文系が記す


もう少しばかり、続けます。これきりかな。主たる目的は、ドクターさんと音羽理史さんに対するレスポンスとして、かつ追加的な見解の提示と前エントリのいくらかについて訂正補足、その旨をfw0さんら音羽さんとの「議論もどき」において当事者となられた方々に対してインフォするがためです。音羽さん、私の新規エントリに対して改めて「紳士的」な応答ないし反論訂正を記してくださって、ありがとうございます。嬉しく思う。いまだ意見交換の成立し得る余地が存在する、私の言葉には耳を傾ける意思を持ってくださっているようなので、私も更なるレスを試みましょう。そして、どうやら私のつまらない邪推もいくらか混じっていたようですので、その点認めてお詫び申し上げます。貴方の当該記事をめぐって10月に、各ブログにおいて貴方が繰り広げた長大な「議論もどき」の一切のエントリをいましがた、久方振りにまとめて読み返していましたが、todeskingさんのブログエントリをめぐる件については、エントリ削除云々を除けば、まぎれもなく先方に一貫して非があると、私もまた思いますよ。衆目一致のところであるとは思いますが。


取っ掛かりとして、今回は貴方の記した新規のレスを逐一引用した形で私なりの対応的見解を記していきます。明記しかつ強調しますが、以下は引用部に対する「論駁」ではない。少なくとも私個人は、貴方とのやりとりにおいてそうしたスタンスは取らない。貴方の主張の個別的な記述について個別的な瑕疵を指摘したところで、少なくとも貴方にとっては意味がない。何より(あくまで括弧付きですが)「紳士的」に行きたい。であるので、fw0さん、ドクターさん、そしてその他大勢の現在の状況に対して苛立っている方々、切に御容赦ください。


「壁」の向こうの風景 - 地を這う難破船


まず、最初に。

>おそらく単に「受賞」批判ならびに鳥越俊太郎氏の講評に対する批判を記した最初のエントリの中で私が「辞書なしには外国語が読めない」と記したためでしょう。

そんなの読んでないです。


申し訳ありません。私の邪推であったようです。

> つまり音羽さんは書き込みにおいて「専門誌の論文」が「電子ジャーナル」として「ネット上」に掲載されている事実を、なんというか、踏まえていない。

読めない英論文を持ってくるよりは日本語の論文を探してくればとか、症例の少ない論文一本を薄弱な根拠にしているよりはもっと論文を探してくればとか、それぐらいの意味だったんですけれども。


音羽さん。少しばかり苦言を呈させていただきますが「読めない英論文を持ってくるよりは日本語の論文を探してくればとか、症例の少ない論文一本を薄弱な根拠にしているよりはもっと論文を探してくればとか、」の「読めない英論文を持ってきた」「症例の少ない論文一本を薄弱な根拠にしている」とされる、動詞の主語に該当するのはどなたを指して記されたのですか。辞書なしでは英語が読めない私は専門的な英論文を持って来ようもありませんし、論文自体を持ち出したことはありません、というか医学の専門性の領域に属する話はしていない。『シム宇宙の内側にて』のコメ欄における論文検討にも参加しませんでした(できません)。本当にわかりかねるがゆえに文意を伺っているのですが「読めない英論文を持ってくる」「症例の少ない論文一本を薄弱な根拠にしている」の主語に想定されているのは御自身のことですか、それともfw0さんないし当該「議論もどき」のコメンテーターの方達のことですか。そうであるならこちらで記すことは控えていただきたいです。fw0さんに更なる補足の手間を私は取らせたくありません。そういうのは「当てこすり」と言います。

> すべてを削除したということは、自らの振る舞いを恥じておられるのですよね。

いや、ネガティブキャンペーンに使われたので、そんな人たちのためにわざわざ参照できるような状態にしておくこともないかな、と思ったので消しました。
特に恥じることはないですね。話にならない人と無駄なことをしたってだけで。


わかりました。記した通り私が難じ得る事柄ではありません。「ネガティブキャンペーン」と言われますが、認識のうえではその点についても部分的には同意しないものではありません。『NC-15』における「議論もどき(とすら言い難い)」をめぐる件について事後的に知った者が「受賞」以後、各方面に貴方の「暴言」(としてやむを得ないものでしょう)のみを抜粋的にコピペして貼っていたことについては、私個人はあまりよい印象を持ってはいない(2chについてはお互い諦めましょう)。スタンスは個別的であれ「死ぬ死ぬ詐欺」の件について関心を持ち観測していた者にとっては2ヶ月前に既知であり周知であった事柄です。ただし。はっきりと記しておきますが、muffdiving氏ら当該「議論もどき以下」(貴方は「議論」自体の意義を認めていないのだからこう記して構わないでしょう。私はそのことを無条件で批判するものではありませんが、それについては後述します)の当事者が貴方の「受賞」に関して、貴方のコメ欄における発言を引用のうえで批判エントリを掲示し歴とした怒りを個人として再三表明したとして、それはまったく妥当かつ至極当然のことです。というか、貴方の「暴言」はmuffdiving氏達に直接投げつけたものなのですよ。それも氏のブログのコメ欄にて再三。「暴言」について氏が腹を立て批判を継続するのはあまりに当然のことです。


