛知立てこもり発砲事件、雑感: 極東ブログ


finalventさんによる指摘に目を通して気が付いたことは、そうか、あの1件と当時の空気とその後の経緯はすでに世においては忘却の彼方にあるのか、ということであった。私はいまだ20代であるのだが――戦後事件史にはガキの頃から関心があったので、公知の事柄と思い込んでいた。

 なぜ「籠城男を狙撃するなど、早期解決の方法はなかった」という理由がごく自然に理解できるのは、たぶん、私のように(今回の犯人もたまたまそうだが)五十歳以上の日本人ではないかと思う。ちょっとひねくれた言い方をすれば、読売新聞がばっくれてしらっと語っている背後をきちんと読めるのは、もう五十歳以上になってしまった。その意味で、そうした背景を語らず、狙撃もありだよねというばっくれ方には疑問を持つ。


瀬戸内シージャック事件 - Wikipedia


http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/setouti.htm

事件後、自由人権協会北海道支部所属の弁護士(下坂浩介、入江五郎)が、狙撃手を殺人罪広島地検へ告発した。広島地検は狙撃手の行為を刑法36条の正当防衛及び刑法35条正当行為として不起訴処分にしたが、弁護士側は不服として広島地裁に準起訴処分を取ったが棄却され無罪が確定した。これ以降起こった日本の事件では、犯人が銃器等で武装している場合でも、なかなか射撃命令が下されなくなり、1972年のあさま山荘事件では、犯人からの一方的な攻撃で、警察官が殉職するといった事態を招いた。
この事件を教訓とした結果、1979年に発生した三菱銀行人質事件では、一人の狙撃手ではなく、大勢で一斉に狙撃をすることにより、誰が致命傷を負わせ、射殺したのか分からなくするようにした。世界的には珍しい対応である。
この事件以降、日本の警察は、狙撃の態勢は取るものの、射撃の命令には極めて慎重になった。しかし1990年代以降、犯罪の凶悪化により警察官の受傷、殉職事案が増加したことに伴い、2001年に拳銃取り扱い規範が改定され、拳銃使用要件が明確化された。これ以降、以前と比較して警察官の拳銃使用件数は増加し、年間数十件の拳銃使用がある。


上記のあさま山荘事件を含めた、この当時の警察庁長官後藤田正晴


後藤田正晴 - Wikipedia


部分的に再引用。

これ以降起こった日本の事件では、犯人が銃器等で武装している場合でも、なかなか射撃命令が下されなくなり、1972年のあさま山荘事件では、犯人からの一方的な攻撃で、警察官が殉職するといった事態を招いた。


当時の後藤田の部下であった佐々淳行の名著(と思う、私は)たる以下にも記してあること。現在、本が手元にないので、他人様の記事を失礼ながら引用させていただく。TB先の方々に、拝借の御容赦と、記事の感謝を。


連合赤軍「あさま山荘」事件 (文春文庫)

連合赤軍「あさま山荘」事件 (文春文庫)


倫敦橋の隠れ里 【書評】「突入せよ あさま山荘」佐々淳行

マスコミは、警官に殉職が出れば「警備失敗」と書き立て、過激派に死者が出れば「過剰警備」と罵る。
警官が銃や鉄パイプで武装した集団に襲われ拳銃を使用しても、銃の発砲が問題視される。
その警官の名前が晒されて、非難され、テロの標的にされる。

(中略)

部下の殉職に指揮官が涙を流せば「男が山中で泣いて女々しい」と書かれる。
社会党の議員は事件直後、連合赤軍はたった5人で1400人の警官と戦った、革命は近い、と喧伝する。
あさま山荘事件の超勤手当は、報道関係者の10分の1だった。


2007-03-09


2log.net


61 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/12/23 20:20 ID:???
72年が浅間山荘事件で
同年72年にミュンヘンオリンピック事件でGSG9創設検討
77年がダッカハイジャック事件でその後SATの前身創設
同年GSG9がハイジャック事件を犯人全員射殺、人質一人死亡で解決
その後世界的に(HRT寄りの?)軍隊系、警察系の特殊部隊創設ブーム
日本も世界に先駆けるチャンスがあったが
警官の発砲がどうだ自衛隊違憲だなどとグダグダ言ってた
社会状況だったからとても無理。
ようやくSATが市民に認知されて
自衛隊が市街戦の経験を積み始めたぐらいだから
何十年遅れたのかって話だ。


