「戒厳令下は常に危険に満ち満ちていなければならない。そして同じ危険なら、わかりにくい危険よりはわかりやすい危険の方がいい」


移民送り出し国だったころの日本 - apesnotmonkeysの日記

http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20090419#1240159767

不可解な反論をするひと - apesnotmonkeysの日記

「法は守れ」「カルデロン一家は出て行け」と主張している方々に満州事変以降の日本の歩みをどう思うのか、聞いてみたいですな。九カ国条約のことはこの際問題にしないとして、石原莞爾のやったことは日本の法に照らしても違法だったし、天皇の命令なしに軍を「国外」にまで動かした林朝鮮軍司令官の行動も同様。処罰されてもおかしくないのに前者は参謀本部作戦部長まで、後者にいたっては総理大臣にまでなりましたが。


カルデロン一家は出て行け」と主張する(ないしそうした主張にシンパシーを感じる)グループと「カルデロン一家に在留特別許可を」と主張する(ないしそうした主張にシンパシーを感じる)グループとを対照した場合、前者の方に満州事変以降の日本の歩みを肯定・免罪・相対化する傾向が強くあることはことさら実証してみせる必要もないことでしょう。

移民送り出し国だったころの日本 - apesnotmonkeysの日記

(前略)言っているのはただ「カルデロン一家は出て行け」と主張する(ないしそうした主張にシンパシーを感じる)傾向と「満州事変以降の日本の歩みを肯定・免罪・相対化する」傾向との間には有意な相関がありますよね、ってことでしかない。で、そうした相関があること自体は自明だと思うからいちいち実証的な根拠を探してきたりしてないだけ。で、matsunaga氏も「まあ一般的に現在のところ「ウヨク」=「排外主義者」という傾向があることは事実だけれども」と、事柄の半分については認めているわけである。では一般論として右派の方に「満州事変以降の日本の歩みを肯定・免罪・相対化する」傾向がある、ってことを否定するつもりなのだろうか? しかしエントリを読む限りではそういうわけでもなさそうである。

不可解な反論をするひと - apesnotmonkeysの日記


統計は知らんが、有意な相関とその自明については私も考えていた。実証的に、ではなく理路において、だけど。ファシストの心理学というか。先日、維新政党について「右翼と極右は違う」と書いたところ「セクショナリズム乙」という反応を貰い、そうかもなぁ、とは思った。本質的相違の問題でなく、グラデーションの問題で、その頂点に維新政党は存在するのかも知れない、と。


「人種差別じゃねっつんだよ。外国人に人権なんかねえのに……」という在特会デモでの言葉を記していた人がいた。主体を国家の外延が規定する価値観にあっては、国家は超越論の問いとしてあるのだろう。超越論性の現前として法を論じるから、おかしなことになる。


今更だけど、そして私に対して述べたものではないと思うけど。

id:inumash  新風連の連中もその支持者も、自分たちを“義侠心熱き男”だと思ってるだろうね。んな言葉を彼等が口に出した瞬間フルボッコにされるだろうけど。極めて主観的な価値観なので如何様にも使えてしまうな。

はてなブックマーク - inumashのブックマーク / 2009年4月16日


主張において法と規範を弁別しないから「新風連の連中」は問題なので、そして「義侠心」とは法と規範を明確に弁別する態度の別名なので、「主観」の問題ではない。規範を国家に管轄させないから「自由主義」です。規範を国家に管轄させ主体を国家に帰属させて論じるから「新風連の連中」は倫理の欠如した主張になる。普通にファシスト。レッテルでなく思想的に。ファシストで悪いということもない。というか、ファシストで悪いことについてこのエントリで書く。


