少女と野球


http://d.hatena.ne.jp/usoki/20090326#1238081194


「日韓友好のために真剣にプレーしているのではない」ということです。アスリートは外交官ではない。日韓友好はマウンドですることではない、他の場所ですべきこと。だから、思い起こせば3年前、イチローが「向こう30年間、日本には勝てないなと思わせるような勝ち方をしたい」と盛大に煽って現在へと至るのですが、もちろんイチローナショナリストなのではなくて、愚直なほどにスポーツマンです――政治的な振舞い方をまるで知らない。


旗やそれを立てることが問題なのではなく、また日本や韓国の国旗が問題ということでもなくて、マウンドを日韓友好の舞台とすることがスポーツマンシップに反する。そう見立てることも。

「マウンドは神聖」だから「旗立てちゃだめ」って、そのつながり全然理解できない。まあそもそも「神聖」も「旗」もよくわからんのだけど。


というid:good2ndさんのブックマークコメントを引いておられるけど、その点について述べるなら、真剣に勝負すればこそ旗を単位とするような日韓友好をマウンドに持ち込んではならない、ということ。要するに、イチローの心意気に対して失礼。それが、スポーツマンシップということです。スポーツは、ひいてはスポーツマンシップは、当然のことながら、旗を単位とするような国家を越えるのだから。


プレーヤーがスポーツマンとして真剣に勝負すればこそ、マウンドに、旗を単位とするような日韓友好を持ち込むべきではない――ということです。「神聖」とはそういうことで、もっとも、私も「神聖」という修辞的表現はよくわからない。


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で、マウンドやWBCと問題は別として、日韓友好は大事なので、決勝戦に際して「日本が勝ったらマウンドに日本、韓国両方の旗を立ててほしい」という「小5の女の子からのFAX」に対して「こういう気持ちは大事」とコメントする古館はべつだん間違っていない。つまり、古館は「気持ち」の問題を言っているのであって実現可能性の話はしていないのだから。


そして、「小5の女の子」がそのように思ってFAXしても致し方ないムードが日本に存在したことも、また事実だから。その空気がナショナリスティックなものではないということを、私は「小5の女の子」に伝えたく思うし、だから古館も「こういう気持ちは大事」とコメントしたのでしょう。実現不可能の前提含めて、私は古館のコメントに同意です。


日韓友好の気持ちは大事と思います。「日本が勝ったらマウンドに日本、韓国両方の旗を立てる」ことはスポーツマンシップ的に考えて難しいですが――国際主義には私は賛成するので。WBCを通して発揮される「スポーツマンシップ」やそれに乗じて横行する嫌韓的な言説より「日韓友好」の方が大事、という価値判断はもちろんあると思います。しかし、優先順位の問題ではなくレイヤーが相違すればこその「マウンドは神聖」です。「スポーツは野蛮」とよく言われます。そのことを乗り越えるための「スポーツマンシップ」は「大事」です。それは――マウンドを野蛮で汚さないこと。野蛮なのは、勝負それ自体ではありません。


イチローの、政治的にはあまりに不器用なその勝負に対する真剣に敬意を払えばこそ、野球の勝敗に日韓友好を持ち出すべきではない、と私は古館発言に対して思います。しかし野球と問題は別として日韓友好は大事なので、「こういう気持ちは大事」というコメントはその意味で十分に抑制されたものと考えるし、なんら間違っていない。古館個人に対する贔屓目があることは否定しません。


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