あるいは忘れられた歌


前記:大変、お待たせしました。補足的な事柄は、おいおい断続的に記していくことになると思います。タイムアップを前提した、一種の暫定的な掲示です。なお、これよりまた週末出張なので(午後には出る)、数日間、更新その他諸々できなくなります、御了承ください。

 左翼でなければ右翼、進歩主義でなければ反動主義、平和派でなければ交戦派、どっととも付かぬ意見を抱いている様な者は、日和見主義者と言って、ものの役には立たぬ連中である。そういう考え方を、現代の政治主義ははやらせている。もっとも、これを、考え方と称すべきかどうかは、甚だ疑わしい。何故かと言うと、そういう考え方は、凡そ人間の考え方の自立性というものに対するひどい侮蔑を含んでいるからである。現代の政治が、ものの考え方など、権力行為という獣を養う食糧位にしか考えていないことは、衆目の見るところである。


 昔、孔子が、中庸の徳を説いたことは、誰もが知るところだが、彼が生きた時代もまた、政治的に粉乱した恐るべき時代であったことを念頭に置いて考えなければ、中庸などという言葉は死語であると思う。おそらく、彼は、行動が思想を食い荒らす様を、到るところに見たであろう。行動を挑発し易いあらゆる極端な考え方の横行するのを見たであろう。行動主義、政治主義の風潮の唯中で、いかにして精神の権威を打立てようかと悩んだであろう。その悩ましい思索の中核に、自から中庸という観念の生まれて来るのを認めた、そういう風に、私には想像される。そういう風に想像しつつ、彼の言葉を読むと、まさにそういう風にしか、中庸という言葉は書かれてはいないことがわかる。


――小林秀雄『中庸』冒頭部(新潮文庫『Ⅹへの手紙・私小説論』所収)


先ず、引用。言説を記す者としての私個人の、原理論としての認識にしてスタンスです。当ブログにて幾度も言及しているけれども、小林秀雄の影響が、大きいのです、私は。(『感想』を除いた)全集の通読も含めて、もう10年、読み続けています。


しかしながら、私個人においても、歴史的な段階論としての認識とスタンスは、昭和26年に小林秀雄が記した上記からは、大きく分岐している。かつて明記した通り、現在進行形の状況に対する認識の水準を捨象した原理原則論にのみ準拠して言説を発信することを、私は是とはしないので。


私の個人主義(追記:前編) - 地を這う難破船


totさん、私の問いに応じての、大変に丁寧かつ明晰な書き込みを、ありがとうございます。率直に申し上げるなら、totさんというコメンテーターを、見直しました。まず申し上げますと、totさんが記された内容に対して、原則的には異論ありません。私個人の段階論的な認識とスタンスにおいて、ほぼ一致し、相違ないし違和は存在しません。筆者としての個人の水準に属する違和は、少しく存在します。後述。しかしながら、公論の水準においては、totさんが示された認識は、正鵠を得た、妥当にしておよそ正当なものであると、私は思っています。totさんが提示された原則としての認識は、状況を前提した私の段階論的な認識と、齟齬を形成し得ない、少なくとも当方にとっては。私は、相手が誰であれ、あるいはどういった内容であろうと、なるほど、もっとも、と頷き肯定するところのあるものであれば、認め受け止めますし、応えようとはします。自分が失敗したと思ったなら、引きますし謝罪します。間違いがあったら訂正します。そして、幾許かのリカバリーを期そうと試みるかも知れません。


totさんの示された意向に能う限り応えたく思うところではあるので、以降、話を早くするために、ほのめかしつつざっくばらんに率直に、かいつまんで簡略に書いていくことにします(本人比)。最初に。

私にだけ「おまんじゅう」に見えているのなら仕方ないでしょうが、おそらく私とは反対の立場の人からも「おまんじゅう」に見えているだろうことは上のコメント欄を見ても明らかですね。せっかくおいしそうな「おまんじゅうだ」と思って書き込んでくれたんでしょうに(笑)


「上のコメント欄」については、事実認識として、Apemanさんの一貫した言説ないし言論活動に対して快く思っていない、ないし違和感を感じている人間が、おそらくは多くいる、そのことは知っています、「おまんじゅう」の比喩をtotさんが拝借された方のブログのコメ欄にも、以前にApemanさんの熾烈な批判を被ったそうした方達がどうしようもない書き込みをされていました、で、私は、単に、ならば御本人に対して直接記すなり意見を示すなりなさったらいかがですか、コメ欄もTBも開放されていますよ、とそうした方達に対しては思うだけなので。私だって昨年の11月から色々とあったうえでの現在なのです。記しましたが、私は、党派的な行動と、徒党を組む人が、嫌いなのです。あとチキンも。それこそ右左にかかわらず。そして、私はああいう露骨に嫌味めいた言葉遣いが、個人的に好きではない。あくまで、私のエントリに賛同していただけるのであるなら、私のブログにコメ欄にそうした言葉を記すことは、管理人としては遠慮していただきたいところ、というのは、率直な本音です。

>そして「この手の人達」とは誰のことか。


簡単に言うと私が「右より」だと感じる人のことです。


sk- 44さんを「右より」=この手の人、であると判断した理由は『「問題ある?」とのこと』 のエントリが、総理大臣の靖国参拝批判をする人間や、ブッシュ「批判」をしている人間の知識の不足を揶揄するようような内容であったため(にもかかわらず靖国参拝支持者や、ブッシュ支持者の知識について問題にしていない)という単純な理由です。なんとがさつなと思われるかもしれませんが、そんなもんですよ。
私も「なにを問題とするか、とりあげるか」ということには既に政治的判断が含まれていると考えています。
そういう意味において、他のエントリにおいても、最近の「村山責任」エントリにおいてもsk- 44さんが「右より」であるのは明らかであると感じます。


まず、些細な話ですけれども1点。少なくとも、自ら掲示したエントリにおいては私は「村山責任」を明記してはいません。かつ、私は現在において参照し得る無数の輻輳する情報に準拠する限り、震災発生時の政府対応に関して、村山氏に対して結果責任としての政治責任以外は、公的には問うことができないと、考えていますし、一貫してそう記しています。1月30日付のエントリに引用した、Apemanさんのブログエントリのコメ欄においても同様。


