Live Alive!

善き人のためのソナタ』という映画がある。今は亡き名優ウルリッヒ・ミューエはこの作品をもって広く知られた。私も知ったひとり。


善き人のためのソナタ - Wikipedia

http://www.jicl.jp/now/cinema/backnumber/20070226_03.html


どのような映画であったか、と人に訊かれたとき、要約して答えるに迷う。そういう映画であって、多義的な作品であることは違いない。たとえば、人はどのようにして心理的に追いつめられ死ぬかの典型的なサンプルを描いてみせた作品でもある。悪しき権力機構がただ人を死に至らしめるのではない、感情とは、ひいては罪悪感とは、死に至る毒であり、にもかかわらず人はそれを求め、時に芸術として昇華する、という話であり、そしてそのことを批判してみせた作品でさえある。権力を伴った感情の、最悪とささやかな崇高を、あえて分け隔てることなく描いた作品であり、究極にはドラマは個人の内心において発する、そして発したドラマは、ミューエ演じる主人公の職掌的なよく訓練された無表情の内に隠されて、最後まで、容易には察することができない。


ホーネッカー体制の末期において頽廃した東独の官僚機構は、権力を伴った感情の専横を半ば公然と許した。愛国心が悪党の最後の砦であるように、形骸化した社会主義のその理想が悪党の最後の砦であった。そして感情を抑圧しその形骸化を知りながらも社会主義の理想に生きてきた主人公は、自身の感情の所在に気付いたとき、権力の行使において感情の介入を許し、その判断と行動は社会主義を奉ずる国家において悪と規定される。社会主義とその理想において自身の善を規定してきた主人公は、社会主義を善と規定した国家が崩壊した後に、自身の感情において自身の善を規定されることにより、ラストシーンの表情へと至る。


善き人のための芸術。ドイツ的な物語ではある。強制収容所ベートーヴェンが聴かれゲーテが読まれていたことは周知であり、アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮であり、そして東独が奉じた社会主義リアリズムは、そのことをこそ否定していた。個人の感情を原理とするロマン主義はもってのほかだった。作中において東独の公式作家ブレヒトは、その偉大を承知で、皮肉な取り扱われ方をされている。民衆に即した芸術は、個人の感情を、内心のドラマを、そのことを原理とするロマン主義を、批判する芸術であった。そしてブレヒトは能う限り退屈に上演することが公式的であり正しいとされた。


主人公が最初に惹かれるのは、彼が監視する芸術至上主義的な反体制的劇作家の部屋で見つけたブレヒトの著作だった。体制の公式作家ブレヒトは、民衆の生活に即しかつ民衆を啓発する芸術を模索した、にもかかわらず到底それにとどまらない文学的才能を持ち合わせた偉大な作家であった。民衆の生活を改良し民衆の世界観を変革するための芸術。彼を公式作家の席に遇した東独の体制がそのような芸術をブレヒトのようには望まなかったことは言うまでもない。中華人民共和国における魯迅のように。しかし、そのブレヒトが理念とした芸術を、社会主義の理想に生きてきた主人公は受け入れる。彼の監視対象たる、芸術至上主義的な反体制的劇作家と同様に。芸術至上主義的であることが反体制的であることとイコールであったのが、社会主義下における芸術の顛末である。資本主義下における芸術もまた同じこと。


善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD]

善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD]


三島由紀夫は「私にとっての音楽」について、大意、私をバカにしてくれるものこそ私にとっては望ましい音楽である、有体に言うなら、と述べている。「眼」すなわち視覚とそこから発する観念の人が、バカになれない俺、という、毎度のごとく自己言及的な、言葉で世界を綜合し統べんとする芸術至上主義者として、典型的な作家の考え方を開陳しているのであるからして仕方ないのだが、要するに彼は体質的には所謂イージーリスニングの部類を好む人間だった。70年に死んだ、サブカルチャーの見事な批評家でもあった三島に、阿久悠筒美京平後藤次利の歌謡曲についてコメントしてもらいたかったと思うのはないものねだりであるけれど、耳が悪い私にとってもまた私をバカにしてくれる音楽こそ私にとっては望ましい音楽ではある。「私をバカにしてくれる」の意味が三島のそれとは些か相違するにせよ。


