三鷹、8月2日


8月2日の日曜日、昼に目が覚めた私は他人のパソコンを背後から覗いて、以下のエントリを目にした。


在特会が大挙して「慰安婦展」を妨害 三鷹へ駆けつけてください!/CML から - 薔薇、または陽だまりの猫

三鷹・ロラネット「慰安婦」展。在特会による「セカンドレイプ」。 奴らを通すな!ノーパサラン! - 薔薇、または陽だまりの猫


そのブックマークコメントに次のような言葉があった。

kmiura   歴史の真実という猛毒、だろ。歴史ってのは喜びであると同時につらいものなのだ。近所の人は時間の許す限り展覧会に行ってほしい。(略)

はてなブックマーク - 在特会が大挙して「慰安婦展」を妨害 三鷹へ駆けつけてください!/CML から - 薔薇、または陽だまりの猫


私は「近所の人」ではないのだが、そこは交際相手のうちのひとりの部屋で、中央線沿いだった。天気は悪かったが、夜に新宿方面で所用があった。その人も出るそうなので、展示会に足を運ぶことにした。こういうことがなければ足を運ぶことはない。むろん、単身で。上記エントリに至る経緯は報道等を通じて知っている。

周辺は、法専寺を少し南に下った辺りから、警察官が数多く見られる物々しい状況

会場となっている三鷹市民協同センター近くの斎場の駐車場には、警察車両が大量に停車していた。



会場近くの私もよく買い物をするcoopに駐輪し、傘を一本買い

市民協同センターの近くに



近くの交差点に街宣右翼の車両が近づいてくる

車両から降りてきて、準備中の警察官の一隊が小走りに配置についていく



街宣車は、主に若者2人が交代に「主催者や三鷹市役所職員は腹を切れ」などと奇声気味に高音を発しながら路上に停車(会場前の細い路地に入ろうとしたところを警察に囲まれて)。そこで上記のような発言を、相変わらず怪奇気味な音調で繰り返す。



その横を、通り抜けて会場となっている三鷹市民協同センターの前に行くと、入り口(敷地内)には多分、三鷹市が準備した警備員が並び、その前の路上と、会場前のスペースに在特会の面々が立ち並ぶという状況になっていた。

三鷹に雨が降る - 小烏丸の日記


時間的に考えて、たぶん私は会場前でkogarasumaruさんとニアミスしているが、三鷹市民協働センター周辺もその前も、まさにそうした状況だった。私が着いたときには「おはなしサロン「戦争体験と私」−私が女学生だったとき、私が中学生だったとき−」は既に始まっていて、正門前を封鎖する警備員と大勢の警察官を挟んで、三鷹市民協働センターの職員と在特会が睨み合っている状況だった。


「睨み合っている」というのはつまり、なぜ私たちを会場に入れないのか、と。公共の施設が市民を区別するのか、まして思想信条で区別するのか、と。三鷹市民が、市の施設で開催される市民のための展示会になぜ入場できないのか、と。それが思想信条によるものならとんでもないことである、と。――閉ざされた正門には貼紙がしてあって、入場は関係者に限る、と。


エエエエェェ(´д`)ェェエエエエ主催者側がWebで「三鷹へ駆けつけてください!」と書いてあったから駆けつけたのにぃ、というのはもちろん冗談で、私の経験則では、適切な即対応と思う。つまり、その程度には剣呑な状況で、その状況が午前中からずっと続いているらしいことは、配置された警察官の数からもあきらかだった。その剣呑は、主催者側ならびに公共の施設であるところのセンターが思想信条を理由に市民の入場を区別し排除しているからだ、これはあきらかに不当な行為である――というのが在特会側の主張だった。会場前でマイクを手にした人の主張するところによれば、そうだった。


そのように括ってしまってよいかわからないが――在特会の人たちは100人からいたと思う。その100人は会場前の駐車場に集ってプラカードや日章旗を手に、何人かが代わる代わるマイクを握って、市民を締め出して市民のための展示会を開催中の――という話を私は聞いた――市民協働センター2階に向かって抗議の主張を続けていた。シュプレヒコールも。


