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居間にいる母親が怖くて部屋から出られません。 どうやったら部… - 人力検索はてな


ブクマでもまだ出ていないようなので、「大きなお世話」を承知で書くと、「どうやったら部屋から出られるか」家に火を付けることです。「古い集合住宅の2階」とのことなので万難を排してボヤで済ますこと。もちろん、母上が不在のときに。


要するに、母子関係に対して形式的にせよ警察に介入させること。問題を母子関係の内部で処理させないこと――それこそが母上の意図なのだから。職責上やむをえないとはいえ、カウンセラーは「問題を親子関係の内部で処理させること」に一役買っている無能でしかない、ということがある。


だから、衆人環視の中御近所の面前で有村さん自身が引っ張られて最低限拘留され、母上が形式的にせよ事情聴取されるよう仕向けること。「形式的」であろうと、有村さんの記述から推測されるように、母上が世間体を気にする類の人ならこれで「堪える」し「効く」。警察沙汰にすることが一番早いし、有村さんはフィジカルな暴力の行使に抵抗があるとのことなので。家で何枚皿を割っても警察は介入しません。「共依存」の自覚がないだろう母上は警察様から問題の所在について自覚を促される、ということ。


「復讐」という話ではないし、もちろん解決はしないし、「反省を促す」ようなこともたぶんできない。しかし、同居する家族の感情問題は、外部の公的な強制力が「問題」認定してそれとの直面を強制しない限り当事者間では詰み、ということが往々にしてある。そして取り返しのつかない新聞沙汰へと至ることも往々。破裂する前に、適当に警察沙汰にして家族間の感情問題についてガス抜きと仕切り直しをすること。10代の頃の話だけど、私と親父の殺し合いも文字通りの無数の警察の介入を経てお互い頭を冷やした。


「自分の都合で軽々に救急車呼ぶ馬鹿と何が違う」その通りだけど、人間は、生きるか死ぬかの瀬戸際では生きるためなら人殺し以外何だってやってよいと私は思っている。つまり、半ば強制的な同居生活の結果としての刃傷沙汰のような結末を御自身が避けたいと考えるなら。主観において、生きるか死ぬかの切迫した事態なら、だけど。


ネットだからテキトーなことを書いていると思われるかも知れませんが、友人や恋人に「相談」されても私はまったく同じことを言う。「パチンコ屋では常時住み込みの従業員を募集しています」という話ではないのだから。もっとも、友人や恋人の相談は「回答」を求める類ではないので、だから有村さんはネットで広く訊いているのかなとは思います。拘留や前科で友だちやめる人は有村さんにはいないだろうし、私にもいなかった。


それで親をやめる人も――幸か不幸か――あまりいないので、仕切り直しということでしかないけど、少なくとも問題の所在について母上は自覚せざるをえなくなる。有村さんやカウンセラーがいくら叫んでも馬耳東風でスルーして、警察様や御近所様の圧力によって否応無く「自覚」と処理を迫られる、という話は残念ながらある。親不孝な私に「いい子」の気持がわからないのはその通りです。


余談ですが、『とらドラ!』の最終回を見届けて素敵な結末と思ったけど、親もまたひとりの不出来な人間と知って「だから」親と和解しなければならない、なんて話はありません。知ることと和解を望むことは違う。それこそが「愛」の問題ということ。不出来な人間だからこそ和解を望まないのだから――お互いに。「親もまたひとりの不出来な人間」と一般論をのたまって和解を促す言説を、説教と言います。