私にとってそれは、スイングのことなのである、と嘯いたところジャズに詳しい人に怒られた記憶があるのだった。以前、カラオケでスウィートでスイーツなラブソングばかりノリノリで歌う私に驚いていた人があって、その人はロックファンなのだが、もちろん私はバカになるために歌っているのであってそうでなくして歌い踊る理由が、まして必要があるだろうか。No music, No life.それをスイングと言ったらそれは怒られるに決まっているのだが、だがちょっと待ってほしい。バカになるためにポロックはアクション・ペインティングを実践していたのではないが、しかし私にとってのバカになるとはつまりそういうことであって、抽象表現主義の、ひいてはモダニズムの理念に由来するのだった、いやマジで。あるいはポロックは、バカになるためにアクション・ペインティングを構想し実践していたのかも知れない――理念的に。


なお三島にとってのバカになるとは己の感情の混沌に身を委ねることである。彼は作家の誇大妄想ゆえに容易に身を委ねることができなかったからこそ音楽という導きと助けを求めた。思想官僚の理想主義ゆえに容易に身を委ねることができなかった、ミューエが演じた映画の主人公のように。むろん、三島はそのことを善とはまったく考えない。芸術性善説を信じなかった昭和と同齢の学習院卒の彼は、一高的なデカンショを鼻で笑っていた。芸術至上主義者にとっての芸術の要諦を三島はよく把握しており、それは戦後にフルトヴェングラーワーグナーについて述べた通り。「なぜあの糞忌々しい反ユダヤ主義者の音楽に、私はかくも惹かれてしまうのだろう」。


NOBB web | 都立西高OB吹奏楽団 オフィシャルページ

演奏会のお知らせ - novtan別館


行ってきました。秋は私にとって鬼門であるらしく、いや怠惰ゆえ投機の趣味はないのだが、改めて乱世だねぇという状況ではあったりする。つまり下部構造的に慌しくなって怠惰な私は困るという話。しかし近辺に滞在してはいたので、調整の結果、告知を拝見して杉並公会堂を1年振りに訪ねました。真面目な話、楽しみにしていた。


私は音楽というもののよきリスナーではないのだろうけれど、音楽の、いや、音楽会や演奏会の楽しみは、listenerとしてのそれに依存するものではないことを、たぶん私は昨年の、都立西高OB吹奏楽団第29回演奏会で知ったのだった。私はダンスや演劇等パフォーマンスアートにはそれなりに関心あって態々観に行ったりもするけれど、音楽だけは、ロックフェスにも人気バンドのコンサートにもライブハウスにも足を運んだことがほとんどない。他人から貰った切符にほぼ限定される。難聴気味と人生の短さと怠惰を口実にしているが、その口実をもって他人どころか自分を納得させることは真に馬鹿であると気が付かせてくれたのは、たぶん昨年のNOV1975さんがタクトを振っていた演奏会だった。それ以降私の趣味範疇が拡大したわけでもさしてないが(まことに人生は短く慌しい)、大仰な話をするなら、私は現在もそれなりに元気にやっている。恐慌も実存の根本には関係なく。


パンフレットによると。1976年の中野公会堂がOB楽団の第1回演奏会。E.オスタリング作の『バンドロジー』という楽曲がある。「西高吹奏楽部が記念祭のアンコール曲として、1970年代から演奏し続けている行進曲です。仮装をしたり、妙なアレンジを加えて演奏したり…と、年により様々な思いを込めて演奏しています。」「卒業しても『バンドロジー』を演奏したい」――そう、「約35年前」の、都立西高吹奏楽部員、すなわち「私たちの大先輩たちは、この言葉を胸に、結集しました。 以来、人は変われども、「バンドロジー」をDNAに持つ卒業生がこのバンドを支えてきました。」そして「30というのは人にとっても一つの節目であり、今回の演奏会で30回を迎える楽団にとっても同様です。もう若さだけでは上手くいかないことを感じつつ、試行錯誤の結果としてようやく今日に至りました。」


そうした楽団らしく「本日は、35期(1983年卒)から60期(2008年卒)の、実に26代にも渡る奏者たちが同じ舞台に立ちます。」NOV1975さんがパンフレットに記す通り「ついに昭和・平成生まれが混在するようになりました。」そのことには私も感慨がある。平成生まれが高校を卒業する時世か、と。そのような第30回の演奏会ということで、あるいはそのことには関係なく、演奏会は大いに盛況であったし、杉並公会堂の大ホールは、おそらく杉並を地元とする人たちでもあるだろう、長年の演奏会のファンと思しき人たちで埋め尽くされていた。昨年をはるかに上回るアンコールの熱気。そして拍手代わりの口笛もしきりに鳴った。OBの人たちも多く来られているようだった。


