歌舞伎町案内人365日(李小牧)


ここ数年はそれほどでもないのだが――私が毎月の如く新宿歌舞伎町に詣でるようになって、気が付けば10年近くが経つ。むろんのこと「住人」ではなく「通行人」として。この10年の歌舞伎町の、あくまで表層的な移り変わりを、一介の通行人として折に触れ眺めてきました。監視カメラが導入されるその以前から。


大勢の人命が失われた、2001年8月31日深夜のビル火災の際も、偶然現場に居合わせた。煙を上げる雑居ビル。騒然とした現場。そして、大規模な非常線が張り巡らされ、白けた空にヘリが舞った、騒然たる夜明けの歌舞伎町。あれほどの死者が出たことを、現場に居合わせた「通行人」達は多く、後なるニュースにて知り、さすがに引いたのであった。


誰であれ、ことに何処の馬の骨とも知れぬ目つきの悪い小僧であるならなおのこと、通行するにも「覚悟」と「気概」が要求される、緊張感を有する街であった。すでに心身の調子を悪くしていた小僧はあくまで一介の「通行人」でしかなかった、ゆえにあの街では、トラブルにも暴力沙汰にも巻き込まれたことはないけれども、大人を恐れることを、恐怖すべき大人のあることを、風景と空気によってからに教育してくれた場所であった。


時移りて現在、深夜11時のコマ劇前の往来を、着崩した詰襟の男子学生が、制服の女子高生が、弛緩しきった体にて談笑して行き交っている。繁華街にして歓楽街。映画かカラオケかゲーセンか飲食か――私は驚く。そしてとうに驚かなくなる。「フツーの女子学生」が、女同士にて歩ける街になったということだ――少なくとも終電までは。


べつだんワルにも円光にも見えない制服学生に対しては「ゆとり乙」という言葉が脳裏に浮かびもするけれども、かような認識と発想は世代単位にて順送りされていくものなので、べつだんどうということもない。私達とて、かつて、たかが数歳違いの先輩から、たるんどるおめーら殺すぞと説教されていた。


最近、何とはなく捲り出したところ、面白く引き込まれる本があった。我が不明を恥じる。


歌舞伎町案内人365日

歌舞伎町案内人365日


http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E7%94%BA%E6%A1%88%E5%86%85%E4%BA%BA365%E6%97%A5-%E6%9D%8E-%E5%B0%8F%E7%89%A7/dp/4022579676/ref=pd_sim_b_1/503-2632454-7068751

出版社 / 著者からの内容紹介

頻発するビル火災、警察による摘発、ヤクザの抗争、愛する女性との別離。そして案内人は上海、香港に飛んだ――。喧騒渦巻く不夜城に立つ謎の中国人、「歌舞伎町案内人」李小牧が、歌舞伎町の一年間を克明に綴る。大人気のHP日記、待望の単行本化!

素晴らしい生き様、素晴らしい日中比較文化論。, 2005/2/9
レビュアー: 破壊之王 - レビューをすべて見る

歌舞伎町には、たまにメシを食いに行ったり映画を観に行ったりする程度の付き合いだが、それでも著者の李小牧さんを見かけたことが何度もある。この日記を通読すれば分かるように、彼は有名になった今でもなお、優れて「現場の人」なのである。(陳腐な表現だが)欲望と情熱の渦巻く街・歌舞伎町。誇りを持ってその「案内人」を自ら任ずる者の日記が、面白く無いわけがない。無軌道な日々の生活に呆れ、笑わされ、ドキドキさせられ、感心させられ、しまいには何時しか、ホロリとさせられたり...。著者や題名から際物めいた内容を想像される向きがあるかも知れないが、極めて真っ当な日記文学である。自信を持ってお薦め致します。


現在も断続的に更新が続く、著者の公式サイトの日記。トップに王毅駐日大使とのツーショットが。


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http://cgi.leexiaomu.com/user-cgi-bin/diary/diary.cgi


遊興全般に怠惰で歌舞伎町にも多く別の用であった私は著者のことを直接には知らない。姿は、あるいはその車は、おそらく幾度も見掛けているのであろう。記されてあることに便乗してテキトーなことを吹かすと馬脚を現すのが落ちであるし、誰もそんな話は期待していまい。ジャズメンにして文筆家の菊地氏のように、デリケートにかつおもしろおかしく語る技術とて私は持たないし、べつだん印象面における知見と制度的な事情以上の情報も、個人的には持たない。


同書中にて、著者は馳星周氏を激越な調子にて批判している。

本当は、私も他の在日中国人たちも、馳星周という人間は大嫌いである。あの『不夜城』というフィクションで、さんざん中国人のことを悪く書いたからだ


リアリティーが何もなく、非論理的な小説だった。中国人社会のことを知らない日本人に、わざと中国人のことを悪く思わせるように描いたとしか思えない。私から言わせれば、彼の本はまったく馬鹿らしい。