センターと駐車場を挟む道路は、むろん通行人も自転車もあるので、その邪魔にならないように、と、西村修平氏は再三、率先して在特会の人たちに注意していた。確かに、その点での「マナーが悪い」人たちではなかった。マキューアンの『土曜日』だったか、イラク戦争開戦反対デモの主張内容よりもデモ隊がポイ捨てしたゴミによって彼らにダメ出しする英国の善良な市民の心象というのがあったが。事前に再三の周知があったのだろう。


西村修平氏を初めて間近に目にした。私がその場にいた限りでは、一番マイクを手にして抗議の主張を展開していた人だった。私有地だろう駐車場を100人からの人で占拠してしまっていいのかしら、と思っていたところ、散会の際のスピーチで西村氏が、所有者の好意に基づく3日間の駐車場の提供について述べていた。


駐車場の周囲は思いきり住宅街で、どう考えても「近所迷惑」という四文字熟語の範疇なのだが、この点についても、マイクを手にしていた人の主張によれば、展示会の主催者ならびにセンター側の責ということだった。私たちを会場に入れないから、市民のための展示会への入場ならびに市の施設の利用について事実上思想信条を理由に市民を区別する公共の施設とその責任者の不当行為に対して、やむなくこうして抗議活動を展開している、と。

id:y_arim racism, history  ただ一言、「近所迷惑」と言ってみたらどうなるかな。

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――ということです、有村さん。


代わる代わるマイクを手にして抗議の主張を述べる人たちの言葉から私が把握した限りでは、抗議の趣旨は二点だった。第一に、記した通り、なぜ私たちを会場に入れないのか、公共の施設が市民を区別するのか、まして思想信条で区別するのか、三鷹市民が、市の施設で開催される市民のための展示会になぜ入場できないのか、それが思想信条による区別の結果ならとんでもないことである、と。


――それ自体は正論なのだが、ところで貴方と思想信条を異にする市民、それも文字通りの三鷹市民も展示会に参加できていません、それはとばっちりだと思うのですが、まさかそのとばっちりが目的ではありませんよね、と思いはしたが聞き役に徹する。在特会によれば、それは展示会の主催者とセンターの不当行為のとばっちりである、ということになる。マイクを手にしていた人の主張によれば、公共の施設であるはずのセンターと主催者は結託している。それも思想信条において。


私は早々に入場を諦め、門前で警備の方やセンター側に問い合わせることもしなかった。主催者に「blogでの呼びかけを拝見した」と問い合わせることもしなかった。そもそも展示会それ自体に対して特段の感想がない。そして、戦時性暴力に対する問題意識のことは私はよく知っている。


問題は、私に特段の感想があろうがなかろうが、展示会それ自体が潰されることで、商売柄、事を荒立てることを何より嫌う私は、警察官が大勢配置された最中の事実上の睨み合いの中で、相次ぐ即対応に迫られているだろう主催者に判断の手間を掛けさせる気にもならなかった。


それは、(どのみち「おはなしサロン」には間に合わなかったし)私がそこまでして展示を見たいわけではなかったということでしかないのだが、問題は、文字通りの「近所の人」であるところの三鷹市民が「日曜の午後にフラッと展示会に訪れる」ということが事実上できなかったことにある。


雨の中でも、「日曜の午後にフラッと展示会に訪れた」ような「近所の人」が物々しい空気に包まれたセンターの閉ざされた正門の前で警備の方やセンターの方と言葉を交わしてあえなく帰っていく姿を私は目にした。在特会の人もそのたびに正門前で尋ねる訪問者に言う。時にマイクで。関係者以外入れないそうです、と。私たちも入場したくてずっと待っているのですが、と。その通りではある。思想信条で入場者が区別されるべきではない。


