NakanishiBさんへ(公開私信)


最初に。おそらくは文脈的な事情から、部分的に、NakanishiBさん以外の方にとっては、わかりにくい内容となっていることを、お詫び申し上げます。


「選挙権を行使する」こととライフハックと小泉純一郎と - 地を這う難破船


NakanishiBさん、ども。おひさしぶり、になりますね。


御真意、了解しました。コメントに対するレスを、当初控えたことには理由がありますが。然るに。私はNakanishiBさんの真意を読み違えていたようです。と、いうのは。

「誤解」

>私は石原慎太郎に投票しましたが、
 これは事実ですね? だとすれば


>私は、選挙権を行使することに積極的であることに、躊躇がなくなった。理由のひとつは、小泉純一郎に言われっ放しでよいのか、ということ。
 以上から「「私は小泉の発言に煽られ、その影響により石原慎太郎に投票した」と表明した」。そのように受け取りますがそれが可能であることは認めますね?。では、失礼しました。


「それが可能であることは認めますね?」というのは、修辞疑問であると、私は判断していたので。つまり、NakanishiBさん自身は「そのように受け取」っていないからこそ、かく記している、と、判断していました。

最低限「それが可能であることは認めますね?」という聞き方である程度のことはご考慮ください。エントリー内容から事実として抽出できる(このような記述がありえるということ)ということです。sk-44さんがあくまで「理由の一つとして」としていることも本論部分の存在ももちろん前提です。


NakanishiBさんの一貫した問題意識(のひとつ)については、私は私なりに了解し、留意するべきものとは思っています。私の理解と言葉で記すなら、「事実」ないしその認識の、記述と個別的なるそれの構成において介在する、記述者の、意図された、あるいは無意識の、恣意、ということです。


私の記事の、ことに小泉氏のくだりにおいて、かかる恣意が介在していることをNakanishiBさんは感知し、また、その「悪質性」ゆえに、同様の行為の提示をもって、私に対して批判的に指摘した、ということであると、思っていました。つまり、sk-44の「事実」に準拠したやり口で行くなら、上記コメントのような「やり口」も「可能である」、と。


現在の私は、意図をもって意識的に、言い換えるならコントローラブルに、反応の予期と異論の所在を前提して吟味のうえ記述し構成しているので、ひいては、NakanishiBさんが指摘する事項についても前提としているので、そうした批判的な御指摘については、了解のことです。


私がよくわからなかったことは。私が、NakanishiBさんの問題意識として在るような事項を、前提して、エントリを記していることは、少なくともNakanishiBさんは、了解されていることと、考えていたので、そのことを改めて指摘するほどの不快を、あるいは私のエントリの「悪質性」を、NakanishiBさんは、当該記事のどこに感知したのか、ということでした。


NakanishiBさんの「批判的指摘」は、私には伝わり、かつ私なりに受け止めていること。然るに。NakanishiBさんが私信的に記し、かつ相互間の文脈が(むろん)周知されていないことから、NakanishiBさん自身が「そのように受け取」ってしまっている人、とコメント内容から他に「誤解」されることに対して、私が「説明」ないし「代弁」するべきか。というようなことを考えていたゆえ、レスにあぐねていました。


私は、その程度にはNakanishiBさんを信用している、否、いた、ということではあるのですが。わかりにくい記述を用いて指摘し、それをもって私に対して迂遠な批判を示すことで、NakanishiBさんの意は果たされているものと考えたためです。修辞疑問と判断していた、というのは、そういうことです。


然るに。以上は私がメタに考え過ぎていただけで、そういうことではまったくなかったようです。「誤解」していたのは私のほうでした。NakanishiBさんの真意を読み違えていた、というのは、そういうことです。


「修辞疑問」ではなく、本当に訊ねていた。NakanishiBさん自身が「そのように受け取」る判断を把持していた。かくもストレートに問い質していたとは、思っていませんでしたし、嬉しいことではあります。が。

「事実」

>良く判らんさん
>「私は小泉の発言に煽られ、その影響により石原慎太郎を選択した」と解釈するのが普通だと思う。
 そうかもしれませんね、もっとうまい書き方があったかと思います、申しわけありません。ですがいずれにせよ、「小泉の発言に煽られた」という事実から「先の都知事選で石原に投票した」という事実が帰結したことはエントリーから読み取れます。それを問うたのですからもっと丁寧に書くべきでした。


