真面目な返事は続く


まず最初に感謝とお詫びを。一連のエントリに複数の方から多くのコメントをいただき、本当にありがとうございます。そして、個別的なレスが遅れてしまっていること、申し訳ありません。一段落したらきちんとそれぞれの方に対して御返事させていただきます。限られた時間の中、やはり現状においては、まず何よりも音羽理史さんに対して優先的に応答するべきと思っています。皆さんが寄せてくださったコメントもまた、ほぼすべてが音羽さんの発言に対する指摘として向けられた、ないし音羽さんの発言を評してのものであり、かつ音羽さんに私のエントリ以外の発言に対しては直接的に返答する意思が今のところ見られない以上、現段階において、皆さんのコメントに返答する形で音羽さんについて言及するよりは、御本人のレスに対して直接返答することを優先したほうが最善であると私が考える点、御了承いただければ幸いです。


音羽さん、貴方の更なる新規の返答を拝読して、予期されたことといえいささか脱力しましたが、重ねて個別的かつ逐一的な引用のもと返事、というか私個人の考えを対応的に記すことにします。こうしたやりとりがいわゆる「議論」でないことは私にとっても貴方にとっても前提されていましたが、もはや「かりそめの意見交換」としても成立しているのかわかりかねる、多少の無理を感じつつも、やってはみます。以下、貴方が記された新規の返答において、私のエントリに対して貴方が異とされた部分に限定しての返事です。


真面目に返事 - 地を這う難破船

> 貴方やusing_pleasureさんやその他多くの方が関わった3月の件について色々と再読しておりましたが

何のことだか、わかんなかったんですけれども。
もし、ぼくが思ってることだしたら、それにかかわってるのはぼくともう一人だけで、ほかの人は適当なこと言ってるだけです。
そのときからそうだったけど、事情もなにも分からないのに想像だけで人の個人的ないさかいに何か言うのは非常に不愉快だから止めていただきたい。
これすらも、貴方にはなに言ってるのか分からないんだろうから。


失礼しました。申し訳ありません。私も全面的に当時の事情を把握しているわけではむろんない、そもそも(貴方に限らない)ブログ自体の削除等により現在となっては参照不可能な記述や状況が多い、貴方が言われるところの「人の個人的ないさかい」に立ち入るつもりも言及するつもりもありません。そもそも私個人は、記した通りはてな界隈におけるwatchの趣味をあまり持ちません。小倉秀夫氏のこともよく知らなかったくらいです。あくまで私個人は、ということですが。言葉が足りなかった点、お詫びしますが、私がいささか呆れかつ引いた事柄とは、公的に示し得るのは、あくまで貴方の削除癖に限定してのことです。記した通り、むろん削除は自由です。そしてこれも記した通り、自己記述の削除について貴方が主張される主観的な正当性については了解しました。いわゆる「ネット内輪」のコンセンサスなど貴方は意思的に関知しないことも。とはいえ。

> ただし、検証が不可能な状況に自らがしておいてそのうえで当人が「〜自体を批判した覚えはない」と言って説得力を持ち得ると思いますか。

こっちもそんなこと言われても困るなあ。確かめないと分からないような曖昧な根拠で他人を批判して、それが説得力があるとでも?


半疑問形にて記したことが誤りであったようです。改めて言い換えます。「検証が不可能な状況に自らがしておいてそのうえで当人が「〜自体を批判した覚えはない」と言ったところで説得力を持ち得ることはありません。」貴方以外の人間を説得し得るものではない、ということです。「ネット内輪」のコンセンサス以前の問題です。貴方がこの期に及んで「根拠」と申されるとは思っていなかった。はっきり言いますが、任意の事象に際して自らが根拠を示す意志を一貫して持たない人間が他人に根拠の提示を求めて通ると思うのであればそれは大きな間違いです。これも「ネット内輪」のコンセンサス以前の問題です。再三言っておりますが、非礼とはそうした振舞いのことを指しています。ついでに申しますと、貴方個人を「説得」することは私はとうに放棄しています。貴方にも私に対して「説得」を試みる意思は最初からないでしょうし、そもそも誰に対してもないでしょう。というか「説得」という発想それ自体を貴方は意思的に拒否している。繰り返しになりますが「説得」という概念を規定する価値観自体に貴方はコミットしていないのであるから。構いません。ですが、これも繰り返しですけれど自らがコミットしていない価値観に規定された概念的な語句を内実なきまま意図的かつ恣意的に振り回すべきではない。