なぜ私も含めた在日中国人たち、そして中国の国民までもが怒っているのか? 彼は歌舞伎町をモデルに本を書いた。その内容は事実ではない。中国人たちをめぐる事件など、フィクションとはいえひどい内容で、わざと恐ろしげに書かれている。歌舞伎町を知らない人たちは、これが本当の歌舞伎町だと思ってしまうかもしれない。

しかし、実際に彼は、いくらフィクションとはいえ、実在の「歌舞伎町」をモデルに、ひどい内容を書いた。そしてその内容が映画化された。実際に歌舞伎町の住人である中国人たちの気持ちはどうなる?(p210〜211.6月23日付日録.タイトルは「馳星周は馬鹿野郎だ!」)


――私は、馳星周の良い読者ではないが、大衆文学論的な観点から、見解がなくもない。ただ、著者の怒りはまったく当然と思う。ここでは紹介に留める。


また、主に2004年の日録たる同書にて記されてあるところ。著者の自伝的な処女著作が好評のゆえ映画化されることとなる。書影を御覧の通り、著者は仕事柄からも40代とは思えない端正な男前であり、当時4度の離婚暦を持つプレイボーイであり、10代の頃にバレエダンサーの経歴もある。かつ、来日後東京モード学園にも在籍し、かの長沢節氏の薫陶を受けた、美意識には厳格な伊達男でもある。


而して、映画化に際し、著者本人を演じる主役には幾人もの名が挙がった、金城武オダギリジョー、そして、決定した主演はチューヤン→チューヤン - Wikipedia。――言うまでもなく、映画初主演のチューヤンは、演技に限らず人間性に限らず、というか、映画自体が全面的に、万事に亘り論外であったようで、著者は同書中にて怒りと批判を再三に亘り記している(p228〜252.7月5日付〜7月21日付日録/p382〜384.11月8日付日録)。それもまた、まったく当然と思う。私は映画を観ていないので、これも紹介に留める。


毛沢東は、私が世界で唯一尊敬する男である。」と著者ははっきり記している(P312.9月9日付日録)。出身が同じ湖南省であるからでもある。60年生まれの著者は少年時代、父親と共に文化大革命の辛苦を味わっている。将来すら部分的に閉ざされた。そのうえで、だ。

中国人にとって、毛沢東はまさに「神様」である。家の中には必ずといっていいほど毛沢東像があるし、お守りとして車に毛沢東像をつける人もいる。(同p312)


当時の、日本人の読者が『ワイルド・スワン』に拠って著者に対して寄せた疑問にも丁寧に答えている。――部分的に引用すると誤解を招きかねないとも思う、興味のある方は当該の記述を当たられたし。同書のp322〜325.9月15日付日録.タイトルは「偉大領袖毛沢東」だ。


著者の示した丁寧な見解は――少なくとも知的には、私にはわかりかねるところがある。決して批判ではなく――色々と考えることがある。承服しかねる、とはまったく思わない。たとえば。毛沢東は今なお、中国の「人民」には愛され敬されている、そのことはわかるし、知っている。


たとえば。私が先帝を「個人的に」愛し敬する理由も、別に中国に限ったことではなく、他国からはわかりかねる類のものであろう。承服しかねる、と思われることはないとしても。白馬に乗った大元帥。最後に死んだ、先の大戦の参戦国の指導者。それがエンペラーに対する他国における認識である。ゆえに、各国にて超トップニュースとしてその死が報じられ、世界中にて号外が配布され配信された。


先帝に対する「民衆」の敬愛、それは、決定的に、国内的なコンテクストに依拠し依存した認識である。それでよい、と私は今では思っているけれども。先帝が崩御されて20年が過ぎようとしている。恩讐の彼方に、だ。私の父方の親族に戦死した者があるが、父の実家には先帝夫妻の肖像が掲げてあった。


現在はどうであるのか――精確には把握していないが。2004年の段階において、著者ははっきりと石原都知事とその歌舞伎町をめぐる一連の施策に対する支持を表明している。石原氏の中国人を含めた外国人に対する姿勢と発言については当然、承知し、はっきりと不支持ないし不快を表明したうえで。

私は個人的に、石原都知事の3分の1は嫌いだが、3分の2は好きだ。嫌いな理由は、もちろん「三国人」発言に象徴されるように、外国人、とくに中国人はよくないということをシレッと言うこと。そこが嫌い。でも、それ以外は全部好きだ。とくに何年も前から、歌舞伎町、新宿の街を安心して飲める街にしたいと言い続けている点は評価している。実際に道路をきれいに整備したり、大きな木を切るなど、予算を付けて街づくりも推進してくれている。巡回パトロールをやってくれる警察もずいぶん増えた。これも全部彼のおかげだ。(p11.2003年12月8日付日録.タイトルは「石原都知事視察」)


