靖国、8月15日


初めて靖国神社に足を運んだのはいつのことだったろう。靖国は、親が幼い子を連れて行く場所でもある。団塊世代の私の親父は政治的には左翼だったので、連れられて行った記憶はない。父方とも母方とも、祖父や祖母とは疎遠だった。そこには諸般の事情がある。物見遊山だったのだろうが、ティーンの頃に初めて足を運んだのは、8月15日だった。「なにこれきもい」が感想だった。軍服コスプレも天皇陛下万歳も『海ゆかば』の合唱も滑稽にしか思えなかった。遠巻きにして生暖かく見守る対象。その姿に束の間の幸福を見て、他人の束の間の幸福を羨ましく思い、人に束の間の幸福を与える政治の因果を思った。


もちろん、今はそう思わない。トシを取るとはこういうことかと思うが、そして典型的な馴致の有様であることは承知だが、私は年々靖国と、そこに集う人々が愛しく思えていく。8月15日も、静謐な普段の姿も、あるいは賑やかなみたままつりも、満開の桜の日も。小泉純一郎の参拝騒ぎで辟易して一時足が遠のいて、しかし安倍政権が崩壊してからはまた足を運ぶようになって、そしていっそう好きになっていった。


九段近辺で時間があるとき、私の足はその森に向かう。戦後、数多の連隊の銘による植樹で満たされた桜で鬱蒼とするその森に。特定の信仰を持たない私は靖国信仰も持たないので、英霊がいるとも思わないし、参拝したこともない。ただ一服したくて、束の間謙虚な、敬虔な、厳粛な心持になりたくて、向かう。


かつて坪内祐三が描き出したような、近代日本の祝祭の場としての華やかな靖国の面影は、その普段の姿からは失われている。なぜなら、言うまでもなく、戦争に負け、体制は転回したから。しかし、昔も今も、靖国神社は、常に生死を含む生活に寄り添う人々の信仰の場として、それはあるいは日本的な、包括と和合をもってするゆるやかな信仰の在処として、九段にある。千代田のお堀の傍らに。千鳥ヶ淵の側に。そのゆるやかな信仰は、私のような不信心者も受け容れる。8月15日であろうとも、いや、8月15日であればこそ。


靖国 YASUKUNI』の映画監督は、そのことをこそ描き出そうとして、失敗したのだろう。李纓氏のスタンスに、紛れもない日本への親愛を私は見たけれど、そのことが映画を成功に導いたかと問うなら、否だろう。彼は、現在の靖国信仰のゆるやかさを、「ゆるさ」として捉え、そしてその「ゆるさ」をこそ映し出そうとした。


それは正解と私は思う。しかし映画監督は、靖国において「ゆるさ」を肯定することの困難について、おそらくは文字通りのstrangerであったがゆえに、撮影ならびに編集に際して、煮詰めはしなかったのだろうとも思う。それは政治的な旗幟のことではない。靖国における「ゆるさ」の肯定が、何に捧げられているか、ということでさえない。「ゆるさ」が肯定されることの背景には、ある微妙なものがある。


現在の靖国信仰の「ゆるさ」をこそ映し出すために映画を撮った中国人監督は、たぶん、「ゆるさ」がそのまま「ゆらぎ」に繋がるわけではないことを知らない。少なくとも、「ゆるさ」が「ゆらぎ」に繋がる瞬間をついに捉え損なったからこそ、『靖国 YASUKUNI』はその意図においても失敗している。それは、監督の見識の問題か、それとも「ゆるさ」が「ゆらぎ」に繋がる瞬間をカメラの前に提供することのできなかった信仰の現場の問題か。私自身は、後者と思っている。


なぜなら、靖国信仰の「ゆるさ」を裏打ちしているものこそ、愛国心だから。そして、その「ゆるさ」は、「中の人」を信じる靖国信仰を持ち合わせる人にとっては、迷惑千万なものなのかも知れない。


私が到着したときには黙祷も国民集会も終わっていた。田母神氏にも遭遇していない。那須戦争博物館の栗林館長は例年通りお見かけした。老いも若きも、軍服の方も特服の方もダークスーツにダークタイの方々も、Tシャツにジーンズの兄ちゃんも、英霊の前で頭を垂れて謙虚な、敬虔な、あるいは厳粛な心持になる。そして酒と煙草を交わしながら英霊のもとで語らい合い、笑い合う。


