「それ 言っていいの俺だけ」


はてなブックマーク - 私も泣いた。 - ちゃずけのきろく


あまり対応することのない内容になってしまった気がするので、直リンはしません。思ったところを。個別の事情について鑑みることなく、前提についての問い直しすら企図することのないままに、時に通念的な前提をさも常識のごとく振り回し、あまつさえそれが感情論に基づいた現実の個人に対する私的裁定へと帰着するなら、それは最悪である。


私の母親が「母親」として問題がなかったかという問いを立てるなら、解は否でしょう。もっとも、程度問題こそあれ、リテラルに母親として問題なき母親というものを、私は寡聞にして知らない。「あるべき母親」と端的なる事実性としての「母親」は一致することない。


「あるべき母親」なるものが在るとして、それは暗黙に強制さるべきか。そして「あるべき母親」とは何を前提するか何をもって合意が為され示されるか。而してそれを強制するならその根拠は何か強制するのは誰か強制者は何を前提し何を根拠として強制する者と自らを見なし得るのか。


かような無数の条件についてまったく問うことなきまま、一切を無前提なる「規範意識」として行使するなら、そのような絵に描いた餅はろくでもないに決まっているし、絵に描いた餅を行使することによって、他なる個人に対して私的な制裁を担保した暗黙の強制性を発動する人間については、故意であろうが無自覚であろうが到底付き合えない。


それをして「規範意識」とするなら、そんなものは単なるどこかの誰かにとって都合の良い権力装置である。保守が「言挙げをしない」ことを指針とするのは、言挙げた途端に多くろくでもないことになるに決まっているからです。それが真正保守の「品性」を――こう言ってよいなら「品格」を担保していた。「国家の品格」などと言挙げるのはまったく品格に欠ける振舞いである。言挙げずとも品格あるし美しいに決まっているではないですか、この国は。沈黙のもと認識においてかく強弁することもなくして何が保守であるのか。


さて。私の母親が「母親」として問題がなかったかという問いを立てるなら、解は否。いわんや我が親父においてをや。自らに限って、傷物の遺伝子が在ると考える私は、結構真面目に、優生学的観点から鑑みて子供を持つことは自らについては論外とする者である(そもそも現在不能だ)。しかしながら――それを言ってよいのは俺だけ。人の親としての彼らについて、他人に言わせるつもりはまったくない。少なくとも私と妹が生きている限りは、その筋合はまったくない。当然の話。


ちなみに、上はドラマ化されて話題の『花より男子』より拝借した台詞。原作第30巻、道明寺と再会して街を歩く主人公のつくし。往来にてつくしとぶつかった男が怒鳴る「ちゃんと前見て歩けブス」。即座に道明寺は男に蹴りを入れる。つくしは道明寺に対して当てつけるように言う。あんただって私のこと散々ブスブス言ってるじゃない。しれっと答える道明寺「それ 言っていいの俺だけ」。カーコイイー!。道明寺の素晴らしきジャイアニズムに、幾度目であろうかKOされるつくし。


恋人の愚痴を言う人間に対して、面識の有無にかかわらずその恋人を腐したなら、いかに指摘が正鵠を射ていようと、また当人のそれがオノロケの裏返しという要素のないガチの愚痴であろうとも、大概相手は気を悪くします。むろん理不尽です。であるから、私が相手を腐してまずいなら私の前にて恋人としての貴方の連れ合いの愚痴を言わんでくれ、と通告することにしているし、言う人もあまりない。ま、いずれにせよ気は使う。


そういうのを、常識と言い規範意識と言う。およそ見ず知らずの人間をろくな情報も検証材料も持ち合わせないまま、人の親として失格と腐すことを保証するのが常識であり規範意識であるはずがない。世間とは多くそういうものではありますがね。


いずれにせよ、個人の意識/認識の在り様へと問題を全面的に還元して回収するなら、直接に具体的に知る人間に対する評価、というか欠席裁判に限ったほうがよいのではないかな。どうしようもない馬鹿だ愚者だ、として処理するなら。そのリアリティについてはわかるから。現実に「どうしようもない馬鹿/愚者」としか言いようのない人間を知ったことがない、「どうしようもない馬鹿/愚者」としか言いようのない人間などいない、と言い切る人間を私は信用しないことにしている。


欠席裁判というのは、当人をよく知る者同士で密室にて酒を入れて行うから、後腐れがないわけ。現実には、それでもよく後が腐れる。後の腐れるリスクの最初からない、現実の個人に対する欠席裁判というのは、ろくなものではありません。陪審の緊張が確保されないので。『ガキの使い』の人気企画で済ませておくべきです。あれは好き。


以下リンク先の至言を参照されたし。


朝日社説 学校給食費 「払わない」は親失格だ - finalventの日記