貴方は小倉秀夫氏のブログのコメ欄において、自らの(確信犯的な)「暴言」について「公正な論評の自由の権利」と主張していますが、その旨について同意したとして、ならかかる「権利」を他の者が行使する自由も存在します。「馬鹿」「死ね」と相手に向かって直接記す「公正な論評の自由な権利」が存在するのであれば「電波」と記し「キチガイ晒し」とタグを付ける「公正な論評の自由な権利」もまた存在しますしかつ貴方はそれを甘受しなければならない。というか、強弁とは思いませんか。「貴方がそうした領域に望んで足を踏み入れている」という事実が存在するだけではないのでしょうか。別にそのことに意見する気も筋合いもありませんが。「話にならない人」というのはmuffdiving氏のことですか。貴方の評価もまた自由です、自由ですがたとえ貴方の本心であろうと他のブロガーに対する批判的感想(というかDis)をこちらで記すことは控えていただきたい。fw0さんがトラバされたのもそうした貴方の行為に対する指摘を含んでいます。ただ、貴方は本当に「無駄なことをした」と思ってはいるのでしょう。後述します。

> 言うまでもなく医学とは狭義のアカデミズムであって「つまらない数字」という表現に代表される音羽さんの発言および態度をドクターさんが厳しく批判されるのは当然のことです。

その前に本当に厳密に考えるなら統計をそのまま鵜呑みにしないでしょう。


5日付エントリにおけるドクターさんのコメントに対する音羽さんの再応答から引用しますが。


「受賞」をめぐる発言に目を通しての雑感 - 地を這う難破船

> 言葉の意味としては,あくまでも医学論文を書く際には,でてきた数字に対して考察を行い,それによって結果を考えるものです.

いや、そもそも論文で問題になるのは数字の根拠です。あの程度の症例で絶対的な数字だと読めるわけがない。書いた当人ですらそうは思っていないでしょう。論文というのは権威で読むものではないはずです。


> 私もたかだか10個程度の文献を斜め読みした程度であるので,生存率50%きるかきらないかは正直判断できません.

だったら、あなたは何が言いたかったんですか?


私の前記エントリから自己引用します。音羽さんの上の書き込みは新規のエントリが掲示された後に投稿されたものです。

音羽さんは「数字」というものを一概に軽蔑しているようですが「合意された暫定的なファクト」のあくまで限定的な決定解として数値とは示されるし、データないし統計とはつねそういうものです。あくまで暫定的かつ限定的である以上、数値的誤差ないし振幅ないし操作の蓋然性は恒常的に存在しますが。


音羽さん、「数字の根拠」をどこまで検討したとしても「絶対的な数字」などというものは半永久的に得られません。少なくとも個別的な「症例」に準拠する医学においては。貴方は広義の自然科学において用いられる「数字」の意味について誤解している。「絶対的な数字」という発想がそもそも有り得ないのです。「書いた当人」が「そう思っていない」のは当然のことです。「あの程度の症例」とかそういうことではない。どれほど「症例」が積み重ねられようとも「絶対的な数字」になど行き着きはしません。不案内な私によるおそらく精確ではない素人表現でしょうが、自然科学における「数字」とは常に暫定的かつ限定的な決定解でしかありません。誤差も振幅も操作の余地もまた恒常的に有する。その暫定性と限定性に対する意識、すなわち「数字」の限界に対する認識を自然科学に専門的にコミットする者は前提とします。ドクターさんがおっしゃった後のコメントとはそうした「専門家」であるがゆえの「職業倫理」に属する発言です。それに対して「だったら、あなたは何が言いたかったんですか?」とは何事ですか。


「絶対的な数字」の不在を前提する職掌の倫理を貴方はわかっていない。貴方の一連の発言が示している事柄とは、医学どころか自然科学全体を規定する価値観に対する、そして専門性という概念に対する、貴方の無理解と偏見です。英文読解力とか医学知識とかそうしたこと以前に、かかる無理解と偏見をもって「専門誌に掲載された医学論文」の内容について上段から云々してみせるから、無理解と偏見が発言の端々に見出されるから、fw0さんら「自然科学」の関係者(すなわち「自然科学」を規定する価値観に対して専門的にコミットしている者)が不快を覚えドクターさんが匙を投げるのです。貴方は医学ひいては広義の自然科学においてディシプリンとして専門的に要請される意識と認識と方法論に対して(単なる無知や無自覚であるならまだしも)意思的に考慮せず無頓着なまま「医学の専門性」の領域に対して無造作にくちばしを入れる、それはすべての(自然科学とまでは言いませんが)医学関係者に対する非礼を結果すると、気が付いていますか。