日々でかいクソの上を歩いている気分にまみれてグローバル資本主義的雪かきに邁進している私たちは、そしてそのゆえに突っ張るべきときは突っ張らなければならない私たちは、英霊の前でだけ、旭日旗の前でだけ、自身の面子も忘れ、謙虚と敬虔と厳粛をもって、休戦し、和合し、束の間親しみ合い、酒と煙草を交わし、大いなるものとしての、この国の礎となった死者の魂において包括される。旭日旗に頭を垂れるとは、そのこと。


それが、常に生死を含む生活の営為であること、生活の中の信仰であることを、現在の私は知っている。是非は措き。


もちろん、現代にあって信仰は個人の問題である。だから、このような生活の営為は、信仰の本義から外れる。「その「ゆるさ」は、「中の人」を信じる靖国信仰を持ち合わせる人にとっては、迷惑千万なものなのかも知れない。」と書いたのは、そのこと。しかし。


突っ張って生き続けてきただろう人たちが、幼子の手を引いて参拝に向かう光景が、奇異でも何でもないことを、私は既に知る。男稼業は楽ではない。突っ張り続けることも楽ではない。家父長であることも。所謂アウトローの厳格な縦社会は、原理的にも、疎外された者の暴力を陶冶と称してえらいさんが操縦するためにある。そこに、謙虚と敬虔と厳粛が、常に生死を含む生活と張り付いてあることは、システムの問題としても、また実態としても、当然のことではある。謙虚と敬虔と厳粛が建前としても張り付かない人々はあって、たとえばこの国における中国人アウトローには組織としてもそういう傾向があったので顰蹙された。だから「ゆるさ」がない。


在日中国人から「我が谷は緑なりき」という話を聞く、という話を以前に書いたが、それは裏を返せば早い話が民族の表象である。近代にあって、民族に規定される表象には「ゆるさ」がない。善悪の問題ではなく、必然だが。台湾の人々も韓国の人々も祀る靖国信仰の「ゆるさ」を裏打ちするのは、当然、天皇の存在であり、日本の近代化ひいては植民地政策と共にある国家神道の存在である。


敗戦と共にそれは断たれた。以来、靖国は、紛れもない民衆の信仰、個々人の信仰として再生した。その「ゆるさ」と共に。常に生死を含む生活と張り付いてある、私たちの謙虚と敬虔と厳粛の在処として、頭を垂れる対象として。英霊は、それにうってつけだろう。「民衆」とは、鶴見俊輔が使用する意味でのそれ。


「うってつけ」と私は皮肉で言っているのではない。グローバル化の只中で我が谷の緑が失われつつある、しかし社会合意のない中国に「ゆるさ」を裏打ちするうってつけの何かがあるか私は知らない。所謂反日教育とは、第三世代の指導者が指し示したその代替物だった。うってつけの何かは、戦前も戦後も近代日本がそうであったように、「中国」として信じられるよりほかないだろう。


靖国 YASUKUNI』の監督の問題意識はそこにあったろうし、グローバル化の只中で我が谷の緑が失われつつある社会合意のない「中国」におけるアトム化した個々人の孤独とそうした人々の繋がりを描いた賈樟柯が、東トルキスタン独立運動に対する抗議の意思を表明したのもそういうことと私は考えている。贔屓目ではあるけど。

(前略)で、展示会をでたところでもはや知る人の間では有名になった罵倒の嵐。いわくゴウカンマ、いわくインバイ、いわくチョウセンジン。参加者の老人が殴られて出血の事態という記事を眺めたときには、両親を行かせたことを後悔したが、その両親からのメールには、在特会のひとたちはいかにも貧しく無知な人たちで、彼らみたいな人たちはいままでもいた、カルト宗教団体みたいなものだ、とあった。また、貧しい故なのだからかれらを糾弾してもしょうがない(下部構造云々)、ということだった。そのメールを読みながら、そういえば日本の街宣右翼とかやくざには日本でマージナライズされた被差別者や貧民が多いんだよな、ということをあらためて思い出した。マージナライズされた人たちが大仰に日の丸を掲げたりしてしまうことには理由がなくもない。

2009-08-08 - kom’s log


「マージナライズされた人たちが大仰に日の丸を掲げたりしてしまうことには理由がなくもない。」仰る通りで、「マージナライズされた人たち」つまり我が谷の緑を持たない人々においてこそ、謙虚と敬虔と厳粛は、頭を垂れる対象は、つまり大いなるものは、強く要請される。小泉純一郎新自由主義は、我が谷の緑がどこにもないことを、私たちに知らしめた。だからこそ彼が「心の問題」として靖国を参拝したことを、人は支持した。首相としての彼が、我が谷の緑の、人々の心象における崩壊を背景としたインターネット時代の政治の申し子であったことは疑いない。その彼自身は、あの小泉又次郎を祖父に持つ三世議員だったが。


