真面目に返事


もうバレていることでしょうが、私はトータルなネット歴自体はともかく、いわゆる「はてな界隈」のよしなごとについてはいささか疎い半童貞であったりします。そもそもはてなでのブログ開設が4月。当時は完全なはてな童貞でありました。昨日、はてなポイントをブックマーク経由でいただいたのですが、えっと、記名であったしハンドルを記して構わないのですよね、id:using_pleasure さん、ありがとうございます。御礼申し上げます。ブクマのコメントにもまた、力付けられました。fw0さんら『シム宇宙』経由で閲覧されている方も大変多いため、びびりまくりながら掲示したエントリでした。また、using_pleasureさんのブログに見覚えがあったため検索したところ、現在プロフィールには明示的には記しておられないようですが、思想塾の例会にて幾度も拝見した方のようで、驚きました。


そして、ついでといっては大変失礼に当たるのですが、ずうっと頭に引っかかっていたため今記します。もう半年は前の6月に、私が5月に記したナンシー関に関するエントリに対してブックマーク経由でポイントを送信してくださったid:Mr_Rancelotさん、今更ながらではありますが(もう忘れていると思います)、ありがとうございました。御礼申し上げます。初心者の常と言いますか、かつ当時はブログ更新に対するモチベーションが落ちてもいたため、面食らってしまい結果的に「スルー」してしまった、というのが実際の事情です。大変失礼しました。私の筋として、お詫びと共にいま、御礼を申し上げておきます。


さて、当エントリは、音羽理史さんに対する返答としてのそれなのですが、音羽さんによる新規のコメントをいましがた読み返し、音羽さんにとっては意思されたものなのでしょうが、やはり取り付くしまがない。むろんそれは自由です。前記エントリにおいても記しましたが、私は「応答責任」というものを個人倫理としてはともかく一般論としては振り回しません、誰に対しても。ですから以降、個人の位相から個人としての貴方に対してお答えします。実のところ、using_pleasureさんのブログの過去ログを経由して、貴方やusing_pleasureさんやその他多くの方が関わった3月の件について色々と再読しておりましたが(オーマイ以前のはてな界隈における件については、丹念にフォローしてはいなかった)、貴方に関しては、いささか呆れ、かつ引きました。前記エントリにおける言を、いくつか撤回したくなりはしました。それは皆、こちらに関しても魚拓を取るでしょうね。削除は前提として自由ですが、しかるにこちらでのコメントを削除したなら、さすがに私は管理人兼当事者として、貴方を批判せざるを得ないでしょう。貴方のコメントに対して応えているのは私ひとりではないのだから。muffdivingさんのところでも同様であって、つまりはそれを非礼というのです。


過去はあくまで過去でしかありません。私もまた、突つかれたくない過去の品行というのは、4月開設の当ブログに限定しても在る。すべて残してはいますが。貴方にとっては過去もまた「特に恥じることはない」のでしょうし、それは自由ですから構いません。3月の段階における削除に関する、貴方の見解について各方面で拝読しましたが、using_pleasureさんのコメ欄における説明にせよ愛・蔵太さんのコメ欄における説明にせよ、貴方がおっしゃっていることは常に、貴方の主観における正当性の提示に過ぎません。つまり貴方の内在的な論理における一貫した正当性の提示でしかない。構いません。しかし。以下、貴方による新規の書き込みを引用しつつ、話をしてみます。


文系が記す - 地を這う難破船


まず最初に。

それに文章がいちいち冗長で長い。論理が同じところをぐるぐる回っている。


七誌さんにフォローしていただいた手前恐縮ですが、当該のエントリに関しては、おっしゃる通りです。特に印象としてはそうであると思います。あまり自信が持てない、不得手な事柄について他人に向けた説明を意図した場合、人は念を押すかのごとく重複的になってしまいますね(つまり必要以上にくどくなる)。貴方以外にも、そう感じた方は多いことでしょう、申し訳ありません。

> 音羽さん、「数字の根拠」をどこまで検討したとしても「絶対的な数字」などというものは半永久的に得られません。

正しいのか、正しくないのか、と言う二者択一ではないはずです。統計を前提に話をする以上どの程度まで確からしいかの基準が存在する。あの程度では十分な水準ではないといっているのです。


