正義の等価交換


チベット問題を政治利用しているのは誰か。 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。


ラサに発した一連の事態については、高い水準にある指摘が幾つも示されている。記事に目を通して、思い直した。ごく手短に書いてみることにする。考え方の筋について。


言うまでもなく。中国共産党の党是と言いうる非倫理的な政策の過去と現在については、事実上公知のことであった。良く言ってネグッていた大手マスメディアが国内に存在したことも同じく。胡錦濤の履歴は周知されていた。彼は89年以降のチベット弾圧の「実績」を契機として国家主席に就いた。履歴の看板をいま突かれて彼が「転回」を示すはずがない。中国の政情において国内状況が一義であり国内言語が前提である。そして中国市場なくして現在の世界経済は回らない。すなわち。この問題について現政権が引くはずもなく、今後中国国内において来たる事態が予想される。


業田良家のマンガが話題になっている。中国で何が行われてきたか、それはいかなる意図に基づくか、知らなかった人もあるのだろう。世界中の民族紛争が同様の様相を呈するが、当事者は「第三者」の意見など聞かない。「我々の問題」であるから。その直接の利害を決定的に握る国家のみが「準当事国」になりうる。イスラエルにおけるアメリカのように。共産党政府が公式に示す「我々の問題(国内言語訳:人民戦争)」が、虐殺以外の何物をも意味しないとき、そして今後来たる事態が容易に想像されるとき、自由と人権を至上価値とする社会が、かく信じる人々が、為すべきこととは。そのことが自問のように問われている。


中国は西欧と前提があまりに相違し、「人道」という概念が社会レベルにおいて根付きうるか遠い。日本の知識層における自国を棚に上げてのそうした認識が現在に至る中国の「国内問題」を、そのあきらかな人道問題についても放置し続けた。中国の事情を知るとき、その「国内問題」に対して諦観へと容易に至りかねない。六四の武力鎮圧の後、勝g小平は次のように述べたと記録されている。――連中は我々を未開と思っているのだ。連中とは西側諸国のこと。


今回も六四同様の措置を講じている共産党政府であるが、しかし中国を取り巻く状況は劇的に変わった。世界経済は中国市場に依存している。日本も言うまでもなく例外でない。中国をシカトして回る世界は地球上のどこにもない。勝g小平が示した未来の幾つかは果たされ、そしてそのことはあまりに皮肉な結末を現在にもたらしている。勝g小平が示した未来の幾つかは、果たされなかったし、王朝終焉の日まで果たされることはないだろう。むろんそれは、彼がやってきたことのツケでもあった。


自由と人権を至上価値とする社会において、かく信じる人々において、「チベット虐殺の後で五輪が開催されることは野蛮だ」という声が上がることは、至極当然のこと。五輪閉幕の後に中国国内で行われるだろうことについては、容易に想像がつく。そのことを了解して、中共の面子に国家単位で協力する必要がなぜあるか。自由と人権を至上価値とする社会の敗北であり屈辱であり自己否定でしかない。


自由主義陣営」という冷戦期の死語と共に、モスクワ五輪のことを嫌でも思い出す。だから「西側諸国」は北京五輪をボイコットするべきだ。むろん日本も。それは掛け値なしの正論であるが、私は支持しない。私は五輪にさしたる関心を持たないが、現在の中国に更なる燃料を投下することには賛成しない。中共の所業を批判するべきでない、ということではむろんない。擁護の余地はまったくない。


貴方はチベット族と接したことがあるか。私はたぶんない。多くの人はないだろう。自由と人権を至上価値とするはずの日本国が政治難民に対してきわめて冷淡であることはよく知られている。欧米には多くのチベット族が亡命している。抗議活動が拡大することも、各国政府が対応を示唆することも、当然のことであるし、そのことを背景ともする。ネグリの来日が法務当局によりネグられたそうだが、それはすなわち欧米における左翼知識層の前提が日本国においてネグられたということでもある。五十嵐一氏が筑波大学の構内で殺され、事件が時効成立したことなど、多くの人は忘れ、関知すらしない。付け加えると、私は相対的には死刑存置論者である。


五輪ボイコットがEUに広がり、アメリカが乗りうるか。日本国に選択の余地はないが、今後事態拡大が公知されることなく、多くが闇に葬られる限り、国際社会は閾値を越えることなく、ボイコット実現の可能性は低い。万一の事態においては、最悪のチキンレースが想定されるだろう。万々アメリカが音頭を取った暁には。


繰り返すが中華は帝国主義の無理を通せば道理が引っ込む限りにおいて、絶対に引かない。徹底的にレイズし賭金を上げ続けるだろう。彼らが恐れるのは内なる無統制と燎原を焼き尽くすかのごとき人民の爆発だ。文革をやった国である。人民の底力を高く見積もって見積もりすぎることはない。