私が映画を頻りに観るのは考え事をするのに最適であるからでもあって、暗室において発光し明滅するスクリーンやテレビの画面を見つめながら頭の中は別のことを、大抵は否が応でも考えなければならない現実的なことを、考えていることがままある。なので火災の一件で広く知られた所謂個室ビデオ店のユーザーでもあったけれど(むろん燃えた店ではない)そのことは措き。では考え事に適した映画がつまらない映画であるかというとそういうことではまったくなく、スクリーンを見つめながら頭の中では全然別のことを考えていたものの、『ゾディアック』や『スカイ・クロラ』は素晴らしかったと断言できる。ただ私が思うことには、その網膜における反応と並行的に同時進行する考え事をふっとばしてくれる、すなわち通常交わることのない網膜と頭の平行世界の障壁を刹那であれ打ち壊してくれる「糸の一引き」を、私は半ば絶望的に求めてもいるのだろう。


つまり、網膜は経験的であり頭は経験的である、網膜は頭はそのことから自由になることはできない、ベッドの角というのは本気でそれに頭をぶつける気がない人の用いるメソッドである。網膜は過去のイメージとしての記憶に束縛され頭は過去の経緯としての現世の重力に拘束される。そして、そのことから自由になる契機を、その賭金を、私は故障気味の歴史なくアナログな鼓膜に求めているのだろう。おそらくは、三島由紀夫が音楽に「私をバカにしてくれるもの」を望んだのもまた、経緯と経路は違えどそういうことではあったろう。


私はかつて、ロラン・バルトの晩年の有名な区別において、その相違を把握していた。むろん、バルトのような目的をそのことについては持ち合わせていなかった私は、間違えていた。ストゥディウムとプンクトゥムの区別は、すなわち一般的関心と別なる、受け手を貫く刺し傷において「糸の一引き」を求めることは、神があろうとなかろうと帰依の勧めにほかならず、どうあっても束の間の自由ではない、少なくともそれはスイングではない。村上春樹の著作において私はその言葉を知ったが、なので完全に習わぬ経を読む子供に等しいけれど、エリントンが楽曲をもって示した通り、スイングがなければ意味はない。


耳の遠さを言い訳に言うなら、私は音響の真贋というか質に滅法疎い人間で、しかし三島に及ぶべくもなく眼もかなり悪くなっているにせよ視覚的な人間ではあるので、楽器を操り音楽を奏でる人を眼前にして、そしてその綜合された総体としての、顔面に吹き付けてくるような音の圧力を感じると、視覚と聴覚の乖離において、思うことがある。


セロ弾きのゴーシュ』を思い出した。宮沢賢治の弾いたセロをもはや誰も聴くことができないにもかかわらず、あの作品からは、賢治が思い描いた音楽を鮮明に聴くことができて、それはたぶん、賢治が構想した、そして賢治の構想にとどまることない、人間生活、いや、人間の営みにとっての、世界との交歓としての音楽ということであり、その尊さであったろう。賢治の天才は、そのことを意味において示したのでなく、言語を用いた音楽において示したことにある。誰かが似たことを言っていたと思ったら。

オペラのオケは、客席から見えない。けれど、演奏会などのDVDを我々は観る。最終結果はCDで良いはずなのに。
これは、音楽の生産という一種の労働を観たいのであり、譜を正しく弾くこと、それだけで感動的であり、作品として成り立つということだ。
これと同様に、テクストを精密に朗詠していることそれ自体で、例えイタリア語が分からなかったとしても、感動的であり、作品として成り立つ。
2人の人間*1が、脚本をリサイタルするだけで感動的である。

2006-12-09 - 配電盤よ、安らかに


ガチの唯物論者の労働観は措くとして、つまり、複製技術時代の資本主義的芸術において「音楽の生産」として下部構造的に総括され(まさにカラヤン的に)決定されかねない楽器の演奏という行為は、しかし(ベンヤミンの議論とは相違して)複製技術時代であろうがなかろうが、流動性きわまった高度資本主義社会であろうがなかろうが、あるいは高度な情報社会資本主義社会が御破算しようがしなかろうが、それ自体で感動的であり、成立する。岩手の農村でひとり淋しくセロを弾いていた宮沢賢治が『セロ弾きのゴーシュ』においてメタフォリカルに描いたのもまた、そのことだろう。


