yingzeさんに応える


繰り返されてはならないこと、繰り返させてはならないこと - 地を這う難破船

最初に。いま気付いたけれども、上の前記エントリ、はてなブックマークの一覧に表示されない。注目エントリーのページにも新着エントリーのページにも。スパム除けの自動か、あるいは手動かわからないが、フィルタされたらしい。前者としても後者としても、理由がわからない。私は正直システムには疎いので、前者だろうとは思うしよくあることなのかも知れないが(以前hashigotanの記事がフィルタされていた)、記録として記しておく。



その前記エントリに、b:id:yingzeさんから丁寧なコメントを頂きました。長くなったので、こちらで返答させていただきます。


yingzeさん、はじめまして。コメント有難うございます。

私は反基地運動それ自体は反対も非難もしていないし、地位協定改定は積極的に支持しますよ。
反日や反米運動は死ねよお前ら、と思います。


その点については私も大筋で同意します。私の悪癖で、個別の言及と一般論をごっちゃにしてしまうような書き方をしてしまいました。申し訳ありません。yingzeさんが「反基地運動それ自体は反対も非難もしていないし、地位協定改定は積極的に支持」していること、存じ上げています。yingzeさんのブクマはよく拝見するので。

今回のように彼女を支持する者・批判する者の言説が全てがセカンドレイプセカンドレイプだと思います)になってしまう。どうにも遣り切れない。
それでも、将来の被害者の為にこの事件を取り上げるという考えも分かる(地位協定改定の為に!)。
それは「未来の被害者の為に」と言うならば、なお更に彼女に対するセカンドレイプだということを否定すべきではない、むしろ積極的に肯定すべき点だと思う。


動機が善なら結果がそれに沿わずとも無問題、とか私はまったく考えません。責任を感じている、とか言明することに意味があるとも思わないし、実際、「責任」とは、所在するなら、「感じる」と言明することではありませんし、そういうことではありません。この件についてはてブ等で言及した多くの人が、結果に対して複雑な感想を持っただろうことは確かです。


私自身については、別に、私の書いてきたことが「彼女に対するセカンドレイプ」であったと、指摘されても構わないし、認めても構いません。私は私の政治的な正しさのために一連のエントリを書いてきたのではない。このことにおいて、私の自己規定などどうでもよい。花岡氏が結局は自分のことしか考えていないからこそ醜態を重ねているように。ただ。


今回のことについて、「内地」の人間であることにおいて、論じる限りは物事を問題を分別して論じるべき、とは私は考えます。だからこそ、分別し、明記します。「被害状況と前後関係についての報道をもとに彼女の品行について批判する言説が存在し流通したからこそ、そうした言説に対する批判が、すなわち対抗言論が要請され形成された」と。順序の問題です。捨て置くべきこととは私は考えない。


誰も「強姦行為」の有無について「第三者」として言及したくはない。政治問題に言及すると同時にそのことを価値判断的に詮索する類の言辞は、私は認め難い。「認め難い」から批判する、そのこともまた「被害当事者において」「セカンドレイプ」であるかも知れない。それは前提されたことでもあった。今回の件について「議論」されるなら、されるべきはそのようなことではなかった。そうも思います。

2008年03月04日 yingze 裁判, 強姦, 冤罪  今回報道でもネットでも強姦に対するケアや、改善点について殆ど話題にならない。遣り切れない。

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「強姦に対するケアや、改善点について殆ど話題にならな」かったことは事実です。報道やネットにおいて「話題に」することには限界がある、というのが私の見解です。倫理的な限界、ということでは必ずしもありません。


性暴力事件は、ことに被害者が子供であった場合、悪質な犯罪であると同時に、きわめてデリケートな問題であり、声高な政治問題とする限り、要請されるべき配慮が存する。「反基地運動」がそのことを顧慮していたか、いるか、ということは問われうるかも知れない。「沖縄」の「反基地」が上記に優先しうるか、「彼女」の心情に優先しうるか、と。むろん、「彼女」の心情が優先します、「当事者において」。


事件発生以来、そして「花岡記事」以来の声高が「彼女」に対する「セカンドレイプ」であったとして、そのことと、正真正銘のセカンドレイプに対して批判し対抗言論を示すことは、別のことです。私を含めて、「沖縄」の個別事情について、多く語らなかったセカンドレイプ批判者は、多くいます。「彼女」の個別事情について、多く語らなかったことと同様に。個別の文脈に対する了解の多寡以前に、言説と原理原則の問題であるからです。


私は「少しではあるにしても私の書いたものも結果的に少女に対する負担の一部になっていること」を否定するものではむろんないし、善なる意図など犬に食わせるべきと思う、実際、私のそれは「善なる意図」ではない。それが結果において「セカンドレイプ」であったことを、そのことが最初から前提されたことを、むろん知っています。「責任を感じる」とかそういうことではまったくない。ただ、私なりの「けじめの付け方」として、新規にエントリを書きました。それでもなお、言うべきことは言わなければならないし、書くべきことは書かなければならない、と。


むろん、あるいは花岡氏を含めて、誰もがそう考えて発言したし、発言しているのでしょう。だからこそ、私たちは、自らの信じるところに基づいて、言うべきと信じることを言わなければならないし、書くべきと信じることを書かなければならない。それが「セカンドレイプ」であるかも知れないことを、そう批判されることを、前提して。

また、実際に強姦は行われたのかと言うのは全く別問題。強姦事案で、被害者が裁判での尋問に耐え切れずに起訴を取り下げる例が多くとも、それは別個の事案とは関係ない。
「痴漢で捕まった人間は殆どやっていないと言うからなんだ?」


同意します。今回のことについて、告訴取り下げをもって強姦の有無を云々する言辞があったので、「基礎知識」をインフォしました。むろんyingzeさんのことではありません。強姦の有無は焦点ではない、「当事者以外においては」。そのことが、今回のことの、その結果の、遣り切れない「構造」を示している。


セカンドレイプという言説の問題においては、ひいては性暴力をめぐる原理原則論として、強姦の有無は焦点ではない。そして、法的のみならず、「当事者」において、当然のことであり遣り切れないことながら、強姦行為の有無は「焦点」です。そして行為の有無を焦点とする「当事者以外」の人間がいる。「第三者」として、無数に。あまつさえ「政治問題」であることを理由に。セカンドレイプ批判において、「沖縄」を強調しなかったのは、そのことがあります。


問題が巨大に社会化したとき、かつ政治化したとき、焦点の齟齬が「悪質な犯罪であると同時に、きわめてデリケートな問題」である子供に対する性暴力事件において、「被害者」に対する負担を構成しうる。その「構造」に加担する限りにおいて、それもまた「セカンドレイプ」でありうる、「性暴力被害の当事者において」。その遣り切れない事実について、知ってなお割り切ることの問題はあります。それでもなお、私は割り切るのですが。ネットにおいて、私はそういう立場に立ちます。

未来の被害者をなくすためにも地位協定を改定すべき、そのためにやるべきことは取り調べの可視化。
基地の存続派も廃止派も地位協定の改定に反対する人は見たことが無い、本当に被害を無くすことが目的ならば手を結べ糞野郎ども。


諦観は良くない。


同意です。そう思います。個人的には「取調室」を「留置場」を「刑事裁判」をひいては刑事司法を「手が後ろに回ること」を、他人事とする人間が多過ぎるのだと思いますが。むろん私は裁判員制度に賛成です。

裁判員制度 世論の力で 「冤罪」 をなくそう
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