> 貴方はドクターさんについて現在でも「客観的に考えて「専門的」と判断できる材料は何もない」と思っておられるのですか。

はい。


上の段についてはドクターさんが、下の段については七誌さんが、それぞれ貴方に続く書き込みの中で指摘をしておられます。つまり、あなたのかかる発言の「根拠」「論拠」についての提示を求めておられるわけですが、一連のエントリにおいて記してきた通りですので、諦めましょう。貴方にとっては自明の事柄のようです。当コメ欄のコメンターに対する侮辱を意味する内容と、当該コメンターが専門とする領域に対する断定的な表現が含まれている以上、貴方には自身にとっての「自明(の事柄)」について一部であれ開示する責が存在するとは個人的には思いますが、貴方は自らについては、応答責任ないし根拠の開示義務なるものを認めないし、私個人も他人に押し付ける趣味はない。貴方にとっては七誌さんは「話にならない人」に勘定されているのでしょう。上の段については私のような部外者でなくドクターさんに対して応えればよい、とは思いますが。もっともこれまでの経緯から言っても、ドクターさんにもまた貴方に対する応答責任が存在しないことは当然ではありますが。


貴方にとっての自明とは、貴方の主観的な、内なる自明でしかありません。むろんそれで構いませんが、貴方と異なる価値観を持つ他人を説得し得るものではない。であるからといってそれを表明するべきではないとは私は思いませんが、貴方も自覚のことでしょうがそれはモノローグでしかない。むろんモノローグが他人を打つことも説得することもあるでしょう。表出の方法とは原則的には自由です。いわゆる侮辱的な表現もまたその範疇に含まれるか、一概にジャッジし得るものでもありません。ドクターさんについてもまた「貴方がそう思っている」ということを表明するのは、構いません。何故、と問われて応えないことも、自由です。むろんこの場合の「客観的に考えて」とは貴方の主観における「客観性」の謂いであり、かかる「客観」に外部の同意を求めるのであれば、それこそ「根拠」の提示ないし開示が要請されはします。御承知のうえでそれをされていないのだと、私は判断していますし、そうであるなら無問題です。貴方の主観的な判断の表明ですから。

> ですから以下は私のフレームに拠る「横槍」に過ぎないと断りますが、音羽さんがその発言において示した「つもり」であったらしき意図とは、当該の御両親の「月の給与を一万円台まではっきりと分からない」以上、NHKの公表資料に代表されるあらゆる裏付けないし根拠とは「真」を示し得るものではない、ということです。

一千万単位で変わる推定年収が本当に信用できるものだと思いますか?
具体的に給与の内情が分かるくらい、という範囲がどこまで拡張できるものなんでしょうか?


> ネットであれ雑誌であれ紀要であれ専門書であれむろんそのコピーであれ「専門性を有した医学資料を自らが参照すること」など「自分にとっては無意味かつ意義が無い」と音羽さんは確信しているのです。

というか、疑問なんですがぼくが探してくるものなんですか?怪しいって言ってるのはぼくじゃないでしょう。


最初に記しておきますが、貴方が引用部の上の段において表明し提示されている「疑問自体」はリテラルには妥当なものです。であるから、あなたが公的に疑問を提示されること自体は御自由です、もう繰り返したくはないですが私個人は記者として取材云々とは言わない。編集部の方が、その要あれば指摘すればよいことです。そして、貴方が少なくともいわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」告発運動に関して発信している言説の一切とは、告発運動に対する主観的かつ観念的な疑義の表明と提示であって、それに尽きています。そう対外的には判断され得るということです。御了解のうえのことでしょうし、むろんそれで構いません。そうした貴方の記事に対して同意ないし共感を表明される方もいるでしょうし実際いたことでしょう。その方達を、かつ記事執筆者の貴方を貶めるものではありません。


しかし、そうした貴方の記事の主観性ないし観念性について自ブログにおいて「根拠」を提示して指摘される方があろうとそれもまた自由であり当然のことです。貴方の言葉を借りれば公正な論評の自由の権利です。ことに、貴方が当該の記事においていささか過激な表現を用いて「告発運動」の当事者達を概括的に非難した以上は。その「いささか過激な表現」もまた、貴方にとっては主観における率直な感想であり「公正な論評の自由の権利」の行使です。主観的な疑義の表明として個人を集合的に非難することは自由でありますが、そうである以上は、かかる疑義の主観性について「根拠」に基づき批判的に指摘する個人があることもまた自由です。そして、そうした個人のブログに対してコメ欄において直接に、個別的な批判ないし疑義を書き込んだのは貴方です。事の筋道について了解しておられますか。直接的な邂逅を望んだのは貴方です。