>ただし、自ら削除した論評の公正性を、事後的に第三者に主張してそれを認めさせることは、極めて困難です。

事後的に不当性を認めるのも不可能だと思いますけど。


この場合は可能です。貴方が削除に及ぶまで2ヶ月近く記録が残り、かつ貴方が削除した発言の抜粋をmuffdivingさんが繰り返し掲示し、それは方々に貼られたのであるから。つまり、当該コメ欄における「議論もどき以下」及び貴方の当該発言については、周知の事柄である、ということです。そして貴方は「受賞」後にそれらをすべて削除した。貴方のおっしゃる「不当性を認めるのも不可能」とは誰の話ですか。貴方が認めないことはむろん自由です。当然「不当性を認める」者の存在も自由です。もしかかる「論評」の「不当性」について相互的に検討する要があるのであれば、貴方が当事者としてそれを求めるのであれば、当該「論評」自体、及び「論評」が記された議論自体の記録(=ログ)に全面的に準拠しないことには、事後的な「検討」それ自体が不可能である、ということです。それを自ら「参照不可能」な状況にした、ということは、当該「論評」の「不当性を認める」者達に対して評価ないし認識の転換を求める意思を当事者として持ってはいない、という事柄を対外的には意味します。実際、貴方としてもそのつもりでしょう。私が前記エントリにて記したのはそういった事柄です。


貴方が自らの「論評」の公正性を主張することは構いませんが、問題はそうは思わない人間があまりに多いということ、かつそれは貴方が言うところの「ネガティブキャンペーン」にのみ拠るものではない、というところにある。貴方の「暴言」については、小倉秀夫氏ですら貴方に対して直接苦言を呈していたこと、覚えておられますか。私は貴方が放った「暴言」のみを言挙げているのではない。(貴方が直接レスする以前の)当該の初発エントリにおいてmuffdiving氏がいささか「口が悪かった」ことを私は貴方に対して認めますが、とはいえ内容的にも表現のうえでも「暴言」とは到底評し難く、かつ氏はそれらを削除しているわけではない。「公正」とは貴方が個人的かつ超越的に決定するものではない、誰であろうと、対外的かつ相対的に判断されるものです。少なくとも氏は、そうした認識のもとルールを遵守している。


またしても念を押しますが、かかるルールとは「ネット内輪」のコンセンサスとは関係がない。いや、ルールとは人的なコンセンサスに規定されるものですが、コンセンサスなき人的な世界というものを、私は容易には想定し得ないし、主観においてコンセンサスなき位相に準拠して他人に向かって発言することが、「対外的」には単なるルール無視の無法と判断されかねない常なる蓋然性について、勘定したうえでの一連の振る舞いではあるのですか。いや半疑問形がよくないのでしたね、貴方はそうした事柄を意識においては認識していない、私個人はそう考えます。その「根拠」については後述。

> 周知のことですしmuffdivingさんも一部再掲示されているし気が滅入るのでもう引用しませんが、何を言ったかお忘れですか。

啖呵をきったことは覚えてますし、見解は変わっておりません。あいつらは銭の亡者だ。


貴方の認識及び主張については了解しました。それは御自由です。「あいつらは銭の亡者だ。」とのことですが、それはmuffdivingさんら当該「議論もどき以下」におけるコメンターの方達が、貴方にとっては「二の次三の次」であり、検討すること自体が「下衆の勘繰り」をしか意味しない金銭面ないし経済面をめぐる問題について、検討的な記述をされたがためですか。言うまでもないことですが、原則として任意の事象に対する関心とは個別的であり、個人が「問題」として検討さるべきと考える事柄の優先順位もまた個別的です。貴方は自らの関心と優先順位にのみ基づいて、貴方が一方的に判断したmuffdivingさん達にとっての関心と優先順位について非難し「銭の亡者」と、やめていただきたいと再三要請したにもかかわらず当ブログにて記すわけですが、わかりました。貴方の書き込みは削除されているし、貴方に気兼ねする要もないでしょう、muffdivingさんには再三のことで申し訳なく、かつ周知の事柄でもありますが、当該コメンターの方達の名誉にも関わることでもあり管理人としては看過しかねますので、当該エントリのコメ欄を、私もまた再度リンクします。


