3.私のメッセージ


http://d.hatena.ne.jp/Schwaetzer/20070106


コメントが書き込まれていない時点のエントリに最初に目を通して、コメント欄に書き込もうかとも思いましたが、長くなることが必至でもあったし、結局はトラックバックにて失礼します。はじめまして、昨年の11月から、拝読させていただいています。「受賞」の直後から音羽さんに対して肯定的な内容のエントリを幾度も掲示してこられたこと、その点については、私個人は、本心より敬意を払うに値すると思っています。当時も(失礼ながら名を伏せて、でしたが)記しましたが、当然のことながら、エントリの内容に対していくらかは同意しかねる点も存在しましたが、私個人は同意する点もまたいくつかはありました。


TBを送らせていただいた新規のエントリにて記しておられることに、リテラルには、すなわち字義の水準においては多く同意します。しかしながらそれは事象の一面です。むろん、たとえば私が記してきたこともまた事象の一面に過ぎません。こういった考え方や見方もまたありますよ、というものに過ぎない。とはいえ当然のことながら、それが隠れたものであるならなおさらに、一面を提示することは常に必要であり肝要です。ことその一面について、一定数の人が事象に対する認識ないし判断の材料に加えていないと観測したのであるなら。私はそう考えます、あの当時もまた現在も。ですから音羽さんの一件に対して、音羽さんの件に限るのであれば、Schwaetzerさんがおそらくは意図的/意思的に示してこられたスタンスに対しては、異論とは別個に、明確な敬意を持っています。つまり、上記の事柄について、むろんSchwaetzerさんは前提しておられると、私は思っています、たとえば最近のエントリを拝読しても、そのように感じます。であるから、私もまたこうしてTBによってメッセージを送ろうと考えました。一般論としても、任意の一面を全面としてしまう考え方は、私の好むところではありません。


エントリの冒頭部と結部を同時に引用させていただきますが。

(前略)音羽くんの記事を「こんなものは記事でない」「ブログで書け」とことさらに批判するのは間違っている。

(前略)トニオの記事に過剰反応して「こんなのブログに書け」とか言うんだったら、「胸の谷間」で原稿料もらってるのはどうかとか、批判すべきだね。ほんとーは。


ええ。あくまで私個人は、ということですが、そう思います。もっともそれは、再三記した通り、私がオーマイニュースに対して関心がない、それこそ一昨日のエントリの理屈に則して言うなら「ブログ」と比した際のメディアとしての価値的な差異の確立を認めていないがためです。以前も記しましたが、無関心と無知による偏見のゆえであろうとは、自覚しています。むろん、Schwaetzerさんはまた別個のスタンスに拠ってそう判断されているのであろうと思います。オーマイニュースというメディアに対するSchwaetzerさんのスタンスが私にはいまひとつ解り難いということは、べつだん批判でも指摘でも問いでもなく単なる感想としてですが、また11月以降の近々の読者としての不案内のゆえかもしれませんが、あります。


ただ、少なくとも、日本語版オーマイニュースのメディアないし団体としての構造的な問題点を音羽さんという個人のパーソナリティーに由来する問題に「のみ」フレーミングして、それを「全面として概括的に」切り取る態度に対しては、もしそのような態度が明示的に存在するのであるならば、ということですが、存在を仮定するならその恣意性に対して私は違和を覚えると思います。私は、今年に入って早々の某ブログのコメント欄におけるやりとりなどを鑑みるに、音羽さんには呆れ果てておりますが、そういった音羽さんの一連の品行をめぐる件に関して、「当事者」のひとりとしても、自らがよくは知らないオーマイニュースのその編集部を直接的に批判する気には、あくまでオーマイニュースに対して関心がない私は、ということですが、なれません。

彼が言いたいことはようは「文句があるなら正々堂々こいや、それが言論ってもんやろテメー。まして言論人ならちゃんとやれや」と喧嘩を売っているに過ぎない。言いたいことはごもっとも。


(中略)「私怨」レベルに落とし込んで矮小化すること自体、音羽くんが批判してるのよねえ。そこが理解されとらん。陰口叩く暇あったら言論で決着つけんかいと、むしろ「私怨」レベルにというかつまらんレベルに落としこんでるのは、音羽くんを批判している、毛嫌いしている側やないか、ざまーみやがれ、おしりぺんぺんあっかんべー、と。ま、こういう段取りになっとると読んだ。まー、音羽くんのヒールぶりにみなはまるはまる。なかなかこうはできない。(中略)


個人的には、エライ息苦しいなあと思うけど、しかし音羽くんの言いたいこと自体はもっともだ、と思う。文句があるならちゃんと言えばいいし、言うべきなのだ。双方向のいったりきたり可能なのがネットの特質でかつ理想ならばなおのこと、はっきり言うべきだった。たしかに議論の相手としてはしつこくて嫌だけど(僕もヤダ)。