「怪しいって言ってるのはぼくじゃないでしょう」とのことですが、これは「当該の主治医が直接下した診断について疑義を表明しているのは自分ではないのだから、専門的な論文の参照ないし検討ないし吟味について自らが鑑みる筋合いはない」ということですか。ですから、そうした価値観については最初に明示するべきです。貴方の言説とは主観的かつ観念的な疑義の表明と提示に尽きているのですから。「根拠」という概念を信じない人間がさも信じているかのように繰り返し「根拠」の提示を求めるべきではない。確かに、貴方は『シム宇宙』での「議論もどき」においてごく早期の段階から「論文の参照と検討と吟味」自体に対して甚だ消極的(穏当な表現)な姿勢を表明してはいました、今となって読み返せば。構わないと思いますよ、貴方が探してこなくとも。であるなら論文の話など最初から持ち出すべきではない。この期に及んで「そもそも論文で問題になるのは」などと記すべきではない。こちらのコメ欄においても、当初私に対して、続いてドクターさんに対して「意図的」に貴方自身が信じてもいない「論文」「根拠」「医療専門家」という語句を持ち出されましたが、貴方の言説とは主観と観念にしか準拠してはいないのですから。


それも自由とは私個人は思いますが、であるなら『シム宇宙』のコメ欄に、一見議論の体裁を整えた、挑発的な「意図的質問」を書き込むことによって、fw0さんらを「誤解」させるべきではない。そして半ばは私が誘導したことといえ、今頃ぶっちゃけるべきでもない。結論的に申せば、価値観のセクトが決定的に異なるのであるから、邂逅するべきではなかったと思うし、そして挑発的に直接邂逅を試みた側は貴方です。である以上、貴方は先方が準拠する価値観に基づいた「議論」に対する参加意思があるとみなされて当然です。他人のブログに「出張」するとはそういうことです。価値観の棲み分けというのは、この場合は「ネットの内輪」とはまったく関係がない。そして直接的な侵犯行為に踏み込んだのは貴方の側です。価値的なアウェイであることを、了解しておられたのですか。そしてまた、貴方は引こうとしないから。

> 本当にわかりかねるがゆえに文意を伺っているのですが「読めない英論文を持ってくる」「症例の少ない論文一本を薄弱な根拠にしている」の主語に想定されているのは御自身のことですか、それともfw0さんないし当該「議論もどき」のコメンテーターの方達のことですか。

問題にするならば、ということです。


あまりに簡潔過ぎる回答であるがゆえ、やはりわかりかねるのですが、つまり貴方にとっては「問題にする要を感じない」ということでよろしいですか。私が上記の引用の原文において質問したような一切について。つまり「論文に準拠すること自体、そもそも問題にする要を感じない」と(「超読」と申されるならその責の一部はあまりに簡潔かつ不明瞭な貴方の返答にあります。その旨訂正なさってください)。上述の例証とはなりましたが、音羽さん、貴方が言われていることは『シム宇宙』において(あくまで論文に準拠して)なされた「議論もどき」の一切を「問題にする要を感じない」と言っているのと同じことです。貴方の主観的な本心でしょうから私は構いませんが、fw0さんも含めて『シム宇宙』の閲覧者、当該「議論もどき」の当事者が、こちらにおける貴方の発言に目を通しています。貴方にとっては「話にならない人と無駄なことをした」だけであるから構わない、ということですか。もはや私は知りません。そして。

> 「馬鹿」「死ね」と相手に向かって直接記す「公正な論評の自由な権利」が存在するのであれば「電波」と記し「キチガイ晒し」とタグを付ける「公正な論評の自由な権利」もまた存在しますしかつ貴方はそれを甘受しなければならない。

語彙の少ない人だな、と言ったことがありますが、別にそのこと自体を批判した覚えはないですね。
問題は論評が公正であるかどうかです。
「生理的」に「馬鹿ポモ死ね」というのは当然公正な論評ではないですし、「精神に異常をきたしてるとしか考えられねえから、ヤケ起こして幼女を襲う前に〜」云々に論評の入る余地があるのかというとそうは思いませんが。


