比喩としての病


感銘したので。一文の長さから、長めの引用となってしまったことを御容赦。


http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/E20070722154258/index.html

麻生外相の「アルツハイマーの人でも」発言、疾病を安易に比喩に使ってしまうというのは誰もがやってしまいかねないことで(「社会のガン」のように慣用句化しているといってもよいものがあることからも分かるように)、話題にする前にちょっと自分のブログもサイト内検索しとかないと…というところはあるし、自民党はもっとも多くの国会議員を抱えており、かつ与党ということでマスコミの注目度も高いから印象だけでものを言うのは危険だけど、しかし「印象」としてはやっぱ森元首相の「エイズ」発言とか思いだしますわな。(後略)


思い出す。初版を読んだのは大昔ゆえ、内容を殆ど忘れてはいるのだけれども。


隠喩としての病い・エイズとその隠喩

隠喩としての病い・エイズとその隠喩


スーザン・ソンタグも今はない。ソンタグについては、一読者として書きたいこともあるのだけれども、別の機会に。


私自身は、差別や人権を、こうした事例においてあまり強調したくはない。ただ、少なくとも、麻生氏が「アルツハイマー」という、いまなお適正な周知へと至ることない難病について単純に不案内であり、関心もさほどないであろうことは、わかった。国会議員は閣僚は世のあらゆる問題について通じていなければならない、という規則はない。然るに。先日、『明日の記憶』という映画が地上波にて放送されていた。むろん「啓蒙映画」という側面が所在する。


明日の記憶 [DVD]

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直接の面識はないのだけれども、ALSを患う人を身内のその友人に知る。病状の進行も。ALSとはいかなる疾病か、私の周囲に詳しく知る人はなかった、ので、私は彼らに幾度も説明することになった。私は、蓋然としての発病の確率に、かつて脅えた、そして、現実に、身近に患う人が出た。周囲の誰も、かかる難病の存在を知らなかったことに私は驚いた。介護業界の中の人たる母親すら、幾らかは不案内であった。NHK教育の啓蒙番組すら見ないのか、とは思った。私は公共放送の民営化には賛成しない。


私自身は、「言葉の枝葉末節」という考えを、自ら主張する意思はないので、現在、表現の穏当性には、ことに記事中においては、それなりに気を配る。自身に対してかく課している、ということに過ぎない。「キチガイ」という表現は私も今後用いることがあるかも知れない、とはいえ、一般に、ネットにおける「キチガイ」は、統合失調症患者のことを具体的かつ限定的に指す言葉ではないことを、前提とは思うけれども、明記しておく。現実に心/精神を病む人に対して、示すべきでは絶対にない言葉であることも、前提である。