歌舞伎町の「住人」となって長い「外国人」の著者は、所轄の新宿署をはじめ警官に知己が多い。また、著者は「新宿・歌舞伎町の「浄化作戦」」(同p11)を全面的に歓迎している。

いままで、部下は何百人も人が入れ替わってきたが、私は「歌舞伎町案内人」の仕事を1つの真面目な職業として貫いてきた。今年12月に、東京都迷惑防止条例が改正される動きがあり、それによって「客引き行為」が全面禁止になりそうだ。しかし、「街の浄化」という意味においては私は歓迎する。表面的にキレイなだけでなく、実際に街が「キレイ」になることを昔からずっと望んできたのだ。これで、私も安心して「歌舞伎町案内人」の看板を掲げることができる。私は「歌舞伎町」を離れるつもりはまったくない。


実際、私はつい最近も、歌舞伎町の浄化に直接的に役立つ具体的な意見と情報提供を、石原都知事あてに書面で進言している。今回の「歌舞伎街浄化作戦」は、全国に先駆けたモデルとなり、街に画期的な効果をもたらすだろう。日本国内だけでなく、世界の街のモデルとして成功してほしいと願っている。

38万人ものAIDS感染者を生み出さなくなるように、中国でもまともな風俗街を実現すべきだし、それに貢献したい。これまでのように経済だけでなく、日本の風俗も、日本で学んだ「任侠」も、私は中国に輸出したいと考えている。(笑)(p365.10月23日付日録)

読者の中には、歌舞伎町に警察が増えることを私が嫌がっていると思っている人もいるかもしれない。とんでもない。私は警察がふえることを別に悪いとは思っていない。むしろいいことだと思っている。警察が増えると、逆にお客さんに説明して安心させることができるからだ。お客さんに自分の名刺を渡して、「何か問題があったらあそこにある交番に行けばいい」と説明すると、みんな安心して遊んでくれる。


最近街中に増えてきた監視カメラだって、私は大賛成だ。日本人の中には、プライバシーの侵害だという人もいるようだ。でも、よく考えてほしい。命がなければプライバシーなんて何もない。意味がないよ。

不倫した、ラブホテルに入った、風俗に通って、その後風俗嬢と食事した。それを「監視」されることが嫌だからと言って、街全体が危険になって、歌舞伎町で殺されたらどうするの。狭い地域に30万人もいる人口密度の高い街だ。ヤクザだけでも何百人いると思う?放火犯だってたくさんいるよ。44人死ぬ大火災が起こっても、いまだに犯人が分からない。プライバシー?命とどっちが大事なのかと私はいつも思う。(p12.同2003年12月8日付日録「石原都知事視察」)


――著者は同書中にて、私が冒頭に記した2001年の惨事についても記している。

もちろん犯人は私ではない。それどころか、私はその後、この事件の捜査に深くかかわるようになった。情報提供など、捜査への協力である。どのような「協力」をしてきたかを書くことは控えたい。(p298.8月31日付(火災の発生した日付)日録.「44人死亡事件から3年」)


私は、かつて『こち亀』に幾度も描かれたような、古きよき東京の下町を風景として通行人の立場から愛する。しかしながら、万一直下型の地震あったらひとたまりもなかろうなとも同時に思う。私の私的な感傷は無能無策なエコロジストのそれと同一なのであろう。著者も記していることだが「巡回」を歌舞伎町の往来にておおっぴらに見かけることは久しくなくなった。条例の改正に基づき、検挙されるから。監視カメラがあるから。それが何だ、という話ではあるかも知れない。歌舞伎町とは「そういう街」で、そして私は通行人でしかない。


ただ――厳密には歌舞伎町のことではないが、新宿駅東口アルタ近辺については、以前より遥かに露骨な光景の見られることなくなった。私には関係のないことであるが、いわゆる「一般女性」にとってあれは如何であったのか。アルタ前など、誰でも通る。行きずりのあからさまに非礼でハラスメントな態度と言辞など、先方も仕事でやっているのであるし、華麗にスルーするのが大人の社会常識であり社会経験の一環というものであり若い女であることのコスト、気にするほうがカマトト、ということで宜しかったのか。


少なくとも、その明白な蓋然とコストを低下させる社会に合意するのが私の立場である。たとえば、ではあるが、紋切型をあえて示すなら、街は猥雑であったほうが健康であるとか、この東京については私はまったく思わない。街が猥雑であろうがなかろうが、私の根本的な退屈と内なるアナーキズムには変わりがないし関係もない。ま、個人の事情に過ぎないが。個人の事情というなら、私は風俗店を利用することないので歌舞伎町における監視カメラは無問題である。