「論文というのは権威で読むものではない」という貴方の発言はそもそもズレている。もし「権威」というものがあったとして、原則的にはそれは論文の執筆者や「数字」の権威ではない。医学の専門的な関係者が常に意識し認識しなければならない(ある種の)「強制性」を有した準拠枠が在るとするなら、それは「数字」ではなく「数字の限界と不確実性/不確定性」についてです。つまり「(ある種の)強制性を有した準拠枠」とは方法論の領域において存在する。そうした大前提についてさえ理解せずする気もないまま「医学の専門性の領域」について、それも当事者を前に上段から発言すること自体が、あるいは傲慢です。解剖実習の際に「先生、血管の走り方が教科書と違います」と口走って教授(御本人)の怒りを買う理Ⅲ医学生の話を養老孟司氏が記していましたが、つまりは医学というか自然科学全般に対する誤解が広範に存在しているということでしょう。


以下、上記の「例証」として。再引用も含みます。

> つまり音羽さんは書き込みにおいて「専門誌の論文」が「電子ジャーナル」として「ネット上」に掲載されている事実を、なんというか、踏まえていない。

読めない英論文を持ってくるよりは日本語の論文を探してくればとか、症例の少ない論文一本を薄弱な根拠にしているよりはもっと論文を探してくればとか、それぐらいの意味だったんですけれども。


> 音羽さんが「本件と無関係」なものまで含めた

弾き忘れただけですが。

>私に対して専門的な論文のURLを羅列して迫ったのもまた同じ動機。

少ない症例数それだけでは根拠にならないというだけだったんですが。

> 言うまでもなく医学とは狭義のアカデミズムであって「つまらない数字」という表現に代表される音羽さんの発言および態度をドクターさんが厳しく批判されるのは当然のことです。

その前に本当に厳密に考えるなら統計をそのまま鵜呑みにしないでしょう。

> 誠に「非科学的」な当ブログにわざわざ大変丁寧な専門的見解を記してくださった方の書き込みに対して、貴方の口調と態度と物腰はあまりに非礼です。

あなたにとっては「専門的」なのかもしれないが、客観的に考えて「専門的」と判断できる材料は何もないですが。


音羽さん、ドクターさんもfw0さんも誰も「統計をそのまま鵜呑みに」などしていませんよ。「つまらない数字」という貴方の表現をドクターさんが「厳しく批判」されたのは「数字の絶対性」を信じているからではない。ドクターさんらが「絶対的な数字」という発想を前提している、「統計をそのまま鵜呑みに」するようなことがある、という類の認識ないしその不足をもって「そもそも論文で問題になるのは」などと記しているためです。一事が万事そうした貴方の姿勢のためです。ドクターさんによる最初の批判から引用しますが。

結果から詰まらない数字といえるほどあなたは勉強されていませんし,こうした文献の重みがわからない方が医療関係の記事を書くという時点で間違っています.

あなたはあまりにも無知です.


補足しますが「無知」ないし「不勉強」ないし「文献の重みがわからない」点のみを理由としてドクターさんは貴方に対する批判をわざわざ記されたのではない。そもそも貴方は「医学の専門性」に対して意思的に「無理解」「無考慮」であって、かかる姿勢が上記の瑕疵とそれを示す具体的発言となって現れていることが読み取れるがために「専門的な職業者」として看過し得なかったのです。端的に言って、ドクターさんに対する貴方の一連の発言は専門的な職業者(及び専門的な職業者が職業倫理として準拠する価値観)に対する侮辱をしか示してはいません。いわゆる「普遍」を志向する人間であるなら、広義の自然科学に準拠する専門性としての職業的な価値観ないし世界観に対しては、敬意を払うべきです。


5日付のエントリにおいて、(ドクターさんが書き込まれる以前に)貴方が記していた言葉。

それで教えてほしいのですが、この程度で医療専門家でもない人が、いや専門家でも何が言えるというのでしょうか。あるのは、ごくわずかな症例に基づくネット上の資料だけで、それを素人判断しているだけです。せめて、専門誌で論文でも探してくるならまだしも。

