「ファースト・レイプ」という言葉の本末転倒


Lhankor_Mhyさん、ポイントを送信してくださってありがとうございます。感謝します。

もうすでに実際にレイプがあったものとして容疑者について何か言っている人も目立ちますが、そういう人は過去のいろいろな報道で何をどのように学んだのか皆目不明です*1。容疑を認めている、ならともかく、容疑を否認している、というのが気になる。

米兵(海兵隊)の犯罪率と「ファースト・レイプ」は本当にあったのかについて - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

セカンドレイプ」うんぬん言っている人はそもそも「ファーストレイプ」があったのかどうかについての、容疑者に対する人権意識に疑問を持ったのですね。まぁレイプ以外のことはあったとは、ぼくも思いますが。

米兵(海兵隊)の犯罪率と「ファースト・レイプ」は本当にあったのかについて - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

沖縄米兵の強姦(強姦容疑)事件に関する今後の展開予想 - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)


第一に。報道に当たることなく強姦行為を断定して「容疑者について何か言っている人」が目立っていたという話を、私は寡聞にして知らない。強姦行為すなわち挿入の有無をもって性暴力を論じる人の存在についても私は寡聞にして知らない。法的な議論と倫理的な議論は違います。別個のレベルを混同するべきではない。


第二に。「セカンドレイプ」という問題の所在は「ファースト・レイプ」の有無とは関係がない、ファースト・レイプすなわち強姦行為を指すなら。言葉遊びをしているのではないので。そのような問題は所在しないとするならそれは見解です。「ファースト・レイプ」の有無と「セカンドレイプ」は別個の問題です。後者は、今回のことについて言うなら「花岡記事」の問題でした。すなわち、花岡氏が批判された。「価値中立的に」記すなら。「ファースト・レイプ」の有無は「セカンドレイプ」成立の十分条件ではあるが必要条件ではない。「セカンドレイプ」を問う際に「ファースト・レイプ」の有無に拘泥することは本末転倒としか言えない。というか、不見識な、為にする言挙げでしかない。


最後に。「尊属殺」の重罰規定に対する最高裁違憲判断という著名な事例があります。⇒尊属殺重罰規定違憲判決 - Wikipedia  法とその運用は憲法において是非を判断されうる。死刑違憲論も同様です。法の一切が交通法規であるわけではない。統計に反映されない暴力は犯罪ではない、というのはきわめて限定的な議論です。限定性を前提するなら、以上をコンセンサスとする性暴力をめぐる議論に対して揶揄するものでもない。


任意の事案について、貴方の問題関心を私は共有しない、という立場は見解は当然あって然るべき、と私は考えます。だからこそ。自身が共有しない問題関心に対する不見識な皮肉は透けるものなので、残念に思ってもいます。痴漢批判者は痴漢冤罪に対する人権意識を持ち合わせない人であるとは言えない。「容疑者に対する人権意識」を持ち合わせることと、性暴力と付随するセカンドレイプを批判することは、普通に両立します。付け加えるなら、ゆえにこそ地位協定の存在が問われている、のですけれども。