Virginia shootingをめぐっての雑感


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/959973.html


韓国人云々は措いて、この馬鹿についてはスレ住人と同様の感想を持たざるを得ない。せいぜい字幕.in等にて後世までネタ編集&コラされ続けて世界規模の笑い者になってくれ。覚悟完了した目が据わっているが、小僧である。


それから、デ・ニーロとシュレイダーとスコセッシに謝れ。お前はジョン・ヒンクリーか。だいたい、寮暮らしといえ工科大学に進学している野郎が金持ちをDisるんじゃないよ(奨学金or学費身銭だったら謝る)。イラクでは今日も貧困層出の米兵が死んでいるんだよ。大学生がナマ言うんじゃないよ――と高卒のルサンチマンは措いて。


大量殺人者 (TRUE CRIMEシリーズ)

大量殺人者 (TRUE CRIMEシリーズ)


10年以上以前に刊行された上記のシリーズ、私はたぶん全部読んでいるが、第1弾の↑が、一番クオリティが高い。不謹慎を承知で書くと、読み物としても滅法面白い。で、銃社会云々以前に、こういうことをやらかす奴の傾向というのは似通うことのあるものらしく。長らく不遇な境遇にある憤怒に満たされた孤独なパラノイアが着火するという御約束。病んだ喪男の個人的な着火によって無関係な数十人が殺されてしまうのはまさしく銃社会であるからで、今回も、テンパイ小僧にグロック


ま――つまるところ、韓国人だからどうという話では別にない、そもそもこの馬鹿は8歳から米国にて暮らし永住権を取得している。で、こういう中二病の10代の馬鹿がサブカルチャーの影響を受けまくって、とんでもない犯罪をやらかす際にも、相変わらずズレまくって、本人ノリノリで勝手に広義のサブカルを大いに模倣するというのは、コロンバイン高校の件しかり日本の酒鬼薔薇少年しかり、いわば文化先進国病として窺われがちな傾向(とはいえこいつは23歳だが)。


強いて言うなら、個人による個人的な動機に基づいた大量殺人事件の多発については、紋切型ではあるけれども、以下に示されるような米国の社会的な特性に関係あるとは思う。『ボウリング・フォー・コロンバイン』においてマット・ストーンが語ったような。


2007.4.20: 日記


というか、この真正馬鹿の言行について韓国人云々と言っている日本の皆さんはむろん冗談として言っているのですよね。よもや、馬鹿の国籍判明以前にenjoy Koreaにて日本と中国に対するヘイトスピーチを打ち上げまくっていた非文明的なコモンセンスゼロの土人連中と日本の民度高きネット市民が同様であるはずもないし。


http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&page=4&nid=667269




http://www.asahi.com/international/update/0418/TKY200704170381.html


私はかつて、職業に貴賎なしとした。つくづく思う。職業にひいては人種民族国籍に貴賎はないが、人間には貴賎がある。貴い魂と賤しむべき魂は結果的に分かたれる。存在の価値はイーヴンでない。


死んだほうが良い人間などいない、とは、私は全然思わない。むろん、私という個人が死後において私的に値札を付けているに過ぎない。生を前提せざるを得ない生者の側の一方的なジャッジメントとして。生の結果において屑と名指される人間は、いる、幾らでも。私とてその生の軌跡において、ある人にとっては結果そうであると思う。


真正馬鹿本人については、『社会派くんがゆく!』号外における村崎百郎氏のコメントに期待する。あの人より刺激的かつ批評的なことが私に言えるはずもない。


http://www.chosunonline.com/article/20070418000015

ある学生は電話インタビューで、「今後は韓国から来た韓国人とは言えなくなった。誰かが尋ねれば当分は中国人か日本人と言うしかない」と語り、韓国人に対する偏見が高まることを心配した。


まず抑えるべきことを記しておくと。かの国と比較するなら明確に人種間民族間の軋轢少なき現在の日本において上記を嘲笑的に批判することの愚を知ること。拉致被害者の帰国直後におかれても、我が国において死者を出すヘイトクライムの報じられることはなかった。誇りにしてよいことである。


かの国において人種問題とは長きに亘る腫物である。火種が投げ込まれたならどうなるか。まして当該の馬鹿は米国籍を持たない移民だ。蓋然に備えることは嘲られるようなことではまったくない。確かに、物言いが率直過ぎるけれども。記事をまとめたアホウが悪い。