で、buyobuyoさんについてはファシズムを何より嫌っていることは一目瞭然で、だから罵倒になる。そのことを「差別」という変数とその特権性において解くなら「新風連の連中」とbuyobuyoさんが同じことになる。「新風連の連中」と喧嘩するとき、反差別の旗と反ファシズムの旗のいずれを押し出すかはお好みで、私も反ファシズムの旗を押し出すほうです。観客席はあってもよいかも知れないが、リテラシーに欠けた観客に論者が合わせるべきとは私は思わない。


ところで、たとえば石原莞爾ファシスト超国家主義者だったか、と問うなら、否だけど、けどというのがややこしくかつ石原という人で。法華経信者の彼にとって超越論性を育む垂直軸が国家の問題でなかったことはよく知られていて、そのことが人をして死後もなお彼の唱えた垂直軸を評価させてきた。「彼の唱えた垂直軸」を、有体には、八紘一宇と言う。そのことには、彼を育み宮沢賢治を育み彼を激怒させた二・二六事件を胚胎する、戊辰戦争以来の東北における政治的/経済的な抑圧が関わっていた。


超越論性の現前を八紘一宇に求めた石原にあっては、国家とはその実現のためにするテクニカルな問題だった。だから、八紘一宇と東亜解放の理念は容易に彼をして無法に突き進ませた。端折って言うが、関東軍における石原の無法が通ったのは、八紘一宇において垂直軸の頂に天皇を担ぎ戴いたからにほかならない。それは公然の人種主義ではなかったが、「生存圏」の発想と何が違ったろう。


十五年戦争を「理念における正と実体における甚だしい不正」と整理する見解はよく見かける。その「実体」が理念の運用の問題であったか、と問うなら、正/不正の以前に「理念が実体を要請した」が結論になる。ただ、それが石原莞爾の資質的な問題であったか、と問うことは難しい。後に藤沢周平を排出した、雪深い庄内が育んだ「昭和の軍人」の覇道が国家にアクセスしたとき、何が実現されたか。関東軍参謀としての石原が踏み出した、決定的な一歩がある。


それは吉田茂あたりに言わせれば「田舎者はこれだから」ということになる。その心は、日本は帝国主義の真髄を知らない、と。帝国主義の真髄を知らない田舎者が帝国主義に乗り出すからああいうことになる。そのメンタリティは、先般更迭された空幕長と何が違ったろう。そして石原莞爾は、とびきり優秀な田舎者だった。「十五年戦争を繰り返さないために」検討すべきは、その優秀さではなく、田舎者性だ。もちろん、田舎者は本人の問題ではない。日本の近代の問題。


そして、かつての関東軍のような無法のプロジェクトXは戦後の経済帝国主義として田舎者たちによって実現されてきた。その、戦後の辻政信に象徴されるような「ぼくたちの満州事変」「ぼくたちの東亜解放」において戴かれたのは日の丸であり、大日本帝国以来の天皇だった。


然りて皮肉なことに、あるいは当然のことながら、昭和天皇田中角栄を嫌っていたし、石原莞爾という人間を捉えかねていた。国家の正統性の何たるかを知らない、法を犯して恥じない田舎者と。国体としての自身の存在が、そして人間宣言行幸の結果が、天皇という存在を媒介として石原や角栄のような存在を国家の中枢へと送り込んできたことを、知ってか知らずか。


松本清張が、戦後の日本を舞台にやがては古代史に及んで描き続けてきたのも、そのこと。田舎者の悲しき宿命とその罪とその生を、作家は見つめ、描き続けた。現在においてビートたけしがその主役を演じることは、とても正しい。


点と線 (新潮文庫)

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問題は、優秀な傑人の理念と無能な官僚の運用ということではない。近代日本を舞台にした、天皇を媒介とする田舎者と国家の直截な結託にある。その、天皇という国体としてあった国家に、あらゆる優秀も無能も絡めとられた。「無能だから」絡めとられたのではない。優秀な傑人もまた、絡めとられた。


満州事変当時の石原は自分がリードしているつもりだったろうが、天皇を戴く八紘一宇が、後に彼が東条英機が体現したものとして嗤う超国家主義そのものであったことに、気が付いていたかはわからない。彼は戦後を長く生きなかった。