だから、音楽会や演奏会には、CDやインターネットのダウンロードやあるいはレコードと、相違する感動があって、受け取る感慨がある。聴く者の鼓膜が故障していようといまいと、人が楽器を演奏して音楽を奏でる行為は、その集団的営為は、そこに現れる人の、まさに音楽的な繋がりとチームワークは、時代が世相がどのように移り変わろうと、聴き手がどのようなコンディションにあろうと、あるいは完全な聾であろうとも、たぶん変わらない。


画家の古谷利裕氏が言っていたように、太古の人も現代の人も、同様に、歌うし、踊るし、描く。以下は私の意見だが、目的が何であれ、そのことにはたぶんに感動と感銘が、それを起動させる契機が、根源的にとは言わずとも、近代以降においてなお、ある。そしてそのことを、プンクトゥムの産物としてしまってはならない。バルトは知らず私が思うに、プンクトゥムとは、個人とその記憶の歴史における重力そのものである。時に人を死に至らしめる。その重力から束の間の一時であれ解き放たれること、それが私の考えるスイングである。


そのスイングを、私は、一斉に鳴らされる正装した奏者の黒靴による足踏みに、全身に発条が仕込まれたような、ふたりの指揮者の一時として静止することのない、時にノリノリな躍動する背中に、そして、ジョン・ウィリアムズによる『インディー・ジョーンズ』のテーマソングと、吉俣良による『篤姫』のテーマソングに続く、アンコールの最終曲として演奏された『バンドロジー』のゴキゲンさと、それに呼応する客席の手拍子と口笛に、そして終幕に及び演奏しながら眼を潤ませる幾人かの奏者に、見て、感じた。見て感じることを経由して、私は聴いた。


むろんそれはマニア的には「聴く」ことではないことを、別の分野のマニアである私は知っている。見て感じることを迂回して聴くことは、音響的には「聴いた」ことにはならないと。そして私は反論するだろう、見て感じることを経由し迂回して「聴く」ためにこそ、音楽会とは、演奏会とは、まして資本主義的芸術と関係なく為されるそれは、あるのだと。見て感じることだって、聴くことなのだ。それもまた、いや、あるいはそれこそが、音楽なのだ。この複製技術時代において、そのことを改めて教えてくれたのが、私にとっては都立西高OB吹奏楽団の昨年の演奏会であり、そして今年の演奏会だった。


ブレヒト戯曲全集〈第4巻〉

ブレヒト戯曲全集〈第4巻〉


敷居の低さをよいことに、私は10代の頃から大学サークルにおける芝居というか演劇のフリークで(私は大学生であったことはないけれど)、このところは流石に遠ざかっているが、昔々、そのような素人にしてアマチュアの青春メモリーとしての内輪なごっこ遊びが傍から観客として見て面白いはずないではないか、プロのそれを観たまえと年若い私に宣ってくれた人がいた。その言葉とは関係なくミーハーだった私は当時から「プロ」のものも観てはいたが、当時は年若かったので「一流を観なさい」ですか『まんが道』か、というふうにしか突っ込めなかったのだが、複製技術時代の自明において資本主義的芸術を自明と人は勘違いするのだなと、今となっては思う次第である。


善き人のためのソナタ』においてブレヒトを公式的に演出するよう芸術至上主義的な劇作家に強制する文化大臣と当時のその人の言と何が違うのか私はわからない。芸術至上主義が正しいということでも善ということでもない。映画中において当局の監視に晒される劇作家は時に滑稽な人物として描かれている、彼と対立する文化大臣と同程度には。資本主義的芸術であれ社会主義的芸術であれ、主義に晒され時に抑圧された芸術は体制に対する対立項として芸術至上主義へと純化し先鋭化せざるをえないということ。資本主義体制に対するオルタナティブとしての市民的な芸術活動とその可能性が改めて云々される昨今とは、そうしたこととかかわりなきことでもないのだろう。むろん、資本主義的芸術を批判する気はさしてない。


