「歴史修正主義」をめぐって


はてなに対する歴史修正主義者の攻撃に一緒に対抗してください - 従軍慰安婦の深層

歴史修正主義の定義について - 反歴史修正主義グループ

歴史修正主義とは - はてなキーワード


abesinzou氏の何がカンに触ったかというと、 - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

甘えちゃいけない。ネットで何かを言う人間はすべて一人。

 その意見に同意する者もいれば反対する者もいるだろう。

 仲間を増やしたければ、自分の説で増やすべきで、(後略)


この見解については全面的に同意しますし、一貫したその姿勢に敬意を持っています。一般論と断るけれども、徒党を組むことを私は好かないので。が。私はダイアリと気まぐれなブックマーク以外、はてな市民としての責務を何ひとつ果たしていない不届者ですが。少し所感を。


そもそも。政治用語をめぐる辞書的な合意はきわめて難しい。進歩反動革新保守、すべて政治用語です。政治用語をめぐる価値的な合意についての個々人間の議論は徒労、というのが私の経験的な実感です。ただし。この点において問題のパラダイムは転回します。すなわち、言葉とは常に価値的であり政治的であって、辞書的に対応することこそが徒労であると。むろん、この見解自体が伝統主義的な言語観に対する否定です。T・S・エリオット保守主義者と見なされるように。あるいは丸谷才一呉智英がそうであるように。西部邁が自らかく名乗ったように。言語が歴史的なイデアの顧現でないなら。


たとえば、三島由紀夫は言葉が価値をイデアを歴史性を捏造し無限に偽造することを、よく知っていた。小林秀雄と同様に。ゆえに、その死後丸谷才一は三島を小林を「非歴史的にして非合理的」と批判し続けたし、また同時に志賀直哉を、彼がフランス語を国語とせよと戦後発言したことを引き合いにして激烈に批判した。ゆえにこそ、三島由紀夫が駆使した「非合理的な言葉」は「言霊」は、たとえば折口信夫のそれとは決定的に相違してきわめて非政治的であり美学的であった。彼は「日本」を無限に偽造した。三島は、晩年吉本隆明を評価し、東大全共闘と通じ合ったように、きわめて新左翼的であり、ポストモダンであった。


何の話をしているかというと。言葉の価値的な政治性に対して、歴史的な伝統に準拠した辞書的な合意を固守せんとする立場は、保守と規定されざるをえないということ。斎藤環の初めての評論集は『文脈病』という題で、それは現在に至るポストモダン論者としての彼の理論的立場を明確に指し示していますが、それは端的には、人間は好むと好まざるとにかかわらず文脈に依存し規定される存在である、ということです。すなわち一義的にファクトの問題ではない。


文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ

文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ


伝統主義的な文脈と政治的な文脈を区別する立場は、私はわかります。が、伝統主義的な文脈においては、丸谷才一が言うように、この世には政治用語とそうでない歴史的な言葉が存在し、政治的な文脈においては、たとえば花田清輝岡本太郎らの『夜の会』の理念がそうであったように、伝統主義自体が政治的立場です。つまり行き違い。進歩反動革新保守は政治用語ですが、しかし既に私たちの文化的な前提を規定する概念でもある。そのこと自体が問題であるとして辞書的な合意において言語の文化的な「正常化」を企図して政治的な文脈を排さんとするなら、それは正しく修正主義的な立場です。政治的な文脈に拠る限り。


更に踏み込んで言うなら。伝統主義的な文脈の正統化それ自体が現在の状況にあっては修正主義です。「歴史」の「非イデオロギー的な」「見直し」すなわち「再記述」を企図することにおいて。愛・蔵太さんが「歴史修正主義」という概念それ自体に対して批判的であるかのように見えるのは、そのような戦後の議論の経緯と前提あってのことと私は思っていました。すべて了解しているのだろうと。


正直、「歴史修正主義」をめぐる今回の議論の経緯についてはほぼ今北産業ですが。「修正主義」とは歴史学における規範的な語彙です。語義において必ずしも政治用語ではなく、そもそも論において、トンデモ差別主義者の烙印ではまったくない。私は現在もその認識に立っている。たまたま手元に用例があったので長めに引用。文芸誌『新潮』2007年8月号。『ひらがな日本美術史』完結に当たっての、橋本治浅田彰の特別対談『日本美術史を読み直す』から、浅田彰の発言。181頁。