ワルツは相手なくして踊れない。ワルツの相手に天皇を選んだ石原は、優秀も無能も引き寄せて法を国家の垂直性へと帰する超国家主義のダンスに巻き込まれざるをえなくなる――垂直性の頂に載せられた、しかし自身は立憲君主を指向した天皇同様に。そして二・二六の際に北一輝を討伐しようとも、結局は赤い靴を履いた死の舞踏を掣肘できるはずもなかった。それもまた、天皇同様に。


もちろん、石原はワルツの相手に「五族」の民衆を選んだのではない。ワルツが「五族」のためにあることを彼は望んだが、それこそが戦前の超国家主義だった。長州の傑人だった岸信介は、その種の田舎者を軽蔑して「五族」の民衆など顧慮することなく天皇の正統性において正しい国家主義満州国において体現した。


問いを立てるなら、優秀な傑人の理念と無能な官僚の運用としてでなく、天皇を戴く田舎者の超国家主義と、天皇の正統性に基づく王道の国家主義として立てたほうがよい。その、覇道と王道の闘争は、様々なねじれを経てなお、角栄と岸の、小沢一郎麻生太郎の、並び立つ政治体制として戦後も続いているのだから。


田舎者が超国家主義に走るのは、天皇の媒介なくして彼らが国家とアクセスしえないから。こうした認識を、かつて見沢知廉はその小説によく書いていた。よってそれは、そもそも階級的な緩衝地帯が存在しないがゆえに、近衛内閣の崩壊に伴い政権を握ったとき国家と直接に結託し、そのとき法の守護者としてあった国家は全能のミリタリズムへと至る。


天皇ごっこ (新潮文庫)

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東条の責任とはそういうことで、それは「彼が無能な官僚だったから」として個人の資質において総括しうる話ではない。『文藝春秋』でよくやっている、昭和の軍人大品評会は、殊に塩野七生的な「優秀」「無能」という軸に基づくそれは、私は好きだが、それはあくまで歴史講談としてであって、もちろん日本が昭和20年の敗戦へと雪崩れ込んだ理由はそういうことではない。


英雄なき昭和の国家に近代化の軸として存在した姿なき天皇、という事態が吉田茂を押し込めて田舎者が仕切る超国家主義と八紘一宇を掲げた下策な帝国主義へと結実したのであって、だから戦後、司馬遼太郎は自ら垂直軸を国民において設定すべく、近代人の英雄物語を紡ぎ続けた。坂の上の雲の物語として。司馬批判、あるいは司馬支持者批判の前提には、国民において垂直軸を設定しようとした国民作家とその支持者に対する反問がある。


むろん吉田茂的な帝国主義の真髄においては現地人など民衆どころか天皇の赤子でさえなく単なる資源にすぎない。その醒めた認識において吉田茂はたとえば白州次郎らとともにGHQと対峙し講和条約を結んだ。岸信介は安保を改定した。形式としての独立のために。つまり国体の護持のために。


matsunagaさんのことではないと厳に断るけど、日本の近代史について「正義や善悪で裁断すべきでない」とするまったく正しい一般論をよく見かけるが、それは最低限この程度の前提には基づいて言っておられるのだろうか、とは思う。たとえば、inumashさんのスタンスに同意することはいいけど「戦う自由主義」と赤狩りとの関係とか踏まえて同意しておられるのかな、という。もちろん、近代史についても、知ったうえでなお正義や善悪を言わなければならない、歴史は現在の問題だから、という話。そもそも知らないのだと、たとえば在特会の主張を見る限りは思うが。


「罵倒駄目」とか、知らないままにとりあえず正しい一般論を言っているのではないか、と穿ってみざるをえない物言いが「はてサ」批判の言説には多いと思う次第。もちろん、matsunagaさんのことではないように、inumashさんのことでもない。なんというか、貴方の問題意識はわかるしインターネットの相互言及ってそういうものでそれは素晴らしいことなんだけど、AやBやCやDについて最低限知ったうえで言及しておられるのよね、という。