名著たる↑にもありますが、米国人など対人において国籍詐称せずして中東全域に観光旅行には行けませんって。20年前でもね。いわんや現在においてをや。上記の著者は共和党支持だけれども、あっちにおいて支持政党とかまったく関係ない。


なおイスラエルは除く。著者はイスラエルに入国して安堵する、米国人としてようやく主人気分のでかい面ができるようになるから。著者は国境に立つイスラエル兵に向けて内心毒づく、その銃口を俺に向けるんじゃあないぞ、お前の手にしている銃身も銃弾も俺達のタックスペイヤーから供出されたカネにて購っているんだからな――と。


はてなブックマーク - 米大学乱射:報復恐れる韓国人留学生 | Chosun Online | 朝鮮日報


2007年04月19日 blackseptember まあ、カナダ国旗リュックに括りつけてるアメリカ人バックパッカーみたいな話だな。


そーゆーことです。ナショナル・アイデンティティやら「民族の誇り」とやらによって現実に我が身は守れないし、機械的に認識し思考し行動する人工無能の勘違いと誤解と偏見から身を守ることもできない。


ヘイトクライムというのがマジな危険としてかの国ではあるわけです。司法において認定されたなら量刑が大幅に加算されるくらいにね。ことに若年層におかれては、日本より遥かに暴力的な社会であることは論を待たない。ここにおいても銃社会であることが関係する。


コロンバイン高校にて、運動部に所属する黒人であるというだけで有無もなく殺された少年がいた、殺された理由は、運動部に所属する黒人であるから。野球帽は脱ぎ捨てることのできるが、肌の色は変えることのできない。それはアジア系とて同じこと。機械的に認識し思考し行動する馬鹿の概括的な偏見から身を守るために、一時的に民族を詐称することのそれが何であるというのか。


ただ、ナショナル・アイデンティティやら「民族の誇り」とやらについては少しく思うところもある。


分断後の韓国における甚だ不安定な近代化の過程について考えるなら、現在の韓国における国家単位のナショナル・アイデンティティの高揚とその頻繁な言挙げとて、了解し得ること。


姜尚中も言う通り、かの国におかれては今、国民国家とその正統性を保証する「国民の歴史」が形成され再規定される(=捏造される)渦中にあり、国内的な過去の清算をめぐる急進的な世代的運動としての諸相において「国民の歴史」が常にかくあるように欺瞞と外道の介することもまた、国家単位のナショナル・アイデンティティの形成と涵養の過程におかれては、やむを得ないことである――それがどれほど先鋭で急進的な現象としてあろうとも。


そして。韓国国内のそうした事情について、少なくとも日本は立場上配慮するべきである。というか、日本含むあらゆる国民国家において、近代史の正統性をめぐる欺瞞と捏造と外道の必然である以上、他所のことはそう言うものでもない。脛に傷持つことお互い様であるから。


しかるに。そのことと問題は別として、国民国家の構成員として自らのナショナル・アイデンティティを他なるナショナル・アイデンティティの所有者に対して意思的かつ主体的に主張すること、まして民族に準拠してそれを主張することの何たるかについては、認識が甘いのではないかな、とはちと思う。


韓国国籍の所有者が個人的に大量殺人をやらかした。自らは韓国国籍の所有者ではあるが、見ず知らずの馬鹿の言行とは関係がない。論理的にはその通り。山本弘も日本の戦争責任について同様のスタンスを言明している。宮崎哲弥が処女著作『正義の見方』において論じた問題でもある。


しかるに。国民国家の構成員として意思的かつ主体的に自らを任じるなら、国民国家のひいてはその構成員の罪と責についてもまた、意思的かつ主体的に引き受けなければならない。それが、愛国者の責務である。


いわんや上記を民族に準拠して意思的かつ主体的に自ら任じるなら、民族とその構成員の罪と責についても意思的かつ主体的に引き受けなければならない。そのおぞましきを文明人は知るゆえにこそ、国民国家と民族を一致させることは原則において御法度なのである。民族とは、意思的かつ主体的に引き受けるものとは限ることのない。


むろん国民国家の構成員であることを意味する国籍とて同様である。国籍所有者の罪と責を引き受けることの理不尽について私達は時に知る。しかるに、国民国家の構成員としてあることをあまつさえ民族に準拠して意思的かつ主体的に任じることと、それは論理的にも裏腹の関係にあるのだ。