そもそも本来の意味でのリテラシーというのは、例えば医療論文に対して医学知識があるか、とかそういう意味だと思う。


そして、fw0さんのブログに昨夜記されていたドクターさんのコメントの抜粋です。

専門家の話であっても聞く耳は持たないようですね・・・。

専門家に拘っていたようですので、医療人の立場からアプローチして見ましたが、ご覧の通りでした。


私が記した、貴方のドクターさんに対する「口調」以前の「態度」と「物腰」における非礼というのは、こうしたことです。貴方は医学の専門性以前に、広義の自然科学に準拠した価値観の一切を否定している。意思的に「拒否」するのであればそれは構いません、しかしそうした姿勢を意思的に持って「専門誌に掲載された論文」の、内容について真面目に言及するのであればまだしも「そもそも論文で問題になるのは」などと記すのは、ひと言で申せば僭越です。「そもそも」って、誰に向かって言っているのですか。相手の価値観に準拠しないことは構わない、構いませんが、意思的に無理解なままに相手の価値観を愚弄するというのは、非礼の範疇を超えています。貴方がやっていることは「広義の自然科学」の関係者すべてに「喧嘩を売っている」のと結局は同じことです。専門的な職業者とその職業倫理としての価値観を、貴方は何であると認識しているのですか。結局のところ、時間的に蓄積されてきた自然科学の方法論に対して貴方は意思的に無理解であって、意思的に無理解であるとは自己の認識において準拠枠とすることを拒否しているということです。繰り返しますが、医学ひいては自然科学の専門性とは、数字が絶対でないことを前提したうえで検証を重ねる態度のことであり、そのような事柄も意思によるのか無自覚であるのか踏まえない方が、

複数の医師があんだけしかないネット上の論文だけで判断したんですか?それとも、それこそ専門的な資料を読んだんですか?そうなら、医師にそれほどの余暇があるんですか?そもそも、どうして複数の医師がこんなローカルなネットの話題で資料の読み合わせなんかやってるんですか?それに、貴方たちは何科の医師なんですか?


などと放言するべきではない。貴方は「広義の自然科学」において時間的に蓄積されてきた価値観自体に一切準拠していない。少なくとも、そう取られて仕方のない言動を示している。貴方にとって「専門誌に掲載された論文」の内容について云々することの意義自体が、理解できないのでしょう。そもそも、fw0さんによる指摘の後でもなお、ドクターさんによる同内容の指摘に対して、

>ncbiなどのPDFなどでファイルをダウンロードできるシステムを知らないんでしょうか?医学系に限らず,今は多くの分野領域で,紙での出版及び電子ジャーナルという形を取っています.

だから?話が噛み合ってないですよ。


とのことですが、貴方は「「専門誌の論文」が「電子ジャーナル」として「ネット上」に掲載されている事実」について、御存知ではあったのですか。知ったうえで意思的な態度をもって最初の私に対するレスを記したのですか。であるなら(fw0さんが指摘するのは当然として)私は構いませんが、上の応答が意図的なものとすればドクターさんに対してあまりに非礼かつ不誠実です。


「自然科学」を規定する方法論と価値観に対して意思的に準拠しない、それは自由です、自由ですが、であるなら「医療の専門家」「医療論文」「医学知識」と連発するべきではない。貴方はドクターさんについて現在でも「客観的に考えて「専門的」と判断できる材料は何もない」と思っておられるのですか。またも繰り返しですが、こうした(ブロガーですらない)個人に対する侮辱(医療の専門家と自称しているがそうではない、と言っているも同様です。「客観的に考えて」と注釈するなら)を私に向かって記さないでいただきたい。であるから私もこうして貴方に対する更なる批判を含む事柄を記すことになる。


貴方は「医療の専門家」「医療論文」「医学知識」の内実について意思的に知ろうとせず、かかる価値体系を拒絶し、敬意すらも払おうとはしない。貴方の一連の発言がそれを証している。でありながらかかる語句を内実伴わぬまま用いるのは、その「権威」とやらを知るがゆえですか。「論文というのは権威で読むものではない」という言葉は貴方の認識に規定されているのでしょうか。「権威」というものがあるとして、その「権威」が何によって担保されているのか、貴方は承知しているのですか。「論文」「専門家」というのは絵に描いた餅ではないのです。(内実を知ることによって抱く)敬意なきまま「論文」「専門家」と連呼することは、そうした存在ならびにかかる存在を規定し成立させている歴史的な価値体系に対する愚弄でもあり、それらの「権威」の下落すら結果しかねない行為です。


そして、ようやっと本題に入りますが。

> 端的に言って、音羽さんは「ネットにソースが存在する情報」の一切を信じないし認めない。

そんな超読されてもなあ。ただ単に反語っていうだけでしょう。


> たとえそれが現実に「活字化」され「印刷・出版」されている実在する専門的な論文であろうとも「出所」としてネットから拾って引用したものであるならば「根拠とはなり得ない」