「語彙の少ない人だな、と言ったことがありますが、別にそのこと自体を批判した覚えはないですね。」これはmuffdivingさんとの件のことですか。「そのこと自体を批判した覚えはない」のは結構ですが、当該エントリにおける自らのコメントを全削除したうえでそういうことをおっしゃられても困ります。削除は自由です。ただし、検証が不可能な状況に自らがしておいてそのうえで当人が「〜自体を批判した覚えはない」と言って説得力を持ち得ると思いますか。貴方にとって「証拠」とは無意味であり主観的な認識こそが発言においても優先されるのであるから、無問題なのでしょうが。todeskingさんによる当該発言については批判されて当然と思いますし、事実貴方以外の方も的確に批判している。貴方の応対も一概に妥当性を欠いていたとは言えない。muffdivingさんについては、これは「暴言」を投げつけるなら相手をよく確認するべきです。かつ貴方は先方に対して、周知のことですしmuffdivingさんも一部再掲示されているし気が滅入るのでもう引用しませんが、何を言ったかお忘れですか。そして貴方は事後一切を削除したのです。


貴方の主観における正当性の表明としての、貴方がおっしゃる削除の理由については了解しました。むろん、先方が主観的に何を思いいかなる行動に移すかも当然自由です。貴方が引用された記述にのみ限定して非当事者である私が見解を述べれば、それは公正な論評とは言い難い、と答えるでしょう。私は貴方が、少なくとも字義通りの意味において「精神に異常をきたしてる」とは考えない。ところで、貴方が先方に対してされた論評は公正なものであると、貴方は考えるのですか。はい、と答えるのも構いませんが、そうであるならそれは、貴方の主観的な公正に準拠してのものだと、私は考えますが。その判断こそsk-44の主観によるものである、とか貴方はおっしゃりかねないので答えておきますが、自ら全削除した論評を公正なものであった、と事後的に主張して通ると思っているのですか。「特に恥じることはない」という貴方の言は本心であるかも知れない。ただし、自ら削除した論評の公正性を、事後的に第三者に主張してそれを認めさせることは、極めて困難です。原則論としては、公正な論評であったなら削除の要はなかったし、第三者に公正と判断されなかったがために当該論評が「ネガティブキャンペーンに使われた」と思っているのであれば、つまり貴方のおっしゃる公正とは主観的な公正のことであった、ということです。強弁とはもう言いません。貴方にとってはそうではないのでしょう、ただ他人はそう判断して当然のものである、ということです。こと当該の「論評」を目にしたなら。確信犯なのでしょうし、当ブログにおいて管理人以外の方に対して向けるものでさえなければ「暴言」というかDisは御自由です。むろん先方のDisもまた自由です。一目瞭然のDisを公正な論評とするのは、一般的な観点に基づけば強弁というものです。一概に強弁およびDisを否定するものではないですが。

ぼくも一つ貴方に意見しましょうか。文章などどう読もうが勝手です。書かれたものは書いた当人ではない。それ自身が語るものです。
貴方の書いてることは、ぼくの代弁であるとか、「職業倫理」の代弁であるとか、すべて代弁の体をなしている。それは本当に鼻につく。別に、書かれたことの後ろに絶対的な書いた当人の真意など存在しないのです。書かれたこと、それがすべてだ。


的確にフォローしてくださった七誌さんには大変申し訳ないのですが、私は上を読んで既視観からのけぞってしまいました。話が逸れるため自己引用はしませんが、とある方からコメント欄にて私の記述の「意図」について問い質された際に同様の事柄を私もまた記したもので。その方による指摘もあって、今では考えはいささか変わりましたが、それは当時において嘘ではない。むろん記述の「意図」ないし「真意」に関する個別的な解釈もまたそれを公的に表明することも、解釈に準拠した指摘をされることも自由であり結構ですが、少なくとも記述の「意図」「真意」について記述者に直接問い質したところで回答は期待しないでほしい、と。真意が存在しない、とは言いませんでしたが、確かに訊かれても困るものですし、開示する筋合いもまたない。であるから、貴方がおっしゃることは私はよくわかります。前記エントリにおいても記した通り、貴方の不快については理解しますし申し訳なく思います。ただ。