 橋本さんはやっぱり職人だと思うんです。自分でやってみて分かる、そこで分かったことには絶対的な確信をもつ、と。一方で「漢字日本美術史」というべきものも世の中にはあって、専門家がやたら難しい用語で決まりきった日本美術史のメイン・ストリームを語り続けている。そちらが「源平盛衰記」なら、こちらは「ひらがな盛衰記」なんだ、職人として勝手に逸脱しながらつくっていくんだ、というのが、この本のコンセプトでしょう。ただ、今回通読してみて思ったのは、そういう建前でありながら、実際にはこの本はものすごく正統的に日本美術史のメイン・ストリームを呈示しているな、ということです。


 世の中では、ここ三〇〜四〇年というもの、どの領域でもリヴィジョニズム(歴史修正主義)が広がった。昔は例えば江戸時代の絵画なら土佐派・狩野派・円山派なんかがメイン・ストリームだったのに対し、一九七〇年に辻惟雄の『奇想の系譜』が刊行され、伊藤若冲とか、曾我蕭白とか、あるいは歌川国芳とか、それまでの主流から落ちこぼれたところにヘンな人たちを見つけて面白がる風潮が出てきた。西洋美術史で、セザンヌからキュビスムへというメイン・ストリームに対し、高階秀爾なんかが象徴主義アール・ヌーヴォーなんかをジャポニスムがらみで評価したのも同じ文脈だと思います。最初は、そういう仕事には、メイン・ストリームをひっくり返すという意味で大きなインパクトがあったかもしれない。けれども、それ以来、主流派の「大きな物語」なんていうのはどこにもなくなったにもかかわらず、彼らの弟子たちも同じように路傍の異端の花々を探すようなことばかりやっている。そんな中で、実は『ひらがな日本美術史』が一番真っ当なメイン・ストリームを呈示しているというところが、とても面白いと思うんです。例えば円山応挙はなぜいいのか。松の絵なんかはダメだけれど、子どもの絵はなぜあれほど生き生きしているのか。それは応挙が十八世紀市民社会の画家だったからだ、と。そんな真っ当なことを言っている人はいまやどこにもいない。


本来的には、歴史修正主義とは、「歴史学的なメイン・ストリーム」の「保守反動性」に対する外的かつ政治的かつ専門的な批判として、すなわち68年以降の歴史的段階論に則る近代の中心主義(のイデオロギー性の)批判の一貫として、生じた運動であり、それは現在のカルチュラル・スタディーズに至る、歴史認識における「イデオロギー的な」立場のことです。


たとえば。東浩紀は一貫して日本文学史に対する修正主義者であり、ゆえに批判や議論を呼んでいる。『新潮』誌上における高橋源一郎田中和生との鼎談はきわめて興味深かった。三者の日本文学史に対するスタンスの明瞭な相違ゆえに。しかし。そもそも論において。たとえば丸谷才一もまた、自然主義私小説小林秀雄ヘゲモニーの下にあった日本文学史に対する修正主義的な闘争を敢然と行い、かくて示された丸谷才一的な文学観の覇権に対する修正主義的な闘争が『批評空間』グループや(立場は明確に相違するが)福田和也によって行われた。そして『批評空間』グループの影響下にある文学観に対する修正主義的な闘争を続けているのが東浩紀らである。


「日本美術史のメイン・ストリーム」と浅田彰は示す。歴史の記述とは常に、「メイン・ストリーム」に対する修正主義的な闘争の繰り返しとその結果として成立する。そして。

自分でやってみて分かる、そこで分かったことには絶対的な確信をもつ、と。一方で「漢字日本美術史」というべきものも世の中にはあって、専門家がやたら難しい用語で決まりきった日本美術史のメイン・ストリームを語り続けている。そちらが「源平盛衰記」なら、こちらは「ひらがな盛衰記」なんだ、職人として勝手に逸脱しながらつくっていくんだ、というのが、この本のコンセプトでしょう。


と浅田氏が示す、そのようなスタンスこそがまさに、愛・蔵太さんのスタンスであり、活動の「コンセプト」であり、「ひらがな日本近現代史」であり、「自分でやってみて分かる」ことに基づいた、「専門家がやたら難しい用語で決まりきった近現代史のメイン・ストリームを語り続けている」「漢字日本近現代史」に対する、正しい修正主義的立場であり活動である、と私は一貫して勝手に考えていて、ゆえにこそ、その活動とスタンスと知的立場に対して、大きな敬意を持っている。