201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/12/24 10:36 ID:???
>>198
赤軍側には何の戦略も無かった
一方、警察側には「生きて人質救出」「赤軍英雄化の阻止」「生け取りして自分たちの
考え方が正しいことを証明させる」という、曲がりなりにも戦略はあった
ただ、例えば自衛隊から教育を受けて、土嚢の積み方や銃撃戦のやり方を学ぶとか、
そういう戦術がまるで無かった


220 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:03/12/25 01:17 ID:???
【後藤田命令】
一、人質牟田泰子は必ず救出せよ。これが本警備の最高目的である。
二、犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾をひく。
  国が必ず公正な裁判により処罰するから殺すな。
三、身代わり人質交換の要求には応じない。特に警察官の身代わりはたとえ
  本人が志願しても認めない。殺される恐れあり。
四、火器、特に高性能ライフルの使用は警察庁許可事項とする。
五、報道関係と良好な関係を保つように努めよ。
六、警察官に犠牲者を出さないように慎重に。

230 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/12/25 08:41 ID:???
>>224
いや「あさま」の機動隊の例は世界の警察から良い注目の浴び方をされたのだよ
国民に圧倒的な威圧感を与えず、犯人を殺さず生け捕りにし、
なおかつ人質も殺傷されずと言う点でね
そもそも国内の過激派はゲバ棒やら木の柄やらを持って暴れていたが
集団行動する時はそれぐらいの装備が限界だった。
(成田の管制塔占拠の時は軽トラ"迫撃砲"みたいなのがあったが)
なぜなら行動する日というのがだいたい推測できる上に
(軽く軍事的に言うと)集結地までの移動手段が限定される。
非合法な武器を持っていればその過程で職質にあって持っていかれる
となると「平和を求めるデモに必要なプラカード」の柄等に限定される訳
だから別に何も無対策だったわけではない
ただポリカーボン盾等はW杯に合わせて欧州型に更新しようってだけでは。
警備車が撃ち抜かれたあさまの教訓や手製爆弾対策の影響もあって
一応本格的な装輪装甲車みたいなのを作って持っていたけど
結局三菱銀行立て篭もり事件で出動したのみで退役したし。
テキサスタワーなんてkittyがビル上から無差別に撃った訳で
こういう銃を持った犯人が立て篭もる予測不能の異常事態に対応し
なければならない事件というのが無かったからね

594 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/01/09 21:21 ID:???
ガイシュツだけど、各国とも何らかの事件での教訓が元に各特殊部隊
が発足したみたいだけど、日本は浅間山荘という教訓を活かせなかった
のが問題だな。
警察特殊部隊のSATの設立のきっかけは時代を経て昭和52年の日本赤軍
ダッカ空港でのハイジャックだもんな。
あれだけ被害を出しておきながら、佐々氏の原作にもあんまり反省の色は
無いし、警察全体は浅間山荘を成功事例ぐらいに考えていたから、現在
世界水準から立ち遅れているんだろう。
その一因は、当然佐々氏にもあると思うが。


595 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/01/09 23:21 ID:???
>>594
>各国とも何らかの事件での教訓が元に各特殊部隊が発足したみたいだけど
各国とも後ろ手に縛るような警備要求は出していないぞ。
>>220みたいな要求出されながら良く頑張ったとは思わないか?


673 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/03/27 01:54 ID:???
話題と違ってすまんが、現代の対テロ訓練を施した特殊部隊だったら、浅間山荘は
どのくらいの時間でおとす事ができただろうかね。

ってこの手の話題はとっくにガイシュツ?


674 名前:名無し三等兵 投稿日:04/03/27 02:28 ID:xnFBNeoa
装備や訓練の差じゃなく、方針の違いじゃない?
人質を死なせてはいけない、
犯人も死なせてはいけない、
警官にも死者を出してはならない、という当時の絶対条件付けられたら、米軍
の最精鋭でも同じくらい手こずりそうな気がする。


758 名前:名無し三等兵 投稿日:04/04/09 20:35 id:Ghyi90WV
馬鹿の加盟が「自衛隊のレンジャーか警察のSATを派遣すべきだ」ってなことを
臆面もなくいったら、夕刻のニュースにゲストとして登場していたサッサが一喝
「現在の日本の警察や自衛隊が出ても作戦は失敗するだけです。
 アメリカのデルタフォースに救出を依頼するのが妥当です」
と答えてた。サッサと同じ時期に同じ警察出身なのになんで加盟はアホな発言しかできないのかな?