松本人志のことも写真週刊誌をめぐる日本国内での議論の経緯も海外のパパラッチ事情(それは受動喫煙をめぐる国際的な議論の経緯とは全然違う)も加藤典洋高橋哲哉の議論の経緯も知らないことはいいんだが、それで批判のつもりで見当外れなたとえ話をされましてもね、と最近id:REVさんに対して立て続けに思ったもので。たとえ話はいいんだけど、批判目的の見当外れなたとえ話はね。うまくもないし無知を晒しているだけだし。そしてパラフレーズの失当を指摘すると「私の問題関心」を再三主張する、と。主張は御自分とその「得意分野」でなさったら、DQNを嫌いなことはよく存じ上げているので、としか言いようがない。私もプログラミングについて何か主張したことはない。


先日、NHKのBSで放送されていたので思い出したが、1973年、三島由紀夫の死の記憶が濃い時代にATGで製作された吉田喜重の『戒厳令』という滅法面白い映画があった。見直したらやっぱり滅法面白かった。


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当時50歳の三國連太郎北一輝を演じる二・二六事件をモチーフにした正調吉田喜重作品。別役実が脚本を手がける作品は、正調吉田喜重ベケットが加味されて、父の規律を失った男たちが「戒厳令」を求めるその心象についてアレゴリカルにかつ執拗に描いている。もちろん、ベケット同様に、父の規律を失った男たちの彷徨に対して女もまた自身の論理を生きるがゆえに、その論理は男の渇望と行き違い続ける。


「だから」男は「戒厳令」を執拗に求め、それを世界に現前させようとして銃を手に取り銃口を向け合う。『ボウリング・フォー・コロンバイン』のような話だが、「我が内なる戒厳令」を求めて御真影の視線を背に彷徨い続ける男たちは、『秋津温泉』以来の吉田喜重的な男と女の行き違いの問題は別にして、まさにファシストの心理学だな、と再見して思った。1970年に製作されたベルトルッチの『暗殺の森』もそういう話だったか。「我が内なる戒厳令」を「秩序」と三國連太郎演じる北一輝は指す。秩序とは内部の問題で、しかし内部の秩序のために男たちは戒厳令を帝都に現前させようと銃を取って銃口を向け合う。


北一輝が叛乱に乗り気でないのは、保身のためでなく、戒厳令を世界に現前させることと現実に戒厳令を帝都に敷くことが違うことを知るから――と映画は描く。これこそ、ファシズムの心理学であり、ジョージ・レイコフが指摘するところの保守の心理学だろう。我が内なる秩序と安寧のために、戒厳令を世界に現前させるべく、実際に銃を手に取り戒厳令を帝都に敷いてしまう発想。押井守の『機動警察パトレイバー2 the Movie』がその主題において面白いのは、戒厳令を世界に現前させることと現実に戒厳令を帝都に敷くことを弁別したうえで、その空隙をこそ描いた映画だったから。ま、根こそぎ70年代と言えばその通りだけど。


むろん、ベケット別役実なその世界では、「我が内なる戒厳令」のため彼らの背に視線を投げかける御真影には、実体がない。その実体は、北一輝の処刑のその瞬間まで、顕現しはしない。一切がゲームであり虚偽であって、秩序と安寧が還らないことを、失われた父の規律の囚人であった叛乱者の中で、ただ北だけが知っていたから。「だから」彼は天皇陛下万歳を叫ばない。映画の話。


劇中、重臣が暗殺され現実に戒厳令が布告された帝都で、憲兵内藤武敏が言う。「奴」とはむろん北一輝のこと。


戒厳令下は常に危険に満ち満ちていなければならない。そして同じ危険なら、わかりにくい危険よりはわかりやすい危険の方がいいからだ。もちろん奴のほうは、わかりにくい危険で一杯にしたいのだろうがね。」