どういう理解なのか分かりかねますが、何度も言ってるとおり例え現実の論文だと言ってもそれだけで無条件に真にならないはずです。


> たとえそれが現実的に存在する公共的な機関NHKが公表している資料であろうとネットから拾ったものであるならば「裏付けとはなり得ない」。

平均年収だけで特定個人の年収が分からないのは当たり前でしょう。


ええ。考えました。私の認識とそれに基づいた記述について補足訂正としての追加見解を記すべきであるな、とは思いました。「例え現実の論文だと言ってもそれだけで無条件に真にならないはずです。」おっしゃる通りです。しかるに意味が少しく異なる。またしても端的に言いますが、貴方は少なくとも「意図的質問」の手法において、「真」を前提として、一切の「真」を示し得ない「根拠」「裏付け」の類を意思的に拒否している。確かに引用の上記は私の判断における勇み足であり、下手すれば印象操作を帰結していました、申し訳ありません、と謝罪します。貴方の言われる「反語」とはこういうことでしょう。(貴方が言うところの)「真」を示し得ない「根拠」「裏付け」に対して貴方はそれに対する懐疑を常に問うている。その「根拠」「裏付け」とやらは「真」を示し得ますか?と。おそらく一切はこう要約し得る。である以上「ネット上の情報」が論外であるのは当然として、「真」の不在を前提とした広義の自然科学の方法論ないしそれに規定された価値観に貴方が与するはずもない。先述の通り、『シム宇宙』における当該「議論もどき」関連エントリの一切を読み返していました。


シム宇宙の内側にて オマニーの記者音羽氏がありもしない錯誤をでっちあげて批判している件(玉石オマニー その5)

ぼくも何度も言いますが、月の給与を一万円台まではっきりと分からないなら、内情が分かってるとは考えないです。


という音羽さんの『シム宇宙』コメ欄における発言に対して、引用のうえでfw0さんが、

音羽さんは今回始めて、「1万円台まで分からなければ "内情" が分かっているとは言えない」と、今回の議論における "内情" という単語の定義を明確にお示しになったんです。議論の開始時からずいぶんと私を悩ませてくれたのは、この "内情" という単語でした。要はこの単語の意味のとり方で、音羽さんのもとの文章はかなり幅広い解釈が可能なんです。"内情" の意味が曖昧なままでは、議論というよりはくだらない意味論に終始してしまうので、なんとしても音羽さんに "内情" の定義を明言させる必要がありました。


と記したうえで音羽さんの論理的矛盾性についてそれは見事に指摘し喝破されています。見事と思います。私には真似できない。ただ。


2ヵ月遅れで気が付いたことに過ぎませんが、音羽さんのその発言は、そういうことではないのですよ。音羽さんの内在的な論理に準拠したなら。fw0さんがかくも丁寧に記された指摘と批判もまた、たぶん音羽さん本人にとっては無効な指摘であり批判に過ぎないのです。むろん音羽さん以外の多くの方にとっては有効な指摘であり批判です。fw0さんの射程が最初からそちらにあったことは了解しています。ですから以下は私のフレームに拠る「横槍」に過ぎないと断りますが、音羽さんがその発言において示した「つもり」であったらしき意図とは、当該の御両親の「月の給与を一万円台まではっきりと分からない」以上、NHKの公表資料に代表されるあらゆる裏付けないし根拠とは「真」を示し得るものではない、ということです。一連の「意図的質問」とは「真」を示し得てはいないことを指摘するための「反語」としての機能のみを意図するものであるから、自らが「月の給与を一万円台まではっきり」させる意思はない。そうした目的は持たない。あるいは「当該の女児を直接診察したうえで主治医が下した診断」に拠らない以上、専門誌に掲載された論文とは「真」を示し得るものではない、ただし、容態に関する一連の「意図的質問」もまた「真」を示し得てはいないことを指摘するための「反語」としての機能のみを意図するものに過ぎないから、自らが「当該の主治医に対して診断の根拠について確認する」意思はない。


「意図的質問」とは「「真」の不在」を指摘するために発される「反語」でしかない。音羽さんに「真」を具体的な形で求める意図はない。「反証」の意思はむろん音羽さんにはない。「真」の不在を前提する、いわゆる「科学的認識/思考」自体に対して極めて懐疑的である(穏当な表現)ことは、音羽さんにとっては当然のこと、でありましょう。つまり音羽さんが「科学的認識/思考」とは「真」の存在を、それも「無条件の真」の存在を前提的に志向するものと考えていた以上、かかる方法論における「真」の不在を指摘し続けさえすれば、それで有効であると、思われていたようです。結局のところ、前記エントリにて私が記した「観念と科学的思考の不幸な衝突」という表現に一切が集約されていると思います。上記は、かかる価値的な齟齬のあまりに象徴的な例と思われたため、引用させていただきました。