以前、橋下知事大阪府財政改革に伴う交響楽団に対する助成金施策の是非についてNOV1975さんの見解を拝見して、私は同意であったし、またそのとき直接に言及しなくともNOV1975さんが反応の対象としただろうエントリを記した人は芸術至上主義的な人でそのことを自認のうえ公言している人なので、そしてスタンスとしての芸術至上主義は無問題なので、その意見の相違について当時興味深く思ったけれども、その背景には楽団のメンバーにして演奏者としてのNOV1975さんの経験があるのだろう、と、演奏会を経て勝手に思った次第です。オルタナティブなどと言わずとも、人は体制の是と相違する感情生活を持ち育み、そこから時に芸術が生成する。


個人に及んで善を規定する体制は糞であるが、芸術とは個人の善を証明する概念でなく、ミューエ演じる映画の主人公の善は、芸術を愛したことによって証明されたのではむろんない、彼は結局芸術それ自体には縁がない。たまたま触れた芸術を通して他人を、その生活を愛するに至ったことが、そして言うならば眼に触れた花を守らんと台風の中傘を立てかけたことが、結果花が枯れ落ちようとも、その人間的感情の善を、証した。


花を愛でる感情が、ことさらに花を美しく描く芸術によって起動することがあるように、暗号として指し示される存在としての見ず知らずの他人の、自身とかかわりない生活を、自身が持ち合わせる権力を用いて守ろうとする非合理的で反体制的な感情が、他人の生活をその善悪ない混ぜた人間的な顔を美しく肯定する芸術に触れることによって起動する。それは本末転倒であるが、人類史は本末転倒を必然とした。ゆえにその本末転倒は、芸術が起動する、善悪を与件として規定することのない芸術のみが起動する、体制の是と相違する人間の感情生活を肯定する善の条件としてある。だから映画は典型が切り結ぶ物語として構成されているが、本末転倒を誰よりも問題と考え問うたブレヒトが信じた芸術とその力もまた、そうしたものだった。


そして芸術とは結果としての生成に過ぎない、過程がくだらないはずもない。資本主義的論理に基づく楽団への公費削減に対して芸術至上主義を持ち出す場合、たとえば大阪フィルに現在フルトヴェングラーはありやとそういう話になるとは私は思う。至上主義において芸術とはそういうことだから。つまりそもそも反論たりえない。


戦後の日本社会を憎んだ戦中派の三島由紀夫が重力をこそ求め、そこから解き放たれることを嫌厭したことは論を俟たない。そしてポロックは、いや、理論的なる抽象表現主義は、重力から解き放たれることをこそ至高とし最上とした。私はスイングをこそオルタナティブと考えるので、反体制ありきの議論にあまり関心がない。資本主義だろうが社会主義だろうが。


端的に言うなら、映画においてミューエ演じる主人公は、スイングした。彼なりに密やかにしかし大胆に、そうと気付かぬまま。内心のドラマにおいてスイングの至高を、そのことを知ることも感じることもこれまでなかっただろう男の無言と無表情の中に描いたこと。およそ最後まで無言と無表情の中にそれを塗りこめて描いたこと。そのことによってスイングの何たるかを観客に知らしめんとしたこと。そしてスイングとその契機とその瞬間をこそ重力まみれの体制において芸術の為す善と見なしたこと――あるいはブレヒトの見解と相違して。


善き人のためのソナタ』とは私にとってそういう映画であって、だからラストシーンにおける主人公の表情は、回収として明瞭ではあるし、単純に観客にとっての「救い」ではあるが、その回収は私にとっては不必要だった。そう、上記リンク先の記事にもある通り、『善き人のためのソナタ』の原題は、直訳するなら『他人の生活』と言う。


東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~


私は趣味友だちというものがすっかり要らなくなって久しい。好きなものはひとり密かに黙って楽しめば宜しい。「分かち合う」とか余計。というか、趣味友だちとであれ「分かち合える」ものではない。最近、多弁な癖に好きなものに関しては雑談さえ面倒になっている自分がいる。「文化系女子」というのがわからなかったのはそういうことだろうか。それは私の来歴とそれに即した性分に関係あるかも知れない。


私は東京出身で東京で育ったが、そのゆえにと言うべきか、地元というものを持たないし、ジモティと言われるような地元の友人も持たない。高校は早々にバイバイしてそれきりである。愛読する本をしきりに貸してくれようとした友人がいて、私はそのとき軽くカルチャーショックを受けた。本を貸し借りする友人関係というものを私は持ったことがなかった。本というのは自分で勝手に読むもので、女を貸し借りする友人関係なら知っていたのだった。