愛・蔵太さんは言うまでもなく「歴史認識」に尽きる人でも「メディアリテラシー」に尽きる人でもなく、一義に、ファクトとしての言説史に準拠する近現代文化史の人であって、その、ファクトとしての言説史に準拠した文化史論としての膨大なテキストによってその存在を知り、興味深く読み続け、敬意を払っている人は、私を含めて、幾らもあるだろう。


そして。ファクトとしての言説史に準拠する近現代文化史の人が、政治用語の政治性についてつね警戒し指摘することは、また文化フリークとしての時に伝統主義的な規範論に立つことは、ごく順当なことだ。たとえば唐沢俊一氏がそうであるように。坪内祐三氏がそうであるように。そして思いきり我田引水して、私が時にそうであるように。私はそのようなテキストを書かなくなって久しいが、愛・蔵太さんは書き続けている。私が書かなくなったのは、その困難を知るからである。


愛・蔵太さんもリスペクトしているだろう小林信彦が、中原弓彦と名乗っていた若き日に、『映画芸術』誌上において花田清輝と激越に論争したことがあった。花田吉本論争の以前、威光において圧倒的だった頃の花田と。他方、当時『ヒッチコックマガジン』編集長の小林氏は20代。論争の契機は、花田がその「映画評論」においてシャブロルとヒッチコックを比して、ヒッチコックの「無思想性」を論難し、「ゆえに」ヒッチコックはシャブロルに「映画作家として」劣る、と断じたことだった。


トリュフォーによる大著『映画術』の以前、蓮實重彦が登場するはるか以前、そういう時代であった。ヒッチコックは「無思想なただの娯楽作家」であった。私は希代の思想家花田を貶めているのではない。サイードの文化論に至るまで続く、非西欧世界に立つ知識人における政治主義的な現代文化論の陥穽が所在した、ということ。付け加えるなら小林氏は、丸谷才一同様に「政治的には」きわめて反権力志向であり体制批判的であり「進歩主義的」である。60年代において花田清輝は間違えた。それは彼の思考において必然的な「間違い」であった。現在の小林信彦が、彼の思考において必然的に「間違えて」もいるように。個人における思想の歴史的限界とは、そのことだろう。


そして。愛・蔵太さんもまたそのような意味において、かつて花田清輝小林信彦が論駁し価値的に否としたように、近現代文化論に準拠した修正主義的なスタンスを示している、と私は考えていた。小林氏が現在も徹底してそうしているように、政治主義的な現代文化論の陥穽を、ファクトとしての言説史を「すこししらべて書く」体において検証し仔細に呈示することによって指摘していると。だから。愛・蔵太さんは「学的」な観点を故意に捨象し棄却してファクトの確定性「のみ」を問うのだろうと。


ただし。花田清輝小林信彦が論駁した時代から既にパラダイムが転回していることは冒頭に示した通り。近現代史の検証においてもそのことは同様。「歴史学の専門性」に拠らずとも。史学的な観点を棄却して任意の史観の正統性、すなわち「近現代史のメイン・ストリーム」「漢字日本近現代史」について論じうるか。難しいし、だから愛・蔵太さんは史学的な正統性については関心の範疇にないとするし、ゆえに「リヴィジョニズム」という概念も認めない、あるいは留保する、のだろう。


歴史の記述とは政治的でありイデオロギー的である。かかる命題それ自体に対して愛・蔵太さんは一貫して「否」を示しており、反証としてファクトの呈示とその重視と「知りえないファクトに対する判断保留と沈黙」とその勧め、がある。「メディアリテラシー」とかそういう話に尽きることなく。ただ、それは「歴史学的には」修正主義的立場です。「イデオロギーに規定されない歴史記述」を志向することにおいて。