とはいえ、「近所の人」であるところの三鷹市民が「日曜の午後にフラッと展示会に訪れる」ことを事実上阻止するために抗議活動を展開しているようにしか私の目には映らなかったし、そもそも「日曜の午後にフラッと展示会に訪れる近所の人」などいない、という前提が最初にあるかのような言葉を度々聞いた。要するに、問題に関心ある人しか足を運ぶまい、と。


私の考えでは、この種の展示会は問題に関心ない人が――たとえば近所の中学生が――ふらりと足を運んでくれることを願って催される。だから私が展示を見てもあまり意味はないし、話を聞いてもあまり意味はない。折角なので、雨の中、傘を差してずっと「在特会の人」の主張を聞いていた。


「中学生のための」と言うが中学生は来たのか、という言葉を聞いたが、そりゃ近所の中学生はドンビキして来ないだろう、という感想しかない。それは、事実上の「展示会潰し」としか言いようがないのだけれど、展示会に名を借りた不当行為を批判している、という話であるらしかった。で、事実上の「展示会潰し」のためにやっていることも隠す気はあまりないらしい。――<粉砕するぞ!三鷹市の中学生のための売春展示会を>とのことなので、つまり、中学生を入場させないために些か剣呑な抗議活動を展開していることについては。


それは抗議の趣旨の二点目なのだが、売春婦のことを中学生に教えるな、私たちの祖父を貶めるな、ということだった。慰安婦を「売春婦」と呼ぶ。そして「売春婦のことを中学生に教えるな」――つまり、それが在特会の判断であるようだった。日本人慰安婦も「売春婦」と呼ぶのかしら、とは思った。「売春婦」という言葉を私はその数時間で100回は耳にした。それもマイクを通して。私の現在の仕事柄でも、生硬な表現でもあり、音で聞く機会はあまりない言葉なので、新鮮ではあった。


マイクを手にしたひとりの男性が、「売春婦」と(私の心象では)矢鱈と繰り返して「売春婦」の話をしていた。「強制連行」された「性奴隷」などいなかった、人身売買は不幸だし同情するがそれは日本の責でも祖父の責でもない、そもそも人身売買も慰安所も当時はどこの国でもあることだった、そして彼女たちは時代の制約の中で精一杯生きてきた。身売りされた不幸な同情すべき「売春婦」は今もこの国にいる。昔取った自分の客を売って貶めるような最低の売春婦、今はもう使い物にならない売春婦のことより、いま現在の売春婦のために貴方たちは活動すべきである、そうしないのは、要は私たちの祖父を貶めたいんでしょ? ――大意、そのような趣旨だった。


後の西村氏もそうだったのだけど、あえて「売春婦」と呼ぶことが、その思想信条に基づく判断のようだった。つまり、政治的行為と承知でそうしているようだった。

行動以前の問題として、なんで、企画名を勝手に「中学生のための売春婦展示会」などと言い換えるわけ?

この「言い換え」だけでも最低と思いますね。

なんというか、「名付け」もまたポリティクスだと思うのですが、ポリティクスとして最低だと、断じさせていただきます。

企画名を勝手に「中学生のための売春婦展示会」と言い換えている時点で最低だ。弁解の余地がない。 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)


少なくとも在特会は「ポリティクスとして最低」とは考えていない。


私がその男性の話を聞いていて思ったのは、「売春婦」だって人間なんだが、ということだった。特に腹は立たない。「売春婦」は差別されるし尊厳を尊重されない、それで射精して上司同僚から消しゴムのように扱われる今日を耐えている客がいる。大抵の男は「売春婦」を差別する。その男性も、個人的に酒を酌み交わせば私にとっては「いい人」なんだろうとは思う。むろんこれはテンプレートだが、現実がテンプレートであることは胃に重い。