国民国家の構成員としてあることをあまつさえ民族に準拠して意思的かつ主体的に任じることに伴う、個人の意思に基づいた主体的行為のコストを知ることのなき人も、ナショナル・アイデンティティの新興し高揚するかの国におかれては多く在るのかも知れない。件の一連の風刺画など鑑みるに、そのことは思う。


ナショナル・アイデンティティとは愛国心とは、偏に軽いものでも美しいものでも綺麗なものでもない。国民国家が重く醜く汚れたものである以上は――民族の問われることなくとも。戦後日本のナショナル・アイデンティティとは愛国心とは、かかる認識から出発した。よかったと、私は思っている。


なお。


http://www.heiwaboke.com/2007/04/post_861.html


その件の一連の風刺画を、今なお世界中にばらまいている日本在住の生粋の日本人がいるなら、国辱だの国民国家の意思的/主体的構成員としての意識云々の以前に、端的に人類の恥であるので、即刻やめてください。死傷者に日本人はいなかった。イエモンの『JAM』ではないが、国民国家の構成員として意思的かつ主体的に自らを任じる者として言うなら、非当事国は人類的視座に立って振舞うべきなんだよ。


人類的視座というのは、複数/無数のナショナル・アイデンティティおよび民族の関係性におかれる共存と互助と互恵を、理想としても志向するということ。最大広義には普遍を志向するということ。


そして多民族国家米国は、国内において、世界でもっともその理想を志向し試行している国でもある。普遍がアメリカニズムに代置されていたとしても。


ゆえにかの国は時に人類とは米国のことであり米国唯一が人類的視座に立ち得る資格を有すると夜郎自大に誤認しもするが、言うだけのことは、少なくとも国内的にはやっているし、やらざるを得ない。国内事情については、日本に生まれ育ち日本国籍を所有する生粋の日本人が掻き回し得ることではない。


人類的視座に立つことの難しいなら、せめてアジア系の代表として振舞ってくれ。アジア随一の自由主義的かつ民主主義的な経済先進国日本は、少なくとも米国にとっては、アジアにおいてもっとも信用し得る「友人」ではあるんだよ、ケツ舐めだろうと何であろうと。韓国の一部の連中が何を抜かそうとだ。


歴史浅く国民意識のいまだ浅薄な国際的な儀礼感覚と普遍意識と人類的視座の欠如した後発近代国(かつての枢軸国日本とて後発ではある)の連中と同じレベルに、サミット参加国の意思的/主体的構成員が自らを落としてどうする。白人や黒人にとっては日本も韓国も中国も同じなんだよ。私達にとってアイルランド系の見分けが外見から付き難いように。


人種問題民族問題とは人類全体の桎梏であり恥である。人種間民族間の対立と軋轢を煽る人間が、双方の利害と関して在る。しかるに、何の利益があるのか知らないが、非当事者にして第三者であるにもかかわらず他国内/他国間におけるその対立と軋轢を煽って回っている人間は、端的に馬鹿であり、はっきり言って人類の敵であり恥部である。繰り返すが、良識皆無の韓国の「レイシスト」共と同じレベルに自らを落としてどうする。

2 名前:匿名[] 投稿日:2007/04/18(水) 20:26:49 ID:

こういうときはだね、遠いところから二国がどうなるかヲチするのが正しい選択だと思うんだ
ハートマン軍曹もいってたけど人間なんて平等に価値なんてないんだから。
自分に価値がつくように頑張る事が大事だと思うんだ(´・ω・`)
ない価値をマイナスにしてどうする。


上記2chスレ編集エントリのコメ欄より。全面的にその通りだよ。当該スレにおけるやりとりを読んで少しくホッとした。日本は終わっていない。馬鹿ばかりではない。


http://d.hatena.ne.jp/freeflyflow/20070418/1176917335


freeflyflowさんのエントリ。見解は私とはいささか異なるのだけれども、支持の意を込めてトラックバックを送らせていただきます。


なお。冒頭の馬鹿のセルフポートレイトと告白ビデオを目にして私の脳裏に真っ先に浮かんだヴィジュアルイメージはというと。デ・ニーロよりも、以下であった――


隣人13号 1 (バーズコミックス)

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