そして、記した通り、totさんの、認識と判断に対して、私は原則的には異論はありません。私のスタンスに対する認識と判断についても。誤解とも誤読とも全然思いません。問題関心の所在と問題提起に際する選択から結果的に「政治的」な偏向性が見出される、そして私がかかる条件に基づき「右より」であると判断されそのことを外部の視点から公的に言明されることに対しては、異議を申し立てる必要も、そもそも違和も感じません。すなわち、認識に準拠した判断を特定個人について言明するに際して、妥当な見識と手続きが示されているのであるなら。totさんが私について公言された判断は、上記を満たすものでした。付記するなら、当方のコメ欄に記していただいた、丁寧で明晰な書き込みによって、満たすものであることを、すなわち背景的な見識と論理の所在を、確認しました。見直した、というのは、そういうことです。任意の見解ないし判断を任意の事象について示す以上は、発言者個人の背景的な見識を同時に最低限は開示するべき、というのが私個人の、相互的な言論に際する「手続き」としての要請項目ではあります。


ゆえに、totさんが私を「右より」と判断されることに対して、私は原則的に、同意します。たとえば「「ネトウヨ」=この手の人」と私について判断したのであるなら、対立的な見解を示さざるを得なかったでしょう。事情の一部については後述しますけれども、私はリアル、つまり現実の生活において長らく、いや近年はとんと御無沙汰なのですが、いわゆる「右派言説」「右翼的な言説」「右翼をめぐる言説」「「左翼勢力」「左陣営」「左派」への対抗的な言説」――総じて、多く戦後の言論空間においては異端とされてきた「政治的な言説」と、書物のうえでも人間的にも付き合ってはきているもので。むろん意識においては趣味的に、ということであって、任意の政治団体に所属したことはかつてありませんし(というか、私の性格に鑑みるならありえない)、任意の政治団体が主催するごく狭義の勉強会に参加したこともない。これも右左にかかわらず。私は団体行動全般と儀式的な勉強会全般と肉体的な行動主義全般と、付け加えるならごく狭義の国粋主義が苦手であるので。そうでないならむろん別です。この点については、機会があるならおいおい後述していきます。


ひとつ記しておくと、そうした知的ないし思想的な階梯を現実的に経てきた、原則において教養主義的な人間からすると、いわゆる「ネトウヨ」とレッテルを貼られるに値する言説も、また「ネトウヨ」とレッテルされた狭義の言説に対する対抗的な言論についても、価値と意味とは別個に、スタンスとして、それは私とはおよそ関係のない話ですね、と言わざるを得ませんし、そもそも右翼的な言説の、錯綜し輻輳する歴史的な経緯を、たとえ粗雑で簡略な教科書的な構図としてでも一端について把握している以上は、棹差したくもなるというものです。21日付のエントリにおいて私が示した、雨宮処凛氏のブログの引用に、尽きているような事項ですが。ああいうのを、逆説といいアイロニーといい、以前、呉智英氏について記した通り、皮肉な事態というのです。むろんtotさんのことではなく、一般論としてですけれども、単純に、無教養と不見識が、好きではないのです、私は。むろん、あるいは「左」については私もまた同族であるのかも知れない。無教養と不見識を厭うて戒めるのは、私自身に対しても、同様でもあります。


たとえば、旧来的な、冷戦下におけるおよそ直接に政治的な左右対立的な言論空間の構図すら、すでに忘却の彼方にあるのです、若年世代の多くにおいては。そのうえで「政治的な発言」を「ネタ」としてなのか「ファッション」としてなのか何なのか、時には公的な場でやる。困った話とは、思います。そうした感慨が、当該の「「問題ある?」とのこと」というエントリを掲示した、こと例示に際しての意識に関係していたことは、否定しません。であるから、たとえばApemanさんに「「ケンカ」云々」として誤解されることも困ったな、とは思っていたし、およそ単純化して端的に言って、広義の「政治的な問題」についての歴史的な意識と教養と視座の不在、という点に限るのであるなら、私とApemanさんとの問題意識はおよそ合致する――少なくとも私は同意している――ものと、私個人は考えている、かつそうした認識のうえで、自らの知識を公的に披瀝するに怠惰な、非生産的なニヒリストとしての私は、ApemanさんほどにWebにおいて行動的かつ実践的にもなれずバイタリティもなく、性格的には私は全然activistではない(ゆえに政治的な「行動派」としても失格)、そうした点から自身の退嬰的傾向を批判されることはやむなし、とは一貫して思っている、ということです。


言わずもがなを少しだけ記しておくと、いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」をめぐる案件を、Webにおける右と左の代理抗争の草刈場とすることは能う限り避けたい、少なくとも政治的な問題意識にのみ準拠して、無知と不見識のまま政治的な効果を意図した言論を示さないでほしい、相対的にも適切な議論を志向している論者が、わずかといえ存在する以上は。私は10月の段階から一貫してそう考えてきましたし、かかる意思に基づいて柄にもなく行動的に振舞ってもきました。例証し得ることです。かかる一連の行動が、結果的に2ch擁護と受け取られる蓋然性について認識したうえで。なお明記しますが、音羽さんや、あるいや松永氏が決して、政治的な効果を企図して言論を発信したわけではない、個人的な動機に準拠しての発言というアクションであったことを、私は認識しています。ですから、私は少なくとも音羽さんとは、柄にもなく徹底的に付き合いました。個人的な動機に準拠しての行動を、私は原則的には支持する個人主義者であるので。


政治的な旗幟を括弧に括ったほうが議論の傾向に加算的に作用する。そうした種類の議論もまた存在するということです。あくまで私の経験的な認識に過ぎませんが、およそ議論に内在する政治性が変数としてその適正化にこそ作用し得た議論が、戦後に限定したとしても、政治的な議論に際して存在したでしょうか。むろん、政治的な議論に必然として所在する政治性とは歴史的な経緯によって、あるいは公共概念として規定されたものであるがゆえに、かかる事項に対する意識と教養と視座を持たずして参入するべき事柄ではない。そうした事項を了解しているからこそ、私はたとえば南京事件については発言しませんし、首相の靖国参拝問題や東京裁判についても、Apemanさんの姿勢に対しては一目も二目も置いているがゆえに、「ケンカ」する気もないのです。開放されている自らのブログに、直接的に政治的な問題関心の所在を一貫して開示し、政治的な議論の、そのファクターとしての政治性に決定的に接触する知識と見解を継続的に開示していくというのは、本当に頭の下がることなのですよ。つまりは火中の栗であるから。


ゆえに、バイタリティなきブロガーとしての私は、意識し意図して、政治的な議論に対してはメタレベルに視座を置いて発言するし、そもそも自らの知識ないし見解を、明示的には披瀝しません。言い換えるなら、多く沈黙する、ということ。私は、メタな言説史にこそ関心の所在する「オタク」でもあります。であるから『民主と愛国』は刊行されてすぐに図書館にリクエストして読んだ。私個人にとっての読後の感想は、あるいは福田和也が記した内容(=既知の事柄、ということ)といささか同様でもあったし(しかしながら、福田氏が『民主と愛国』に示されてある内容を「既知」として片付けることと、言説史に関心を持つ者にとって多く「既知」とされる事項について、小熊英二が大著を記して世に問い周知させる体にて刊行したこととは、意義においてはまるでバランスしない。むろん福田氏は、別の重要な大著を記しているわけですが)、小熊氏本人については、原則的に贔屓ではあるけれども、個人的には色々と思うところが以下略、といった具合に。小熊氏については触れませんが、この辺についても、あるいは後述するかも知れません。