おっしゃっておられること、肯定的な意味において原則的には正論と思いますし、あくまでリテラルには、ということですが、同意します。公明正大でオープンな議論を志向する態度に対して、私は異を唱える者ではありません。しかしながら、これもまた、Schwaetzerさんは引用の上記を「ある(隠れた)一面についての指摘」として意識されたうえであえて記しておられるのであると思いますが(追記:、あまりに自明な別個の一面についてあえて記すなら)「公明正大でオープンな議論」への経路を多く自ら潰し塞いでいるのは、音羽さんです。「例証」するまでもないことですが。たとえば、佐々木氏に対して自らを「トニオ」として認識するな、そのことを半ばクローズドな空間であろうと記すな、と要請するのは、少なくとも本人が要請するのは、無理筋というものです。人称の一貫性を本人が認めている以上は、かつ、かかる発言者としての人称性に対する不信が喚起されていることに、本人の責と咎(としか表しようのない幾つもの行為)があまりに多く関係しているという事情がある以上。「トニオ」時代の音羽さんを詳しくは知らない私は、音羽さんをその名で呼ぶつもりはありませんが、音羽理史=gerlingさんとして活動して以降、というか昨年の10月以降に限定したところで、まったく同じことです、それこそ「当事者」として申し上げますが。


とはいえ、引用部の最後の一文において示されているように、そうした事柄はSchwaetzerさんは踏まえておられると、私は判断しています。そして、大量のブックマークコメントによる(あるいは相互性を構成し得ない)集中的な批判という「現象」に対してSchwaetzerさんが一貫して違和を抱かれ批判的であることについて、ひいてはそのような観点に対して、全面的に同意はしませんが、理解もまた了解もします。同意する部分もまた存在します。かかる観点の提示は必要であるし、誰かが行うべきであると、私は考えます。後出しのごとき言ですが、私が提示しない理由は明確に存在します、記すまでもありません。やたらと迂回的な口調にて申し訳ありませんが、その程度には私の心中は複雑であるということです。確かに「受賞」以降の音羽さんに対する過剰な注目の集中は、相対的なバランスを失した状況ではあろうと、結果的には事態を拡大させた者のひとりではありますが、思いはします。

何度でも言いたいが「ネットは所詮殴り合いの場じゃないか。前もって覚悟しとけや」というのはそれはそれでよく分かるけれど、それをオーマイニュースの市民記者すべてに求めるのは無茶というものでいささかレベルが高すぎる。だいたいもうパソコン通信の時代じゃあないんだから。時代錯誤もはなはだしいよ。できるだけ多くの人に好きなように語ってもらうには、結局はあれくらいの措置をしないとなんともならんと思う。


それはそれで、また構わないと私個人は思います。私はそもそもオーマイニュースをめったに読まない人間であるので、在り方についてあまり干渉的に指摘し主張する趣味は、あくまで私個人には、ということですが、ありません。むろんそれは、私の意識における非当事者性を前提した事柄です。そうでない方もいるであろうとは思います。処置の結果として、たとえばオーマイニュースの商業規模が縮小しているのであるとしても、私はもとより意識における非当事者であるので、分析的な見解を、あるいは批判的な指摘と共に提示する意思もまた能力もありません。ただそうではない方も、多くおられることでしょう。共に自由です。

それにさ、これは太字で書いておきたいけど、「実名だと責任がもてて、匿名は責任がない」というのは幻想だってみな言うでしょ。だけど、コメント欄の状況は以前に比べると(たぶん)ずっとましになってるんじゃないの。ましになったということは、「匿名」で好き勝手言えてた連中が逃げた、もっとはっきり言えば「いざというとき責任とらされるのが怖くなって逃げた」ので、幻想でも何でもなくて一面の真理であることを証明しているんじゃござんせんか。(たとえば、あたしがこないだから書いている「拉致問題に文句を言う」エントリだって、コメント欄を完全に開放してたらどうなってたか分からんと思う)


現在、私のブログはコメント欄を完全開放しておりますし、そうあり続けるつもりではありますが、むろん前提的な条件として、当ブログはことさらに「政治的な話題を頻繁に取り扱う」ようなブログではない、かつ旗幟を濁した韜晦と詭弁の徒とも時に受け取られるらしい、といった事情が介在しています。また、当然たとえばPVも介在するし、スパムが殺到することもまた有り得る以上、個人ブログのレベルにおいても対策は個別的であってよい、ウェブログやニュースサイトの運営に限った話ではありませんが、一律的に任意の位相から「倫理的」に他人のスタンスを断罪する態度には、もしそうした態度が存在するのであれば、ということですが、それがいかなる位相であろうと私は同意しかねます。「実名だと責任が持てて、匿名は責任がない」というのは倫理の話ではなくて、現実の話です。つまりは「実名を掲示する以上は否が応でも言行に対して結果的には社会的な責任を負わされ得る、かかる蓋然が前提される」という端的な事実の謂いです。前提としてSchwaetzerさんが準拠しておられる見解でもあろうと、勝手に思っています。ただし、以下はSchwaetzerさんが同意されるスタンスと言えるのかわかりかねますが、私は上記のゆえに、いわゆる2分的な実名匿名論を倫理の領域において(追記:あるいは倫理の位相にのみ準拠して)論じるべきではないと、思っています。匿名性に準拠していることに対して、あまり卑怯の卑劣のと発言者の「スタンス」のみを言挙げても生産的ではない、というか非効率であろうとは、考えます。むろんSchwaetzerさんのことではありません。現にヒキョーでヒレツな発言は存在します、それは自らの手が回る範囲で対応するか、あるいは無視(=スルー)すればよい。発言者の実名匿名に関わらず。