http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20061008/1160467259#c


当該のコメ欄において、エントリの内容をめぐって貴方に対して論駁されているのは管理人のmuffdiving氏、lure氏、es氏の御三方です、うち金銭面ないし経済面について言及しているのはmuffdiving氏とes氏です。音羽さんに対してというより、閲覧者の方にお願いしたいのですが、esさんによる複数の書き込みを改めて再読してください。――それで、誰が「銭の亡者」なんですか?音羽さん、貴方がおっしゃっていることは、esさんに対する甚だしい中傷です。「公正な論評」と信じて「主観的な感想の表明」を半ば名指しでされることは御自由ですが、かかる「論評」を読んで「主観的」に腹を立てる者があることもまた自由です。そもそも、muffdivingさんが再掲示していますが、貴方の最後の書き込みにおける「暴言」の中で、直前に対応的に引用されている「前の書き込みでも書いてますが、僕にとって推定金額はどうでもいいんで、後は好きにしてください。」という発言は、esさんによるものです。以下の「暴言」において指されている「お前」とは、muffdivingさんのことでなくesさんのことですか。つまり、かかる暴言はesさんに対して向けられたものであるということですか。いや半疑問形といえ個別の回答は要りませんが(貴方がそうした事柄を分別しているとは思えないから)、であるなら「主観的な感想」を述べれば、論外以下です。esさんはmuffdivingさんのような「口が悪い」方ですらない。

> 第三者に公正と判断されなかったがために当該論評が「ネガティブキャンペーンに使われた」と思っているのであれば、つまり貴方のおっしゃる公正とは主観的な公正のことであった、ということです。

そりゃ、ぼくに否定的な見解を持つ人の集まるブログで貼ってあったなら、良いようにとるはずがないじゃないですか。


では、これは本当に回答を求めての質問ですが、いったいどこに貼ってあったら「良いように」とられると思いますか。貴方の当該の「暴言」が。というか「良いように」とってくれる人の存在を貴方はいかなる道筋によって見出しているのですか。ゼロ、とはむろん言いません。私はあのような記述をこちらに再掲したくはないからしませんが、貴方にとってはここもまた「ぼくに否定的な見解をもつ人の集まるブログ」となるのでしょうね。当該の「暴言」のみが抜粋されて「受賞」直後に小倉氏のブログのコメ欄に貼られていたことがありましたが、当該の「暴言」自体については小倉氏は一切フォローしていなかった点、御記憶ですよね。

>本件の関連エントリに関しては、貴方も含めた関係者に向けています。貴方のことを意識に留めている人達に対してです。

ぼくに関心を持ってる人は少数でしょう。貴方に関心を持ってる人もそんなには多くないと思う。
貴方は赤の他人に理解してもらおうだなんて思っていないじゃないですか。
だいたい、貴方の言い方には欺瞞がある。わざわざコメントまでするのはぼくにネガティブな関心のある人たちだけでしょう。


ええ少数でしょう。まして私に関心を持っている人間などはるかに少数でしょう。貴方がおっしゃっている通り、そしてたとえばfw0さんらも指摘していることですが「死ぬ死ぬ詐欺」という名称すらいわゆるWebの外部においてはマイナーな言葉であり話題です。はっきり記せば「音羽理史」という、それこそ「ネット内輪」のローカルなコンセンサスを前提するエントリでしかない。である以上貴方が不快に思いそれを表明することは当然のことです。少なくとも私自身は、貴方に関するコンセンサスをいくらかは更新しようと意図してはいましたが、結果は出たようです。私は「『死ぬ死ぬ詐欺』告発運動についての批判記事をオーマイニュースに連続して掲示した音羽理史」としての貴方についてしか、基本的な関心を持ってはいなかったし、公的に言及してはこなかった。私個人は、貴方のハンドルを記すつもりはない。であるからはてなにidを持っている貴方が実名を記してコメントしてくれたこと自体については嬉しく思ったし、3月の件について言及するべきではなかった、その点については謝罪します。とはいえ伺いますが。


