「獣」のアウトソーシング


主観病者 - halt.

NightStalker俺 - halt.

b:id:WinterMute コミュニケーション, メタブにつづく  「男=獣=自分」ではなく「犯罪者=獣≠自分」、「野犬は空手で撃退」ではなく「野犬が出るので女子供は夜の森に近づかないように」という意図なんだと思う。なので「そんなこと言ってない」になる(メタブに)

はてなブックマーク - 「男はケモノ」が「女性の自衛」と結びついていること自体が差別 - 過ぎ去ろうとしない過去

b:id:WinterMute メタブックマーク   賛成はしないが、「犯罪者=獣≠自分」と「野犬が出るので女子供は夜の森に近づかないように」自体は一貫してる。だから「ダブスタだ」って指摘は噛み合わないと思う。

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b:id:natukusa 社会   「俺は男だ。男は獣だ。でも俺は獣じゃないし」と前置きして「男性を語る男性」が思いのほか多いのは、いったいどんな心理が裏に流れているからなのだろうかと、今となってはそこが一番不思議に思う。

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七人の侍』に、野武士に村が襲撃されたら手篭めにされるからと年頃の自分の娘の髪を切り落とそうとする農民の話があった。ところで私たちは戦国時代の百姓か。――曽野先生はガチで、というか確信犯として、そのレベルの話をしている。


「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」という話を、こと性犯罪に限って、わざわざ公の場で説きたがる人が多いのはなぜかという話。ま、曽野先生は性犯罪に限らずとも公の場で説きたがる人なのだが。そして彼女に――たとえば産経新聞紙上といった――公の場を与えているのは「高名な作家」をゆえとするものではない。


そして往々にして、交通事故や冬山登山の比喩が持ち出される。事故も登山も悪意に基づくものではない。「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」という話をしている自覚がないのか、それとも確信犯か。前者なら、莫迦は時に犯罪的であるな、という感想しか私としても持てないし、後者なら、そのことの悪意について自覚はあるかと問いたい。ま、曽野先生は自覚どころか百も承知だろうが、自身の悪意に対する開き直りは救い難い、と、これは自己批判を込めて言う。「自身の悪意に対する開き直りは救い難い」とは曽野先生はまるで考えないだろうが。元ネタは『フルメタル・ジャケット』だったか、「ジャングルは地獄」は「永遠の嘘」の最たるもの。


「一般論として」「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」という話を、こと性犯罪に限って公の場で説くことは、第一に「男は獣」であるという話をどこかの「獣」(=性犯罪者)にアウトソーシングする欺瞞であり、第二に自身の悪意に対する欺瞞である。その、この世に満ち溢れていると自衛論者が仰るところの悪意は、そのことを説いている御自身の悪意と同じもの。


だからこそ「一般論として」「男は獣」と説き始める。渡辺淳一とて「つまり先生は獣なのですね」と言われれば「いやいやボクは違うけど」と涼しい顔してのたまうだろう。そのような、自らの悪意に対する欺瞞が「男は獣」という既成事実を「一般論として」作り上げている。「男は獣」という物言いに違和感を覚える人が、「一般論」の名のもとにその既成事実を作り上げている、性犯罪者に「獣」をアウトソーシングする自衛論者の行為とその背景にある悪意に対する欺瞞に違和感を覚えない理由は私はわからない。悪意とは、この場合、性差別それ自体のことなのだから。


以前も書いたが、男性ジェンダーとは「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」という観念とその共有において成立するもので、この平和ボケした日本では、男性は「男」であるために「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」ことを常に確認しなければならない。そして、斯様な観念を共有するための接着剤として性犯罪が報道されるたびに女性が攻撃される。それも被害女性が。なぜなら、自衛論者が仰るこの世に満ち溢れている悪意こそ、男性ジェンダーが維持する性差別そのものだから。


性犯罪が報道されるたびに「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」と「一般論として」公の場で説いてやまないのは、挙句「自衛」とのたまうのは、「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」ことを知らない――ということにおいて規定される――「女」をダシにした男性ジェンダーの結託のためにされる定石。「男」であろうとする男性たちにおいては「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」ことを知っているのは自分たち「男」だけなので。仰る通り、この世が性差別とそれに基づく危険に満ち溢れていることは貴方がたはよく知っているでしょうね、貴方がたが作り出し「一般論」の名のもとに性犯罪者に「獣」をアウトソーシングして既成事実化させているのだから、とセクシストたちには言うよりほかないが、時に自覚がないから困る。


自覚がないなら、莫迦は時に犯罪的であるな、という感想しか持てないし、渡辺先生がたぶんそうであるように確信犯なら、その確信犯的な行為はレイピストと同様の御自身の悪意を欺瞞しているのでしょうね、と指摘しておくよりほかない。その欺瞞こそが「男は獣」という多くの(あるいは一部の)男性にとっても迷惑千万な既成事実を「一般論」の名のもとに作り上げている、と。