ですから、総理の靖国参拝問題に、当該のエントリにて「一義的な意図においては他意なく」触れたことについては「安易」「不用意」と自省し、少なくともApemanさんに対しては申し訳なく思ったことは、事実です。私の問題関心の範疇にもありながら、ほぼ書いてはこなかったうえ(かつて、少しだけ記しました)、行動に拠って判断されるコミットメントにおいて、すなわちモチベーションを比してApemanさんに到底及ばないことは知っていたので。失礼をしました、とは思っています。靖国神社について、totさんに対してお答えする形で、少しだけ書きますと。


そうですね、私は、当該のエントリにて描写した女子大生に対して「腹を立てて」いたのかも知れません。ただし、その立腹は「知識の不足」に対してというよりも――境内に一度も足を踏み入れたことがない、というか近寄りたくもないし、(大鳥居の存在についても知らないということは)事実、九段下近辺を通過した際に意識したこともないであろう、かくありながら堂々と批判する、そうした風情の彼女の姿勢に対してかも知れません。自らが眼を切り意識から切り離している対象に対して、無関係という認識を前提したうえで賢しげに軽蔑的な見解を示す人間を私は嫌うし、そうした見解は支持を受けない、とは個人的に考えているので。


久々に覗いたところ、NBonlineが会員登録制になっていたため当該の文章を引用できなかったのですが、私が時にその見識を楽しく大変に興味深く拝読してきたビジネスマンが記した、以下のコラムにおける主旨と似た感覚であろうと、思っています。


はてなブックマーク - 中国人が靖国神社に行きました:日経ビジネスオンライン


上記ないしは他の関連するコラムにて宋文州氏は次のような主旨のことを記していました。記憶で書くことを御容赦。ある、中国政府について頻繁かつ声高に批判している高名な論者と同席した際に、ところで貴方は中国の地を一度でも踏まれたことがあるのですかと訊いたところ、先方は、ない、と断言。それを聞いて、自分はその論者に対する敬意を失ってしまった。この「高名な論者」が誰であるか、当該の文章から察しは容易に付くのですが(注:小林よしのり氏ではない)、そのことは措いて、かかる宋氏の考え方に、私はまったく同感です。


私の父親は全共闘世代のど真ん中で、「世界」を愛読していた多少インテリがかったプロレタリアートであったため、父方の親族が祀られているにもかかわらず、家族と共に靖国神社に行ったことは私はない。とはいえ長じて以降幾度も境内に足を踏み入れている。むろん当初は好奇心、はてなキーワードの紹介文に記されてあるところの「靖国神社キラーコンテンツ」たる遊就館目当てであったことを否定しません。拝殿と向かい合ったことはいまもってなお、一度もない。なぜか。私は「英霊」という宗教的な概念をフィクショナルなものとしてしか受け取れないし、明治以降の国家神道が、起源においておよそ人工的なものであり、しかしながら必然として●●されたものであったことを、知っているので。かつ、私は任意の連れと靖国神社の境内に足を踏み入れたことがないから。そのうえ、だいぶん以前にエントリにて記しましたが、私は、個人の死とは生者たる個人の内部において、孤独に個別的に、個人単位にて受理され決済され、記憶され想起され、そして追悼される以外にないと、根本において考えているので。私の一方的な我田引水の解釈に拠るなら、小林秀雄もまたそのように考えていた。およそオクターブ高く声高な、言説における「死者の想い」の故意の僭称と簒奪に対して、私は反吐が出る人間です。これも、右左にかかわらず。


敬愛する、finalvent氏が先月記していたことですが、


こんなこと言うことじゃないけど、ま、ちょっこっと - finalventの日記


実感として、全面的に同意でありかつ同感なのですが、こと以下の部分。

初詣とかなんとか詣出に行くことはある。神社の前でぱんぱんとかする。賽銭も投げ入れる。でも、ここに神はいないと思う。神というもの自体存在しないと思う。不敬とかいう以前に無だと思う。もちろん、言わない。


私もまったく同様です。ならばなぜ寒空の下2時間も並んで(今年は参った。飯田橋の東京大神宮)、初詣に行くのか。解は簡単。もはや毎年の恒例となっているのだけれども、元旦の初詣は家族と共に行くので、私が無としか思わずにぱんぱんして賽銭を投げ入れ目を瞑っている隣で、家族が手を合わせている。そして事後の御神籤に対する反応も含めて、家族は真面目に祈願しているようなので。現代の人は、死者のためにではなく、隣の生者のためにこそ、死者に対して外形的に瞑目している。出典がわかりかねるのですが、黒澤明が晩年「過去のことよりも、生きている者のために働こうじゃないか」といった趣旨の発言をしていたと知ったとき、頷いたものです。つまりは、あくまで私の個人的な認識に過ぎないことですが、生者の繋がりの確認のためにこそ、死者の存在はある。むろんそれは、あるいは国家単位の、連帯意識という人工的な紐帯の涵養と高揚に、利用され得る。finalvent氏の他なる発言。


夫婦とか親子とかの活動 - finalventの日記

もう一つは、靖国なりが意味を持つとすれば、個の関わりではなく、家族というか、親子の関わりの幻想の延長ではないかという気がします、ということ。


上記の箇所については、私もまた同様に思います。実感の水準で。であるから、独りで境内の土を踏む私は、拝殿に向かうことはない。信念ないし信条としてではない、単に、無意味なことと思っているから。一礼して瞑目するという私の行為が、ひいては、私という個人の内心にとっての宗教法人靖国神社が。私は、霊魂なる外的な概念を認めない。つまりは、不信心者の機会主義者、ということです。そして、不信心な機会主義者は、当然のことながら、参拝者や他なる来訪者の意思に敬意を払い尊重しているから。それは、生者としての他者に対する社会的な礼儀の問題。


なお、首相の参拝問題について如何様に考えているのかと問われたなら、宗教法人としての靖国神社に対しては、■■の如きよりも、何よりも●●●●が参拝をされるべきと、一貫して考えていると、答えます。そして●●●●の参拝が為されていないという現状を、偏に外交問題としての政治的な事情に帰し得るものとするなら(その筈はない)、国立の追悼施設を――あえて書きますが、便宜的かつ外形的かつ形式的にも政府主導にて設置するべきでしょう。とはいえ私がそこに行くことがあるのか、わからない。なお分祀については、宗教法人としての靖国神社が判断する問題。公となった大御心が真であるとするなら、省みるべきではないかと、「英霊」として祀られた戦死者の親族のひとりとして、記してみたくも思いはします。結局のところ、私個人は――比喩的にかつレトリカルに記すなら、現実に制度的に名前が刻まれるということを、私的機関の発行する紳士録の名簿と同様のものとしてしか、内的には受容、というか受理し得ない。私は一貫して「かのように」「空車」の人間であって、ゆえに、あるいはとんでもない無信仰者にして不敬の徒であることを、知っています。


