代紋と泥棒(廃人の歌について)


承前。ブックマークコメントにレス。


マジでコンする5秒前 - 地を這う難破船

id:CrowClaw  言いたい事はわかるが反対。何故なら本質的にヤクザ商売に近いのは「ライセンスビジネス」の方だから(ex.金融屋の本質はウシジマ君)。この場合マジコンと対比すべきは「テキヤ」。似てるけど別物と考えるべき

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「代紋商売の限界」という話ですか。それとも「代紋商売は糞」という話ですか。wiselerさんの議論もそうですが、エントリを拝見しても、CrowClawさんがどちらの話をしておられるのかわからない。

CrowClaw  で?そうやって「強盗」(笑)からおらが村を守ってどうするの?もうその村自体が夕張のごとく財政破綻してるんじゃないかって批判されてるんだけど。将来のビジョンが無いのはどっち?

はてなブックマーク - 一度「ファミコン決死隊」でググれと思う。 - Scott’s scribble - 雑記。

CrowClaw  gadgetman それは逆では?私の主張は「任天堂バンナムは新しいビジネスモデルを模索してるがファンはそれを分かってない」ですよ。あなた方は自分の主張が誰の利益になるのか冷静に考えてますか?

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/ymScott/20090302/1236002814


こちらのブコメを拝見しても、「代紋商売の限界」について指摘しておられるように読めますが、「代紋商売は糞」と考えておられますよね。そのこと自体は見識です。前者の話をするふりして後者を暗に主張することも構いませんが――事実認識の問題と主張して価値判断を全開にするかつてのマクナマラのごとき自称リアリストは枚挙に暇がないので――ばれてますよ、という話。暗にどころか明々白々に。CrowClawさんの認識が両義的でありアイロニカルであることはわかっているつもりです。


お尋ねしたいのですが、金融屋の本質がウシジマ君であるとして、闇金消費者金融を区別することに同意ですか不同意ですか。そのような区別こそが糞であり「永遠の嘘」であると、CrowClawさんは一貫して主張しておられますよね。その価値判断に私は同意しかねますが、そのこと自体はなんら問題ありません。価値判断に基づく御自身の認識を「事実認識の問題」とymScottさんのような他人に対して嘯くのでなければ。繰り返しますが、そういうのを自称リアリストと言います。


「アイロニカルな没入」と言った学者は誰であったか、かつてのマクナマラ国防長官をその典型と私は思っています。自ら信じる正義があることはなんら恥ずべきことではない。そのことを「誰の利益」だの「冷静」だの「将来のビジョン」だのと糊塗した挙句自らその欺瞞を信じることをマクナマラ病と言います。その点ネオコンの方がよほど素直だった。


私は以前のブログから、つまりはてなidがCrowClawとしてブックマークを使用される以前から、CrowClawさんのネット上での活動を存じ上げていますが、このところのスタンスの変遷に対しては微妙な感慨を抱いています。世界の選択に対して「悲しいけどこれ戦争なのよね」と言ってみせることが倫理であるとき、村上春樹は決して特定の他人を直接に批判しません。村上春樹の「非政治」の根本はそういうことです。


世界の選択に対して「悲しいけどこれ戦争なのよね」と言ってみせると同時に、他人を嗤うなら、それは他人を嗤う自身の醜悪が拭われることなく地上に刻まれるだけのことです。もちろん、世界の選択に対して「悲しいけどこれ戦争なのよね」と言ってみせることは他者を当て込んだパフォーマンスに過ぎない。

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世界の選択をダシにして自分の主張を述べるからマクナマラ病なのです。(私はサルトルの思想に対してとても微妙ですが)そのようなスタンスはサルトル的なアンガージュマンに対してもっとも遠い。そのくせ政治的行為以外の何物でもない。こういうことは言いたくないのですが、私はMidasさんのファンですが、そのデッドコピーな言説には興味がない。CrowClawさんが「素直」だった頃を知る者としては。もちろんネオコンということではない。


『廃人の歌』という吉本隆明の詩の著名な一節があります。「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」――勝手な印象として、私はMidasさんのスタンスをそういうものと思っています。むろん比喩ですが、廃人ではまるでないにもかかわらず「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろう」的なスタンスで発言するなら無理があるし、その無理は透ける。


