中学生には(この場合)興味ありません


神童 (漫画) - Wikipedia


神童 (映画) - Wikipedia


新海誠の新作を観に行った映画館の予告上映にて知った。映画化されるそうです。

天才的なピアノの才能を持つ小学校五年生の少女と絶対音感を持つ大学浪人生の心の交流を描く。


原作→映画。

成瀬うた−成海璃子
言葉を覚えるよりも先に音符が読め、またピアノが弾けた程の天才中学生ピアニスト。

プロデューサーの根岸は「普通の13才(当時)に見えない成海さんは、神童のイメージにピッタリ」と語っている。


わかります。成海瑠子にいかなる文句のあろうはずもない。大人びた風貌ゆえに、市川準の新作では高校生を演じているとのこと。


私は言いませんよ、うたが小学生でなければあの作品は成立しない!とか、そういう原作原理主義的なことは。原作において高度に品よく頭よく隠喩に満ちて洗練された形にて描かれた、エロティックなファクターについては、やはり捨象されているか、少なくとも、異なったシンプルな形にて描かれることでしょう。


でもなぁ、やはりうたは小学生でないとなぁ。中学生という、既に社会化された性的な動物には興味ありません。心理的な逸脱作家が端正な筆致にて描く、世に容れられることのない、少年のような少女は素晴らしかったなあ。野球が好きでね。


――呉智英夫子も同じこと書いてましたな。いまだ自らの恋を自覚せず自らの性を自覚しない少女の、それと知らずに生起する恋と性の話であると。私が蛇足を付け加えるなら、作中における音楽の表象は多くその洗練されたメタファーです。


そして、社会化されることのない「ピュアネス」な恋と性の発現とその限定的な横溢は、時に社会ならざる世界の可能性への特権的な通路となり得る。と宮台真司の口吻を真似てみる。正しくプラトンですね。ではっ。