私は、維新以降の、日本の近代史ならびに昭和史戦後史について、その政治的な状況についても含めて継続的な問題関心の一部としています。世界大戦史についても同様。過去形とするべきかもかも知れませんが。ことにかつては――思い起こせば10代前半の頃からです――よく調べた。ティーンの時期に始まった、単なる興味と猫をも殺す好奇心ゆえのことであったがため、およそ異形で異端的で物騒な側面についてばかり「勉強」し、いまその大半が頭から飛んでいたりもします。あるいは、スティーブン・キング著『ゴールデンボーイ』に登場する、ナチスに惹かれ憑かれた少年と、出発点においては同様であったのかも知れない。考えれば、かの時代のドイツについては私は勤勉な文献探索家であり知識収集家であった。絶対に、書かないけれども。戦後50年の、その以前からのことです。性的にそして知的傾向においても早熟な少年とは、多く非倫理的な道徳的白痴であって、無邪気ゆえに自省能力が著しく欠如している。かかる実存的な反省のうえに、現在の私は乗っている。なお東京裁判についても同様、定型通りに、小林正樹の映画を発端としますが。であるからこそ、私はそうした問題関心をめぐる事項を意思的にあまり書かないし、率先して記している方に対しては敬意を払う。以前、音羽さんに対しても記しましたが、コミットメントとは、表出とその内実に拠ってのみ、対外的に判断される。沈黙と不作為は表出ではない。そういうことです。

もちろん私が「右より」だと感じるから、というのは私の勝手な物言いです。sk- 44さんが「フレームを解除した地点において話をしたい」とおっしゃることもわかります。しかし、私にはどうしてもsk- 44さんの取り上げる問題や仰っていることが「フレームを解除した地点において」話されているとは思えません。どうしようもなく「フレームにはまっている地点」から話されているように見える。にもかかわらず自分はそうではないと仰る。くだらないたとえ話をすれば、どう見ても「おまんじゅう」なのに「これはおまんじゅうではありません」とラベルが張ってあるような、まさにシュールリアリズム的な光景が展開されているのです。


よって――かかる比喩に準拠した話を私の見解から追加するなら、「おまんじゅう」であることを嫌というほど知っているからこそ「おまんじゅうではない」と「あえて」設定したうえで話をしたかったのですけれども、どうやら、かかる私の意図は、少なくともApemanさんと意見を交換するに際しては、あまり適切ではなかったようです。言説の収集家として、「おまんじゅう」をめぐる議論を、ネットの以前から私は散々目にしていたので。そして、Webというものは、かかる「歴史的な政治性」にあるいは拘束された議論の一切から解放された、前提において価値相対的な「ニュートラルな」議論の展開され得る空間ではなかろうかと、一瞬だけ思いもしたのですけれども、どうやらそれは、全共闘世代と新人類世代の言論から、リアルタイムに多大な影響を受けたオタクの後裔の見た幻であったようで、現状は誠に奇怪に捩れた、厄介な事態と相成っている、そうした認識は、むろんあります。


違和感と戸惑いはあるのですよ、生粋のbeforeAUM世代としてもね。あの時代は、少なくとも現在よりは、既存のかつ旧来の政治的な構図が言論においてかろうじて現存していた。むろん、あの時代に、それこそ『宝島30』的な言論人によってあえて召還的に言挙げされ「問題化」されたうえでその批判と転倒とメタ化と解体をこそ呼号されていた大文字の「政治性」とは、擬似問題としての「政治性」であって、擬似政治でしかなかったのですけれども。既存の旧来的な「政治性」というフレームないしパースペクティブは、擬似的な「問題設定」として再起的に言挙げされ召還され問題化されなければ、もはや物理的にも現存し得ないゾンビであった。息の根を止めたのが、たとえば宮台真司であったのですが。これは都市伝説でも武勇伝でもなく、歴史的事実。


冷戦期を前提した、既存の旧来的な「政治性」という問題概念がafterAUMにおいて息の根を止められ(むろん、止めた「功労者」の内にはたとえば唐沢俊一もまた岡田斗司夫も含まれている、彼らもまた、afterAUMにおいて表舞台に躍り出た新人類世代の言論人であった)、半分のアイロニー/リグレットと半分の喝采/期待によってそれを迎えたひとりとしては、現在のWebの状況について、こうなってしまったか、と思うところが、あるのですよ。屈折と屈託と翳りが。岡田氏や唐沢氏の現在についても含めて、こうした事情についても色々と語りたい事柄ではあるのですが、機会があったら後述。


「おまんじゅう」は息の根を一度止められ、再帰的に回帰したようですね。律儀に作動し続ける、人文的な認識と価値判断の装置として。世界に対する認識の眼鏡たるドクサとして。私がそこから自由であるとは、言いませんし全然思いません。むろん当然の、必然にして必至の事態ではありますが、果たして「おまんじゅう」の再編成は相対的にも適正的に為されたのか。任意の操作が介在したということではない。それこそ、北田暁大らによる考察は参照されるべきでしょう。慶賀すべきことであるのか、私はいまだに複雑であるのですよ。


歴史――少なくともこの30年の言説史に対する意識も教養も視座もなき「自称右派」については、勘弁してほしいところではあります、個人的に。あるいは、戦後的な言説史に対する意識と教養と視座「しか」いまだに持たない言論らしきものについても。Webにおいてもまた論壇誌においても。ああいうものは字義通りの意味において、ネタでしょう。およそ一方的な「右翼の僭称」に、私は肯定的な感情を抱いている者ではない。一方的かつ対他的な認定についても同様。私は任意の政治団体に所属することのあった者ではないけれども、迷惑と思っているのですよ、本音を申せば。活字媒体における右翼的な言説に、あるいは旧来的な左翼的言説に、長らく親しんできた人間としては。