>そもそも、この2つの事実を一括りにする意図が分からないのですがね。
 根拠は同一のエントリーにあるからです、意図はこの二つ(と暫定的にしておきます)の事実の結びつきが興味深いからです。これは私の考えですが、都知事になってからの石原の支持され方と選挙での勝利の社会的前提は、小泉の支持獲得の手法の社会的前提とかなり重なっているからです(実は「得意げな棄権者」ともあるのではと考えていますが)。
 sk-44さんがそのような仮説の傍証になるエントリーを書かれたのでまず事実を確認したのです。同時に期せずして表明してしまった事実とそれを表明したこと自体をどう考えるかも暗黙に問うたわけです。それは、sk-44さんの理由付けはいささか機会原因的に思えるからでもあります。


では。仕方がない。厭々、渋々、ですが。「事実」を書き加えましょう。先日の参院選において、私は民主党に投票しています。私は、特定の支持政党を持たないゆえ、個々の選挙に際しては、常に相対的判断として選択を示します。小泉氏の当該発言は、先の都知事選の、最低でも7年は以前のことです。以後、ということでもなく、私は一貫して、相対的判断の結果、多く民主党に、ないしその候補者に自らの票を投じてきました。


というか。高校中退同然で、怠惰で協調性に欠けるゆえ好きでやっていることとはいえ、保障皆無の不安定なフリーランス身分のうえ、寄る辺としてのコミュニティを確保する気もない「一匹狼」の私が、ここ数年の自民党に投票すると思いますか。個々人の個別利益の主張の肝要を、私は一義に示していたはずです。両親も、投票したことはないそうで。親父は政治的に左翼で、母親は介護業界の中の人です。


私は、小泉という人は嫌いではないけれども、その政策は、大筋においては支持しかねるところです。が、郵政選挙の結果については、日本国民の然るべき妥当な判断、であり、かつ、良なる帰結、とも思います。むろん、NakanishiBさんとは意見が分かれるでしょう。私は、日本国民が国政選挙に際して示す意思を、ひいては日本国民の民度を、おためごかしでなく、信じてもいるのです。今回の参院選の結果も、また然り。


加えるなら。私は、成人して以降は、少なくとも国政選挙については欠かさず選挙権を行使し続けています。いわゆる不良であったにもかかわらず。なぜか、と問うなら。徒歩1分、実家の真向かいが投票所であったこと。両親が共に選挙に欠かさず行く人であったこと。そして「三度の飯より開票特番の好きな私が来ました。自らも賭金支払わないことには公営博打も楽しめない。」ゆえのことです。


開票特番好きは10代の頃からでした。そして。不良の嗜みといいますか、若気の至りといいますか、虚無的になりきれない自らをなんとなく恥ずかしくも思っていたところに、件の小泉純一郎の公言を聞きました。周知の事柄を付記すると、現在の、あるいは政権獲得後の「小泉」と、当時の「小泉」とでは、まったく意味が異なります。当時は、変わり者で男前の非主流派与党議員、YKKのはみ出し者、といった認知でした。世においても。


再引用。

 sk-44さんがそのような仮説の傍証になるエントリーを書かれたのでまず事実を確認したのです。同時に期せずして表明してしまった事実とそれを表明したこと自体をどう考えるかも暗黙に問うたわけです。それは、sk-44さんの理由付けはいささか機会原因的に思えるからでもあります。


「事実」は以上です。「期せずして表明してしまった事実」という認識は、端的に間違いです。御承知のことと思っていたのですが。私は、石原という名前が、小泉という名前が、示す意味を、前提して、各々の名前を記している。ひいては、その名前を示すことによって反応する人の所在についても。


私の「あえて」を、NakanishiBさんは見越しているものと思っていましたが。相対的にも、明確に右と左であることは、了解のうえで、言葉を交わすならそうするべきでしょう。


「sk-44さんの理由付けはいささか機会原因的に思える」――NakanishiBさんにとってはそう見えるでしょうね。恣意をもって、言い換えるなら故意に、記述し構成しているのであるから。本当に、私がそのように認識している、と、貴方が考えているなら脱力です。