「身売りされた不幸な同情すべき「売春婦」は今もこの国にいる」仰る通りだけれど、構造的不幸と、彼女たちの人生は違う。構造的不幸が個人的不幸に還元されないよう取り組むことはできる。民間には当然限界があるが、不法入国絡みの問題について公的機関のフォローにも当然限界がある。早い話が、客の差別意識が暴力として表出されることへのリスクヘッジがないと、この物騒な御時世、ことに外国人絡みは、民間は「商売にならない」ことがままある。昔の話。『アフターダーク』ではないが、殴られて顔の骨を折った子がいた。端折るが、相手から穏便に慰謝料乗せて治療費を取った。彼女の自称身元引受人が耳に入れて面倒になった。慰謝料がどれだけ彼女に渡ったかは知らないが、仕事はやめられたと聞く。続けられない、とも言える。


70年前の植民地のことといえ、現在、私自身が慰安所制度と日本軍の関与について思うことは、たぶんに左派的な問題意識とは食い違う。戦時性暴力の被害者による国家賠償の請求それ自体は当然と思うが。そこに構造的不幸があるとき、それが個人的不幸に還元されないよう取り組むこととはどのようなことか。私自身にとっては、Webで議論してどう、ということではない。戦時性暴力に対する問題意識のことはよく知っているし、概ね同意する。


(私の心象では)「売春婦」と矢鱈と繰り返す、その人の話を聞いて思ったことには、「名付け」のポリティクスを在特会はよく承知している。慰安婦を「売春婦」と呼ぶ政治的判断、「売春婦」のことを中学生に教えるな、私たちの祖父を貶めるな、と主張する政治的判断を意識的に行使し、その水準において公共を確立しようとしている。


差別意識が暴力として表出されることはこの日本にあっても日常茶飯事なので、そしてヘイトに基づく暴力は容易く増幅されるので、その政治的判断にはまったく同意できない、と私は考えるよりほかない。貴方たちがポリティクスにおいて名指す「売春婦」も人間なので、笑うことも泣くこともするし、往々にして暴力は「北風と太陽」もいいところ。こんなのは、差別云々以前にイロハのイだと思うし、そもそも社会性の問題と思うが。つくづく、人は線を引きたがるのだなと思う。


もちろん、人は「売春婦」を差別する。「売春婦」は「売春婦」であることにおいてこの国にあっては尊厳などない。そのことを可視化する「名付け」のポリティクスは、ヘイトに基づく暴力のトリガーとして十二分に機能しうるだろう。無自覚な差別意識の表出と「名付け」のポリティクスの自覚的行使は違う。そして私にとっては残念ながら、在特会は後者だろう。これが「買い被り」ならよいが。「外国人」と「売春婦」に対する差別のコンボには心当たりがありすぎる。


私自身は、そこに構造的不幸があっても、それが個人的不幸に還元されないことをしか考えないところが現実にはある。要するに、衣食住と衛生と健康管理。加えて感情の補填。金。人間としての尊厳のことは関知しない。つまり、身分の公的な確認については関知しない。not my business. ただ理屈を言語化するならこうなる。人間としての尊厳は関知しないからこそ、それ以外のものは割増に提供しないといけない。いけないというのは、もちろん倫理ではなくて、世界の選択だが。


西村氏は大意で「日本人が日章旗を振ることは政治的行為ではない」という趣旨のことを主張していた。ポリティクスは、それが意識されないとき、下部構造において、もっとも熾烈なゲームを繰り広げている――Midasさんが真っ先にダメ出す考え方だろう。しかし私はそう思う。戦後日本は、敗戦と冷戦の狭間で、大文字の政治が意識され続けてきたから、政治を意識することそれ自体が忌避された。政治を意識することの忌避が、支持された。結果どうなったか? 下部構造で展開されるもっとも直截な政治さえ、意識されない。


養老孟司が言ったことがある。尿意を催して立小便をする。軽犯罪ではあるが政治的行為ではない。人間の尿意と排泄それ自体に政治性はない。しかし、立小便した先にたまたま政党のポスターが落ちていて、知らずに小便がそれに掛かったとき、その姿を誰かに見られたとき、たちまちのっぴきならない政治的状況が発生する。政治的状況とはそういうことで、よって公私を区別することでしか、尿意と排泄においてさえ私たちは政治的状況を逃れることはかなわない、「立小便は家で」、だから私は政治的状況を厭う、軽犯罪の問題ではないからだ、と。