小学校高学年の頃から、旧陸軍の「天保銭」という隠語を知り辻政信や三浦義一や大杉栄頭山満という固有名詞とその暗躍を知り、現代書館の「フォー・ビギナーズ・シリーズ」を「出版社の傾向」について考えることもなく、社会学的かつ文献学的な知識における必携の教科書としてきた(大変に刺激的などぎついイラストが頁ごとに目一杯入っていたので、リアル消防ないし厨房には面白く読み下し易い。『日本の権力』『日本の右翼』とか、繰り返し愛読したものです。同一人の手になるイラストが本当に、強烈であった。『日本の権力』など、カバーが黄金なのです。中曽根康弘の政治について、とてもよくわかった)困った世代(否、私のパーソナルな個人史でしかないか)――すでにカビの生えていた、賞味期限切れの「おまんじゅう」をそれとも知らず、長じてそれと認識して、山ほどかつ嫌というほど食ってきて、しまいには腹を下した世代、というか人間の、個人的な愚痴でしか、ええ、ありません。


余談ですけれども、たとえば、山本夜羽(現・夜羽音)の『マルクスガール』など、現在において如何程まで読解され得るものなのでしょうか。ジャーゴンリファランスに限ったことではなく、およそ主題から作品世界の傾向性に至るまで。私は楽しく読んだけれども。しかしながら、かの描かれた世界が「あるいは忘れられた68年の歌」であることすら、「忘れている」側の人間にとっては、わからない。そして知らない。私は、山本氏の、こと山本名義におけるその作品の、長い愛読者なのです。


私が「どうしようもなく「フレームにはまっている地点」から話されている」ことは、totさんの御明察の通り、事実です。「フレーム」の存在と所在を、私はよく知っているので。歴史的ないし言説史的な背景も含めて。もっとも、現在のWebにおけるフレームの位置的な所在に対するに、自らの知的思想的体験的な個人史に拠って規定された認識的な位置が、既知としてのフレーム含めていささかズレていて、そのズレについて精確に測量して対象化することを、はてな村にてブログを運営している現在においても、いまもって私が為し得ていないこともまた、事実なのです。つまりは時代遅れということ。


2chにてだいぶん以前、「南京」あるいは「同和」でスレタイ検索したところ、まったく仰天したものです。十数年前と比して、日本は言論的には相対的にも風通しのよい国になったもので、むろんその肯定的な側面を私は認めないものではありませんが、とはいえたとえば後者のスレッドにて散見された一部の「出自暴き」的な発言については、書き込んでいる内容についての自覚はあるのかしら、ソリッドに洒落にならない話というのはあるのだがと、解放出版社刊行のものも含めて、部落差別と同和問題にまつわる文献に色々と目を通してきた私は無責任に思ったりもする。


――そして「にもかかわらず自分はそうではないと仰る」のもまた御推察の通り事実であって、それは上記を主たる理由としていました。今後は、どうしたものか。「偽装」していたつもりはないのですけれども、説明するに難儀であるとは、思っていたので。根本的に、他人に自らのことを来歴含めて知ってもらいたいとは思わないのでしょうね。いや最近のエントリも含めて、ブログに散々書いているけれども、言語に拠る抽象を経てデスクトップに記述されアップロードされた自己との内的な同定性を、どうしても執筆者としての私は実感し得ない人間であるので。嘘を吐いているということではないけれども、どうにも私の話という気がしない、他人のことを書いているとしか思えない。内的に、最終的には言語を信じない人間なのです、私は。それは最終審級においては対話を志向していないということであるし、非生産的なニヒリストであるというのは、そうしたことです。


よって本質的に怠惰な私が、Apemanさんとの「意見交換」ないし「議論」に対して、再三にわたり柄にもなく積極性を示したのは、Apemanさんが対話を志向する人であり、またそのことを公言し主張していることを知るがためです。縁ある相手の意気に応える、行きがかりとはそういうことです。とはいえ「村山責任」の件に関しては、当方の勇み足にて単に迷惑を掛けてしまっただけのようで、コメ欄における結果的なミスリードについては申し訳なく思っています。

冗談はさておき、web上での発言がどのように受け取られるかというのは、(その誤読可能性も含めて)sk- 44さんには自明のことのはずです(私がsk- 44さんを「右より」だと思うことが誤読だとは思いませんが)。sk- 44さんが「違う」と仰っていても「書かれている内容で判断される」のは仕方のないことですし、それが「ネットでものを言う」ことではないですか。


そもそも「フレームを解除した地点において話をしたい」ということはとてもナイーブな発言だと私は思っています。言葉を発するというのは極端にいえば物事を「フレーム」にはめることですよ。それを「したくない」「されたくない」というのはある意味「逃げ」です。責任回避と言ってもいい。sk- 44さんの文章が常に膨大なエクスキューズであふれているのも、それが原因ではないですか。


原則論として、同意します。自明のことです。そして、むろん私の「偽装」的な説明不足が悪いのですが――少なくとも私の意図においては、ナイーブな認識に拠って立ち「ナイーブな発言」を記したわけではない。totさんと認識の位相において決定的に相違しているのか、あるいは幾許かの合致点が存在するのか、正直なところわかりかねるのですが、21日付のエントリにて記した通り、発言の他者による読解と受容については原則的に自由であるし、それに対して筆者の意図が強制制ないし拘束性を有して関与することはあってはならず、またそうさせるべきでもない。べつだんテクスト論に拠らずとも、普通に常識としてそう思います。


ただし、「筆者の意図」については、あくまで属人性を有したブロガーとしての筆者の立場からも、その必要があるならささやかながら明記しておきますし、属人的な筆者との「対話」を志向するのであれば、少なくとも、同意することはなくともかかる事項については最低限、踏まえてほしい。むろん、totさんは的確な読解のうえで踏まえてくださっていますし、かつ、私もまた、重複的に再度記しますけれども、totさんに限ったことではなく、自らが「右より」と判断され認識されることを「誤読」ゆえのことであるとは、まったく思わない。


「言葉を発するというのは極端にいえば物事を「フレーム」にはめることですよ。」そうした議論について、事象の条件を括弧に括ったうえで抽象的な領域にあたかも止揚させるかのような、ポストモダンでメタな議論の好きな、概念操作マニアの私は存じ上げていますし、またかかる認識についても、日頃の自エントリの傾向に鑑みても異論のあろうはずもなく、つまりは自明の事柄であり、同意しています。私は、およそ絶対的に「意味という病」に支配され拘束された、意味に満たされた人間であって、レトリカルに記すならフロイディアンでも、かつてありました。一義的に、言葉とは意味でありフレームであって、任意の対象を指示する機能に過ぎない。


もし、私の側からの留保事項を付すとするなら、かかる「フレーム」とは常にかつ全面的に「政治性」「政治的旗幟」「政治的判断」に限定されるものではない、そう私は考えている、ということです。「靖国問題」についてすら、時に私はそのように考えます。あくまで時に、かつ個人的に、ということですけれども。少なくともApemanさんが御自身のスタンスを明示している以上、そして、私の側にかかる「フレーム」に準拠したうえで対立的な見解を示す意思もまたモチベーションもない以上、その件について「ケンカ」する気はないということであって、「不用意」については頭を下げる、ということです。


