「単語」と「濫用」と「言葉狩り」と


ついにデスマーチもか - novtan別館


コメント欄、NOV1975さんとApemanさんの議論に対して。コメント欄に投稿しようと思ったのですが、長くなったので記事として掲示します。しかし毎度のことながら「問題の所在」について説明している私は何なのだろう、商売柄こういうことが性分なのか。以下引用はすべてNOV1975さんのApemanさんに対するコメントレス。私なりの補足というか補助線として、横レスを。

ホロコーストっていうな、って言われたんですか?XXに対してホロコーストと同じ構造だと言うのはおかしい、と言われただけでしょ。
そういわれること自体の是非は措きます。関係ないので。


「XXに対してホロコーストと同じ構造だと言うのはおかしい」というのはおおよそSokalianさんの議論です。HALTANさんの主張はそうではありません。「場違いな場所で場違いな文脈で人類史の悲劇を持ち出し、 その唐突さに違和感を表明する者に対して衒学的な威嚇を行い続けるあなた方の態度」とHALTANさんは記しましたが、しかし「場違い」であることの理由を開示したわけではない。たぶんに、そのことには理由があります。


すなわち、HALTANさんが問題としたのは、ホロコーストという歴史的事件の問題でなく「ホロコースト」という「単語」とその濫用の問題でした。単語の有する歴史的かつ政治的な含意すなわち「衒学的な威嚇」の問題です。なお、私は「濫用」であったとはまったく考えていません。むろん、HALTANさんがホロコーストという歴史的事件について不案内であったとも思っていません。

じゃあなぜ「だったら」なんですか?


ホロコースト」という「単語」とその「濫用」の問題を「問題」として提示するなら、「デスマーチ」という「単語」とその「濫用」に対して同様の視座を前提するべきであって、そうでないなら少なくとも他者の行為を問題としうるものではない。「ホロコースト」という「単語」とその「濫用」の問題を他者の行為に対して批判的に提示するなら、ですが。「だったら」とはそういうことです。


私は、「ホロコースト」という単語の有する歴史的かつ政治的な含意を前提してこそこの日本において「ホロコースト」という「単語」とその「濫用」を問題化することに対して批判的です(むろん麻生太郎の件についても)。そして、「ホロコースト」という「単語」とその「濫用」の問題を「問題」として問うなら、真っ先に麻生太郎の「ホロコースト」発言は批判されて然るべきことです。Apemanさんが記していたのはそういうことであって、「ポル・ポト」という「単語」についても同様です。任意の歴史的かつ政治的な含意を前提する単語とその濫用を慎むべきと他に対して主張するなら、「だったら」、ということです。


繰り返しますが、「ホロコースト」という「単語」とその「濫用」の問題を他者の行為に対して批判的に提示するなら、「デスマーチ」という「単語」とその「濫用」に対して同様の視座を前提して然るべきです。「ホロコースト」という「単語」とその「濫用」の問題を他者の行為に対して批判的に提示するなら、ですが。なお「濫用」ではない、という説明は散々為されています。

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HALTANさんが問うていたのは強力な歴史的含意と政治的含意を有する単語とその濫用の問題であって、その問題提起自体は肝要でありかつ大前提と私は考えますが、そしてそのようなことは現代の左翼、に限らず思想的な人間なら百も承知のことですが、しかし本件は単語とその濫用の問題ではまったくない、言うまでもなくfuku33さんについても、というのが私の見解です。加えてApemanさんは、強力な歴史的含意と政治的含意を有する単語とその濫用を他に問うなら「ポル・ポト」という「単語」についても同様に問うべきではないか、とHALTANさんに対して問い返していました。問われた者には問い返す筋合があります。


言葉は悪いのですけれども、また私は軍事用語の使用にまったく躊躇ないので言いますが、HALTANさんはそれ自体は妥当な問題提起に際して対象言説を「誤爆」しました。「デスマーチ」という単語には強力な歴史的含意も政治的含意もない、と言いうるなら、歴史的含意と政治的含意の有無という問題であるからしてそのような問題意識が所在するなら、と、新書読め読めナチスポルポトスターリン、な話になってしまうのですけれども。デスマーチは「人類史の悲劇」たるホロコーストと直接関わる事象です。

僕は、話題の争点と全く関係ない、語源から離れてしかも誤用の余地のない(としましょう。少なくともIT業界ではそうです)「デスマーチ」という言葉に対して、
「そんなこという奴が配慮せずに使うなんておかしくない?」として使うことを制限する発言を「言葉狩り」であると批判しています。


報復措置的に言葉の使い方を制限する類の発言は一体誰を幸せにするんですか?

ダブスタの対象になんかなりませんよ。ポルポトはともかく。


したがって。Apemanさんは「使うことを制限」しているのではありません。「報復措置」でもありません。単なる批判です。「言葉狩り」とは「強力な歴史的含意と政治的含意を有する単語」を「濫用」でなくとも使用するべきではない、とする発想のことであって、そして「濫用」でないことの説明を経たにもかかわらず根拠なくそう断定したうえで咎めることを普通は「言葉狩り」の発想と言います。「濫用」でない使用を「濫用」という断定において否とするからです。すなわち「濫用」という断定が目的を含みます。なお「これだからIT屋は」と言ったのは別の人です。


むろん。NOV1975さんがエントリにおいて、またApemanさんへのコメントレスにおいて、言っておられることはわかります。そして、それは上記のような事柄とは別のことであるはずです。NOV1975さんは御自身の問題意識において記事を記した、そしてそれはApemanさんの問題意識と行き違っている。両者が問題とすることが相違しており、かつその相違に対する了解のないまま議論が進行している。真摯であるにもかかわらず噛み合わない一方の議論を見るのは切ないと、節操において軽薄な私は思うのです。余計な御節介であったら申し訳ありません。

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言葉狩り」と記すということは、NOV1975さんは「デスマーチ」について「単語」の問題と考えておられるのですよね。そして「ホロコースト」については「単語」の問題と考えておられない、ということですか。「XXに対してホロコーストと同じ構造だと言うのはおかしい、と言われただけでしょ。」と、すなわち「構造」「内実」の問題と。Sokalianさんの議論はおおよそそうです。しかしたとえばHALTANさんの主張はそうではない。「単語」の問題としてその「濫用」を批判的に指摘していました。


ホロコースト」について「単語」とその「濫用」の問題として論じた人もいたということです。そのとき「構造」「内実」についてほぼ記述されることがなかったのは敢えてのことです。むろん、そのこと自体は妥当です、問題提起としても妥当です。「ホロコースト」について「単語」とその「濫用」の問題として論じることもまた肝要であり前提です、無視してよいことではない。「濫用」でない使用を「濫用」と根拠なく断定して「衒学的な威嚇」と見なすような「言葉狩り」へとその問題提起が帰着するのでないなら。HALTANさんへのレスポンスに記した通り、これは私の立場でもあります。