現在の貴方に対して「ポジティブな関心」を持つ人間の存在について、貴方はいかなる筋道によって見出しておられるのですか。たとえば、オーマイニュースの「ひと言」欄において、貴方の掲示した新規の記事に対する肯定的なコメントの所在については知っていますし、そのことを否定するものではまったくありません。むろん鳥越氏や小倉氏を加えても構いませんし、その方達の判断について部分的には批判しましたが、全面的に否定するものではありません。貴方に対する「ネガティブな関心」が多く所在する「ネット内輪」を貴方が省みないことは一向構いません。私はあくまで、個人として貴方という個人の見解に対して対応的な私見を述べ、貴方の問いに対して自分なりに応えています。オーマイニュースに対する関心もなければ批判意思もない私個人は、貴方が言うところの「ネガティブキャンペーン」やいわゆるwatchに主体的に与する意思はない。ただ少なくとも広義には、fw0さんが評した「バカの壁」の内実とかかる壁を隔てた双方の断絶という、普遍的かつアクチュアルな事柄について、貴方による一連の発言を手がかりとして、個人的に考察のうえ、ささやかながらもサジェスチョンとしてインフォしたい、という動機は存在します。

> 表出(=発言/言動)のレベルにのみ準拠して判断ないし言及されることを望んでおられるのですね。

「表出」自体というのはどういうことでしょうか。ちょっと意味が分かりかねますが。
もし、それが文体とか読んで感じる印象だとかそういうものであるならぼくが言っているのはそういうことではない。
ぼくの文体や修辞がただ単に不快の記号であってそれだけが現前するというのは単なる貴方の主観でしかないのです。それは何も意味しないのです。
貴方の言い方だと、文章が何か特別に意味するものがひとつあって文章全体がそれを指し示していると考えているようだが、何か特別に意味するものなどは存在しないのです。その文章の意味するなど、常に曖昧なのです。そして、絶対的な真意などというものまた存在しないのです。


言葉の用い方がいいかげんであり認識の腑分けが恣意的かつ操作的である点、申し訳ありません。貴方が本気で取り組まれているらしき分野について「議論」を持ちかけるつもりもありません。話も逸れるし。主旨については、記述された文章自体にのみ拠るべきである、ということですね。承知しました。なら前記エントリにおいて記した通り、「公的に」肯定的に言及する余地を私は見出し得ませんので、貴方を筆者とする「記述された文章自体」の論評については他の方に任せますが、その「他の方による論評」を貴方は「ネガティブキャンペーン」の一環と捉えているのではないのですか。そして「他の方」による「筆者を貴方とする記述された文章自体」に対する「論評」がネガティブなものばかりになるのは、これは「キャンペーン」以前に「記述された文章自体」に拠った限りにおいても仕方のないことであると、私個人は主観的には思いますが。私も含めて、ほとんどの、貴方を筆者とする「記述された文章自体」に「たまたま」目を通した読者が、貴方と過去に行きがかりもなくかつオーマイニュースに対する批判意思を持たない人達であること、認識したうえで「公正な論評の自由の権利」を行使した方がよいとは、一般論としても思われます。貴方の「暴言」とは、いわゆる「ネット内輪」に通じていない人間が目にしたなら引きまくる類のものばかりです。貴方の一連の「態度」についてもまた。2chにおける揶揄やDisに対して引く(小倉氏が言うところの)「普通の人」が多いことと、同一です。最後に。

> 貴方の年齢と所属でこれほどの無礼や狼藉が許される場所が、現状において「ネット内輪」以外のどこにあるのですか。

じゃあ、貴方の話を聞いてくれる人なんてその可愛らしい肥溜め以外どこにいるんですか?「ドクター」ってハンドルだけで医者だと思ってるくれる人は?そんな単なる匿名コメントを信用してくれるような「社会」はどこに?退屈だけをエネルギーにした無理解と悪意に満ちた「運動」に理解を示してくれる「社会」なんてどこに?
貴方もそういう根本的な「コンセンサス」とかいう欺瞞から一歩も出ようとしちゃいない。