言説の発信者としての私が気に掛けているのは――私の問題関心とその提起に際する意思的な選択が多く私個人の上述した「政治性」という歴史的言論史的に規定された問題概念を前提として所在することは明確な事実であるけれども、しかしながら、常にかつ全面的に、個人的な問題関心の所在と問題提起に際する意思的選択における「一貫した基準」として存在する任意の「政治的選択」に拠った結果であると、sk-44の発言に際してつね前提事項として認識されることは、おそらくは端的に事実としても誤認の類であろうと、私の発言に際するスタンスを他者的に省みる限りは、考えている、そういった事柄です。


確かに。21日付エントリにて記した内容に、現在の認識から付記するなら、たとえば丸山眞男を原則的に尊敬する私は、姿勢においては一貫して開明的ではあって、かつ、意思的なる近代主義者ではありますが、しかしながら認識の水準において、保守主義者ではあることでしょう。認めます。空論家を自認する者としては、言論の提示に際して自らをリアリストとはいまひとつ思わないけれども、自己の外部の一切を擬似的なものとしか考え得ない不信の人にとっては、虚妄の外的世界は虚妄として堅牢たるべしとは、生の基底認識としても思いはします。あまりにもパーソナルな話でしかありませんけれども。


私は一切の「伝統」概念をメタな水準に即してしか捉え得ずまた操作的にしか行使しない、空疎なスタイリストとしての審美的な人間でも、またある。私にとっての保守的言説とは、現在の日本においては、たとえば西部邁氏に代表される言論的立場の謂いであって、某や某や某や某のごとき政治的功利主義者やメタ皆無のベタ論者を保守と言挙げられても、単純に困ります。彼らは自分で名乗っているわけですけれども。そうした似非保守(発言原文では「擬似保守主義者」)をこそ、西部氏に一喝してもらいたい。かかる『限界の思考』における北田氏の言に対しては、私は全面的に同意します。私はあくまで、少なくとも言論に際しては、アカデミックな系譜とディスクールに準拠して限定的に「保守」概念を用いるので。


私がネトウヨさんですか。 - finalventの日記


昨年の、小泉参拝のその翌日。大変に興味深いコメ欄からの引用ではありますが、はたと手を打ったところです。誠に同意するところであるので。

Baatarism 『こんなこと考えてみました。w
ネトウヨの定義 他人をネトサヨと罵る奴
ネトサヨの定義 他人をネトウヨと罵る奴』


つまり、人を呪わば穴ふたつ、というのは冗談ですけれども、他人に対して無造作に無知と不見識に基づいたレッテルを貼る人間は、自らもまたそうした対処に付されてやむなし、と。ええ、右左にかかわらず。であるから私は、かかる「罵倒語」「蔑称」を括弧なしで用いることは、これまでもまた今後も、やりません。言論に限定したとしても、そうした右翼と左翼のいいかげんかつテキトーな僭称と認定合戦も、大概にしてもらえませんかね、とは、方々の状況を鑑みても、率直に思ってはいます。こうした機会でもなければ、およそ直接的には口に出しませんけれど。そうした趣味の悪いゲームに付き合うつもりは、私はない。むろん、totさんはそうではないことを、書き込んでくださったコメントによって確認しました。また――あえて集合的な表現を用いますが、Apemanさん達もまた、私と同様のスタンスであろうと、私は思っている、というか信じているのですけれども。いつぞや、中国の呼称についてそうした見解を私に対して記していました。


言うまでもないことですが「ありうべき誤解を避けるために」。Apemanさん達が言説的な立場において「左翼」を自認することが「僭称」であるとはまったく思いません。ただし私は、他人の「政治的判断」に「のみ」準拠して侮蔑的なレッテルを貼って涼とする人間が、好きではない。端的に「くだらない」としか思いません。くだらないことを意図的に記している人間に対しては「勝手にやっていればよいのではないでしょうか」としか言いようがないし、あまりそうした人と、少なくとも当方において対話をする気にはならない。前提がすでに決定的に相違しているから。「政治的判断」それ自体に「のみ」拠って他人を批判し得ると考え行為として侮蔑的な内容を無造作に記し得る、およそ歴史意識の欠如した、無知にして不見識な人間は、私は敬遠するところではあります。むろん、右左にかかわらず。


それと――ごく単純に、売り言葉に買い言葉、というものが好きではない、私は。ことにWebにおけるそれはね。ネットがドッグイヤーであるにもかかわらず、私がレスに時間が掛かるのは、そういった意識、というか意図も関係しています。無内容で芸のない、嫌味と皮肉とDisに、実生活において口の悪い私は、あまり価値を認めない。たとえ、私に対して向けられたものでなかろうとも。私は、日常において言葉を媒体として操作しながらも、最終的に言語を信じない人間であるので。


「ありうべき誤解を避けるために」――むろん、Apemanさん達は、そうではないと私は考える。であるからこそ、コメ欄に再三「出張」してまで直接言葉を記しています。「はてなサヨク」と揶揄しているなら直接意見をぶつけて話してみればよい。「おかしな人たち」であるか、果たして「論理は通じない」相手であるのか、確かめてみればよい。Apemanさんは、というか多くの自らを「左翼」と意思的に規定するブロガーは、私と違って対話に際して怠惰ではなく率先的かつ自発的であるのだから。「看護」を私の疲弊した双肩に託されても、あらゆる意味において困るというものです。


私はリアルにおいても「左翼」を自認する人達――時に市民運動家ないし活動家――とよく対面にて話してきました。一番最初の相手はいまだ元気があった時分の親父でありましたが。小学生相手に、部落差別や朝鮮人差別について問わず語りに話してくれたものです、当時はインビジブルであった話を。思想傾向はともかく、親父はべつだん、人間性において開明的な人ではなかったので。『戦争論』が刊行された時分にやったのが最後であったなぁ……いや元気はなくしているといえ、健在ですけれども。


付記しておきますが、それをレイシズムと呼び得るのか私は断定しかねていますが、民族的な差異に「のみ」準拠したおそろしく概括的な批判的言説を公的に記す行為を、ひいては政治的な事情に「のみ」基づいた民族的な差異に対する概括的な批判的言論それ自体を、私は一様に個人的に好みません。ポリティカルかつ現実的に、危険な水域に接触している発言であることを、自覚しているのかいないのか、匿名のそれを目にするたびによくわからないのですけれども。無検証な流言飛語というのは、時にやばいのですよ。これは、別の方が、私も関係している別件に即して記されていたことですが、「排除の姿勢が見えなければ容認」――そうであるのかも、知れません。私個人としては認めたうえで、しかしながら、バイタリティなく怠惰で静止的なニヒリストとしては、なんとも。ですから――よって。

