例の件


身元バレを騒ぎ立てる神経がわからん。


たとえばfinalventさんの実名経歴は半ば公知のことだが、私がそれを書き立てないのは、氏に対するリスペクトが理由でも、「言行一致」が理由でもない。プロフィールに明記されていないこと――それが氏の意思だから。それを尊重することはネットマナー以前の問題と私は思っていたが。finalventさんのことを蛇蝎のごとく嫌っている(言い過ぎ)「はてサ」の誰が、氏の実名経歴を言挙げたろうか。以前に、氏のダイアリのコメント欄でそれを書き立てた人があったことは知られているが、それが「はてサ」に該当する人物か私は知らない。「庇う」とかそういうこと以前の問題だろう、これは。


経営者であること、「人を使う立場」にあることは、彼の人は公言していた。労働問題についても「経営者の責務」「人を使う立場にある者の責務」という観点から発言していたし、そのことを自認してもいた。敗残兵から一言 - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)のブックマークで(未だキャッシュで見られる)以下のようにコメントしていたことを私は憶えている。2008年2月のこと。

buyobuyo すごく悲しい   うちにおいでよ。残業とかあんまない仕事俺が取ってくるからさあ。

http://74.125.153.132/search?q=cache:X6YYTrXtEl8J:b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/repon/20080227%25231204119760+%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%80%E6%95%97%E6%AE%8B%E5%85%B5%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%80%E8%A8%80&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


――正直、傍から見て、それもまた死亡フラグではないかという気が当時したが。別に佐藤藍子を気取っているのではない、彼の人個人のことでもない、派遣業それ自体が今後厳しかろうと私がそのとき思っていたにすぎない。


自身の「経営者の責務」「人を使う立場にある者の責務」について、彼の人ははてなidがbuyobuyoとしてインターネットで説明しなければならないだろうが、そのことを理由に身元を言挙げる人々に対しては、当人が阿漕な経営者であろうとなかろうと、そもそも当人が経営者であろうとなかろうと、端から彼の人の言葉など話半分で聞いていただろうに、と思わないでもない。それもまた「死ねばいいのに」「あたまがわるい」「千の風になれ」を駆使した人の選択だったろうし、 ryankigzさんが言われるように「人を呪わばフンダララ」とも思うが、そのことは現在、身元バレを騒ぎ立てる口実とはならない。


リベラリストであった彼の人は、個人の自由に対する一切の干渉を嫌った。全体性を指向する類の社会正義を掲げることも嫌った。強権的な国家など論外だった。シンガポールの体制が大嫌いだった。個人の自律に基づく万人の自由が、彼の人の信じるところだったし、それを阻害する一切の観念と権力を彼の人は退けた。当然彼は左翼ではない。彼の人が是としたのは左派的な「公正」でなく自由主義に基づく「フェアネス」だった。社会における「フェアネス」の実現に賭けて彼の人は些かマッチョな論陣を張り続けた。経営者が悪であるのは左翼の議論でしかない。彼の人の経営する企業においてマネジメントが不在であったか私は知らない。少なくとも、憶測で云々すべき話ではない。


当然、保守反動の私も彼の人にあの調子でdisられたことがあるが、blogを書いていて誰かからdisられることなど当たり前のことだと私自身は思っている。彼の人もそう考えていただろう。しかしそのことと、身元バレを騒ぎ立てることは同じことではない。あの物言いとスタンスは、時に社会正義を掲げざるをえないことに対する彼の人の「照れ」であり、「個人」として発言するということの証左だったのだろう、と、むろんこれはあまりに好意的な見方だが、そして私自身のスタンスに引き寄せた見方でもあるが、私は思っていた。


私が搾取の問題や労働問題について彼の人のように強い調子で書かないのは、経営者でなく、そして阿漕なビジネスマンであることが自分の現実であり適性だからだが、またそのことに嫌気が差しているからだが、彼の人には彼の人のスタンスがあるだろう。彼の人のスタンスについて、はてなidがbuyobuyoとしてのその「ええかっこしい」を差っ引いて考えるなら、私としても、想像が付かないものでもない。このエントリもまた「身元バレを騒ぎ立てる」類であること、また「追悼」めいていることも承知だが、事態に呆れたので書いた。私の手前勝手な物言いと、想像の誤りについて、「ばかのみほん」と彼の人にdisられることを、私はいつまででも待つだろう。