英霊を信じない私は、しかし「マージナライズされた人たち」が英霊を必要とすることを当然のことと思う。表現規制問題ではやれネオリベアナーキストと散々な言われようだったが、もちろん私は煙草もビールも国産を嗜む愛国者で、しかし私の愛国心は(自民党政権だろうが民主党政権だろうが)現体制でも、また当然大日本帝国でもなく「天皇を中心とする神の国」へと捧げられている。


天皇を中心とする神の国」にしか、マージナライズされた人たちの現世の居場所はない。昔も今も。そしてそれを言ったのはマージナライズどころかこの社会のど真ん中を生きてきた時の首相の森喜朗で、当然、「天皇を中心とする神の国」などそれを信じる人の心にしかない。よってマージナライズされた人たちに現世の居場所は結局ない。北一輝石原莞爾も、そんなことはわかっていた。だから北も石原も――これはあまりに好意的な見方ではあるが――彼らの現世の居場所のために腐心した。そして、首相小泉純一郎が体現したように、ネオリベと「心の問題」としての愛国心は、とても相性がよく、相互補完関係にある。共同幻想という名の共犯関係は続く。


マージナライズされた人たちをも包括する求心力としての「天皇を中心とする神の国」は、戦後の民衆信仰としての、個人の個人的なる信仰としての、靖国信仰と、体制の動員装置としての古典的な愛国心とを接着する。だから、筋論としては、国立の追悼施設を建設すべきなのはそれは決まっている。仏作って魂入れず、ハコモノ作ってなんとやらになるに決まっているが。


GHQによる取り潰しの憂き目を越えて再生した、必ずしも官製とは言えない、戦後の民衆信仰としての、常に生死を含む生活の中の信仰としての、また現代の個人的なる信仰としての、靖国信仰は、しかしマージナライズされた人たちを旭日旗において包括する。それは、その由来からして当然のことではあるし、だからこそ尊いと私などは思うが。――マージナライズされた人たちの旭日旗における包括が、森や小泉のような体制による動員に利用されることさえなければ。謙虚と敬虔と厳粛をもってする休戦と和合と束の間交わす酒と煙草が、大いなるものとしての英霊を貶める何者かを措定して為されるものでなければ。


当然、昔も今も、マージナライズされた人たちの国旗における包括は体制による動員に利用されてきたし、謙虚と敬虔と厳粛をもってする休戦と和合と束の間交わす酒と煙草が、大いなるものとしての英霊を貶める何者かを措定して為される光景を、今年も私は8月15日の靖国神社で存分に確認した。


つまり――これは昨年のことだけど――こういうこと。⇒はてなブックマーク - しみじみと絶望する - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。


「例年通り、異常無し」としか私が思わないのは、私が「中の人」としての英霊そのものよりも(中の人などいない、と私は思う)、マージナライズされた人たちが、彼らにとって現世の居場所なきがゆえに、英霊を必要とすることをこそ、重んじるから。それは、信仰の本義に悖るのだろうか。現代の信仰が、あくまで個人の個人的なものでしかなく、民衆の概念さえ私的領域へと分節するなら、それは本義に悖ることだろう。今上天皇は、戦後の国民国家で、国民の天皇であることを選択した。国民の天皇と、信教の自由は、つまり政教分離は、首相のように「心の問題」によって架橋しうるものではない。


8月15日の靖国境内では、旭日旗に敬意を払うことが前提される。旭日旗は、戦後の国民国家における国民合意を表象していない。戦後の国民国家における国民合意の表象――そんなものがそもそもあったのかは知らない。小熊英二は『民主と愛国』において、戦後の国民国家における国民合意の表象を知識人の言説を通して証明しようとして、挫折して(むろん、それは小熊の責ではない)、それが新刊の『1968』に繋がるのだろう。いや積読だが。


言えることは、「戦後の国民国家における国民合意の表象」から零れ落ちたものを表象して8月15日の靖国は、その境内に掲げられた旭日旗はある、ということ。そしてそれこそが「マージナライズされた人たち」の引力としてあるということ。ひいては今なお天皇の求心力としてあるということ。