この見解に対する是非や同意不同意は措き、思うことがある。「日曜の午後にフラッと展示会に訪れる近所の人」を剣呑極まる政治的対立状況に巻き込んでドンビキならびにくわばらくわばらさせて結果事実上の「展示会潰し」を達成する手法を、在特会は洗練させてきたのだろう、と。洗練の結果は、警察官の多数の配置を待っての明白な威嚇的言行なのだが。


午後4時半頃に、「おはなしサロン」も終了して、展示会の入場者が「10人ずつ」会場を後にする際、剣呑な状況も極まった。「ただでは帰さない」という言葉を私は幾度も聞いたが、また生首に模した人形が掲げられていたが、どう公平に見ても、恫喝と威嚇と表現するよりほかない言行が会場を後にする入場者たちに一斉に向けられていた。怒号の嵐だった。会場を後にする展示会の入場者に対して「売春婦」「使い物にならなくなった売春婦」という言葉が修辞の限りを尽くして投げかけられていた。「朝鮮人」「淫売」「恥を知れ」は言うまでもない。


「売春婦」という言葉が相手の男女を問わず侮辱として使用される世界観について私は改めて考えた。「朝鮮人の淫売は恥を知れ」という物の考え方について思った。自分がよく知っているものについて人はあまり考えない、思わぬところで考える。「売春婦」と散々音で聞かされることによって。ヘイトというのは代入項の問題で、原理的には「淫売」でも「朝鮮人」でも何でも構わないし入替可能。しかし、原理はリソースとしての歴史を利用する。そして簒奪する。「売春婦」という既存の差別に規定された容器に改めて憎悪の酒がなみなみと注がれる構図を再確認した。リサイクル――か。


センター前の退出路から警察官に取り囲まれて会場を後にする人たちを在特会の人たちが取り囲んで追いかける。揉み合いになる。生首に模した人形を入場者に見せつけている。怒号は言うまでもない。


Gazing at the Celestial Blue 三鷹市『夏休み・親子で平和を考えるー「慰安婦」展』メモ


こちらでまとめられている怪我人の報道を知ったとき、このときのことかと思ったが、違ったらしい。

結局、講演会が終わっても、妨害者の妨害は終わることなく、参加者は帰りも10人ずつ入口をでるはめに。警察が警備する、とかいいながら、妨害者を横まで近づかせ、差別と憎悪に満ちた騒音をがなりたてられ、いまにも殴りかかりそうな感じでした。


帰りに一緒に帰った人はまるで「ホテルルワンダ」のワンシーンのようだった、と。虐殺する側が国連軍の警備する施設を取り囲んだときにはこんなかんじだと。ツチによるフツへのおぞましい暴言や殺戮もこういうかんじだ、と。それを聞いてると恐ろしくなりました。

三鷹・ロラネット「慰安婦」展。在特会による「セカンドレイプ」。 奴らを通すな!ノーパサラン! - 薔薇、または陽だまりの猫


これは8月1日のことだったらしいが、8月2日、私もその光景をセンター前の道路沿いから眺めて思った。成程、ホテル・ルワンダだな、と。大勢配置された警察官は、「公正中立」であるがために、ただ物理的な暴力をのみ制止する。だから、文字通りの一触即発の対立状況の中で恫喝と威嚇に及んでも、彼らは制止できない。警察は、殊に公安は、このような「政治的状況」において「活動家」ならともかく「市民」を逮捕したくはない。「活動家」のオルグから「市民」を守るための公安だから。戦前からの古きよき桜田門の伝統的発想。


そして、物理的な暴力を示唆した恫喝と威嚇に人は脅える。警察官が大勢配置された中でのそれに、人は脅える。少なくともドンビキする。ドンビキさせることで、くわばらくわばらと思わせることで、展示会は潰せる。その意義も潰せる。どこの誰が、剣呑な状況での恫喝と威嚇を前提して「売春婦」の展示会に足を運ぶだろうか。足を運ぶ奴は余程の酔狂か「お仲間」である。実際、在特会はそのようにも主張していた。「お仲間」以外の誰が来たか、と。