であるがため、うぉちさん、論文探しさん、音羽さんに対する御指摘、ありがとうございます、しかし。ドクターさん同様そうした指摘(というか突っ込み)をせずにいられなくなることは大いにわかりますし、音羽さんに対する極めて妥当な批判として閲覧者に対しては機能しますが、むろん音羽さん本人は聞く耳持ちません。「意図的質問」の一切は「反語」を意図するものでしかないのですから。音羽さんはインフォなどハナから求めてはいない。「反証」という発想が音羽さんにはない。ネットであれ雑誌であれ紀要であれ専門書であれむろんそのコピーであれ「専門性を有した医学資料を自らが参照すること」など「自分にとっては無意味かつ意義が無い」と音羽さんは確信しているのです。


そしてその種の指摘と批判は当然のことながら『シム宇宙』においても『NC-15』においても適切かつ的確になされまくっていて、もはや周知の事実です。したがって「そういった丁寧なアドバイスやインフォに対して、『医療の専門家』『医療論文』『医学知識』といった事柄に執拗にこだわり続けているはずの音羽さんはなぜ聞く耳を持たないか」という「音羽さんの確信」の内実について、こうして縷々綴ってまいりました。「確信の内実」とは何であるか。音羽さんはいわゆる広義の「科学的認識/方法論」ないしそれに規定された「根拠」「裏付け」といった概念自体に対して極めて懐疑的である(穏当な表現)、ということなのでしょう。つまりは、そうしたことよりも重要な事柄が本人においては所在している。それを問題意識という。おそらく、音羽さんによる「意図的質問」の一切とは、いわゆる広義の「科学的認識/方法論」とそれに規定された「根拠」「裏付け」という概念自体に対する懐疑の表明としてのみ意図されているのでしょう。「懐疑の表明」と「反証」とはイコールではまったくありませんが、音羽さんは「真」を示し得ない「証拠」自体に意義を認めませんので。音羽さん。貴方が抽象的な形で求めている「真」とは何なのですか。確かに、貴方の言葉は常に反語です。

そもそも「手術をしなかった患者の予後は不良だった」と書いてある論文を元につまらない数字をあれこれ言える彼らの神経がぼくには分からないです。

> 後,大事なことは数字が先で結果が後です.

それ、ぼくが主治医に言われたら絶対その人に手術してもらおうと思わなくなるせりふですね。


> 幸いにも件の患者さんは予定では本日渡米予定だとか.何とか早くにドナーが見つかり,無事手術が終了すること,経過が順調であることを願います.

貴方に限らずですが、そのせりふを付け足しておけばいいと思ってませんか?


こうした発言をもって貴方が表明したい事柄とは大筋において「重い病気を抱えた任意の女児の容態というヒューマン(=人道的)な問題について当事者性が欠落したままにつまらない詮索をあれこれとするべきではない」ということであり「月の給与を一万円台まではっきりと分からないなら、内情が分かってるとは考えないです。」という発言において貴方が表明したい事柄とは大筋においては「重い病気を抱える女児の親である一個人の経済状態というヒューマン(=人道的)な事柄について当事者性が欠落したままにつまらない詮索をあれこれとするべきではない」ということであって、共に主旨を再要約したなら「下衆の勘繰りはやめろ」という「人道的観点に基づいた」批判となります。ええそれを一般には感情論と言いますが、音羽さんが「意図的質問」をもって本人の「つもり」のうえでは一貫して表明し続けてきた主張とは、かかる内容に尽きています。


であるから、たとえば『シム宇宙』においてfw0さんらが「ソース」と「資料」と「論理」に基づき規定された「根拠」に依拠して展開した、医学の方法論に準じての「専門誌に掲載された論文」の検討作業というものは、音羽さんにとっては「『無条件の真』を信じる者達による『下衆の勘繰り』でしかない感情を正当化するための大義名分としての『真』の追求作業(実際には単なるプライバシーの詮索合戦)」でしかありません。ええ、価値判断以前の問題として、むろん大間違いであり甚だしい認識錯誤ではあるのですが。ただし、音羽さんの抱く問題意識とは明示して他人がまったく共感しない類の問題意識ではない、と前記エントリにおいて記したのは、こうした意味において、でもあります。


