本日の(sk-44よ)おまえが言うな


「喫煙も、年齢詐称もたいした問題でない」鈴木紗理奈ブログを削除、謝罪 : J-CASTニュース


痛いニュース(ノ∀`) : 鈴木紗理奈、ブログで未成年喫煙や年齢詐称を擁護、「どっちも全然大した問題じゃない」 - ライブドアブログ


ODA、希望の格差: 大石英司の代替空港


「17歳の時に禁煙して」とナチュラルに言って周囲を苦笑させていた、当時30代のあの人は元気にしているかなぁ。アルコール中毒の治療中ではあったけれど。精悍で寡黙な、良い人であった。「酒さえ飲まなければ」であったのだろうな。荒れていたらしい。もう一生飲酒はできない、その人は言った。


私?19歳(18歳だったか)の時に禁煙しました。喉と鼻の弱い元喘息持ちの男がやるものではない、高熱を出して1週間寝込むに至ることなければ、やめることはなかったでしょう。ニコチンに依存性があるのは決まっている。こと未成年者の喫煙問題について問うなら、大石先生の見解通り、ニコチンの依存性ならびに若年者の健康問題という観点から問うべきとは思う。

加護ちゃんの喫煙問題で思ったけれど、あれは法律の問題よりも、一度始めたら止められない薬物中毒の問題としてのアプローチが必要だったんだろうと思います。
 未成年だから吸っちゃ行けません、というアプローチじゃ駄目なんですよ。煙草は恐ろしい中毒を引き起こすからと、カウンセリングを受けさせるべきだった。


当時の私はニコチン依存ではあったし、それ以上にべたな合法薬物の中毒であった。以前、春日武彦が、自らの勤務していた松沢病院閉鎖病棟について、日がな1日皆タバコ吸い続けて喫煙室に溜まって、朦々たるものです、他の患者さんに煙草ねだる人もいたりして、と語っているのを聞いて、どこも一緒か、と思ったものです。思えば、かつて友人を見舞った、この世の果てのようなあの病院も。


「恐ろしい中毒を引き起こす」かは一概にはわからないけれども、嗜好品といえ依存性の刺激物であることは間違いのないことであって、心身の成長過程にある者がそれを摂取することを「個人の選択」別名「自己責任」のもと相対的にも自由化するかあるいは社会の枠組において一定は規制するのか、ということです。


西洋諸国における18歳喫煙可をはじめとする成人年齢の引き下げとは、「社会における個人の選択的な自己決定」という概念の伝統的な重視に基づく。日本においてそれを敷衍するか、議論されるべきことではあるとは思うけれども、そうしたこととは全然違う話になっているからなぁ――。


「ダメなものはダメ」も「その「ダメなものはダメ」はタテマエじゃん」も、あまり意味のない物言いであって。未成年者に対する喫煙の規制は「ダメなものはダメ」ではなくて、それなりに理由のあることだから。受動喫煙のことについては措いても、恒常的な喫煙の依存性については、またその喫煙者本人に対する身体的な悪影響の蓋然については、周知のことであるから、むろん、現在の喫煙者にとっても。


とはいえ。

悪い事は一通りしましたが何か????

20歳過ぎてからタバコ吸う人の方が少ないやろっ!!!


こういうのはさすがにね。悪い事って煙草でしょ。それとも他に何か。貴方の身体と頭に悪い事でしかないから、他人が責めるのも筋違いではあるが、ああ10代のうちにタバコ吸うとこういうことを書くようになるのか、とは思われるかも知れない。私が言ってもまさしくおまえが言うなだが。だから、「悪い事は一通りしました」な人は、ましてそれを自ら公言して嘯くなら、いま現在いっそうちゃんとしていないといけないわけ、「何か????」ではなくて。それはDQNは黙ってろと言われるわ。


あと。小谷野先生が書いていたけれども、いまだにコンパとやらにて飲みたがらない未成年に対して暗に酒を強要している、それも東大生がいることをむろん私は知っている。飲み会好きの体育会上がりの妹に以前尋ねたところ、イッキの強要「だけ」はしていない、発覚したら処分されるから、と普通に返ってきた。プライベートにおいて付き合う甲斐のない席に顔を出すことに怠惰な私にとっては、イミフな話でありました。


現代の大学生というのも不自由なものなのであるな。これこそ「社会における個人の選択的な自己決定」の問題であると思うが。同調圧力的な空間ということか。