Webで在特会に対してドンビキの旨書き付けることの不毛について、私は思った。私自身は特に感慨もないのだが、私が記してきたような言行についてドンビキ以上の感情を覚えるなら、ドンビキの旨書き付けることはむしろ逆効果であって、私が記してきたような在特会の言行にもし怒りを覚えるなら、ドンビキしてはならないし、その旨書き付けるべきでもない。簡単に言えば、きちんと相手すべきなのだろう。貴方たちのやっていることは許せない、と言うべきなのだろう。かつて、在特会の弁士に殴りかかった「在日」の青年のように、怒りを正面から表明すべきなのだろう。善良な市民であるところの私は、鼻をつまんで通り過ぎるまでだが。


展示会の入場者が会場を後にする際の混乱の最中で「売春婦」という侮辱目的の怒鳴り声を30回くらい私は聞いた。――それは、貴方がそのように考えるものを中学生に教えるべきではないと思うことは当然でしょう、と私は思った。既存の差別に規定された「売春婦」という容器に自身の憎悪をありったけ注いで、その中で溺れている。事実問題として「売春婦」でも何でもない人たちに対する「売春婦」という侮辱目的の罵倒。そのようなものがありうる世界のことは、私はよく知っているが、しかし大勢の警察官の眼前で再三その「罵倒的言辞」が怒鳴られている光景は些か新鮮だった。もちろん、逮捕しろ/逮捕されろ、とかまったく思わない。そんなことで処理しうることではない。


「売春婦」という容器に自身の憎悪をありったけ注いでその中で溺れている人に対して、溺れているのだから仕方ない、しかし自分が溺れている自らの憎悪にこちらも引きずりこんでくるので困る、いや私はいいのだが現実の「売春婦」は困る、としか私は思わないが、しかしその容器は既存の差別に規定されているからこそ、またその政治的判断が、「名付け」のポリティクスが、(計算されたものかはともかく)十二分に意識されたものだからこそ、気に掛けるに値する。


つまり、既存の差別に規定された「売春婦」あるいは「朝鮮人」という容器は、現在のヘイトの、憎悪の、それに基づく暴力の、汲めども尽きぬ泉であり油田のごとき資源である。かくて資源は再利用されヘイトは憎悪は暴力は現在のその担い手に合わせて更新され続ける。たとえばインターネットを舞台に。「朝鮮人は日本から出ていけ」「不逞鮮人を日本から叩き出せ」と本当に言っていた。フィリピンの話と聞いたが、とは御約束で思ったけれど。


いつも思うことなのだが、戦時性暴力を現在に至る問題として問うことと、また国家賠償請求と、祖父を貶めることはまったく別の問題だろう。祖父を貶めることは誰にもできないし、そもそも私は私の祖父のことをほとんど知らない。父方も母方も。まず知ること、聞くことから始めるべきで、そして彼らは語らないし、私も聞いてこなかった。だから私たちは、たとえば古山高麗雄を今も読み継ぐ。


「私の祖父」が「私たちの祖父」になってしまうから角が立つのだろうと私は思う。共同性を公共圏に打ち立てる、という話になる。「私の祖父」は、究極には、共同性の問題ではない、と私は思う。それは、同時に、公共圏の問題たりえない、ということでもある。私たちは、ずっと、国民国家を否定してきた。今更国民国家に還ることはできないし、そもそもこの国が文字通りの国民国家であったことなどない。


それはたとえば、拉致被害者の遺棄という人権問題をこの国において引き起こした。だから、安倍政権がそうであったように、国民国家の再興が叫ばれたこともあった。もちろんそれは「再興」ではない。「二度目は茶番」でさえない。国民国家の不可能を、私はこの国について思う。良くも悪しくも。古山高麗雄を読み継ぐ私たちは、共同性を公共圏に打ち立てることの不可能と不毛と当事者不在を、知っているはずだが。