地元にも家族にも親子にも、どこにも帰る場所なき者たちの寄る辺なき繋がり合いと寄る辺なさゆえの束の間の絆、それはリリー・フランキーの『東京タワー』を貫く主題で、私は連載時から読んでいて先が待ち遠しかったが、単行本化されて後、人々がその主題をかくも求めていたということを知った。それほどに、みな帰る場所なく寄る辺なく、あるいは、帰る場所がない、寄る辺ないという思いを抱えているのか――やはり。放言すると、あれを現代の母恋物と言っている人間を私はもれなく文盲と判断している。


リリー・フランキーは長じて訪れた故郷小倉にも別府にも所在無く、その「オカン」はどこにも帰る場所なきまま寄る辺なき者たちの旗にして墓標たる東京タワーの麓で眠り、彼はその遺骨を抱いて東京タワーの展望台から下界を見渡す。そこから戻るべき場所はどこにもない、降りるべき所も。彼はどこにも行けない。作品はそこで終わる。私がはてなでブログを書いているのは、現行のインターネットにその擬制を見ているからかも知れない、錯覚と知りながら。つまり、私はそれが心地よいのだ。リリー・フランキー氏と違って。


第30回と聞いて気が付く。一つの節目であるかは知らないが、私は都立西高OB吹奏楽団が演奏会を重ねた数とほぼ同齢である。そして、『バンドロジー』をもってフィナーレを迎えた壇上に、花束を抱えた幼い子供たちがトコトコと歩いてきて、彼女たちは今しがたまでオーボエ(で合っているのだろうか、パンフレット参照したけれど人の顔についてはすぐ憶えるが楽器については自信がない)を演奏していた正装の父親に花束を渡す。会場全体がその光景を率直に祝福する。祝福しながら私の頭が冒頭主題歌が演奏された『崖の上のポニョ』へと自動転送されてしまったのは内緒だ。


三島由紀夫はわかっていたが、生活や人生から自己を疎外する芸術好きはワーグナーを愛したヒトラーリーフェンシュタールを起用したゲッベルスとどこかしら似通う。芸術とはその魔とはそういうもので、フルトヴェングラーの見解は、あるいは映画『東京オリンピック』製作に当たってリーフェンシュタールを的確に評価し市川崑とともに作品をもって正しくアンサーを返した和田夏十はあまりに正しい。だから『東京オリンピック』における市川崑和田夏十の、あるいは谷川俊太郎の、メッセージは明解であり明確である。生活や人生を自ら疎外した人間の芸術とは芸術の必然であるがゆえに時にそれは素晴らしいがしかし糞である、と。


明瞭なアンチテーゼであった。それは殺戮の20世紀前半に対する、1965年の日本発のメッセージでありアンチテーゼであった。そして言うまでもなく、三島が死んだ70年を潮目にその後の日本社会はひいては世界は彼らが示したメッセージを省みることさえなくアンチテーゼを勝手に綜合し止揚したつもりになってテーゼをひた走った。そして21世紀の最初の年に私たちはビルに突っ込む飛行機の即物的な映像を目にする。


こんなことを得々と書いている時点でニヒリストに決まっているのだが、そして世界は新たなよからぬフェーズに突入し直接には恐慌であるそうだが、しかし私は揺らぎつつも思うのだ。その軸線を維持することなくして始まりはしないと考えているのだ。――生活や人生から始まる芸術がたとえ拙かろうと人を感動させるのは、そして私を嬉しくさせるのは、生活や人生を人が祝福したいと思うからであり、私がやはり祝福したいと思っているからであると。


だから私は「他人の生活」に、その結果としての年に一度の、しかしその年に一度が30回に渡って続けられ、なお続かんとしている演奏会に、そのことにかかわる人たちの連なりに、それを如実に示す、幼い娘が差し出す花束を受け取る、演奏を終えて汗にまみれた正装の父親の笑顔に、率直に笑うのだろう。嬉しく思うのだろう。それが「他人の生活」であるにもかかわらず、いや、「他人の生活」であるからこそ、人は自分の人生と交錯することのないそれを、時に大切に思うのだろう。それは転移ないし投影、という指摘は却下。