ぼくがコンセンサスとやらをとろうとしてないんじゃない。貴方たちが自分たち以外のコンセンサスをまったく取ろうとしていないだけだ。そのくせ、分かって欲しそうな甘えた顔してる。
ぼくは貴方たちのことなんてまったく分からないね。誰に向かって書いているのかと問われれば、貴方たち以外に向けて書いてるんだ。要するに、貴方たちが思い上がっているように貴方たちが「社会」の基準ではないのです。


貴方がおっしゃりたいことはわかります。本当に。まず断っておくと、むろんのこと、現実的な条件に拠り私の個人的な言説ないし情報の(原理的には)広範な発信は、現状においてはWebを通じてしか為し得ません。あくまで趣味に過ぎないし、それで構わない、とは思っています。そして、誤解なさっているようなので説明しますが、私が貴方に対して「社会を知らない」と言ったこと、裁断的な言い方については申し訳ありませんが、そう断言した理由について記します。直接の身体的な接触なき、すなわち原則的には相互的な確認の存在しない、言語情報のみがデジタルに表示される(大仰に言えば「全世界」に)「公開」のうえ(大仰に言えば「半永久的」に)「記録」される集合的な空間において「初対面」の相手に問われて個人情報を開示する人間はいません。「ネット内輪」のコンセンサス以前に、実名や所属を含む「個人情報」の重要性ないし「個人情報」の取り扱いにおいて要請される注意と配慮について貴方が認識していない、ということです。たとえ貴方が自らも含めたそうした事柄については意思的に関知していないのであろうとも、それを他に、しかも不躾に要求し得る権利などどこにもない。その正当性は貴方の個人倫理においては担保されていようとも、「社会的」な文脈においては担保されていない。


以上は「現実」社会における社会的なコンサンセスに属する事柄です。貴方は「社会のコンセンサス」については、前提としては認めているのでしょう。社会とはコンセンサスを前提して形成されている。かかるコンサンセスの弊もそれについて指摘する要もまた存在しますが。個人情報管理の重要性とは現在の「社会的なコンサンセス」の領域に属する事柄です。「社会的なコンセンサス」を無自覚と無分別のもとに踏まえない振舞いについて、貴方は批判されている。「礼」とは準拠枠として「社会」を前提する事柄ではあります。むろんこの場合の「礼」とは西欧的な「距離と配慮」の謂いです。


当然のことですが、私は「ドクター」さんのハンドルだけでドクターさんを「医療の専門家」と判断したわけではありません。たとえば前記エントリにてコメントされている><さん(本当に、ありがとうございます)は、

ドクター氏のような、医学に関して少なくとも一般より知識をお持ちの方(文献探索に関する正確な知識から医者かどうかは不明ながら、知識がありそうだとはわかりますよ)に対する(後略)


と記されている。少なくとも上の判断については貴方もまた認めますね。貴方の発言ないし認識における根本的な矛盾については、七誌さんの言われる通りです。記した通り私は貴方があえて実名でコメントしてくださっていることを嬉しく思うからできることなら言いたくはありませんでしたが、原則的には、騙りでないことを証明するためには、はてなidを用いて「コメントしている音羽理史とはぼく本人です」と記さなければならない。別にそのようなことはしてほしくはないしその必要もありません。だいたい私は自ブログにおけるIPの確認の仕方もいまだによくわかっていない。最初から、私は音羽さん本人であると確信していますし皆そう判断していると思います。なぜか。発言の内容自体に着目しているためです。明らかに音羽さんによる書き込みであるとわかるためです。こうした事柄もコンセンサスを形成する「リテラシー」の一端ではあります。


あるいは、貴方が自己の発言の担保としているらしき「音羽理史」という実名についてあるいは公表されている所属について、それこそ職務質問じみた「証明要請」と対する「証拠提示」を経ないことにはその「真」を示し得ないしまた認め得ない、ということは、原則としては言えます。むろん、Webにおいて個人情報の開示を求めるほど私は非常識ではありません。また当然のことですが、七誌さんもそのような意図に基づき言っているのではまったくありません。貴方の振舞いを規定する、貴方が表明されているスタンスの、根本的な矛盾について示すためです。七誌さんは、貴方以外にとってはわかりきっていることを、貴方に伝えるために記されたのです。