記されたことが、人間の行動と意識と個人的な歴史のすべてですか。そうではないことを、貴方もまた御自身の記述によって幾度も示しているはずです。共通了解としての大前提と思っていた。そのうえでの、「記述された内容」をめぐる、メタな修辞疑問としての指摘と批判であるのかと。


貴方の問題意識を、私が前提することのないままに、記事を書いていると、思っているのですか。参院選において民主党に投票したことを記さなかったことに、私の恣意が介在していないはずがありません。このような「ネタばらし」めいたことは、書きたくはない。心象を記すなら、あきれています。

これは私の考えですが、都知事になってからの石原の支持され方と選挙での勝利の社会的前提は、小泉の支持獲得の手法の社会的前提とかなり重なっているからです(実は「得意げな棄権者」ともあるのではと考えていますが)。


NakanishiBさんが、そのように考えていることは、むろん知っています。私の「考え」のうえでも、相当程度の「相関」と共通事項は在ると、見当しています。ゆえに、大筋では同意するところです。


そして。NakanishiBさんのように、「石原」という名前と「小泉」という名前を関連させて考える人が、当該記事に両氏の名が記されてあることに「内的」に反応する蓋然を前提して、両氏の名を挙げて記している。まさか、NakanishiBさん自身が、このようにストレートに反応し、かつそのことを「表明」するとは思いませんでしたが。


「そのような仮説の傍証になるエントリー」と書かれることは構いませんが、むろん、私の記事は、NakanishiBさんの「仮説」を証すために記されたものではありません。「仮説」の的外れを事後に証すために記されたものでもむろんありません。言うまでもなく、NakanishiBさんのような、「石原」と「小泉」の名を関連させて考える人を「釣る」ために記されたものであるはずがありません。


「仮説の傍証」となり得るか「事実を確認」してくださっていたこと、すなわち断定のうえ話を進めんとしているわけではないことを了解したうえ、そのことを嬉しく思うとともに、「事実」について書き加えておきます。

「小泉」

 私はsk-44さんの「選挙に行く人への揶揄」への批判にについてはかなり賛成します、どこの誰に投票するかの問題ではないということを核心としてです。ですが、sk-44さんの行動において小泉の煽りがそのきっかけであり、投票したのが石原であったというのはエントリーの意図とは別に社会の「基底面を構成する、共通的な任意の側面」(http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/E20070127190950/index.htmlにおける、sk-44さんのコメントでの言葉を使います、私もコメントしてますがこのエントリーは後に「偶然」石原と関係を持つことになりました)が露出してしまったのではないかと思うのです。おそらくそれを考えるには、「小泉の煽り」の内容をsk-44さんがどう理解したかがかかわるでしょう。ただ本当に石原に投票したのかの答えはいただけていませんが。


「ただ本当に石原に投票したのかの答えはいただけていませんが。」――嘘をついてどうするのです。修辞疑問かと思ったのは、「これは事実ですね?」と付してあったゆえでもあります。「事実」をめぐる、NakanishiBさんの問題意識に準じる議論のことかと。


「sk-44さんの行動において小泉の煽りがそのきっかけであり、投票したのが石原であった」――当該の記述。

然るに。私は、選挙権を行使することに積極的であることに、躊躇がなくなった。理由のひとつは、小泉純一郎に言われっ放しでよいのか、ということ。選挙権を行使しなかった人間は、国民の「意思」の頭数に数えないと、小泉氏は言い切り、また確信している。そして、民主制を絶対至上とリテラルに信じる政治家の確信は、大筋において圧倒的に支持され、郵政選挙の伝説へと至った。


「変人」たる私は、そんな小泉という人が、個人的には嫌いでない、が、であるからこそ、言われっ放しは癪に障る。煽られた、釣られた、という話かも知れない。以上。そんな私の、選挙権の行使に関する雑感。


「煽られた、釣られた、という話かも知れない。」――「煽られた」というのはネットのジャーゴンを借用しているわけですが。というか。ひょっとして、レトリックや喩えとしてではなく、本当にリテラルに、「小泉の煽りがそのきっかけであり、投票したのが石原であった」と思っているのですか。つまり、故意に、飛躍した記述を示しているのでは、ない、ということですか。