『他人の生活』という原題の映画の主人公が、自分の人生や生活と決して交錯することのない見ず知らずの愛する男女の人生を、彼らの紡ぎ出す感情生活を、勝手に大切に思ってしまい、その挙句に自分の人生を台無しにするように。そして彼の孤独な生活に変わるところはない。にもかかわらず、彼は自分の人生を台無しにし孤独な生活をいっそう深めてなお、他人の人生をその愛情生活を、守ろうと決意し行動したことを、善悪を措いてなお、自身の誇りとする。密やかに沈黙し、体制崩壊後は小さく世に隠れて。


そして、彼の人生と、彼が守ろうとした人たちの人生は、最後まで直接に交わることはない。そう、直接には。善悪を主義で勘定し決済した時代、それが主義の時代だった。主義が失われ信じるに値しなくなったとき、善悪を何をもって勘定するか。歴史さえ主義において勘定されるなら、決裁は永遠に不確定である。むろん決裁が確定すると思うほうがおかしい、永遠でなくとも決裁は不確定である。にもかかわらず人は判断し行動するからこそ、個人が個人であることは尊い。それを倫理の起源と言う。


明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書


長々と能書を垂れたのは、以下を書くのが照れくさかったからです。オフ会のレポとか書いている人は凄いと思う。まったくの私信を私はブログでは書けない。単に、次のことを書けば済むことなのに。NOV1975さん、そして都立西高OB吹奏楽団の皆様、昨年に引き続き、今年も素敵な演奏を有難うございました。スイングという言葉で正しいかわかりませんが、私「も」心中スイングしていました。個人的に秋が鬼門で何を見ても何かを思い出すようなことになっているからでしょうか。束の間地上の煩わしい重力から解き放たれたよな心持になりました。それが、音楽の、あるいは音楽会や演奏会の、効能というものでしょうか。そしてそれが束の間であることは、私の性分の問題であるでしょう。


むろん、詳しく選曲等についてレビューできるはずもありません。理屈と能書こくのははてな仕様の性分で、単なる個人的な感想に過ぎません。NOV1975さん、先年に引き続き大変格好よかったです。パンフレットに「音楽は人の心を安らぎ、魂を揺さぶり、又人生を変える力があります。」という言葉があります。根性が曲がっている私は普段ならこうした言葉を「紋切型」と断じて見向きもしなかったりします。しかし昨年同様に、仰る通りと同意してしまうのでした。人の心を安らぎ、魂を揺さぶり――。私の人生が変わるかはわかりかねますが(というか私が私であることは変わらないでしょうが)、音楽の楽しみを知らしめることによって、仰る通りと納得へと至らしめることが、音楽それ自体の力であり、音楽を信じる人の力であるでしょう。今年も出さずじまいだったアンケートに代えて、記事を書きました。


のだめカンタービレ』が好きでありながら、私はあのマンガから音楽を聴くことができない人で、しかし私は9月13日杉並公会堂の演奏会では、音楽を聴いた、あるいは『のだめカンタービレ』のように。つまり、音楽と人間の関係、ひいては音楽を介したとき固有に生成する人間同士のかかわりあい、その一期一会、という意味で。その、人間同士のかかわりあいを更に世界との交歓へと果てしなく拡大したのが宮沢賢治で、彼にとって音楽とは、芸術とは、そうしたものでした。


カラオケへと至る歌詞に規定された歌は措き、私にとって文字通りの「音楽」とは、エリントンの意図は措き、スイングがなければ意味はない。詩に規定された歌が私をバカにしてくれることと、スイングは違う。むろんいずれも、私にとっては大切であるし、少なくともプンクトゥムではない。


ブログを書くたび私が嫌になるのは、自分自身が好んで重たく不自由な人間であることを思い知らされること。実際の私は糸の切れた凧のような人生を選んでいる。にもかかわらず好んでのことゆえに逐電することかなわない重力にブログを書くたび気付かされて我が事ながら、いや我が事ゆえに辟易する。それをして錨と言うのかもしれないが、私はそういうものは必要ない。


佐藤亜紀氏の最新の日記を拝見して勝手に思うことには、「ネオリベ化」が進行する世界における、金子光晴言うところのアリストクラシーの難しき。金子光晴言うところの、と断るが、アリストクラシーの肯定を前提として、アリストクラシーを要求しない芸術、言語矛盾であるかも知れないそのことについて私は考えることがあって、それは決してジャスコ云々ではないだろう。そのことを、9月13日杉並公会堂の演奏会において改めて私は確認したのだった、と照れ隠しに理屈と能書こいて。