確かに、私は一貫して、貴方の問題意識(=真意)とその表出方法(=発言/言動)のレベルを恣意的に区別して、前者について、部分的かつ限定的には肯定的に言及してきました。こうした方法自体が貴方の気持ちを害していることはよくわかるのですが、では伺いますが、表出(=発言/言動)のレベルにのみ準拠して判断ないし言及されることを望んでおられるのですね。であるならば、私は「公的に」何も語ることがないし、多くの方にとっても同様でしょう。後者にのみ準拠した場合、少なくとも私は、そのどこを「公的に」肯定的に言及すればよいのかわかりかねるためです。小倉秀夫氏ですら、前者にのみ準拠して貴方を「公的に」評価していることに気が付いていますか。少なくとも、私に関しては、貴方の問題意識ないし問題意識とその表出との対応関係に準拠しないことには、貴方の表出自体を「公的に」肯定的に言及する余地を見出し得ません。それが私個人の「主観的」な認識でしかなく他人の同意を得られぬ判断であるならよいのですが。


確認しますが、貴方の表出自体が他人に対して多くネガティブな感情を喚起させかねないものであること、貴方は一切自覚のうえで振舞っていると、自認されてはいるのですね。どうあれ、表出自体にのみ準拠して言及してもらいたいということであるなら、私は何も「公的に」語る事柄を持っておりませんので、言及することはないでしょう。私個人は貴方が最も不快に思うことを知ってなお「ネタ」的な文脈から貴方に対して言及する気はありません。とはいえ、そうされる方がいることもまた貴方の過去と現在の帰結という気はします。貴方に再三言及することがまた新たにネガティブな感情を発生させかねない状況がある以上、それが御要望であるなら私は従います。


私の意思について、貴方自身が一貫して不本意に思われていたのであれば、残念です。私は貴方をめぐる、貴方が言うところの「ネガティブキャンペーン」の限定的な一部分について、誤解の所在についてインフォすることによっていくばくかは棹差そうと試みてはいたのですが。貴方の3月のはてな界隈における品行について詳しく知る以前のことです。言うまでもないことですが、記述ひいては表出にのみ準拠せよ、と閲覧者に対して「公的に」要求するということは、ある高名なブロガーが歓迎と宣言しているように、誤解と誤読を前提するということです。記述と表出自体に絶対の比重を置く自負がなければ、あるいは、これは表裏としての同じ事柄ですが、自己の記述と表出に対する評価を開放したうえ関知せずとしないことには、持ちこたえ得ない。さもなくば、当の高名なブロガーのごとく個別的なレスポンスに対して「エントリに拠ってのみ応える」などと格好の良いことは言い切れず、個別的な応答責任という消耗戦を楽しみつつも耐えていかなければならない。不本意とする誤解と誤読を、自らの手の届く範囲で能う限りは解除していくために。私も含めて、そのバランスの配分とは個別的です。

ぼくも短くして、分かりやすくする作業は嫌いだが、読む当人の根気を前提にしてるなら読んでるひとを選んでると言うことになる。貴方は誰に向けてブログなど書いてるんですか?


オーマイニュースの記事として掲載する際の作業のことですか。いや、ですからブログというのは分量的には、かつ文章のスタイルの上では自由に好きに書けるツールではあるので。誰に向けて書いているのか、という御質問ですが、七誌さんも言われた通り、本件の関連エントリに関しては、貴方も含めた関係者に向けています。貴方のことを意識に留めている人達に対してです。確かに、私の記述のまずさも影響して、最後まで目を通してくださった方がどれだけいるかわかりませんが、ある程度のインフォ/サジェスチョンを果たし得たとは思っています。そして私は普段から面倒な長文癖かつ悪文癖があるので、よほどの根気ある酔狂者しか読まないのではないでしょうか。というか、興味を示していただいて長文に最後まで目を通してもらえたなら僥倖です。恒常的な閲覧者が一定数いて、たまに感想や反応もいただけるというのであれば、その対応については個別的といえ、僥倖でありモチベーションとなり得るでしょう。ブログとは僥倖の持続的な蓄積に拠ります。