2009-08-08 - kom’s log


反日上等」問題については一度簡単なエントリを書いたきりで、たとえば、いしけりあそびさん(法律家としての実名の方を先に知っていたので、ハンドルと一致して、成程、と思った――当然、面識も直接の関わりもないが)とその主張に対する私の雑感等、突っ込んだ話は書きませんでした。表現規制問題に議論のリソースを割かれていたからですが、ここに来てリンクしたかな、というのが『終結宣言』を読んでの私の感想です。そして、8月2日の三鷹のことを思い出したのでした。


反日上等」をめぐる一連の議論はずっと追いかけていました。机上の空論、とか全然思わない。私がkmiuraさんのエントリを拝見して思ったことは――思うに問題は、既存の容器のリサイクルです。


「日本」という既存の容器は成程比較的無害ですが、その意味で在日日本人の「反日上等」も無害な言明に過ぎないかも知れませんが、「売春婦」という既存の容器がリサイクルされて、そこにヘイトが改めて注がれるとき、そしてなみなみと注がれた「売春婦」という器の中のヘイトが回し飲みされるとき、それをして国民国家と――「国民国家」という既存の容器がリサイクルされて――指されるとき、ひいてはそのコンボが「日本」という既存の容器のリサイクルの実体であるとき、そして、以上を通した公共の確立を主張し行動する者が現実にあるとき、「反日上等」が暖簾に腕押しに等しいとして、では「私たち」はどのようにして既存の容器のリサイクルを押し止めることができるでしょうか。「売春婦」という差別に規定された器の中の新しいヘイトの酒を分かち合うことが、その行動する者たちにとって確立すべき公共であり、国民国家であり、日本であるとき。


リサイクルされるのは、既存の容器を規定する差別が新しいヘイトを注ぐにうってつけだからです。「国民国家」も、「日本」も。それが、その行動する者たちにとっての確立すべき公共です。新しいヘイトを注ぐにうってつけであることを知って、「彼ら」は既存の容器をリサイクルし、簒奪している。それは、奪い返さなければならない。簒奪された既存の容器を奪い返すことが、空転する概念の綱引きであり言葉遊びであるとしても。


既存の容器が概念でしかなくとも、その概念を規定する差別に新しく注がれたヘイトの酒は、その中で人が溺れることは、溺れる者が他者を引きずりこむことは、またそれがこの社会にあふれ出ることは、現実です。暴力とは、ヘイトクライムとは、現実そのものです。憎悪に形はない。その形を、既存の差別に規定された容器に誂える者がある。資源の再利用です。ひとたび見出された資源は、永遠に再利用される。それこそが、記号化が与える実体という必然でしょう。その必然が、現実を呼ぶことを、私は、いや私たちは、知っている。どうしたらよいものやら、これはもうだめかもわからんね、としか思うことはないのですが。


展示会の入場者が一通り退出したこともあり、在特会の人たちも午後5時半には散会した。勢いがいっそう強くなった雨の中、三々五々散会する人たちの「お疲れー」と声を掛け合う和気にあふれた姿に、わかりきっていることといえ、なんだかなぁ、と私は頭で呟いた。西村氏が〆のスピーチで、今日は100人、次回の抗議行動では200人、その次は500人、1000人の抗議行動を目指そう、と言っていた。この調子での1000人の「抗議行動」を想像して、私は考えることをやめた。そのうち私の仕事場周辺でもやらかすのだろうか。その頃まで私が仕事場にいれば、だが。


そして、これなら1000人の抗議行動は、夢物語でもないだろうと思った。問題が賢明さの有無なら、在特会は、あるいは西村氏は、賢明だ。これが私の買い被りで、今回のことも、笑って、あるいはドンビキして済ませられることなら何より。私も新宿方面に向かった。そして人生は続く。


ということで。


今夜の焼きザカナ 中央線少年少女


深海魚さんとは行き違いになったらしい。