「メタ」に答えず「ベタ」に答えて、構わないのですね。わかりかねるのですが、「sk-44さんの行動において小泉の煽りがそのきっかけであり、」の「その」というのは何を指して言っているのですか。選挙権の行使のことですか、「私は、選挙権を行使することに積極的であることに、躊躇がなくなった。」ことですか。「その」が「選挙権の行使」を指すなら、端的に間違いです。


まさかとは思いますが、先の都知事選において石原慎太郎に投票したこと自体を限定して指しているのではないですよね。万一、本気でそのように言っているのなら、論外です。指摘/訂正の要もない。コメンター個人の問題として、集合的にも処理される発言であるためです。


NakanishiBさん。この世には、Webには、はてなには、「バイアス」の話に関心のない人は、幾らもいるのです。衆寡は敵しません。私は、貴方のようには、そうしたスタンス自体に対して懐疑的でも批判的でもありません。楽観論者たらんとしていますから。


換言するなら。これこれこのように記述したことは、他からこのように受け取られかねず、かつ、そのように再記述されかねませんよ、という指摘であろうと。かく受け取る個人の問題でしかない、と当該記事の筆者たる私が判断するなら、放置したとして何も問題はない。レスを控えていたのはそのためでもあります。貴方でないなら捨て置いていたところです。


貴方であるから、また、NOV1975さんや「やっぱり判らん」さんやtasoiさんら他なる方がコメントをしてくださっているから(ありがとうございます。後で改めて説明させていただきます)、これほどに言葉を尽くしていることを、御了解ください。貴方に対しては、これきりのことかも知れませんけれども。


「「小泉の煽り」の内容をsk-44さんがどう理解したか」――わからなかった、のですか。「読解力」という禁断の言葉を、使用したくもなります。少なくとも、NakanishiBさんにとっては、誤解し得る余地が所在した、ということ、でしょうか。「煽られた」「小泉純一郎に言われっ放しでよいのか」「言われっ放しは癪に障る」といった、「煽る」表現を意図して用いたことがまずかったのか。なら、「「小泉の煽り」の内容をsk-44さんがどう理解したか」、改めて、真面目に書き直しましょう。


まず。少なくとも当時の小泉氏に、「煽る」意思はなかったと思います。氏は、当然のこと、として、そう考えているのでしょう。「煽られた」と、あくまでいうなら、私が勝手にそう受容した、事後的にかく認識した、かつ、記すにあたって意図してそうした表現を選択した、という話。私の「理解」の内実は。ブクマコメントの、玄倉川(=kurokuragawa)さんのコメントに同じです。――「小泉に無視されたくなければ選挙に行こう」。


「事実」を確認するなら。私にとって「選挙権を行使することに積極的であることに、躊躇がなくなった。」ことの契機が、件の小泉氏の発言であった、ということです。7年以上以前の。私が、もし貴方が「メタ」にではなく「ベタ」に問い質しているのであるとしたら、あきれる、とすることの意味は、わかりますね。


当時、小泉氏は総裁でなく、総裁の座に就くとは誰も思わなかった、が。与党政治家が、そのように、TVカメラに向けてにべもなく公言すること、かく言い切り、また内的にも確信する与党政治家が在ること、を、「私たち有権者」は如何様に考えるか。また、そのような「権力者」たる与党政治家のスタンスに対して、「私たち有権者」は、いかに臨むのか。


後に、小泉氏が総理総裁に就任したとき、私の胸中を、氏のかつてのにべもない言い切りが去来したことは、確かです。このような政治家が首相の座に就いたとき、選挙の「ボイコット」が、唯物的な「権力者の暴力」に対する、なんらかの「抵抗」になり得ると?――むろん、NakanishiBさんに対して問うているのではありませんが。


「煽られた」という表現を選択したことが、意図ありきの判断であること。貴方はわかっていることと、思っていましたが。こうしたことは、本当に書きたくない。私は腹を立ててもいます。