fw0さんを始めあの当時を知る方なら想起されることと思いますが、直接的な体であれ間接的な体であれ、当該の「死ぬ死ぬ詐欺」告発運動に対してそうした「ヒューマン=人道的な/人間性を前提した」問題意識にのみ基づく、いやもっと簡単に言って感情的なスタンスに基づいて、違和感ないし懐疑ないし憤りを表明された方はいくらもおられた。その主旨は「死ぬ死ぬ詐欺」という呼称自体に対する違和感として集約され得る。そりゃそうだ、という気もしますが。そして「ヒューマンな」問題意識や感情的なスタンスに基づいた見地から状況を眺めたならば、味噌糞が概括されて反映され得る蓋然性は想定され得るし、また事実、部分的には概括されていたようです。そうなったら、fw0さんが再三言われているような「玉石」どころの話では一般的にはありません。そして、かのいささかクレイジーな状況を前に「あえて」表明された声のおよそ500倍はする「ヒューマン」かつ感情的な違和と懐疑と憤りが存在したことでしょう。面倒なことになるがゆえに当時は言及しなかった人であろうと、2chを舞台とした「死ぬ死ぬ詐欺」の告発「祭」など卑劣な「下衆の勘繰り」の結果としての「炎上」でしかなく、それ以上でも以下でもない、いまだにそう感じておられる方は、おそらく多い。むろんこの場合における「ヒューマン」「人道」「人間性を前提する」とは、すべて括弧に括られたものであることを、御了承ください。


私の価値判断を、そろそろ記します。音羽さん、相違の理念型としての代表的な意味でfw0さんとしますが(ドクターさんもmuffdivingさんも『シム宇宙』『NC-15』の「議論もどき」における各コメンテーターの方々も「「バカの壁」のこちら側」という意味においては同様であるので含みます)、貴方とfw0さんの価値観は以上見てきたように決定的かつ根本的に相違する。かかる相違を分断するのがfw0さんが言うところの「バカの壁」です。壁のどちら側の価値観にこそ相対的な正統性が付与されるのか、現状についてはネットにおいてもリアルにおいても言わずもがなではありますが措きましょう。


ただし、貴方はfw0さんら論駁者が準拠する「根拠」なるものを前提として認めない。穏当に言い換えるなら「根拠」なるものに対して前提として甚だ懐疑的である。「意図的質問」に換えることにより検討を放棄しておいて「そのつもりはない」という主張がもはや通るものと私は思えない。fw0さん達が示す「根拠」に対して前提的に「検討するに値しない」とは、思っているのでしょう?前提的に認めない/前提的に甚だ懐疑的である、そのこと自体については私個人は問いません。しかし、であるなら最初からそう言うべきです。はっきり申し上げますが、こうして縷々解説してきた貴方の「真意」など、ああした「意図的質問」の数々から誰が読み取れると思っているのですか。私は酔狂者と思われまくっているでしょう、ではなぜ更なる長文を記しているのか、かかる不毛なディスコミュニケーションと軋轢の因とは、普遍的かつ汎用的な問題として所在していると思うがゆえです。


貴方は自らが省みる気もない(貴方にとっては括弧付きの)「根拠」を恣意的に持ち出しかかる「根拠」についてそれに準拠する人達に他なる意図に基づく「意図的質問」として突きつけてみせる。突きつけられた側は「根拠」に依拠しそれを規定する価値観にコミットしているがゆえにかかる「意図的質問」に対して「他なる意図」の存在には当初気付かぬまま誠実に回答する。しかし「根拠」など省みない貴方は「意図的質問」に対する論駁者による丁寧な回答の内容などハナからどうでもよい。貴方は論駁者の価値観になど同意してはいないから、論駁者が「根拠」に自らの主張と見識を賭けていることなど知ったことではない。構いません。構いませんが「論駁者の価値観に対してまったく同意していない」のであれば最初に明示するべきです。


貴方が省みず自らの主張を賭けてすらいない「根拠」について「反語」として「意図的質問」を延々と繰り返し、「根拠」に自らの主張と見識を賭ける論駁者がそれに応えて提示した「根拠」については一切省みない。貴方の一貫した問題意識に規定されたことといえ、かかる営為の結果としての一切を「話にならない人と無駄なことをした」と総括されるのは御自由ですし、事実貴方は本当にそう思っていらっしゃるのでしょうが、前提的な価値観の相違以前に「議論」のルールの水準において、どちらに非があると思っているのですか。それは「議論もどき」にしかなりようがないでしょう。貴方には「適正な議論」に対する志向も意思もないのであるから。小倉秀夫氏ではありませんが、そうした姿勢や態度もまた自由です。無条件に批判されるべきではない。繰り返しですが記者として云々とは私は言わない。私もあまり「議論」が好きではないしそれゆえ得意でもない。「論破」とか一般的にも言う気はない。ただし、それであるなら議論の体裁を一見整えたかのような、自らがどうでもよいと思っている「根拠」についての「意図的質問」を延々と繰り返すべきではない。