共産党政府は私兵の銃口と累乗的に舞い込む札束と北京の威信において、かろうじて13億人民を掌握せんとしている。そしてそのすべてが甚だしい矛盾を抱えている。殊に、勝g小平が新たなる人民の求心力として呼び込んだはずのその札束において、矛盾は激化し続ける。破裂するそのときまで。かく概括してすでに言うまでもないが、出口はなく、安全弁もない。


風が吹けば桶屋が儲かる話を敢えてすると。食料品価格が著しく上昇することを承知してなお、貴方は五輪ボイコットを支持するか。構わない、とする人は多くあるだろう。直撃を被るのは「チベットどころではない」貧困層であるかも知れないが。むろん、中国における貧困層の比ではなく、拷問され殺されることとは比較にならない。


正義を行うとは、そういうことである。「等価交換」ではないが、何かを引き換えにすること。損得勘定、と言ってしまえば見も蓋もないが、それこそ生存の要諦である。生死に直結する損得勘定にさらされてなお戦う人たちが遠地にあり、ゆえにこそ私たちの、虐待される人々と比して「矮小」な損得勘定が、倫理の内なる天秤に改めて量られ、社会における正義の天秤に改めて量られる。


知的であることとは自己批判的であること、思想的であることとは痩せ我慢をすること。そう正しく喝破した人がいた。隣国の虐殺を前に、自由と人権を至上価値とする社会を肯定し大戦後の銃後の平和を享受してきた私たちにおいて、自己批判と痩せ我慢が問われている。落日の日本社会においても。個々人においても。


そのことを知るからこそ、容易に発言しえない。その前提に立つ者はあるだろう。虐殺に憤ることと即五輪ボイコットを叫ぶことは、必ずしも等号では結ばれない。現在進行形の虐殺を前に「市民」として躊躇する理由はない。が。遠地にある者において、大事なことは、頭を使うことだ、自身が覚えた憤りのために。


日中の歴史を鑑みるなら、中国国内の民族問題に対して日本人がことさらに関心を持つことは至極妥当だ。中華人民共和国において、近代化の基礎なきがゆえに、国籍の問題という問題はない、問題にもならない。民族の問題であり一族と家名の問題であって、ゆえにこそ知識層は措き「外国」が基本的には眼中にない。中国は相対化されうる、と毛沢東生前の確信を死後否定したのは勝g小平だった。「連中は我々を未開と思っている」。「明日は我が身」という話では必ずしもない。が。自由を求める人間の戦いは普遍であるはずだ。


中国共産党は掣肘されねばならない。その非道について。国内問題であるとして済むことではない。世界システムにおける利害の錯綜とその不均衡において、無理を通して道理が引っ込んではならない。それを帝国主義という。あまつさえその無理が、少数民族に対する虐待と虐殺以外の何物でもないなら。掣肘しえないなら、二度の大戦を経て教訓としたはずの世界は、正義という言葉を、通されるべき道理を、捨てなければならない。国際社会の強固な監視と圧力と価値的な非容認の姿勢なくして、自重も抑制も期待しうるものではない。ドイツはホロコーストの過去ゆえに、他国の虐殺を国内問題として容認しない、とする姿勢を鮮明にしている。翻って日本は、という話になってしまうのだが。


世界システムと国際政治の利害に拘束された国家の対応に掣肘効果を期待しえないなら。それが自国なら。「当事者」でないからこそ民主主義社会の成員たる「市民」として個人として、中共の蛮行を認めない、と連帯して意思表明するしかないだろう。私は普遍主義者とは言い難いが。政治用語たる「自由主義陣営」でなく、世界の数多の個々人が国籍を民族を超えて、中共の変わるところのない「未開」な発想と行動を許容しないことにおいても変わらないことを、その非人道が国家にかかわらず世界の「人民」から市民社会から非難されていることを、迅速に、かつ改めて知らしめる必要があるだろうことに異存ない。


「当事者」でなかろうと直接に接したことがなくともチベットの人々の苛酷な運命に対して胸を痛めうることを、それこそが、自由と人権を至上価値とする社会に生き人間の尊厳を信じることの力であることを、自由主義社会の真のソフトパワーであることを、底力であることを、「当事者」すなわち共産党政府に改めて知らしめるために。その垂れ流すデマゴギー言論の自由において掣肘するためにも。


中国共産党が政策とする「国内問題」は、その今後の事態については、到底容認されることではない。そのことは、個々人としての、拷問や虐待に直接にさらされることのない、民主主義社会に生きる「市民」が、示し続けなければならないことだろう。この落日の島国に再び国難が来たろうとも。私は、北京五輪のボイコットを必ずしも支持しない、が。


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