「フレームを解除した地点において」というエクスキューズがないと、発言(その内容によらず)の正当性や説得力に問題が生じるとお考えですか?私は全くそうは思いません。お互いの立ち居値を明確にして議論してこそまっとうな議論になるのではないですか。そうでないから常にsk- 44さんの議論は噛みあわないのではないですか。


少なくとも、Apemanさんと意見交換を試みる際には、自らの立位置を便宜的かつ外形的かつ機会主義的にも明確化したほうが、噛み合わなくなることもなく、円滑に話が進行するということに、totさんの御指摘によっても、思い至ったところです。今後はそうすると思います。的確なサジェスチョンに、感謝します。「「フレームを解除した地点において」というエクスキューズがないと、発言(その内容によらず)の正当性や説得力に問題が生じるとお考えですか?」との御質問に対しては、縷々綴った上記をもって返答に換え得るとは思いますが、概して要約的に改めて答えるならば――以下になります。メタな話で申し訳ありませんが、その理由についても記してきました。


「政治性に常に全面的に還元するべきではない議論というものは、およそ存在することでしょう。少なくとも私は、個人的に、しかしながら公共性を前提して、それを志向するところではあります。自らがどうということは、他人が決めることであって、どうでもよろしいし、その判断が妥当かつ正当なものであるなら、ごもっとも、と受け入れ認めます。必要と判断したなら、便宜的かつ外形的かつ機会主義的に、自らの「立位置」を、既存のかつ旧来的な政治的旗幟に準拠して借定的に規定します。発言とは多く相手あってのものであり、言説とは多くコミュニケーションのためにこそ行使されるものではあるので。円滑な進行こそ肝要です。しかしながら。そもそも「政治性」の対象的な借定自体が適切な周知へとおよそ至っていない状況が、私の知見からは窺える以上、かかる「政治性」に準拠した議論が多く錯綜し混沌とすることは必定であり、最適解として、便宜的かつ外形的かつ機会主義的な政治的旗幟の分岐への、直接的な還元へと帰結する。以降の手続きは、自認という自己規定と対他的な認定へと移行され、そして、かかる発想自体がそもそも、冷戦下の旧来的な「政治性」という問題概念をめぐる対立的言論の反復でしかない。かかる反復に、私は弊害を多く見出します、かつての経験的な風景と同様の――」


ひとつ、およそ放言的に言えることは、私は自らの政治的な旗幟というものを、ひいては「政治性」「イデオロギー」という歴史的に規定された、言論における公共的な問題概念を、最終審級においては擬似的な趣向結構として、外在的な装置としてしか捉えていない、ということです。ゆえに、話がメタになる。擬似化された問題をめぐる議論とは、多くゲームです。現在、人は多く、冷戦下に規定された大文字の「政治性」「イデオロギー」「左右概念」に拠っては、行動することなく動員もされず動機付けもまた行われることはない。私は、残念ながら、あるいは困ったことに、そうではない。


イデオロギーとは、差異を構成する趣向結構として、ないしアイデンティティを構成するサプリメントとして、「意識の高い大衆」によって無尽に消費されている。そのとき、イデオロギーという便宜的かつ外形的かつ機会主義的な趣向結構の、内容的な実質の階梯とその真偽についての検討は捨象されている。少なくとも、検証精査という発想はない。外延としての結構が、個人の自我を借定的に規定する。雨宮処凛が、かつて身をもって描き告白したのは、そうした事柄でした。かつて太田出版から雨宮氏が著した『生き地獄天国』は、本当に名著です。現代において、多く個人の内的な実存とは最終的になり得ない、大文字のイデオロギーという、象徴資本の空手形。差異を構成する趣向結構ないしは意匠として、カジュアルかつファッショナブルに消費され交換されていく「政治性」という問題概念。その擬似性を、僭称者こそがもっともよく知っている。


「「問題ある?」とのこと」というエントリにて記したのは、そうした事柄でもあったし、靖国の件やブッシュの件について例示したのは、そうした意識が関係していました。むろん「総理参拝賛成派」「ブッシュ支持派」に見出されるかかる傾向についても同様ですし、そのことについて記さなかったがために、私が「右よりの人」と判断されることに対しては、再度記しますけれども、結果論としていかなる異論も違和もありません。つまり、当該のエントリに「そうした意図」が所在したことは事実ではありますが、それは「政治性」という問題概念を、差異を構成するための擬似的な趣向結構として僭称する「意識の高い」人間についての批判であって、かかる批判を記す動機は縷々綴ってきた上記にあるがために、たとえば当該のエントリがApemanさんに対して「喧嘩を売っている」と御本人から判断されることは、端的に意図においても認識においても心外至極であり、とはいえ説明に難儀するであろうことが予想されたがため、あのように返答した、ということです。ええ、私は「天然」ではない、確信犯でしょう。


「政治性」をイデオロギーを、差異を構成する便宜的かつ外形的かつ機会主義的な、交換可能な趣向結構としての、象徴資本の空手形としか捉え得ない。――であるから私は「かのように」「空車」の人間なのです。しかしながら、私という個人は、かかる交換可能な趣向結構の「内容的な実質の階梯とその真偽」に対する意識も教養も視座もなきままそれを僭称し行使する、歴史性に対するアイロニーとリグレットなき、軽薄な忘却の徒に対する立腹を、揶揄的な体にて記したくなる程度には、冷戦下に規定された大文字の「政治性」「イデオロギー」「左右概念」とその錯綜に意識と認識と行動を規定され拘束され、そして息の根を止められた過去のゾンビを、背負ってしまっているのでしょう、残念ながら、あるいは困ったことに。象徴資本であろうがなかろうが、たとえ空手形となっていようが。つまりは分裂している。――複雑なのですよ。であるから口も重くなるし、時に二枚腰となる。二枚舌に見られることも、またあるでしょう。


以前、森達也鈴木邦男との鼎談にて、斎藤貴男が「マルクスを1度も紐解いたことのない私がなぜ左翼と呼ばれるのか」(大意)と発言していましたが、つまり、左右概念は現在に至って更新され再編成が為されたということでしょう。斎藤氏の発言の意味すら汲み取れない人は、若年世代には多いのかも知れない。ちなみに私は、だいぶん以前に、一時マルクス主義者と名乗っていました、ヤオガチ半々で。単語と名台詞以外は、多く頭から飛んでいますが。かかる私の意識と認識(の一部)に基づいた判断と行動が「逃げ」であり「責任回避」であるのか、totさんの判断に、お任せします。説明不足については、改めてお詫びします。