759 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/04/09 20:47 ID:???
>>758
ブレーンがしっかりしてるんじゃないかな。
軍事専門の秘書をちゃんと付けているんだろう。
TVでの軍事関連の発言はときどき
「頭で完全には理解していないな」と感じることがあるが
1つの意見として的は射ている。


760 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/04/09 21:40 ID:???
何も勉強しないで適当な発言する奴よりは、はるかにマシだってこった。


あさま山荘事件 - Wikipedia

この事件では人質を取られている以上、人質の無事救出が最重要目的となった(犯人を射殺した場合「殉教者」として、他の集団に影響を与えると考えたため、犯人を生かして逮捕する方針であった)。しかし、この事件の特異な点は、よど号事件などと異なり、犯人たちは警察の要求を一切聞き入れず、かつ一切の主張や要求をしなかったので、人質女性の安否すら警察当局は把握できなかった。
そのため、警察は人質の安否確認、犯人の割り出しのために偵察を繰り返したが、山荘が切り立った崖に建てられていて、犯人に有利な構造であったこと、頻繁に犯人が発砲してくること、全員を逮捕するために自衛といえども(警察の)発砲が許されなかったことなどから情報収集は進まず、事件は長期化の様相を呈した。ちなみに前述の『連合赤軍「あさま山荘」事件』の著者である佐々淳行は、著書の中でこの難攻不落の山荘を「昭和の千早城」と評している。


佐々氏の同書については、以下の評価があることを付記しておく。


佐々淳行 - Wikipedia


著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』は、その記述をめぐって大きな波紋を呼んだ。

  • 事件解決に当たり警察庁との間で確執があった長野県警関係者から「記述が不正確で当時の関係者の名誉を傷つけるものだ」との抗議が寄せられた。これらのことが影響してか、映画化に際して長野県警の協力を得ることができず、現地撮影をあきらめ、新潟県上越市を撮影地にしている。
  • 当事者である坂口弘から、彼の短歌を改変(読点を追加)して引用した点と坂口の名誉を毀損する表現があった点につき、版元の文芸春秋社とともに訴訟を起こされた。東京高裁の確定判決では、短歌の改編が著作者人格権の侵害、坂口とは無関係の爆弾事件に関与したかのように印象付ける記述が名誉毀損に当たると認定し、損害賠償を命じている。
  • 後藤田正晴も同書に関しては「佐々君は何か記憶違いをしているのかも知れない」とたしなめる主旨の発言を、また当時現地で実況中継に当たった日本テレビの久能靖も「事実に反する描写が多々ある」とコメントしている。


また。上記『極東ブログ』より。

 元内閣安全保障室長、佐々淳行さんの話  最初の通報で駆け付けた巡査部長が撃たれた後の対応は納得できないことばかりだ。約5時間も巡査部長を救助せずにいたことは信じられない。警察官の人命は尊重されないのか。さらに、SAT隊員が撃たれた際も、どうして反撃や突入をしなかったのか。


 佐々淳行元内閣安全保障室長のコメントには多少問題への煽りの印象も受ける。


私もそう感じる。しかし。続けて。

だが、現場の警察としては、俺たちの人命は尊重されるわけないよなという空気が満ちてくるだろうし、おそらく今回の事件は、類似の事件が連鎖しなければ、そういうこともあったというふうに風化していくのだろうと思う。


その通りですと、私は強く思う。佐々氏のコメントの含意と脈絡については、表現は措いて、汲み取られなければならない。


たしか、中野翠であったと思うが、同書を評する文中において「犯人を射殺した場合「殉教者」として、他の集団に影響を与えると考えたため、犯人を生かして逮捕する方針であった」ことについて、この「体制側」の狡猾さ、老獪さには、甘ちゃんであったかつての自分達が「かなわない」はずだ、と記していた(大意)。


中野氏は、佐々氏が嫌悪するところの団塊の世代であり、学生時代に(呉智英らと共に)政治運動にいくらかは関わり、あさま山荘事件の後に発覚した、連合赤軍の山岳ベース事件に、呉氏同様、深甚なショックを受けた多くの全共闘世代のうちのひとりである。むろん、同文は90年代のことでもあり、中野氏は佐々氏の同書を好意的に評している。上記についても、政治的な他意に基づく発言ではない。周知のことであろうが、中野氏はそのような人ではない。


――成程、それは一義には体制側の狡猾さ、老獪さの現れではある。しかし。最初の『痛いニュース(ノ∀`)』からの引用に戻るのだけれども。

身内を殺されてもなにもしないヘタレ愛知県警

こんな屈辱
警察の中の人は平気なの?