民主制を行為において拒否する人間に、民主制は報いることない、と小泉氏はリテラルに確信し、公然において言い切る。そのような首相のもとにおいて、民主制がリテラルには最大の機能を発揮し、国民の国政選挙に対する主体性の涵養されたことは、皮肉であるのか、一定の良き帰結であるのか。むろん、私は、小泉氏のようにはリテラルには考えられず、また割り切れないゆえ、複雑ですし、当該発言を聞いてからずっとそうでした。いわんや氏の首相就任後においてをや。


――私は、小泉氏の当該発言並びにかかる信念と姿勢について、いまなお是非を判断しかねているのです。ただし。少なくとも、そうした発言が、「権力者」たる与党政治家から示され、かかる信念と姿勢を有する人が、政権与党に在ることは、頭に入れておくべきことでしょう。そして。その人は、いまなお、半ば伝説の人として、政権与党の奥の院に在り、存在を誇示している。


NakanishiBさんが示す、社会の「基底面を構成する、共通的な任意の側面」。その具体的な展開を、(「仮説の傍証」と「事実」のそぐわないであろう)私の記事とは別個に、NakanishiBさんが示してくださるなら、一読者としては嬉しいことです。告知以外でのブログの更新を、私はいまでも楽しみにしています。

「石原」

 ブクマである方が推測されたとおり、過去の経緯があるためきわめて判りにくくなっていますこれも申し訳ありません。そこからあまりに率直な石原への投票の表明が出たので驚いたのも書き込みの理由です。sk-44さんのこれまでの政治的問題を扱う際のエクスキューズを重ねる手法とまるでちがっているからです。ともあれ、経緯はsk-44さんと私のブログそれにApemanさんのブログ(http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/index.html)を読めばある程度のわかります。また、都知事選についてはそれぞれがエントリーを出していますから(sk-44さんは石原個人についても)直接の参照になるでしょう。私には石原に投票したという事実と以前のエントリーにやや違和を感じますがhttp://d.hatena.ne.jp/sk-44/?of=39http://d.hatena.ne.jp/sk-44/?of=42


 最後に当然のことながら、これは最初のコメント全体の動機のもととして、私の石原への否定的評価があります。単純に石原に投票したという事実とそれを表明したことに驚いたのです。最初のコメントで言及した同一人物とは中原昌也です。


抽出引用。

そこからあまりに率直な石原への投票の表明が出たので驚いたのも書き込みの理由です。sk-44さんのこれまでの政治的問題を扱う際のエクスキューズを重ねる手法とまるでちがっているからです。

最後に当然のことながら、これは最初のコメント全体の動機のもととして、私の石原への否定的評価があります。単純に石原に投票したという事実とそれを表明したことに驚いたのです。最初のコメントで言及した同一人物とは中原昌也です。


まず。中原昌也に当該記事は一切関連しませんが。ひょっとして、中原氏も投票に行かないことを公言されているのですか。「同じ人物に関連する」というのは石原慎太郎のことと思っていました。というか。中原氏に言及した私の過去記事において、石原氏に対する言及は皆無であったわけですが。当時も、貴方がコメント欄にて唐突に持ち出したゆえ、私が応じた、という話。当時の、私の「主観的立場」において去来した心象について記すことはやめておきますが。再来しています。


「sk-44さんのこれまでの政治的問題を扱う際のエクスキューズを重ねる手法」――NakanishiBさんにはそう見えるでしょうね。ネットワーカーとしてのスタンスの相違、ということに尽きると思います。目的を前提するなら、目的に適した手段を選択するが良です。現在の私には、私なりの目的があるのです。「公論」を示す際には、目的を前提しますね。基底的な視座と価値判断とスタンスにおいて相違するかも知れませんが、「目的」が合致することは、場合により在ることでしょう。右と左であれ。そして。


「そこからあまりに率直な石原への投票の表明が出たので驚いたのも書き込みの理由です。」「単純に石原に投票したという事実とそれを表明したことに驚いたのです。」――そうであったのですか。NakanishiBさんが驚いたことに私は驚いています。誰に投票した、と思っていたのですか。


私は、個人的には能う限り白票を投じることを避けたく思う者です。先の都知事選において、石原慎太郎に投票することはかくも驚くべきことですか。なら、都民投票者の過半は驚くべき対象であり、石原都知事の三選は大事件である、ということになりますが。