コメント欄における、gerlingさん=音羽さんの書き込みに対するSchwaetzerさんの発言から引用します。


でも、あなたが抜き出したところに対するコメントはその通りだと思う。「死ぬ死ぬ詐欺」なんてもんに関わったのはバカもいいところで、それに文句をつけた音羽くんはもっとバカなんですよ。無駄なことに労をさいていることに「あんたのやっていることは無駄だ、あほか」と言ってんだからね。あはは。しかし、これは誰かが言わなきゃならない。


ええ、おっしゃる通りです、とは言いかねますが、別に韜晦ではなく、私の行動は馬鹿であると思いますよ、少なくとも「死ぬ死ぬ詐欺」と音羽さんをめぐる件に関しては。それ以外にも、Webに限定したとしても馬鹿を色々とやりました。そしておそらくは自らもまた「バカ」と思っている――それが韜晦であるかは別として――そうしたSchwaetzerさんの事象に対するスタンスは、個人的には私は好きです。音羽さんによる引用部について言えば、当該の彼女の言には一理はあると、リアル知人であることもありますが、面と向かって言われた私個人は思っています。とはいえ、それを顔も知らない他人の言としてのみ目にしたとき、あるいは一般論としても、同意しない人間は多いであろう、少なくともその存在は蓋然されるであろう、「オープンな」Webとは必然的にそうしたリスクの発生を前提する、かつ現行においてかかるリスクに対するストッパー機能が存在しない言論提示のシステムである、ということをエントリにおいて部分的に記しています。


そのことについてもまた、当然のことながら、御自身のブログのコメ欄に関する記述からもSchwaetzerさんは承知されていると、これまた勝手に思いますし、かつ、また当然のことですが「「死ぬ死ぬ詐欺」なんてもん」をめぐる検討に対するコミットメントを本心から馬鹿とは思わない方も、かつ自らのコミットメントを馬鹿と評されたなら正当な理由をもって不快と感じる方もまた、多くおられますし、私はその存在を現実に知っています。


一切は、個別的な関心の所在とその優先順位の問題です、かつ、当該団体の活動がそうであったと私は一概には断定しませんが、いわゆる広義の募金詐欺を、あるいは国外における臓器移植をめぐるプロセスの一般的な不透明性を、社会的な問題として採用したうえで検討に付すことに対する合意が「社会」において形成されることに対して、私は異とする者ではありません。そうした事柄と例の件とは別個の問題だ、とおっしゃるのであればそれはそれで、私は構いません。定見あってのことと思いますから。


小理屈めいた角ばった冗漫な長文によって、このエントリもまた「通読するに耐えない」ものであるなら、申し訳ありません。以上はべつだん反論とか議論吹っかけとかでは、まったくありません。私もまた、ディベートめいた議論は基本的に苦手であってそれゆえに不得手なのです。(コメントが書き込まれる以前の)エントリに最初に目を通した時点で感銘したため、年をまたいで持ち越すつもりもなかったのですが、対応的な見解をこうしてメッセージとしてTBによって記させていただきました。「受賞」の直後から幾度も、そして現在の状況においてなお、音羽さんに対する肯定的な内容のエントリを掲示されるその姿勢に対しては、私が持ち合わせる敬意は新たになりました。棹差す人は、好きであり尊敬します。敬意に背を押された私なりのささやかなアンサーということに、過ぎません。失礼しました。


なお最後に余計なことを記しますが、もしレスポンスをいただけるのであれば、「ネタにマジレスされた」的なスタンスに基づいた対応をあえてされることは、遠慮していただきたいとは率直に思います。私もまたネタエントリを記しますし洒落のわからん人間には困ると思うことが実生活でもありますが、しかし、私はSchwaetzerさんの、少なくとも当該のエントリについては、ネタとはまったく思わない、返答するに値するものであったと思うので。同一人による複数の書き込みがなくとも。


なお、音羽さんに対しては、私の過去エントリから、


長いお返事 - 地を這う難破船

それと、貴方の癖は相変わらずであるなと呆れましたが、第三者的な他人のブログのコメ欄で、自らが揉めた別のブロガーに対する「批判的感想」を(当のブロガーが読むことを前提して)記すことは、単純に迷惑なのでやめたほうがよいです。少なくとも私のブログではやめてほしいですね。


との記述を再掲して終わります。


後記。アップロード直前に、Schwaetzerさんが当該のエントリに対して自ら新規に投稿されたコメントに気が付きました。BigBang氏と小倉秀夫氏が交わしている、オーマイニュースをめぐる論争について言及されている書き込みですが、単純に筋が異なるうえに物理的にフォローしきれません。当該の新規の書き込みについては勘定に入れずに当エントリを掲示します。その旨、御了承ください。