私が、著者の見解を、かくも引用を重ねて紹介しているのは、物事には多様な側面があり、多様な方向から照明すべきでしょう、ということをインフォしたく思ったため。


文革に少年期を翻弄され祖国における将来すら制限された人が「言論の自由な」日本において毛沢東を「世界で唯一尊敬する男」と明言する。その「天と闘い、地と闘い、人と闘う」「闘争哲学」を自らの人生の手本とする。むろんのこと、おっそろしくよく働く。「同胞」という言葉を使う。感情豊かで仁義に厚い。「愛国者」である。


P262.8月1日付日録「サッカー・歴史・政治」にて、著者は記している。

67年前、中国・南京政府が旧日本軍からの攻撃を避けるために重慶に移転したところ、重慶は度重なる爆撃を受けて多数の犠牲者を出したという事実、そして南京大虐殺も然り。日本の国際的マナーの悪さ、すなわち他国へ侵入して攻撃したという事実を忘れてはならないのだ。


重慶反日的行動をした中国の若者たちは、国から言われたのではなく自発的に行動している。今回の日本の自衛隊イラクに派遣されたことについても批判的な感情を持っている。つまり、中国の若者は歴史にも、政治にも多大な関心があるのだ。この点が、選挙にも行かない日本の若者との大きな違いである。日本の若者はせっかくの参政権投票権がありながら、選挙に行くことすらしない人が多い。正しい歴史を知ろうともせず、政治に参加することもしないで、未来がつくれるだろうか?歴史や政治に関心を持ってこそ、国が発展するのである。


また。p384.11月9日付日録「久々に泣いた」では、次のようにある。著者は『SAPIO』(小学館)の寄稿者である。

一部の在日中国人からは『SAPIO』は右寄りだと思われている。でも、私にとってはそんなことはどうでもいい。ただ私の客観的な記事を掲載してくれさえすれば、逆に一流の雑誌を“利用”したいと思っている。今回の記事では、最後のまとめの部分で日本側に対して強い批判をしている。ある在日中国人は、私に「この雑誌では記事を書かないように」とよく忠告していた。しかし、昨年4回の連載記事を書いたときも、結局私個人への批判はなかった。逆にちょっと寂しかった。


なお。同書は朝日新聞社からの刊行である。


――王毅大使と並んで撮った写真を日記に掲示し(「私は16年間日本にいて、在日中国大使館とは親しくしている。」p383.11月8日付日録)、馳星周の小説中における中国人に対する筆致に怒りをあらわにしながらも、石原都知事を、その歌舞伎町をめぐる一連の施策に限ることなく、氏が歌舞伎町に視察に来たならデジカメを手に追い掛けて写真を撮り、氏が「私のカメラを意識してくれた」と感謝を記し「石原都知事はいいことをやっている。もっともっと力をつけて、自分の思ったとおりにガンガンやってほしい。」と支持を表明する(同p11〜12.「石原都知事視察」)、歌舞伎町の「住人」。――都知事の外国人に対する姿勢と発言については不快をはっきりと示したうえで。


堅気である著者が警官にも任侠にも知己が多いことも知己ある多くの警官を仁義において信頼していることも、(注:ビル火災事件のことでは決してない)中国人ないしはそれと見られる者による重大な犯罪に対して幾度も警察に情報を提供し捜査協力を率先して示していることも、なおかつそのことを具体的な事件名まで挙げて日記に明記していることも(今でも私の記憶にある事件ばかり)、石原氏の一連の施策を支持しそれを明記したうえ具体的な行動にさえ移すことも、「物騒」な歌舞伎町にて生活し商売し同胞と共に生きて、あるいは「生き延びて」いこうとする著者にとって、「安全保障」面におけるリスク対策であり現実的な対応なのである。


断っておくと、私はいまなお著者のことを詳しくは知らない。著者は記述に際して常に現実の人間関係やビジネスの関係に注意を払い、慎重であり、時には当事者に対する掲示前の文面の確認も怠らない。「手前味噌」な側面がまったくないとは、実際の記述と文章に鑑みても、私見としては、言いきることはできない。書けないことは書けないとしている。断り自体なきこともあろう――同書に限ったとしても。


ただ、上記に紹介した見解に嘘はないことだろう。繰り返すけれども、関心ある方は実際に手に取って確認されたし。少なくとも私にとっては、と断らざるを得ないけれども、大変に、面白い本です。他なる著作も読んでみる予定。


――著者は永住権を取得しているが、日本での参政権を持っていない。そして。蛇足を付け加えるなら、私は東京都民である。