むろん、NakanishiBさんがかく判断しそのことを「表明」することは自由です。同意する人もあるでしょう。同意しない人もある、ということです。石原氏の大差を付けての三選については、看過し難い問題を孕むものとは、私は考えます。かかる「問題」については、私なりの考えるところを、都知事選の後に、長々と記しました。


私が石原氏に投票するに至った理路とは、当該の記事に記されたものとは別なるものですが。前提としての、認識が在った、ということです。伊達に東京に生まれ育ってはいないので。加えるなら、東京は全国でもっとも「無党派層」が厚く、若年層も厚く、多くの「地方」と比するなら、ことさらに保守的とも言い難い土地柄です。然るに、石原氏は三選した。といったことも、都知事選総括のエントリにて記しています。目を通しておられることと思いますが。


少し、踏み込んで書きます。たとえば、ということですが。先の都知事選において石原慎太郎に投票するような人物はみな、不見識な人間であり、その人物がブログを運営しているなら、たとえば、久間氏の辞任に至った発言を咎めることはなく、また、「差別」の問題に言及することもない、といったことを、もしかして、考えておられるのですか。


というのは。日頃の私の記事に目を通してくださっているNakanishiBさんは、私が「石原に投票したという事実とそれを表明した」からこそ、「単純に」驚かれたわけでしょう。つまり、私が石原慎太郎に投票するような人物であるとは、考えなかった。答えるなら。だからこそ、私が書くべきことがある、ということです。


前記事の内容に即して言うなら。貴方が、『石原慎太郎都知事の座から追放されるべきです』と考えていたとしても、都民投票者の過半は、投票行動に際しては、そう考えてはいない、私も含めて、という前提から、「社会」は要請され構想される。釈迦に説法、とは思いますが。共棲とは、「想像力」とは、「「他者」と向き合う」こととは、そういうことです。


石原慎太郎都知事の座から追放されるべき」とは、投票行動に際して考えない投票者が過半を占める東京において、かく考える都民は、暮らしていかなければならない。公的な発言を志向する者は、首都において「石原慎太郎都知事の座から追放されるべき」とは、投票行動に際して考えない投票者が過半を占めることを、かかる状況を、かような日本を、前提して、言論活動を展開しなければならない。その「事実」を措いて、あるいは捨象して、政治的言論とは示され得るものではない。確か、東浩紀も、そのようなことを言っていたと思います。


加えるなら。私の「政治的問題を扱う際のエクスキューズを重ねる手法」とは、それゆえのことでもある。このようなことは、自ら口にすることではありません。貴方は、私に対してそのことを了解していると、私は考えていただけに、残念です。任意の価値的裁断をもって、多様なスタンスと見解を取りこぼすことを、私は避けたく思います。私がそう思い実践している、というだけで、他に対して云々するものではありませんが。


「最後に当然のことながら、これは最初のコメント全体の動機のもととして、私の石原への否定的評価があります。」――貴方の「石原への否定的評価」については私は了解していることです。そして。少なくとも、NakanishiBさんのそれについては、同意した覚えはありません。


ところで。石原慎太郎ないし石原都政に対する「否定的評価」を下している任意の個人において、sk-44というブロガーに対する一定の信が在るなら、私が「石原に投票したという事実とそれを表明したこと」は、一定の信を破棄するに該当することですか。当該記事に鑑みたとしても、そうではない、という自負が在るから、私は「事実」としてそのことを記したのです。そして。NakanishiBさん御自身においては、どうですか。


むろん。

先日の参院選において、私は民主党に投票しましたが、自分以外の選挙民に自民党に投票されたら「自分の投票分がチャラになって困る」などとは考えたこともなかった。むろん、仮に、事前の予測において接戦であったとしても、です。というか。自らの支持政党ないし候補者が選挙の結果、勝利することと、投票率を気に掛けることとは、まったく別の話です。民主制下における正統性、ひいては民主主義の正統性の話。


そのように「事実」を記していたなら、NakanishiBさんに驚かれることもそのことをコメント欄にて「表明」されることもなかったのでしょう、そして、そうした、NakanishiBさん御指摘の事項を前提しないほど私は無用心でも無思慮でもありませんが(そのことはNakanishiBさんも了解されているからこそ、「あまりに率直な石原への投票の表明が出たので驚いた」のでしょうけれども)、然るに。