どこかの「獣」は、すなわち性犯罪者は、男性ジェンダーの結託のために、「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」と「そのことを知らない」「女」を攻撃するために、引き合いに出される存在ではない。性犯罪者を引き合いに出して「男は獣」と「一般論として」のたまう自衛論者の「獣」のアウトソーシングが欺瞞しているのは、レイピストと同様の「男」の悪意であり、その悪意こそ、自衛論者が既成事実とする「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」ことにおいて、この世に満ち溢れている悪意である。それを、構造的な性差別と言う。このことをひとことで言うと、マッチポンプ。そして、マッチポンプは構造的暴力をもたらす。理不尽極まりない暴力を。


この世が、性差別という男性ジェンダーの観念の接着剤としてある悪意と、それに基づく危険に満ち溢れていることを女性は知らないと本気で思っているのなら、そしてその悪意と性差別を「獣」にアウトソーシングして涼としているなら、やはり、莫迦は時に犯罪的であると言うよりほかない。


なるほど、この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている。その悪意とは、男性ジェンダーの観念の接着剤である女性を貶める悪意であり、性差別であり、レイプの温床としてある悪意である。セカンドレイプが問題とされているのは、そのような背景あってのこと。性犯罪者という「獣」に自らの悪意をアウトソーシングして執り行われる男性ジェンダーの「悪意」とそれに基づく「危険」のマッチポンプは、それは性差別以外の何物でもないからこそ、女性を貶めるものでしかない。


男性ジェンダーが「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」という強迫観念なくして成り立たないものであることは私は嫌というほど知っている。そんなものは崩壊してしまえ、とは私は自己批判もあるので言えないが、性差別を接着剤として織り込むことは勘弁していただきたいとは思う。往々にして、男性ジェンダーは自他を脅し威嚇し怯えさせ挙句貶めることによってしか存続しない。そのために「獣」が、現実の性犯罪者とその暴力が要請される。「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」ことが要請される。そして悪意が横行する。その悪意は、交通事故やら冬山登山やらの比喩を持ち出す自衛論者の悪意であり、それはレイピストと同様の悪意である。性差別そのものである。そしてそれこそが「悪意に基づく危険」をこの世に満ち溢れさせている。それをして、差別構造と言い、構造的暴力と言う。


男性ジェンダーにおける観念の共有は、たとえそれが強迫観念であれ、結構だが、自分の何かしらの満足のために自分以外の人間を脅し威嚇し怯えさせ挙句貶めることは即刻やめていただきたい。それこそが、性犯罪者の発想なのだから。「男」であることが誰かを脅し威嚇し怯えさせ挙句貶めることによってしか成り立たないなら、そのような強迫観念は、もっともタチの悪い悪意でしかなく、それは容易に差別に転じる、というよりそもそも差別を力学としてその構造を成り立たせてきたものであり、現に、それは自衛論者の悪意として被害女性に向けられている。次から次と。止むことなく。そのような差別こそ最悪と思うし、そして交通事故だの冬山登山だのとのたまっているのが無自覚なら、いっそうタチが悪い。私は無神論保守主義者だが、「リスク管理」に基づくダメ出しとか悪質な冗談も大概にしていただきたいと思う。


――と、そういう話なんですけどね。もちろん、natukusaさんは言うまでもなく、harutabeさんやWinterMuteさんのことを言っているのでも批判しているのでもない。自衛論者とは全然思わない。ただ、誤解があるようなので。そしてその誤解がこじれているようなので。「一般論」の名のもとに「獣」をアウトソーシングすることによって、自衛論者の「悪意」もまたアウトソーシングされている。「一般論として」「この世は悪意に基づく危険に満ち溢れている」という話を、こと性犯罪に限って、わざわざ公の場で説く自衛論者には、それは「貴方」の悪意であり、根深く構造的な性差別に対する加担であり、「悪意に基づく危険」をこの世に満ち溢れさせている性犯罪の源でありマッチポンプである、と指摘しておくべきことと考えます。むろん、自己批判を込めて。「鶏と卵」という話ではこれはない。


もちろん、natukusaさんは言うまでもなく、harutabeさんやWinterMuteさんが加担しているとは思わないし、そもそもアウトソーシングしてはおられない。アウトソーシングしておられないからこそ、誤解がこじれているのだろうと私は考えています。私が言いたいのは、harutabeさんやWinterMuteさんがたぶんそうであるように、そしてはてなでこの件について発言している男性の多くがそうであるだろうように、斯様な男性ジェンダーに違和感を持ち合わせている男性は、自衛論者のテンプレートな公的言説にきっちり中指を突き立てて構わないのではないかということ。忌まわしき男性ジェンダーが解体される日はいつ来るのか、と、再三になるが、自己批判を込めて。