そうしたコンセンサスに準拠することなきままに、Webにおいて個人が個人性に準拠して言説ないし情報を発信していくことは多くの場合難しい。かつ常にリテラシーを前提してコンセンサスは形成され更新される。この場合のリテラシーとは準社会的な概念です。貴方はドクターさんが書き込まれる以前に「そもそも本来の意味でのリテラシーというのは、例えば医療論文に対して医学知識があるか、とかそういう意味だと思う。」と記されていますが、貴方は医学知識は人並みにしかありませんよね。むろん私自身もまた、医学知識について人並みにしか持ち合わせませんが。少なくともそうであるなら、専門誌に掲載された医学論文の内容について検討する際のコンセンサスには準拠し得ません、お互いに。この場合、貴方は関知していないのではなくできないのです。


こうした例に顕著ですが、リテラシーを前提せずコンセンサスに準拠しない、構いませんが、それでWeb以前に社会的な文脈に拠った説得的な言説ないし情報の発信が、可能であると思うのですか。答えておけば、それは主観と観念と感性の領域にのみ準拠した非説得的な発信と、対外的には受け取られるものです。繰り返しですが、「チラシの裏」「オナニー」と裁断するスタンスを採らない私自身もまたたまにやることですし、非説得的であってもまったく構いませんが、自らの言説ないし情報発信が「社会的」かつ「説得的」であるとは、思うべきではない。オーマイニュースに実名記事として掲載されたことが記事内容の「社会性」「説得性」を担保すると考えているなら、私個人はその考えに与しません。である以上、私個人は貴方の記事の「観念性」「主観性」すなわち「非社会性」「非説得性」自体について批判するつもりはありませんが。


私は、貴方がいわゆる「ネット内輪」のコンセンサスに意思的に準拠しないことを別段咎める者ではありません。ただ、もし貴方が「ネット内輪のコンセンサス」に「対置」されるものとしての「社会的なコンセンサス」には準拠するというのであれば、そうした部分についての私なりの不充分なサジェスチョンとしてこうして長文を記しています。むろん私もまた、本質的に非社会的な人間であることは言うまでもありません。ドクターさんが貴方に対して示した通り、大人は投下したコストに見合わない結果しか示さない相手に対しては、以降「スルー」し付き合わなくなるものです。「ネット内輪」にコミットする者の多くは、いや少なくとも私は、再三記してきた通り、いわゆる「ネット内輪」のコンセンサスが「社会」のコンセンサスと同型であるなどとはつゆ思わないし、「自分達」が「社会」の基準であるなどとは考えない。誰も、とは言わないが相対的に聡明な多くの人間は「思い上がって」などいない。むしろ、貴方の側が「ネット内輪」のコンセンサスに対して「思い上がった」態度を示している。というか、貴方の価値観に準じて「ネット内輪」という価値的な表現をあえて用いているのであって、精確に言い換えれば、貴方が「思い上がった」態度を示しているのは「既成のWeb」におけるコンセンサスの一切に対してです。


たとえば、オーマイニュース自体が対外的には「既成のWeb」という「ネット内輪」のコンセンサスの肴にされている、貴方はそう考えそのことへの苛立ちを表明してもいるしその気持ちは汲みますが、汲んだうえで僭越ながら簡単な解を述べますと、少なくとも貴方個人が「ネット内輪」の肴にされるような振舞いをやめればよい。「watchしたところで甲斐のない相手」になればよい。まずは、あまりに「既成のWeb」的な「暴言」とそれと対応関係にある削除を自粛すればよいと個人的には考えます。現在進行形で、隙だらけの非礼にして傲慢かつ感情的な発言を実名で方々のブログに投げておきながら「watch」され肴にされることを唾棄するというのは、気持ちはわからなくもないですが、少なくとも外部に対して説得的に機能するスタンスではありません。「コンセンサスから一歩も出ようとしていない」ということでは私自身はない。また(括弧付きの)「コンセンサス」の欺瞞性については承知している。貴方が上述の価値観に基づき「『非社会的』な『コンセンサス』を自明の前提としそれを恣意的に自己利益と他への抑圧のためにWebにおいて操作している」と判断した存在については徹底的に嫌悪する、その、貴方に内在する理由については、貴方のかかる判断も含めて同意するかは別として、了解しています。私個人について言えば、これも以前に記したことですけれど、コンセンサスから出ることの不可能性ないし困難について勘定したうえで、時折いくばくかは自らになし得る範囲で棹差そうと試みたりもする、たとえばこうして貴方と「意見の相互的な開陳」を試みることによって、ということでしょうか。そして再度抜粋して引用。

退屈だけをエネルギーにした無理解と悪意に満ちた「運動」に理解を示してくれる「社会」なんてどこに?