ただ――「責任回避」はともかく、「逃げ」ていたことは、事実と思います。ええ、私はソリッドでモダンな「政治性」という問題概念から、言論に際しては逃げてもいたのですよ。私は言論におけるそれを、いまなお反復された擬似的な問題設定としか思えないから。言論におけるそれを、ソリッドでモダンな「現実」と思う人とは、どうしても噛み合わなくなりはするのかも知れません。とはいえそれは――かつて音羽さんが私に対して記した通りに「現実」であって、少なくともその一部を構成してはいる。むろん、批判ではない。私のかかる来歴と状況認識こそが、異端的でもまたあるのでしょう。つまりは、かかる奇形的かつ奇怪に捩れた状況下において、「右左」に分岐した「政治的な議論」の、その、Webという言説空間における再帰的な問題設定化にコミットすること自体に対して、消極的ではあるし、あまりにポリティカルかつ杜撰な、二項対立的な還元化に対しては、時にうんざりしても、いるのですよ、率直なところを申し上げるなら。これがフラット化ということか、とは思います。「右左」をめぐる、この30年の言論空間史的にメタな言説なら、多く開陳するにやぶさかではありませんけれども。


なお「sk- 44さんの文章が常に膨大なエクスキューズであふれている」その理由は――というかそう見えるのですね、やはり。現実の友人にも、ブログを開設して相当に早い段階にて指摘されました。しまうまさんも同様のことを仰っておられましたね。意味というモダンの体系に、私的内面的な履歴からもフロイト的に支配され拘束されているがゆえに、必然としてのディスコンラクションの帰結として、時に空疎な美の人たる私は、一貫して表層的かつ感覚的な隠喩と修辞学の徒ではありますが、また自らが時に欠く資質を有する相手に対してこそ他者としての関心を抱くことが常でもありますが、そうした事柄は措いて、任意の事象に際して、想定される前提的な条件に対する言及を張り巡らせておよそ迂回的に書くことに意識を傾けている、そのことは事実です。


理由。「ありうべき誤解を避けるために」を常に念頭に置く人間であるからです。「ありうべき誤解」の発生しかねない、つまりは微妙で切実な問題の、リスキーな領域に触れることを、よく書く、というか、そうした事柄でないと、時にエントリを掲示するモチベーションが発生しないためです。それは、べつだん「政治性」「イデオロギー」の問題ともまた関係がない。DVの問題など、触らないに越したことはないのです(追記:政治的な主張についてはおよそ措きますが、配偶者間暴力について以前から取り組み、問題の所在について周知させるために、国会議員として時に声高にアナウンスしてきた福島瑞穂氏のその姿勢自体については、少なくともその点に限るなら、敬意を払うに値すると、私は考えています)、統合失調症ないし心的疾患の問題についても、少年犯罪や性犯罪や触法精神障害者の問題についても同様。死刑制度についても。あるいはセクシュアリティ/SEX/行為に際するにイリーガルな性的嗜好についても。しかしながら、そうした「リスキーなテーマ」は、私の私的経験的な来歴に規定された実存的な、一貫した問題関心では、ある。私はそれらを、プライベートな私的履歴を起点として一貫して内的に検討しているため、ほのめかしを用いて記さざるを得なくなる。


そして、何よりも価値相対主義者である私は、自らの示す見解に対する対立的な見解を、つまりは対抗言論の所在を常に前提してエントリを掲示します。それは事前における実際面の対処としてではなく、単に、一貫した、言説提示者としての私の個人的な倫理と方向指針、つまりは原理原則に準拠したものです。私のスタンス/スタイル/ポリシーということ。


むしろ、あくまで一般論と断っておきますが、上記に挙げたような案件に対して、直截に断定的な意見表明を記し得る人が、少なくとも相手がバランスに留意していると思われるブロガーであった場合は、私にはよくわからない。「レイプされて出来た子供は堕胎して良いか」というエントリタイトルのもとに、直截かつ端的に断言的な意見表明を短文にて記して、大変な反響を呼んだ、現在は著名なブロガーを、以前に知っていますが。いや、愛読している個人的にも好きな人ではあるのですけれども。すげえな、とは思ったものです、当時。他人様のブログのコメ欄にて、あまり迂回的な長文を書くものではないな、と私も反省はしました。結局、この文章も、いつもの私と、最終的にはあまり変わらなくなってしまいました。部分であるにもかかわらず、また長い。申し訳ありません。


最後に一点。再度記しますけれども、私は、党派的な発想ないし行動、そして、徒党を組むこと全般が、個人の感覚的な水準において苦手であり、嫌いなのです。だから――「右より」でもまた保守主義者でもあるけれども、「右翼」は失格であり落第ですよ。現実に、そうでした。「ありうべき誤解を避けるために」Apemanさんやtotさんが、Webにおいてそうであるということでは直接的にはない。


そして、私は、発言者の「立位置」ならびにパーソナリティにかかわらず、耳を傾けるに値する見解ないし意見に対しては、能う限り率直にかつ真面目に受け止める、少なくとも意思と意識においては、かく志向している。「誰が書いたかよりも書かれたその内容」とか、そうした議論よりずっと以前の、個人的なポリシーと姿勢の話。そのことは、強調しておきたい、ということです。そして、少なくとも「対話」に及ぶなら他に対しても、そうした姿勢を求めたく思ってはいる、僭越ながら。そういうことです。


いったん、totさんに対する御返事として、かかる長文をUPします。totさん、私にかかる文章を記す契機を与えてくださったことを、切に感謝申し上げます。たぶん、内容的にも断続的に続いてはいく、と思います。「村山責任」をめぐる件、というか阿部議員の発言についての件は、正直なところ、直接的に取り上げるには私自身のモチベーションがいささか降下してはいるのですけれども(書くとするなら、またしてもけっこう膨大な長文となる)、とはいえ未だ、個人的には開示さるべきとする経験的なインフォメーションは、時に多く存在しはする、また、自衛隊と「ミリオタ」については、「右より」たる私の側からしか記し得ない経験的な知見もまた、存在することでしょう。どうしたものか。愛読しているブログにて、別件について、管理人氏が記されていた卓見。


2006-11-28

自分の問題意識は自分の場所で書いてトラックバックすればいいんです。トリルさんの問題意識が呼び込む問題を、なぜ書き込まれたブログの主がかぶらなければいけないんです?


まったくその通りではあるので、思案中ではあります(追記:私はトリル氏ではありません。為念。過去エントリを再読していたところ、一般論として、もっともであるな、と当方の件における自らの振舞いを省みて思ったがために、当方の件とは無関係であるにもかかわらず、一節を引用させていただきました。もし私の無造作で不躾なTBによって困惑させてしまったなら、誠に申し訳ありません。管理人様)。遅筆の長文は癖なので、とまれ、皆様、気長にお待ちください。失礼いたしました。あ、むろん、御意見御感想は、歓迎します。