「読んでるひとを選んでる」というならその通りですが、記した通り私はブログに限らずWebにおける個人的なパブリクションに関して「チラシの裏に書け」とは自己にも他にも言わないから。ところで、主観と観念に準拠した貴方の表出(=記事/発言)について、もし「チラシの裏」という裁断に貴方が与するのであれば、どのように判断されているのですか。というか、この問いは貴方がオーマイニュースに記事を投稿し掲載するに当たって直面している課題のことではないのですか。不案内ゆえ一般的なことしか言えませんが、少なくともオーマイニュースが公的に「ジャーナリズム」たらんと志向しているのであれば、それは仕方のないことですよ。貴方は望んで参加したのだから。ですから私は、これも以前に記したことですが、ブログという多くプライベートでありながら時にそれがそのままパブリックになってしまったりもする工学的な表出のツールを借りているのです。貴方は既に読んでいるでしょうが、こちらにトラバをいただいたエントリに記されていた、膝を打った一節について、リンクのうえ、引用します。


http://firewood.txt-nifty.com/bbc/2006/12/ossan.html

(前略)そういう印象になるのはおそらく、普通は根拠という言葉はコンセンサスを形成するために使うのだが、反対の使い方をしているからだろう。そのため話に核が感じられず、何の話をしているのかわからなくなる。


そう、私もまた語彙が少ないもので、コンサンセスという言葉が出てこなかった。前記エントリに補足するなら、貴方は一貫して「任意のコンサンセスの自明性」ひいては「コンサンセス自体の自明性」を問うためにのみコンサンセスを形成している「根拠」について、疑義を呈し続けているのでしょう。貴方はコンサンセスというものを前提しない位相から、言説を発信しようとしているから。かかる言説が、そして自らが既成のコンサンセスに絡め取られることに、貴方は苛立っている。その結果としての一連の表出ではあるのでしょう。貴方はいわゆる「ネット内輪」のコンサンセスに自らが絡め取られることを唾棄するから、自ブログを自コメントを削除することも平気であるし、それに対する「ネット内輪」的な顰蹙など気にもかけないのでしょう。あまりのことなので一目瞭然でもあるし指摘もしませんでしたが、ドクターさんに対して開口一番、


「受賞」をめぐる発言に目を通しての雑感 - 地を這う難破船

医者だと名乗れても、それだけでは根拠になりませんから、身分を確認できる程度まで貴方の情報を明かしてほしいんですが。具体的には、実名と勤務先ぐらいまでは。


などと尋問じみた言を発し得るおそろしい非礼もまた、自ら実名と所属する大学名を明かしている以上、貴方にとってはやましい点などなき正当な要求なのでしょう。たとえそれが「ネット内輪」のコンサンセスから顰蹙される行為であろうと。音羽さん、言っておきますが、まず貴方は社会を知らない、かつ、上の発言は「ネット内輪」以前の現実的な対人における甚だしい無配慮であり距離に対する鈍感です。つまりは無礼です。ドクターさんは貴方よりずっと年長でもある、と言ったところでその根拠を示せ、とおっしゃるのでしょうね。こんなことは言いたくはないですが、貴方の年齢と所属でこれほどの無礼や狼藉が許される場所が、現状において「ネット内輪」以外のどこにあるのですか。いわゆる「ネット内輪」のコンサンセスを貴方が顰蹙覚悟で個人の意思のもとに認めないことは構いません。では貴方は現在のネットにおいて、いかなる情報発信をされていくつもりなのですか。コンサンセスを前提しない、個人の主観と観念にのみ準拠する排他的な位相から。


私は、貴方がその位相に立とうと志向していること自体には悪い印象を持ってはいませんでした。ですから貴方に対して直接には「ネット内輪」的なコンサンセスに準拠しない位相から返答を記してきたつもりです。そして貴方が立とうと志向する位相の存在について、貴方と対峙された方も含めて多くの方達が気付かず(まったく無理もありません)、かつそれは貴方自身にとってもおそらく整理されてはおらず、そのゆえに不毛な軋轢とディスコミュニケーションが繰り返されたがため、貴方が立とうと志向する位相について、ひいては貴方と貴方に対する論駁者達との間にそびえる「バカの壁」の内実について、整理とインフォを目的として記してきました。すべては、それだけです。以上に対して「余計な御世話」と申されるのであれば、私に本来その要も利もない、少なくとも貴方がよく言われるところの「私怨」もまた私にはない。書くべきことはおよそ書きましたし、止めます。重ね重ね、失礼いたしました。


エントリ掲示で力尽きたうえこれから徹夜明けで友人と『パプリカ』を観に行くため、音羽さん以外の方のコメントに対する返答はもうしばしお待ちください、すみません。