貴方の主観に準拠した意見については了解しました。主観に準拠した意見をそれのみを理由として「チラ裏」と批判ないし排斥するつもりは私はありません。そして貴方がおっしゃる通り、概括的な言い方にどうしてもなりますが、あえてそう言うなら、個人的な感想とは断りますが、「社会」が「運動」に「理解を示して」いたとは言えないと思います。「運動」の主体の側としての当事者が(括弧付きの)「社会」の「理解」を求めていたかということは別として。

> つまり貴方にとっては「問題にする要を感じない」ということでよろしいですか。

そうではなく、その死ね死ね詐欺とかいう下品な言葉を問題にするならば、ということです。


再三の簡潔かつ不明瞭な回答。さすがに呆れてきましたが、せめて引用するなら段落単位で引用のうえ自らの対応的な見解を記していただきたい。もはや論文云々について貴方に確認する気もないので、貴方の意図に準じますが、つまり貴方は「死ぬ死ぬ詐欺とかいう下品な言葉を(こそ)問題に」しているのであると。あるいは同じことですが「死ぬ死ぬ詐欺とかいう下品な言葉に準拠した『運動』をめぐる検討自体、問題にする要を感じない」のである、と。結局のところ、当該問題についての貴方の関心と優先順位はそこにのみ超越的に所在する。他の一切はどうでもよいし分節や相対という概念が貴方にはないのであるから。幾度も記しましたが、そうした貴方の感性に依拠した疑義ないし問題意識の表明については、同意する方も感銘する方もいるであろうし、実際いたことでしょう。貴方のそれは決して「特異」な感性などではない。「死ぬ死ぬ詐欺」という卓抜な命名のもとに展開された「運動」の、「死ぬ死ぬ詐欺」という呼称自体についての違和感として集約され得る事柄に対しての問題意識と疑義、それについては、私もまた部分的かつ限定的には同意します。付記すれば、muffdivingさんもまた貴方が書き込まれる以前の当該のコメ欄にて最初に記された「雑感」さんの書き込みに対して、

雑感『(前略)募金の不透明性や、赤の他人様の善意に頼り切る姿勢に対して
批判をするのは正当であるが、それに際して、
死ぬ死ぬ詐欺」なんて造語をもってバッシングを浴びせるのは、
やはり「卑劣」なのでは、と思えてしまうのだが。』 (2006/10/11 03:00)

muffdiving 『確かに、批判の域超えてるからなあ。
それに、「死ぬ死ぬ詐欺」というネーミングは確かに悪意があるし。その辺は卑劣といわれてもしょうがねえのだが。ただ、募金内容と使途の公開は必要だと思うんだよね。他人様の懐当てにしてる以上は。』 (2006/10/11 10:07)


と記しています。私もまた、引用部について全面的に同意します。直後に貴方が挑発的に書き込んだことによって、コメ欄の流れはまったく変わってしまったわけですが。もっとも、かかる発言も貴方にとっては「『銭の亡者』の心無いエクスキューズ」でしかないのでしょうが。貴方は物事の分別をする意思を持たないのであるから。


まとめるならば。私は貴方について「確信犯」という言葉を幾度も用いて言及してきました。語句自体に私は批判的かつネガティブな意味を込めて使用しているわけではない。ところで「確信犯」という言葉は、字義的には正当な用法と誤用とが存在します。以下参照。


確信犯 - Wikipedia

「確信犯」は、一般に「悪いことと知りながら犯罪を行う人(もしくはその行為)」、「結果を予想した上で計略を巡らす人」といった使われ方をする事が多いが、いずれも本来は誤用であり、まったくの間違いである。確信犯とは「自分が行う事は正しく、周囲(社会)こそが誤っていると信じ切っている」事が最大のポイントであり、本人に「実際は悪い事 / ウラがある作戦」などの意識は無い(後略)。