再度のTBは避けますが、前記事から引用しますと。

そもそも、そう言う人は、自分の支持政党以外に投票されたら自分の投票分がチャラになって困るはずなのですが、「民主党に投票しよう」と言わず、「選挙に行こう」と、回りくどい言い方をする。もっと素直になればいいじゃないかという気もします。


そのように、kokoroshaさんは記していました。「「民主党に投票しよう」と言わず、」と。意図をもって「先の都知事選において、私は石原慎太郎に投票しましたが、……」と記したことの、その理由。少なくとも、NakanishiBさんには了解されるものではなかったようですね。繰り返しますが、貴方に対する私の気持ちとして、残念です。こうして明記しないとわからないものですか。私の「意図」というものは、少なくとも、貴方には。


そして。同時に。「そもそも」としての大前提を記しておきますが。私は、貴方の固有の問題意識に対してのみ照準を合わせて記事を記しているわけではありません。いまとなっては、「あえて」という言葉を改めて記したくもありません。「先の都知事選において、私は石原慎太郎に投票しましたが、……」のくだりにかくも驚き「あまりに率直な石原への投票の表明が出たので驚いた」とコメント欄に書き付ける人「のみ」を対象に当該記事を記しているわけではない。


射程には入れます。前提はします。貴方がかつて私に対して示したそれは、言論の提示者が留意するべき肝要な問題意識、と私も考えているから。公に対して言論を提示することにはコストとリスクがかかる。耐え得る者がそれを継続し得る。ことに自らのブログにおいては。

「三段論法」


私は、貴方のブログの過去ログにはすべて目を通しています。かつ、幾つかのものについては、読み返し確認しています。それだけの価値があり、その問題意識と問題設定は、貴方も「自覚」しておられる通りに、(「書き方」以前に主題において)大変にわかりにくいものではありますが、同時に、私にとっては、大変に刺激的で、興味深いものでもあります。


私は。「本論部分」に対するNakanishiBさんの見解を、聞けるなら聞きたく思うのです。つまり、小泉氏の示した(と私の記憶する)見解について、NakanishiBさんは如何様に考えるのか、また、そのことをにべもなく公言する与党政治家、という存在に対して、如何様に考え、また、いかに対峙するべきと考えるのか、ひいては、民主主義ないし民主制に対して、NakanishiBさんは如何なるスタンスを持ち合わせているのか。


複雑、ではないのですか。貴方ほどではないですけれども(というのは、私は楽観論者として振舞うので)、私もまた、同様では、あります。承知で、記事のような、「啓蒙的」な文章を、私なりに、私なりの表現を用いて記しました。


最後に。貴方であるから口に出しますが。私のブログのコメント欄において、私以外の、特定の個人、ことにブロガーに対して、露骨に攻撃的な言辞を示すことは、控えていただきたい、というのが、管理人の要望です。


さんだんろんぽー - novtan別館


御存知のことかも知れませんが、「三段論法」については、NOV1975さんは御自身のブログエントリにおいて見解を示しています。

 「三段論法」についてですが、三段論法の通常の用法とまるで異なる使い方をしたので、典拠をあげてこう使っているのか指摘しました。NOV1975さんは異議を唱えませんでした(繰り返しになりますが)。まあ私が「意味ありげな」使用をされるネット用語が嫌いだというのは確かですが。


「NOV1975さんは異議を唱えませんでした」とのことですが。――少しはわからないものですか。で、私は、貴方の固有の問題意識を了解していますが、それは、経緯あった私は、あるいは、ブログの過去ログにすべて目を通している私は、ということです。私が、この長文のレスを、「仕方なく」書いている部分がある、ということを、御了解ください。公然における、貴方ひとりに対する説明は、空しい、ということです。

「残念」


私が思っていたことは。貴方の問題意識において、私に対して個人的に「事実確認」したく思った事柄があるなら、私に対して、メールによって問い合わせをしてくださればよかったのに、ということです(メールアドレスは明記しています。捨てアドともいえず、けっこうまめに確認しています)。