我が内なる秩序のため、重臣を暗殺し現実に戒厳令を帝都に敷いた西田税青年将校が求めた危険は「わかりやすい危険」だった。つまり銃口だった。そして、我が内なる秩序のため、戒厳令を世界に現前させようとして北一輝が求めたのは「わかりにくい危険」だった。つまり、劇中で明瞭に描かれるが、戒厳令を知らせるサイレンは、現実に帝都に鳴り響く必要はない。私たちが私たちの心にそれを聞けばいい。我が内なる秩序と安寧のために。


端的に言って、それは不可能な話で、つまりサイレンは現実に帝都に鳴り響かなければならない。我が内なる秩序と安寧のために、私たちが私たちの心にそれを聞くべく。誰が為に鐘は鳴る、ではないが、それがかつて右翼ということで、だからヨーロッパの作家たちはヘミングウェイに至るまでアンガージュマンしたし、その中には対独協力作家も含まれる。そして三島由紀夫は決起を訴えた。


もちろん三島が罵声を浴びせられ佐藤栄作司馬遼太郎山口瞳に烏滸扱いされ、青島幸男にオカマ呼ばわりされた程度には(もちろん佐藤も司馬も山口も青島も後年それを評価した丸谷才一も正しかった。我が内なる戒厳令のために現実に帝都にサイレンを鳴り響かせようとするその発想が諸悪の根源と、不正義の平和を破壊する正義の戦争を知る彼らはわかっていた。江藤淳は微妙で――つまり彼は佐藤や司馬や山口や青島や丸谷と違って戦後日本の批判者だったから――それはまた違う機会に。要するに江藤にとって問題は「母」だった)、当時の日本は戒厳令の危険を求めはしなかったし、サイレンを聞きたいとも思わなかった。


当たり前のことだが、鶴見俊輔が定義するような民衆があるなら、それは戒厳令など必要とせずミリタリストが打ち鳴らしまくった大日本帝国のサイレンを心底鬱陶しく思っていたに決まっていた存在だった。そして十二分に、少なくとも60年代まで、不正義の平和であろうと、核の銃口を東西陣営が突きつけ合う冷戦は危険に満ち満ちていた。だから、サイレンの発信源たる国家を東西もろとも否定した鶴見俊輔小田実と共に民衆の視座からべ平連をやった。


ちなみに小熊英二の大著『民主と愛国』はそこで終わる。そっから先は長い長いgdgdであること、遺憾ながら小熊に同意せざるをえない。ところで戦後を根こそぎ否定した三島の求めた戒厳令に東西冷戦の出る幕はなかった。だから三島は罵声を浴びたのだが。冷戦において日本は「東側陣営」に過ぎない。要するにアメリカの一部である。そのことを解さなかった江藤淳において問題は「母」だった、というのはだから別の話だけど。


吉田喜重のように酷薄な認識を持たない、あるいは別役実のように底の抜けた認識を持たない大概の日本の男は、未だ70年代においては女と子とその生活という共同幻想に我が内なる秩序と安寧を求めてそれで済んでいた。それは共同幻想の問題なので、日本はずっと風俗天国である。吉本隆明がいた時代、我が内なる戒厳令へと人々を駆り立てる国家幻想は、女子供に解体されたかに見えた――慶賀すべくも。もちろん、誰かのブログタイトルにあるように、清算しない限り過去は過ぎ去ろうとしない。


女の幻想において家族と娼婦を往還する彷徨える父の規律なき魂というまことにフェリーニ的な男の風景を、鶴見俊輔は民衆と呼んだが、ところで日本人はイタリア人ではないし教会もないので、彷徨える魂は容易に国家幻想に捧げ物をしてしまう。女子供という捧げ物を。そのことを別役実吉田喜重は『戒厳令』という映画で喝破して、しかし彼らの厳格な世界にあっては、女子供は規律なき魂にとって供物ではない。端的に他者としてある。