よく訓練された政治主義者の私は、愛・蔵太さんが思想的に「右曲がり」とはまったく思わない。「歴史の記述とは政治的でありイデオロギー的である」という命題それ自体と、かかる命題を無前提/無自覚/無批判に振りかざす(と愛・蔵太さんが判断する)者に対して、愛・蔵太さんは一貫して批判的である、ということだ。ただし。「歴史の記述は政治的であってはならないしイデオロギー的であってはならない」と、かつて規範的なまでに言っていた人々が団体があり、現在もあることについて、彼らが呈示する「歴史観」について、どのように考えておられるのか、とは思う。愛・蔵太さんは決して「あってはならない」とは言わない。そのようには規範的な言辞を示さない。ただ「歴史の記述とは政治的でありイデオロギー的である」という命題を前提しかつ支持する者たちとその立場に対して懐疑的であり、時に揶揄的であるだけだ。


「だから」踏み絵として「どのように考えておられるのか」と問うているのではない。「あってはならない」と規範的なまでに述べる彼らは、史学的な前提を故意にか非専門のゆえか認識せず、ゆえに自身の歴史観における修正主義的立場を必ずしも認めない。「歴史学的には」修正主義的立場は存在する。「歴史の記述は政治的であってはならないしイデオロギー的であってはならない」という命題こそ歴史学的前提における修正主義であり、そのこと自体に価値判断は必ずしも付随しないが。


たとえば。橋本治がその長いキャリアにおいて実践し続けてきたのは、「職人」としての、文化フリークすなわち「オタク」としての、古典的な文化伝統主義者としての自覚的かつ確信的な(浅田彰言うところの建前としての)修正主義的営為であり、その「建前」は「近現代史のメイン・ストリーム」「漢字日本近現代史」とは折衷しうるものではない。言うまでもなく、橋本治は(表立っては見せないが)アカデミックな「漢字日本美術史」に対して論文レベルで通じ、また本人は認めないし事実「理念」としてそのようにあったことはないのだろうが、きわめて全共闘的にして68年的な、すなわち新左翼的な、近代の中心主義とそのイデオロギー的な抑圧性を批判する思考に立つ。一貫して。端的に言うと、橋本氏は人間の普遍的原像を信じている。それを模索し知り把握し提示するためにこそ古典に拠り、千年を遡っての歴史に拠る。


私は歴史学徒であるはずもなく政治的な文脈の重視を好かないし文化伝統主義者ではあるが、「歴史の記述とは政治的でありイデオロギー的である」という命題は、修正主義を修正主義とする歴史学的なパラダイムは、妥当と言わざるをえない。古事記日本書紀において日本国の歴史は始まったが、否、始まったとされているが、記がまたその解釈の歴史が「政治的」でなかったはずもない。本居宣長も然り。たとえば丸谷才一はそうした古典と古典から来たりし言葉と概念と「情緒/情感」において「政治性」を排除し古典的な「やまと」の美学のみを抽出し歴史的な正統として呈示するところ、なんというかまことに文化勲章的ではあるが。


言葉それ自体が常に価値的であり政治的であること、は命題ではなく事実性、すなわち「ファクト」の領域に属します。然りて問題は。歴史修正主義の定義について議論するため設置された掲示板での応酬における、id:hokusyuさんのレスと。対する愛・蔵太さんのレス。必要から全文引用しますが問題あるなら御指摘ください。

本当にあたまがわ・・・もとい、国語の成績が悪そうな方ですね。


「事実が確認できない情報がある」ことは初めから論点ではなくて、「事実が確認できない情報がある」と言っているのが誰かという問題なのです。具体的に言えば、研究者が奴隷の話の史料を読んでどうにもこの記述は疑わしい、という研究発表に基づいて「事実が確認できない情報がある」と言うことは記述するに値しますが、ネットで分ることしか調べようとしないような素人のあなたが個人的な見解に基づいて「事実が確認できない情報がある」と言うことは記述するに値しないのです。もちろんキーワードに関してのことですが。


これは別に権威主義でもなんでもなくて、つまり独自研究を認めれば、キーワードの気に入らない記述に関して、「俺はその事実を知らないんだ」と言い張って「事実が確認できない情報がある」と追記することをいくらでも正当化してしまえるからです。(学術)キーワードはキーワードであって論文でも研究書でもありません。従って全ての記述に証拠をつけることは出来ません。というか、既存の研究に依拠して書く限りそんなことはしなくてもいいのです。