NakanishiBさんからのメールで、かつ、納得し得る理由が記されてあって、答えるべきものと判断したなら、答えます。貴方か否かは、私は、文章でわかります。内容の保持に関しては、私は、貴方に信を置いているので。その程度の信用は相互に存するでしょう。答えましたよ。


――私自身は、国政選挙に際する投票行動においては、自民党、ないし小泉政権に対する批判票を、ほぼ一貫して投じていたのですよ。と。


率直に申し上げるなら。先の都知事選におけるそれを開示したことを理由に、任意の個人の数年間の具体的な投票行動について、開示させるべく公然においておおっぴらに問い合わせる、自らにその筋合が在ると考える、その発想と神経が、私には皆目わかりません。


貴方の、「事実確認」は、本気で問い質しているのであるなら、私のこの数年間の具体的な投票行動にまつわる回答と開示を要求するものです。貴方に、その「意図」と「自覚」があったのかはわかりかねますが。


私が、本気で問い合わせているものとは、判断しなかった最大の理由です。まさか、と。もはや言うまでもありませんが、本気で訊いていると、了解して、私は明確に不快を覚えています。厭々渋々「事実」の開示を加えましたが。


読み返しましたが。本気で。

私は最初の書き込みでsk-44さんがエントリーで意図せずに私の仮説の傍証になりそうなことを書かれたので、その事実確認をした


「事実確認」をしているのであるなら。

 どうも、以後は議論をしないとこちらから宣言しておいて、2回も書き込むのは恥ずかしいですが、同じ人物に関連するのでご容赦を。


>私は石原慎太郎に投票しましたが、
 これは事実ですね? だとすれば


>私は、選挙権を行使することに積極的であることに、躊躇がなくなった。理由のひとつは、小泉純一郎に言われっ放しでよいのか、ということ。
 以上から「「私は小泉の発言に煽られ、その影響により石原慎太郎に投票した」と表明した」。そのように受け取りますがそれが可能であることは認めますね?。では、失礼しました。


どういう訊き方なのですかねこれは。修辞疑問でなく本当に「質問」していると、まして「事実確認」をしているとは、私は判断しません、これでは。で。「事実確認」であったわけですね。なら、回答しました。開示もね。


反応しなくてよいと判断したコメントに対しては、反応しない、という方針については、以前に明記しています。今後、原則的な方針に準じた対応を、貴方のコメントに対しても、示させていただくことを、確認しておきます。イエローカード、です。


最後の最後に、御承知のこととは思いますが、原則と前提について確認します。 

私としては揚げ足とりのつもりはありませんが、sk-44さんのエントリーの意図とはずれたところを強調しようと思っていたのです。単に事実をつなげただけではありません。ただ、そのような方法が問題含みであるとは認めますが、それでも敢えて意図を持った事実のつなげ方をしたのです。そしてそうであること暗黙に示した。


「sk-44さんのエントリーの意図とはずれたところを強調しようと思っていた」ことは、了解しました。というか、最初から了解していました、先述の通り。むろん「自由」です。「エントリーの意図とはずれた」ことを「エントリー」のコメント欄に書き込むことも。「エントリーの意図とはずれた」ことを「エントリー」のコメント欄にて、重ねて質問することも。


「エントリーの意図とはずれた」ことを訊かれた「エントリー」の筆者に答えるべき理由もその必要もなく、答えるも答えないも「自由」であることも。かつ、「エントリー」のコメント欄は公然の場であることも。「エントリーの意図とはずれた」、コメンター自身の問題意識の一方的な展開と開陳に「エントリー」の筆者が対応する理由も必要もないことも。そして。他人は見ていることも。


「そのような方法が問題含みであるとは認めますが、それでも敢えて意図を持った事実のつなげ方をしたのです。」とのことでしたので、ここまで答えました。貴方が、少なくとも私に対して悪意なきことを了解してはいるので。修辞疑問ではなく。伺います。むろん、答える理由も必要もないことは、原則であり前提ですが。


NakanishiBさん。貴方に、そこまでさせるものは、いったい何ですか?石原氏と小泉氏をめぐる「仮説」について一定以上、考え抜いていることがあるなら、このコメント欄でも御自身のブログでもよいので、改めて記してください。少なくとも、私は読みたく思います。