だからこそ男たちの彷徨はいっそう深く、出口がない。仕事場の大きな姿見と向かい合って小説書いていた三島由紀夫のようなもの。保坂和志が言うように、原稿から目を上げた場所にあるのは鏡でなく外の風景でなければならない。窓の外の風景と向かい合って小説書かなければならない。余談だが、団塊世代の私の両親は少なくとも国家幻想に女子供を捧げようとはしなかった人たちだった。


我が内なる秩序と安寧を求めて「戒厳令下は常に危険に満ち満ちていなければならない」と考える回路において、世界における戒厳令の現前が、銃口を向け合いサイレンを鳴り響かせる現実の戒厳令によって成立すると考える限り、過去は過ぎ去ろうとしないし過ぎ去ってくれない。コロンバイン高校のボウリングをめぐって、マイケル・ムーアがあらゆる角度から批判したのは、まさにそうした「戒厳令を求める心性」だった。


ファシストファシズムの心理学とは「戒厳令を求める心性」とその結実としてある。だから当然それは、劇中北一輝が正しく指摘するように、見通しの立たない不安な社会において蔓延する。現代日本のような。「精悍な顔つきで構えた銃は他でもなく僕らの心に突きつけられてる そう、怯えるキミの手で」と歌ったのはSMAPだった。正しい。


以前、レイコフの議論に即して私のことを批判した人がいた。当時、そもそもレイコフに不案内だった私は先方の論旨がわかりかねたのだが、今、あぁそういうことかと思う。「戒厳令を求める心性」を、「戒厳令下は常に危険に満ち満ちていなければならない」と考える発想を、アメリカにおける「保守のモラル」としてレイコフは批判した。その要請される危険が、わかりやすいものであろうとわかりにくいものであろうと。


なぜなら、銃口の有無に関わらず、戒厳令によって、鳴り響くサイレンにおいて、秩序と安寧を求める発想にこそ問題があるのだから。その秩序と安寧が、心の問題であっても、それは容易に現実の戒厳令とサイレンを求める。ひいては銃口を。いや、心の問題と銃口の問題は彼らにとって同じこととしてある。


かくて、戒厳令を世界に現前させるためのマッチポンプにおいて、日本人の平和ボケは糾弾され、九条教は揶揄され、性犯罪被害者の自衛が叫ばれ、痴漢冤罪において男女は一目瞭然に対立し、外国人犯罪者は戒厳令のための「満ち満ちた危険」のダシにされる。もちろん拉致と核の北朝鮮は格好の「満ち満ちた危険」であって「在日」がダシにされることも、外患においてPublic Enemyを設定する赤狩り以来の自由主義社会の定石としてある。すべてはサイレンを鳴り響かせるために。結論は「人種差別じゃねっつんだよ。外国人に人権なんかねえのに……」。


「彼らは一体誰と戦っているんだ」とよく揶揄される。もちろん「戒厳令下は常に危険に満ち満ちていなければならない」。「戒厳令下は常に危険に満ち満ちているんだ!」と彼らは性犯罪被害者に自衛を説き、「在日」に「祖国」であるところの北朝鮮のおぞましさを殊更に説く。グロテスクな話だが、ファシズムファシストの心理学として、規範を国家に管轄させ主体を国家に帰属させる、自由主義社会でそのことを「敢えて」選択する個人の発想には「危険に満ち満ちた」戒厳令を秩序と安寧のために求める心の問題があるだろう。