ところがあなたのような人が「個人的な」疑問を引っさげてパブリックなキーワード編集に介入し、俺の個人的な見解をキーワードに反映させるべきだと言います。まさにこれがいわゆる「歴史修正主義者」の典型的な手口であって(たとえば教科書問題などを見れば分るでしょう)、どう見てもいいサンプルです本当にありがとうございました。

いえいえ、こちらこそ。どういう人がどういう風に「歴史修正主義」という言葉を使っているのか、少し参考になりました。


言葉の価値的な政治性に対して是とするか非とするか。言葉それ自体が常に価値的であり政治的であることが、命題でなく事実性の域に属するのは、人間が文脈に依存し規定される存在であり、言葉も知的活動において文脈の可変性に対応するからです。そうでないと考えたのがハイデガーでしたが、ゆえに彼の存在論はきわめて重要であり危険なのですが。言語と人間の関係について徹底して問うたのが小林秀雄でした。余談は措き。


歴史修正主義」概念の文脈的な可変性に対する警戒については了解します。私は普遍主義者とは言い難いので、ドイツに発した問題を日本に直接に敷衍し先方における「リヴィジョニズム」という問題設定を直接に移植しうるとは必ずしも思わないけれども、また私は愛・蔵太さんを南京事件否定論者とはまったく思わないが、少なくとも指摘すべきは。


第一に「歴史修正主義」は政治用語ではないこと。その言葉と概念の由来する文脈と成立の経緯の(ホロコースト否定論に限定されない)大枠についてそもそも御存知なのかあるいは知っていて無視しているのか。捨象しうることと考えているか。


第二に、hokusyuさんは歴史学的な正統を、すなわち「近現代史のメイン・ストリーム」「漢字近現代史」を頭ごなしに振りかざしているのではなくて、また愛・蔵太さんに対して価値的なレッテルを一方的に貼っているのではなくて、過度に属人的な議論をしているのでもなくて、歴史学的な正統に対する反証的な議論が「ファクトの存在」に基づくのではなく「ソースの不在」にのみ基づいて展開されるなら歴史学的には「お話にならない」し「広義(いや狭義か)の修正主義」ですらない、と示していること。


第三に、「歴史学的な記述」の正統が歴史的な文脈すなわちイデオロギー的な史観に依存することは事実であるが、必ずしも直接的な政治性に依存するとは言い難いこと。たとえば沖縄戦をめぐる教科書記述問題において「直接的な政治性に依存」し「歴史学的な正統」を省みなかったのは誰か(愛・蔵太さんである、ということではない。為念)。


第四に、歴史学的な正統に対するファクトの存在に基づいた反証的な議論はむろん無問題であるけれども、そもそも歴史学における議論の蓄積に対する敬意なく単に政治主義と「政治用語」に対する反撥のみから、言説のイデオロギー性と「ソースの不在」を指摘しての修正主義的な懐疑を再三呈示するなら、「歴史学的に」厳格な立場から悪質と判断されてやむをえず、修正主義的な議論としてもまったく成立しないこと。トンデモとは言われることなくとも、またホロコースト否定論者と同質にしてよいことではまったくなくとも。


端的に申し上げて。意図的であれ無自覚であれ、歴史学的な正統の存在に対する単なる撹乱行為でしかない。「どっちもどっち」「みんないっしょ」「どれも同じ」と、雑多なファクトとソースを、有無にのみ焦点化し歴史的条件/前提や文脈やその妥当性において選別することなく並列し、価値的に相対化する類の。


橋本治は「専門家がやたら難しい用語で」語る「決まりきった日本美術史のメイン・ストリーム」に通牒し、「漢字日本美術史」を尊重し、美術や文化に限ることなく一貫して「日本近現代史のメイン・ストリーム」「漢字日本近現代史」の存在を前提し規範的な基準とし、そもそも近代の中心主義とそのイデオロギー性を認め前提するがゆえに自身はその規範から逸脱した「サブカルチャー的な」仕事を確信犯的に続けてきた作家であり、現在にあっては、上記対談の末尾において、近代の抑圧的な中心主義と正統の現在における不在を浅田彰とともに嘆く次第です。


政治用語を個人の思考と価値観に対するレッテル貼りとして使用することを私は最低にして不毛と思うが、これは、政治主義者の権威主義的なレッテル貼り、という話ではない。「自称中道」とされてしまうことの理由は、愛・蔵太さんについては、あるとは私は思う。橋本治は、「どっちもどっち」「みんないっしょ」「どれも同じ」とか、ひとことも言ったことはないし、暗黙に示したこともない。念の為に記しておくと。「言っていない/示していないというソースを出せ」という話ではまったくない。そもそもその点において食い違うのだろう。