佐々氏の同書に拠るなら、当時、渦中において現場は悲しみ、怒り狂っていた、目の前で同僚が仲間が、為す術もなくふたり、銃撃によって殺されたのであるから。それでも。能う限り無事に大過なく犯人を無力化させたのち確保することが、70年の1件以降に日本警察が選択し、選択を重ねてきた原則である。


「殉教者」となる余地のカケラもなき、政治犯でもなんでもない、銃器を所持する混乱した中年男に過ぎなかろうと、あれだけ全国規模でTV中継されまくる中、強制的な無力化を前提として狙撃することが、結果において何を意味するか。筆にするにはばかるが、私の個人的な感慨は存在する、しかるにそれは、個人的な感慨に過ぎない。


「警察の中の人」が、現場の個々人が、私以上に、その感慨を抱いていたとしても、警察官の、ひいては警察機構の国家的な任務は、否、公共的な使命は、個人の感慨を感情を私情を超えて、それらを抑制する。それが、公共的な使命とそれを任ずる個々人の使命感の、言い換えるなら普遍的な職業意識とそれに基づく連携と同志感情の、価値ということである。


最後に。あえて記すけれども、今回、強制的な無力化を前提として狙撃したとして、世論は支持すると思う。それこそ37年前ではない。


福島瑞穂の迷言 - Google 検索


検証の為された↑のような話が出回るのも、状況を反映しているのであろう。では。


今回、たとえば立てこもる犯人が最終的に自らの頭を自ら撃ち抜いたなら、私は、いや、誰かは、少しばかりは気が晴れるのであろうか。違うだろう。それこそ、警察の「敗北」であり、県警の「無力」を証す。


犯人の結果的な死を支持するであろう世論の状況において、テンパった生身の中年男である犯人を無事に、自発的に武装解除させたのち、最終的には大過なく確保し得たことを、今回、私は支持したく思う。今回の状況において、突入するということは、結果を前提するということである。大石先生の言う通り、

 負傷した警官の救出が遅れたのは噴飯もの。人質は犯人の身内ですから、万一犯人が逆上して人質が死んでも警察が責任を問われることはまずないんだから、もっと早めに突っ込ませるべきだった。これは愛知県警内に責任を取る幹部が皆無だという証左ですね。

ということなのだとは思う。ただ。むろん大石先生がそのようなことを言っているわけではないけれども。警察官の公的な職務とは身内意識を前提した報復や制裁を許容するものではない。「屈辱」とか「ヘタレ」といった問題であるはずがない。


たしかに。このケースにおいて、最終的に犯人を自発的に武装解除させたのち、無傷のまま確保するのは、日本くらいのものかも知れない。そのことを、否定的に受け止めるか、ほかの点については措いても、そのことについては肯定的に受け止めてみせるか、ということだと思う。


というよりも。「ヘタレ」でないからこそ、プロフェッショナルであるからこそ、あのような「屈辱」を受けてなお、犯人を自発的に武装解除させたのち無傷のまま確保することを選択した。私は、そのように、言う。あさま山荘事件の際の、壮絶としか言いようのない現場は、当時の日本警察は、「ヘタレ」であったか。あれほどの「屈辱」を受けたから?


少なくとも、佐々氏による同書を参照する限り、気概なき「ヘタレ」であったかと問うなら、否、と私は言いきれる。同書における佐々氏の筆致がいささか以上にヒロイックであることは、付記するまでもない、周知の事柄であろう。


私が何を言っているかというと、身内を殺されてなお犯人を殺さないなら腰抜けというのは、どういう発想と認識なのか、警察とその公的な職務を、いやそれ以前に人間の誇りの在処を、どのように考えているのか、ということ。


凄惨な事件が発生したとき、少なくとも現場においては、人死には少ないほうがいい。すでに人を殺し、いまなお(自らを含めて)殺さんとしている犯人も含めて、人死には少ないほうがいい。70年以降に、日本警察の示してきた、あるいは不幸な、経験的な原則だ。私は、原則的には、かつ公的には、それを支持する。むろん、状況によっては、あるいは犯人によっては、その限りではない。


そして、私の個人的な感慨は、別に存在するわけだが。罪刑法定主義と法治主義を了解しつつも、別個に。


殉職をされた、23歳のSAT隊員への、哀悼を――