私は、戦前も戦後も、理念に裏打ちされた国民国家などこの国にあったためしはないと思っているし、今後もありえないと思っているので、国民国家の取り合いそれ自体を滑稽とも思うし、国民合意の表象はどこまで行っても市民合意の表象ではないとも思う。それが、丸山眞男の直面し喝破した日本のリベラルの原理的な限界であり、たとえば姜尚中にせよ佐藤優にせよそれを承知で市民合意の問題を国民合意のレベルで問い、論じているのだろう。さもなくば、日本社会にあっては、市民合意の議論は斥力としてしか機能しない。国民合意すら覚束ないのだから。


引力なくして斥力なく、求心力なくして斥力もない。その引力や求心力をこそ、「天皇」において靖国信仰と愛国心が今なお結託する様相をこそ、吉本隆明共同幻想と喝破した。彼にとって斥力とは、対幻想であったが。


そして、新自由主義を経て、我が谷の緑はどこにもない。心の中にさえ。私にあってはそれは初めからなかった。そうした人はこの国に多いだろう。殊に「マージナライズされた人たち」にあっては。そうした人々の「心の問題」くらい、政治的な動員に容易いものはない。赤子の手をひねるがごとき。個別利害でさえない「心の問題」で民主主義の一票を投じるのだから。だから、そうした人々が聡明なら、投票になど足を運ばないか、茶番と見なして「選挙権を行使」する。私にそういうところがあることを、私は否定しない。しかし。


でかいクソの上を歩いている気分でクソのような社会的雪かきに明け暮れているグローバル資本主義の落とし子が、英霊に頭を垂れるべく幼い我が子を連れて靖国に参拝することは、それは定石だろうと思うし、当然のこととも思う。仕事絡みの知人と境内で遭遇して「君もそうか」的な話をされたが、当然話を合わせた。「マージナライズされた人たち」であることは、必ずしも搾取/被搾取の問題ではない。つまり、下部構造云々に還元しきれない。まさに心の問題。リチャード・ニクソンのように。小泉純一郎が、主観的には自身をそう見なしていたように。


心の問題は、それが公的に提出されたとき「ゆらぎ」を許容しない。原理的にも、心はゆらぐものなのに、しかし心の問題として公的に提出されるそれは、「ゆらぎ」を許容しない。だから、常に生死を含む生活の中の信仰の場として「愛国心」という「ゆるさ」を併せ持つ靖国にあって、心の問題は「民族」という表象を纏う。その場所に、もっともふさわしくない表象を。


マージナライズされた人たちの心の問題が、表出としてのある表象を纏う瞬間を撮るために李纓監督は8月15日の境内でカメラを回し、編集した。その狙いは、正しかったと思う。しかし、狙いは必ずしも的確にスクリーンに定着されはしなかった。端的に、監督の技量と器量の問題かも知れないが「ワイズマンだったら」などと言うことにも意味はないだろう。


結果として監督は、表出としてのある表象を纏う瞬間を撮るのではなく、端から8月15日のその場所にあるものとしての、出来上がった完成品としての、表象をしか撮らなかった。つまり、端から見れば奇矯な民族主義的なパフォーマンスをしか。そこに靖国神社という信仰の現場の「ゆるさ」は映し出されても「ゆらぎ」は――少なくとも映し出されることはない。


マージナライズされた人たちの心の問題が「民族」という表象を纏いパフォーマンスにおいて「ゆらぎ」を許容しなくなる、そして所謂ヘイトスピーチへと表象されてしまうのは、偏に心の問題の公的な提出を国民合意の名において要請する政治的なる社会の問題である。つまり、それこそが「愛国心」の問題ということだが。そのような、政治的なる社会のクソについて、李纓監督は、おそらく賈樟柯同様に、知っているはずだ。グローバル化に曝される現在の中国こそ、まさにそのような政治的なるクソ社会であるのだから。


マージナライズされた人たちの心の問題としての謙虚と敬虔と厳粛、その表出が「なにこれきもい」な見世物と化してしまう政治的なる社会における愛国心の「ゆるさ」をそれ自体として映し出したのだと私は『靖国 YASUKUNI』のことを捉えている。しかし、「ゆるさ」はそのまま「ゆらぎ」につながるわけではない。なぜなら、そもそも国民合意は「ゆらぎ」を私的領域においてしか肯定しないから。現代の信仰が、個人の個人的なものであるように。


そして。「ゆるさ」が「ゆらぎ」に繋がる瞬間を監督が捉えそこなったのは、マージナライズされた人たちの心の問題としての謙虚と敬虔と厳粛について、その話を聞くということをしなかったから。あるいは、そのように編集したから。そこに意図がなかったはずはない。その意図が問題ということではもちろんないが、しかしその意図が、あるいは意図の欠如が、映画を監督の意図においても失敗させたのだと思う。