言っていないことを読み取るマンは、私も大概やられてきたけれども、また多く辟易したが、諦めた。自分もこうして同じことを散々やっているうえ、結局のところ、公的な議論において批判とは任意の文脈に拠って為されることを、前提において文脈間の闘争が所在することを、人文的な議論にかかわる限りにおいて認めるよりほかないと了解したから。


私はキーワード作成それ自体に関心はないから加わる気もないけれども、歴史修正主義の文脈的な由来と用法の文脈依存性とその変遷の経緯の明示なき状況においてキーワードが辞書的に確定してしまうことはさすがにどうかと思うので、この記事を掲示した現在におけるキーワード「歴史修正主義」の記述には異存ない。Wikipediaを見たら何か凄いことになっていた。


歴史学的な正統性を有する定説に対して「あったことのファクトとしての留保なしの確定的なソースを出せ」と言う「だけ」の議論は、あまつさえイデオロギー否定と政治的な邪推に基づくそれは、歴史観における修正主義的な立場としてすら成立しない。というか単なるイチャモンにして議論の撹乱。公平にして開放的なインターネットにおいて「素人さん」が撹乱されあまつさえ相対主義の陥穽において安易な結論を出してしまうことが往々あったから、問題となっているし、それが結果を意図しての確信犯的な行為であるなら質が悪いとされる。


「それがあったというならあったことのファクトとしての留保なしの確定的なソースを出せ」と言う「だけ」の議論は、議論の撹乱を意図する行為としか言えない。そしてそれは、確かにホロコースト南京事件の「否定論者」が繰り返してきた「議論モドキ」という手口であった。


よく訓練された彼らは「ホロコーストはなかった」「南京事件はなかった」と言っていはしない。そんなことは言わない。「それがあったというならあったことのファクトとしての留保なしの確定的なソースを出せ」と「肯定論者」に対して指摘するだけだ。半世紀以上以前のことに対して。なお「目撃者」「証言者」はありとあらゆる「事情」において「ファクトとしての留保なしの確定的なソース」ではなくそのようには「決して」「原理的に」なりえないので、無数の留保条件と不確定性の言挙げのもと等しく却下されます。むろん不確定性原理とはそういうことではないし言説の検証とはそういうことではない。そして、沖縄戦については。


愛・蔵太さんが「それがあったというならあったことのファクトとしての留保なしの確定的なソースを出すべき」と「だけ」、価値判断なきまま政治主義に対する批判にのみ拠って言っている人であるとは私は思わないし、思いたくはないが。「すこししらべて書く」こと、「すこししらべて書く」べく他に勧めることと、「それがあったというならあったことのファクトとしての留保なしの確定的なソースを出すべき」と他人の言説に対して示すことは、違います。


くもりなきまなこで物事を見定める(by『もののけ姫』)こととは、任意のソースのファクトとしての確定性を片端から留保してみることではないし、懐疑とは、確定的なソースを出すべき、とだけ、文脈的な議論に対して言い続けることではないし、「すこししらべて書く」ことが、文脈的に妥当な議論を覆すわけではないし、覆すことはまずない。それは、覆す力にはならない。


近代の中心主義イデオロギーとその抑圧性に対する批判としてあった歴史修正主義とは、そういうことではない。ホロコースト否定論者たちは、その理念的な立場を僭称し挙句部分的に簒奪した。そのことについて、「歴史修正主義」を政治用語のごときレッテルとしてくれたことに対して、政治主義を好かない私は、我が日本の否定論者に対して腹を立ててもいる。


いちおう書いておくと、私はリングにおいて示された「歴史修正主義反対」を支持する。参加はしないしサービス自体が終了してしまうらしいけれども。「文脈的に妥当な議論」における、文脈的な妥当とは「政治的な正しさ」のことではない。文脈の妥当性に対する見識が、あるいは見解が、愛・蔵太さんはなさすぎる。ないものねだりであることは承知だけれども、ゆえにこそ愛・蔵太さんもまたないものねだりをするべきではない。行き違うことを知ってなお相互的に要求することの不毛を私は思います。