貴方が繰り返されている振る舞いとは、「根拠」とそれを規定する方法論に対する同意としての価値観、さらにはそれにコミットし行為ないし発言においてそれに準拠することを自らに課している人達、そうした一切を愚弄し侮辱しているのと同じことなのですよ。ことfw0さんが自称されるような、いわゆる「理系」と自認する人間に対して、と言ってもよい。私もマイミクに生粋の「理系」の方がおり当ブログにおいていささか議論めいた意見交換を以前に交わしたことがありましたが、ディシプリンとして意識化された専門的な職業者の倫理として彼らは方法論としての「科学的認識/思考」に対して自らの世界観をも賭金として真剣に取り組んでいます。そうした価値観に依拠して貴方の一連の態度を捉えたとき、舐めてるのですか、という感想を抱くことは至極妥当です。貴方の非礼極まる「意図的質問」に対して当初丁寧かつ丁重に回答されたドクターさんが、貴方の次なる「意図的質問」を目にしてどれほど落胆し失望されたかわかっていますか。貴方に語りかけ「説得」しようと本気で試みる人間がいまやどれほど稀少であると思うのですか。私もまた行きがかりの惰性でしかありません。


他人が時に職業倫理として取り組み準拠する公共化された価値基準に対して、それに与しないことは自由ですが、与さず省みない者がそれを弄び無理解と偏見のもとに誤った裁断を下すことが、かつそれを反省も飽きもせずに繰り返すことが、顰蹙されないとでも思っているのですか。「つまらない数字」だの「そもそも論文で問題になるのは数字の根拠です。あの程度の症例で絶対的な数字だと読めるわけがない。書いた当人ですらそうは思っていないでしょう。論文というのは権威で読むものではないはずです。」だのと記すことが、単に「数字」や「論文」や「あの程度の症例」をのみ軽んじ侮辱するものにとどまると、貴方は考えているのですか。そうした事柄に対して職業的にコミットし現在も取り組まれている無数の「専門家」が何を思うか少しは考えをめぐらせようとなさらないのですか。ヒールを自称するなら構いはしませんが、貴方の一連の、否、今現在の言動に対して不快に思われている方がいるのは、以上の理由にもまた基づくものです。貴方が顰蹙される、おそらく貴方自身も気が付いていないその一端について、記しました。


貴方の話されていることはすべて「観念」ないし「感性」の領域にある事柄です。そして貴方は意思的に「観念」ないし「感性」の領域から一歩も出ようとはしない。私はアカデミズムと多く無縁の人生を経てきたうえに生粋の「文系」であって観念癖も大いにあります。当エントリの記述においても誤りを膨大に記しているのかも知れないし致命的な認識違いが存在しているかも知れない。部外者ゆえ自信はないので御指摘をいただければ大変有難いです。「(痛い)観念」と「感性(らしきもの)」にのみ準拠した困った「チラ裏」ポエムもたまには記す。多く無反応ですが。貴方が「観念」ないし「感性」の領域に与する立場からいわゆる広義の「科学的認識/思考」ないしその方法論全般に対して懐疑的あるいは拒否的な態度を示すことは構わない。ですが「観念」ないし「感性」の領域にのみ立ったまま自らが決して依拠することはない「根拠」の開示を求めて「意図的質問」を連発し異なるセクターの価値的な領域自体を侮辱する態度には、私もまた顰蹙する者です。京極夏彦が言ったことですが、飛行機がなにゆえに飛んでいると思っているのですか。いかなる意図に基づくのか、かついったい何を訊きたいのか、わかりかねる質問には人は回答もまたしかねる、ということです。いわんや「意図的質問」であることが明白な場合には。少なくとも、そうした事柄を、理解したうえで自らの行動について判断してください。ヒールというのは一切を自覚のうえ振舞う者の謂いです。

> 貴方にとって、現在のネットとは現実でなくまた社会でない中空の虚構空間でしょう

いや、貴方に限らず勘違いしてるけれども、これは現実と対立するようなウェブなんてものではなく、紛れもなく現実なのです。なにかこれまでと違うということはない。
ひとつ何か終わって、新しい事が始まると思っているのは、これも言ったはずですが、所詮黙示録的トーンというだけだ。


なるほど、わかりました。失礼しました。確かに貴方にとって、Webとはつね継続される現実の相なのでしょう。その気概には敬意をまた払います。本当に。闘いにも巧拙があり闘いにおいてもまた礼とは存在しますよ、ということであるのかも知れません。念の為に記しますが、以上縷々述べてきた事柄とは、Webにおける「ローカル」な「作法」「リテラシー」云々以前の、単なる対人関係における礼という距離設定の問題です。最初から「話にならない人」と相手を見切ってはならない。途中から見切ることは私もたまにありますが。それは多くお互い様のまた相です。ですから、問題意識の表出方法が問われるのです、ということでしょうか。失礼しました。最後にドクターさん、本当に、本当にありがとうございます。当エントリをもって、またドクターさんに対するレスとしても換えさせていただきます。