とある議論の禁書目録<インデックス>


途上国が貧しいのは先進国が搾取しているからではないし、貧乏人が貧しいのも金持ちが搾取しているわけではない : 金融日記

はてなブックマーク - 途上国が貧しいのは先進国が搾取しているからではないし、貧乏人が貧しいのも金持ちが搾取しているわけではない : 金融日記

はてなブックマーク - これはけっこう難しい問題なんじゃないかな - finalventの日記


「こういうとき何をどこからどう突っ込んだらいいかわからないの」と発端の記事を一読して思ったが、論証はともかくとして趣旨は了解できる。私の理解では、グローバルな市場経済と国家による再配分はワンセット、と藤沢数希氏は言っている。そして、国家の機能と経済活動はレイヤーが違う、とも。共に人々の幸福のため車の両輪として欠くべからざるものであり、しかし国家による再配分の機能不全をグローバル経済に徒に帰責するべきでない、と。


「貧しい国々は世界の先進国に搾取されているから貧しいのだ」は直接に連関しない問題を「搾取」という問題設定の皮袋に入れて連関させている議論のトリックである、と。その点については、大筋ではYES、と言わざるをえない。藤沢氏のエントリと負けず劣らず乱暴な整理とお断りするが、元祖マル経においては、問題は帝国主義であって、そのとき搾取問題は国家批判と同義としてあった。


然るにネオリベラリズムな現在、finalventさんが指摘する通り、「国内の貧困者の問題」と「国際間の貧困の問題」は区別されなければならず、前者は国家の再配分機能とその調整の問題でありそのことに国民主権下の公共財としての国家は責務を負うが、後者については、そのことにグローバルな多国籍企業は責務を負うか。「搾取」概念において「責務を負う」と考える発想は帝国主義批判としてあったアナクロマルクス主義の変奏、とそういう話がここでは示されている。「ハイル!池田信夫!って話」とメタブでコメントしておられる人がいたが、YES。


現在形の問題は、ソダーバーグ辺りが散々主題とするように「多国籍企業」が国民主権下の公共財としてあるはずの国家を――殊に事実上国民主権が実現していない途上国において――食い物にしてその地の資源を作物鉱物動物と限らず人に至るまで(「最貧国で生まれても養子や孤児としてアメリカなどの先進国で育ち成功する個人もたくさんいます」)せっせと収奪していることなので、そしてグローバル経済の問題とはそういうことなので、ゆえに藤沢氏が展開する議論は典型的にそうした意味で「ポジショントーク」たりうるからこそ問題なのだけど。つまり、グローバル経済における多国籍企業の活動の内実を再配分機能としての国家の機能不全において免責する議論、と。直截に言うなら、グローバル経済の「勝ち組」の都合、と。


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NIKEのことは知らないが、「何が問題とされているか」という話をするなら、国家の機能不全に多国籍企業は「付け込んでいる」。多国籍企業に付け込まれないよう国家は再配分機能として磐石でなければならない。そのための国民主権を実現しましょう――そう考えてゲバラは革命に参加しました。是非は措きますが、ベネズエラチャベスも一応はそういう話になっています。オルガリヒを討伐したプーチンについては言うまでもない。その国民主権が真正かは知らない。


国際間の貧困の問題に対して再配分機能としての国家が自国民に対して責務を負うとき何が起こるか。これもfinalventさんが指摘する通り「アフリカと限らず、農産物を輸出したい国家と、農業国内保護の国家の関係」が問われる。端的に言って、「国際間の貧困の問題に対して再配分機能としての国家が自国民に対して責務を負うとき」たとえば農業については、先進国であるところの日本では保護政策になる。


で、だから「この問題、日本の農業保護は対外的にはかなりguilty」ということになる。なぜなら、国内の農業従事者のために実施される、先進国の保護施策は国際間の貧困に対してはそれを助長するものでしかないから。国家の責務の範囲ではない、「だから」国家を介さず、グローバル経済の恩恵を享受する私たちひとりひとりが国際間の貧困に対して責務を負うべきだ、とそういう話になって、たとえばフェアトレードという話になるけど、そのことを貶めるものではまったくないが、しかしそれが先進国の国民の都合でしかないことは言うまでもない。


たとえば、先進国がその国際的な責務においてアフガンを支援するなら、彼の地の農産品であるところのアヘンをグローバルなヤクザ屋さんに買い叩かせるのではなく正規の価格で買うべきに決まっている。これは極論でも皮肉でもない、フェアトレード的に考えて当然の話。フェアトレードとは流通を目的とするものではないのだから、そしてそれでよいのだから。アヘンを買うために正規の価格でアヘンを買うのではなく、アヘンを売らなくては立ち行かない彼の地の状況を変えるためにいったん正規の価格で買う――フェアトレード的に考えるなら。正規の価格って何、という突っ込みは却下。