金融屋の本質がウシジマ君であろうが闇金消費者金融を区別することに私は賛成です。社会とは本質を見極めるものではなく約束事で成り立っている。「誰の利益」と言うなら、約束事を「永遠の嘘」と指摘することで誰が得するか。「本質を指摘」した人が他人を嗤うというだけの話。


当たり前のことですが、誰が真実を口にしたって全世界は凍りません。吉本隆明だってわかっていたことです。「妄想」「廃人」と自己規定してその政治否定は完結する。Midasさんのスタンスはそうだと思うし私はファンですが、CrowClawさんはそうでしたか。無理しておられるように映ります。誰が真実を口にしたって全世界は凍らないから私たちは政治のことを知らなければならない――釈迦に説法の部類と思っていました。

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全世界を凍らせる真実の話でなく「永遠の嘘」を知ることから始まる政治の話をしておられると思うので書きますが、要するに「私有財産は盗み」という話をしておられるわけですよね。比喩ですが、富は分配されるべき、と。だから代紋商売の限界の話をするふりして代紋商売の糞について主張している。任侠含めて私は代紋商売を糞と思わないし、代紋商売の限界という自称事実認識については同意しかねます。


私有財産は盗み」とはもちろんマルクス一流の狙い定めたレトリックなのであって、私有財産が盗みであるからと言って実際に私有財産を盗み返すと不法行為です。革命無罪とも言いますが。ソダーバーグの『イギリスから来た男』で刑期を終えた老泥棒が「富の再分配をしていた」と自己紹介していました。


そもそも思うわけですが、マジコン販売で利益を得る業者と任天堂を同列に扱う議論です、それは。カネにきれいとか汚いとかあるんですか、と常套句をNHK闇金業者が口にしていましたが。小沢一郎の一件ではありませんが、カネのきれいと汚いを区別するのが社会の約束事で、それは社会主義もそうですね。「永遠の嘘」と言うなら社会主義くらい典型的な「永遠の嘘」もなかったわけですが。私は「永遠の嘘」で必ずしも悪いと思わないので。


本質がどうであろうと、闇金消費者金融を同列に扱うべきではないと私は思うし、同列に扱うことは金融業従事者に対する歴史的な差別を呼び戻しかねない。「この資本主義社会において私たちの手は誰しも汚れている」とか職業差別の蓋然に対してまったくフォローになりません。本質論は銀の弾丸でもなんでもない。


ま、酒を売るのもヘロインを売るのも代紋商売で、カネにきれいも汚いもないのかも知れませんが、酒を売る業者は未成年者への販売規制を受け入れるけれど、ヘロインを売る業者はむしろ未成年者に率先して売るものです。社会の約束事がすべて「永遠の嘘」ならどれだけ楽でしょう。そんなラスコリニコフもどきのはてなユーザーが昨年逮捕されて新聞記事になっていましたが。

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社会の約束事は商売の代紋を個人の生活のために要請する。私は、製造開発業従事者への利益還元を搾取する無法者の得について考える筋合を持たないし、筋道としても持てない。地球の回る速度がどうであれ「堅気に迷惑をかけるな」を筋としての正論と私は思います。むろん私の信じる正義であり、価値判断ですが、「堅気に迷惑をかけるな」が絵空事と化して暴対法は施行されました。カネの内容を吟味することはまったく(個人に属する)倫理の問題ではありません。資本主義経済における社会的合意の問題です。革命無罪は口にするのではなく実現してください。


マジコン販売で利益を得る業者と任天堂を「誰の利益」の名のもとに同列に扱う議論が結果的に「誰の利益」に貢献しているか。Midasさんのスタイルのように、廃人が妄想として口にする全世界を凍らせる真実の話なら別ですけれど、CrowClawさんはばりばり政治の話をしていますよね。


だから、「代紋商売は糞」という話なら最初からマクナマラチックになることなくそう仰ってほしい。私有財産が盗みであるとして無法を肯定する理由には一義的にはならないので、その価値判断に私は同意しかねるけれど。「社会主義は糞」とマクナマラも一貫して考えていたし、そんなもんダダ漏れどころの話ではないのだから。ヴェトナム戦争が時にそうであったように、無法には私は同意できない。ベスト・アンド・ブライテストが時にそうであったように、自称されるアイロニカルで聡明な認識が正当化する無法には。