心の問題を、銃口と等価交換しなければまだしも無害なのだが、もちろん「わかりやすい危険」は銃口の別名としてある。劇中の北一輝は「わかりにくい危険」を、つまり心の問題が銃口と等価交換されず恩寵のないことを知っているが、結局のところ青年将校と同じ心の問題を抱えていた彼は銃口の歴史には抗えず、心の問題は解決されることがない。予定通り、恩寵は来たらず。そういえば、小泉純一郎靖国参拝を「心の問題」と言った。「戒厳令下は常に危険に満ち満ちていなければならない」と恩寵を信じない政治家は謳い絶叫した。3年前にNakanishiBさんやMacacaFusucataさんから指摘されたことが、今頃ようやく得心したのだった。残念ながら、維新政党の存在によって。


イーストウッド主義者であるところの私は、人間は不自由なものと思っている。それはフロイト的な私の世界観の根底にある。父の規律を失って彷徨う「男」。hokusyuさんだったか、私のエントリに対して「人間は自由だから」とブックマークでコメントしたとき、サルトル乙としか思わなかった。要するに「戒厳令下は常に危険に満ち満ちていなければならない」。


ただ私には、わかりやすい危険とわかりにくい危険を弁別する能力がある。しかしわかりにくい危険を説く限り、つまり心の問題が銃口と等価交換されないことを知っていたところで、心の問題を容易く銃口と等価交換する連中にあふれ――それは維新政党や在特会に限らない、都知事府知事総理インターネット市井の生活者たち――心の問題において等価交換どころかカジュアルに銃口が叩き売りされる時勢においては、単なる「上品な右翼」でしかないのかも知れない。


右翼とは、心の問題と銃口が等価交換であることを知る者のことで、腕も脚も差し出さずにカジュアルに銃口が叩き売りされるようになったのは、決定的にインターネットの影響としか言いようがない。だからインターネットは悪い、とかそういう話ではむろんない。「上品な右翼」とそうではない右翼に、個人の資質としての「弁別の能力」以外のいかなる相違があるか、それこそ十五年戦争に対して石原莞爾の個人の資質を言祝ぐことと何が違うだろう、と私は考えている。完全に私の話と断るけど、恩寵のゲームには余り用がない。そして、わかりきっていたことだが、インターネットには上品な右翼とネット右翼しかいない。弁別の能なくとも心の問題と銃口の等価交換を知る、恩寵を信じる青年将校さえない。


だからと言って、生き方や発言のスタンスを変えるわけではないし変えられはしないけど、「自覚」を深めたほうがいいかも知れないな、とは少し思う。右翼と極右を「理念」において弁別して済ませるのでなく。「カルデロン一家は出て行け」と主張する(ないしそうした主張にシンパシーを感じる)グループと「カルデロン一家に在留特別許可を」と主張する(ないしそうした主張にシンパシーを感じる)グループとを対照した場合、前者の方に満州事変以降の日本の歩みを肯定・免罪・相対化する傾向が強くあることはことさら実証してみせる必要もないことでしょう。」Apemanさんが言われるところの「有意な相関」について、その自明について、私はここに認めざるをえない。遺憾ながら。まことに、俺たちに明日はない


matsunagaさんの考えておられることとは関わりない話と思います。ただ、一連のやりとりを拝見して私の関心の範疇で問題の在処について整理したくなりました。その程度に、最近の流れについて私も無視できなくなっている。今頃か、という話。押井節を借りてナルシスティックに言うなら、結局、最初の砲声が轟くまで気付きはしなかった。最初のヘイトスピーチが、拡声器を通して轟くまで。「気付いたときにはいつも遅すぎるのさ。だがその罪は罰せられるべきだ。違うか」もちろん、その罰を求める心性がファシズムの心理学の最たるもの。



ぼくたちの好きな戦争 (新潮文庫)

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半藤一利との対談で、丸谷才一石原莞爾の記憶について語っていた。故郷鶴岡の超名士だった「東亜連盟の石原先生」を囲む会に何もわからず混ぜてもらったことがあり、軍人らしからぬ精悍で知的な風貌で、なるほど傑人だろうなぁと後年思ったと述べていた。丸谷の軍人嫌いは有名である。


天皇と東大 大日本帝国の生と死 上

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