グローバルな経済活動と「搾取」の問題について「国際間の貧困の問題に対して再配分機能としての国家が自国民に対して責務を負う」ことと切り離して考えることはできない。国家の再配分機能には国民の政治意識が関わっているから「農産物を輸出したい国家と、農業国内保護の国家の関係はどうあるべきか」という話になる。そして議論は、藤沢氏が展開するように「実際問題として、最貧国がなかなか這い上がれないのは一にも二にも政治が腐敗しているからです。」と変奏される。詭弁へと。


藤沢氏が言っているのは、「一部の政治家や役人や軍人が自分やその身内だけで富を独占し、自分たちの権力を脅かしそうな自国民を見つけては次々と虐殺して」いるような国家においては、再配分機能としての不全ゆえに、国際間の貧困の問題に対して自国民を守ることもなく、よって「農産物を輸出したい国家」であることにおいて自国民の都合が蔑ろにされる、ということ。もちろん、自国民の都合を実現するのはグローバル経済である。――『ダーウィンの悪夢』を持ち出すべきでもないのだろうけど、いくらなんでも話を単純化しすぎている。


純化の所以を「国際間の貧困の問題を再配分機能としての国家の不全にのみ帰して、グローバル経済の問題について免責している」と読むことはできる。グローバルな市場経済に対する再配分機能としての国家の不全を国際間の貧困の原因とする見解には、グローバル経済を世界の選択と見なし、かつ肯定する世界観がある。それが悪いとか間違っているということではもちろんない。


国内の貧困者の問題を再配分機能としての国家の不全に帰する、そして同時に、農業の保護政策を国際間の貧困に対する加担と批判する、それはたとえば池田信夫氏の議論であって、(私などが言うのもおこがましいけど)ひとつの見識だが、しかし混ぜるな危険。藤沢氏の議論の問題は、再配分機能としての国家の不全に「貧困」の問題を一切合財帰責してしまっていること。それは、かつて一切合財を帝国主義批判の皮袋に入れるマジカルな問題設定としてあった「搾取」の議論の裏返しでしかなく、それをこそ池田氏も批判している。そしてそれは、再配分機能としての国家の在り様について、藤沢氏がどのように考えておられるかわからない、ということでもある。

しかし、貧困問題の矛先を金持ちや大企業に向けることは全くもって何も問題を解決しないのです。
元イギリス首相のサッチャーが言ったように、金持ちをいじめて貧乏にしても、もともとの貧乏人はもっと貧乏になるだけなのです。

途上国が貧しいのは先進国が搾取しているからではないし、貧乏人が貧しいのも金持ちが搾取しているわけではない : 金融日記


グローバル経済と国家による再配分はワンセット。国家の機能と経済活動はレイヤーが別。共に人々の幸福のため車の両輪として欠くべからざるもの。YES。国家の機能不全は国家の問題、ひいては内実としての国民主権の実現されない政治とその為政者の問題、というのもそれはそう。ただ、そのとき、国家の機能不全がグローバル経済の問題ではない、とも、あるいは国家はグローバル経済が引き起こす国際間の貧困に対して責務を負わない、とも言えない。だから池田氏は日本の保護政策を一貫して批判している。そして、たとえば――プーチンは資源の配分機能としての国家の自国民に対する責務をよく考えていると言いうるか。難しい。


グローバルな市場経済と資源の配分のための国家の政治は別問題、とプーチン首相は言う。サッチャーは英国民の幸福は主張したが、正しく帝国主義者の末裔として、国際間の貧困の問題については顧慮しなかった。だから批判された。それを為政者の仕事と、言い切ることが難しいのは、資源の配分のため繰り広げられる国家の政治の背景には歴史的経緯が存在するからで、グローバル経済はともかく国家の政治について「思考実験」において歴史を排除する藤沢氏のクリアな議論は、その点でも失当している。そして、よってfinalventさんの仰る通り「簡素にすっきり「貧困」というお題でまとまるテーマなのかよくわからんな。」ということになる。


貧困国の農産品を『トラフィック』のように国を挙げて討伐するのはたとえばアメリカ様の都合でしかない。グローバルな市場経済に組み込んで、先進国はそれをする。それは手前の都合以外の何物でもない。グローバル経済への接続が、最貧国の離陸の必要条件なら、そりゃソダーバーグも今日ゲバラの映画を撮るだろう。社会主義の夢は費えた。そして、グローバル経済への接続の結果として売られる人間で日本もまた渋滞している。人間が売られることとアヘンが売られること、どちらがマシかは知らない。金融のことはあいにく知らないが、私が知るグローバル経済とはそういうこと。


本当はこの件について別の話を書きたかったんだけど、ひとまずまとめて〆


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