私は貴方についてどちらの意味で用いていたか、私自身にとってもまた不明瞭ではあったため、両方の意味合いを暗に込めて、使用に際して「確信犯」の意について示すことは避けていました。ただし非公式には、誤用の意味合いにおける「確信犯」であろうと、貴方について考えてはいた。つまりはわかってやっている「ヒール」でありことさらに露悪的な一連の言動についてもまた「意図」に基づいてあえて振舞っているものであると。今回の貴方による新規の返答を拝読して、自らの誤認ないし誤解に気が付きました。貴方は字義的に正当な用法に基づく、本来の意味における「確信犯」であったのですね。別にそのことによって私個人の貴方に対する印象が決定的に変動するものでも上下するものでもありませんが、認識においては補正が行われました。であるなら、純粋な苦言として僭越ながら述べますが「ヒール」を名乗ったり露悪的な言動を繰り返すことは、貴方の目的のうえでは逆効果をしか意味しませんし結果もしません。貴方に限らず一般的に言って、「ヒール」の露悪的な言動に対して、「ネット内輪」に通じる(免疫ある)人間以上に(小倉氏が言うところの)「普通の人」のほうが一見して引くであろうこと、了解されたほうがよいと思います。貴方が「誰に向かって書いているのかと問われれば、貴方たち以外に向けて書いてる」のであれば、なおのこと。オーマイニュースの記事投稿に際してのみ「露悪性」を自粛すればよいとするのは、Web2.0としての現実の状況下においてはワキが甘すぎるというものです。自らのワキの甘さが招いた結果を「ネガティブキャンペーン」に全面的に転嫁してはならない。


おそらくは、貴方自身にとっても「誰に向かって書いているのか」という射程が判然とは見出し得てはいないのであろうし、それこそ露悪的に申せば、虎の縞は洗っても落ちない、ということであるのかも知れません。「暴言」によっていたずらに敵を増やして、貴方の「意図」がWebにおいて達成され得る蓋然性は上昇するかといえば、小倉秀夫氏もまたそうですが、残念ながらWebにおいては「意図」に関する広範な同意の調達を縮小させ、いくばくかの困難に陥ってしまっているように、私には見えます。それもまた私の「主観」に過ぎないものであるならよいのですが。結局は、この問いに戻るのです。現行の、既成のWebにおけるコンセンサスをことごとく根本的に拒否、いや否定する貴方は、ではそのような現行のWebにおいて、貴方個人に生産的な何が可能であると思うのですか。貴方の言説発信もまた、私も含めた大半の人達と同様に、Webに限定されている。そうでありながら、Webのコンセンサスに対して拒否し否定するだけであるならまだしも、明確に軽蔑的な態度をWebにて示し同時にそれに対してコミットする者すべてを結果的に侮辱するのであれば、滑稽ですし、いらぬ敵を作ります。


ごく単純に、直接的にもみな貴方の非礼と傲慢に対して腹を立てているのです、かつ非礼と傲慢に言動の内実が付随しないがために呆れているのです。かかる非礼と傲慢は「ヒール」として「確信」に基づいた振舞いであるのかと私は考えていたら、正しい用法における「確信犯」の方であり一切は多く無自覚と無分別によるものであったらしい、と。対外的にそう受け取られている、ということに過ぎませんが、非礼と傲慢をもって本人にとっての正論らしきものを一方的に吐き、かつ第三者にそれに対する同意をたとえ部分的にせよ望むとするなら、それは一般的に考えても条件的に困難な営為です。社会的な文脈に拠っても、非礼と傲慢をもって贖われるものは一義に反感であり、コンセンサスの横紙破りは返礼のリスクを前提とします。私が表出云々と申したのは、コンセンサスの横紙破りを「意図」していた貴方に対して少しは思うところがあったためですが、「記述された文章自体」にのみ拠るべき、ということであれば、私には貴方を筆者とする「記述された文章自体」の大部分についてリテラルには内容の伴わない非礼と傲慢をしか読み取り得ないため、今後言及は控えさせていただきます。あくまで私の主観的な感想に過ぎません。とはいえその表明もまた「公正な論評の自由の権利」の一部ではあるでしょう。数多くの非礼な言、大変失礼いたしました。


追記:「コンセンサス」を「コンサンセス」と一律誤表記しておりました……訂正しました。すみません。