御本人とその言葉がどうということでは当然なく――刀匠の話を長々聞いて長々編集していることが、監督の意図であり、その欠如である。むろん、欠如とは、私の問題意識においては、ということでしかない。靖国信仰は、刀匠ひとりの言葉をもって代えうるものではない。常に生死を含む私たちの生活の中の信仰とは、民衆信仰とは、そして現代の個人的なる信仰とは、そのようなものではない。国民の天皇が国民の天皇であるがゆえに不在の靖国信仰は、既にしてスターリン的な官製の産物ではない。李纓監督は、靖国信仰を官製の産物とは捉えていないはずだ。しかし――というのが、観客としての私の残念ではある。


口より手が早い人に喋らせたら、それは面白いことを言うに決まっている、という至言がある。その日、靖国で聞こえてきたスピーチや、酒と煙草を交わして談笑と共に為された会話を思い返しても、そう思う。しかし、だからこそ、口より手が早い人たちに喋らせなければならないし、その話を聞かなければならない。なぜなら、政治とは、どこまであっても、心の問題だから。口より手が早い人たちに喋らせたその結果が、ヘイトスピーチであっても。


手が早い人たちが行ったらしいデモ襲撃のことは、その前に九段を離れた私は知らない。境内の外でのことであるし「例年通り、異常無し」の範疇ではある。社会的存在としての人間とは凡庸なもので、口より手が早い人においても、手は口に従属する。それを、言葉に肉体を賭けると美しく言うことも可能だし言行一致する人も当然あるが、しかし、マージナライズされた人たちの心の問題としての謙虚と敬虔と厳粛を、国民合意の名において公的に提出した結果ヘイトスピーチとして表象される際も、手は口に従属するので、その結果として発生するヘイトクライムについては、流石に私も頭が痛い。クズがクズであるがゆえにヘイトクライムを引き起こす、と言い切ってしまえればよいのだが、そういうわけにもいかない――それが私の昨今の感慨でもある。


ところで、境内で仕事上の顔見知りと遭遇した際に、その人の知人らしい人から在特会の団扇を頂いた。私が暑そうにしていたからだろうか。その人が在特会の人かは知らない。関知しない。派手ではないが人目を引くデザインの団扇で、表には大きなロゴで『在日特権を許さない市民の会 在特会』と。urlの表記も込みで。裏には、綺麗にプリントされた日の丸の下に『断固反対!外国人参政権』『許さない!左翼の捏造「慰安婦問題」』『在日特権を許さない市民の会は不当な在日特権を次の世代に引き継がせないために活動しています』とこれも人目を引く、しかしどぎつくはないロゴで記してある。


外国人参政権』と『左翼の捏造「慰安婦問題」』が在特会においてセットの問題であることを改めて了解した。大勢の人が境内で手にしていた、東トルキスタンの国旗を象った団扇の方がシンプルイズベストでそちらにしたかったが、人の好意は無にできない。境内ではそれで仰いでいたが、しかしこの団扇は人前では使えない。仕事場とかもってのほか。これが、市民生活の中の政治ということ。政治的状況は、いつだって突然やってくる。引き伸ばしに引き伸ばした解散総選挙のようには、この世界はいかない。


東トルキスタン独立の団扇も、中国人が出入りする仕事場では使えるはずもないし、境内の外でも、あるいは内でも、どこで誰に見られているかわかったものではない。団扇に罪はないが、仰げない。もちろん私はそれでいい。この、誰しもがでかいクソの上を歩いている社会にあっては、信仰の現場も時にクソにまみれる。社会的雪かきの只中にあるということ。それが現代の信仰であり、あるいは愛国心でもある。


クソにまみれない信仰の対象を聖杯のごとく探し求める営為が市民合意なら、その市民合意は信仰を個人の私的領域へと分節することでしかない。むろん、それは大いなる達成であるが。愛国心が個人の私的領域へと分節されたとき、つまり差し戻されたとき、改めて為されるその公的提出は、現在のような様相を引き起こし、旭日旗の下での和合や包括という名の、動員に利用される。山本七平が指摘し続けた通りに。だから私は、その私的領域への差し戻しを肯んじるがゆえに、愛国心の公的な提出にはまず同意しない。


「マージナライズされた人たち」とは、よしもとばななの人脈とリンクしない人たちのこと。よしもとばななが唾棄するだろう人種のこと。クソにまみれない信仰の対象を聖杯のごとく探し求める、それが彼女の文学である。市民合意に期待しない、それが彼女の問題意識である。スピリチュアルへと行き着くことは、論理的帰結であった。