「壁」の向こうの風景


夜更け、数日振りに自宅に戻る。NEWS23オーマイニュース特集をたまたま見た。言及する気はない。疲れているけれども、しかし。説明したほうがよいでしょう。


12月5日付のエントリに対して『シム宇宙の内側にて』のfw0さんからトラックバックを、ドクターさんから大変丁寧なコメントをいただきました。ありがとうございます。とはいえ御二方とも、当該エントリのコメント欄における音羽理史さんの書き込みに対して限定して言及し、音羽さんの発言における瑕疵を指摘し批判されています。御二方が指摘し批判された瑕疵とその批判の主旨もまた、大筋においては一致しています。


シム宇宙の内側にて とりあえず鏡を見なさい (玉石オマニー番外編3)


「受賞」をめぐる発言に目を通しての雑感 - 地を這う難破船


当該のコメ欄における音羽さんの書き込みの抜粋引用。

シム宇宙のコメント欄でぼくが示した論文は以下のとおりです。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=16138715&dopt=Abstract
http://www.mayoclinicproceedings.com/inside.asp?AID=3934&UID=
http://www.emedicine.com/ped/topic2503.htm
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=92280612
さらにシム宇宙の人が示した論文もあわせて考えてみても、数字はどれもばらばらですよね。症例が少ないから。
それで教えてほしいのですが、この程度で医療専門家でもない人が、いや専門家でも何が言えるというのでしょうか。あるのは、ごくわずかな症例に基づくネット上の資料だけで、それを素人判断しているだけです。せめて、専門誌で論文でも探してくるならまだしも。


当該箇所に対するfw0さんの指摘。


私が示したものは、全て査読ありの医学の専門誌に掲載された論文です (根拠は "続きを読む" 以降に)。わざわざ査読や Impact Factor の意味まで説明したのに、どこを読んでるんですか。

あと、未だに本件と無関係な論文 (一番上のリンク) を示しているのは情けないですよ。拡張型心筋症 (DCM) と拘束型心筋症 (RCM) は違うと何回言えば分かるんですか、まったく。


同様の箇所に対するドクターさんの指摘。

この最後の一言で,自分の恥を曝しているのですが・・・?ncbiなどのPDFなどでファイルをダウンロードできるシステムを知らないんでしょうか?医学系に限らず,今は多くの分野領域で,紙での出版及び電子ジャーナルという形を取っています.
確かに医師でもない素人(失礼な言い回し申し訳ありません)が文献を集めても説得力は無いかもしれませんが,少なくともあなたが適当に集めてきた文献と違い,『シム宇宙の内側にて』の方々が集めてきた文献の方が一考の余地があるものでした.
記事を書いた以上は当然RCMとDCM,HCMが違うことは把握していますよね?

RCMの患者さんの予後に関しては諸説あり,少ないながらも症例報告が進むにつれてまた変わっていくでしょう.ただし,色々と問題になっているような50%ウンヌンのくだりは表現に問題があるかもしれません.少なくとも検証のための論文をざっと読んでみた結果,50%とは言い難い(もっといいんでは?)と感じました.あなたが疑っている素人考えと,私を含めた複数の医師の意見は一致しています.


根本的な要点とはドクターさんが指す「最後の一言」。音羽さんは「せめて、専門誌で論文でも探してくるならまだしも。」としてfw0さんが示した(そして自らが示した)「ネット上の資料」を否定的に扱うけれども、その「ネット上の資料」というのはfw0さんが言うところの「全て査読ありの医学の専門誌に掲載された論文」である、ということ。ドクターさんが言われる通り「医学系に限らず,今は多くの分野領域で,紙での出版及び電子ジャーナルという形を取っています.」ということ。つまり音羽さんは書き込みにおいて「専門誌の論文」が「電子ジャーナル」として「ネット上」に掲載されている事実を、なんというか、踏まえていない。自らがfw0さんとの「議論もどき」において示した「ネット上の資料」のURLを再度に渡ってこちらのコメ欄に列記しているにもかかわらず。そして、かかる姿勢こそが「ネット上の資料」自体に対する音羽さんの認識を証しているということ。付け加えれば音羽さんが「ネット上の資料」の検討に関して極めて消極的(穏当な表現です)であり、かかる消極性(はっきり言えば無頓着姓)が資料に関する発言において如実に現れること。


その点、fw0さんが、そして医療の専門家でもあるドクターさんが看過し得なかったことはわかります。fw0さんがトラバのうえで指摘をされた背景には、かかる音羽さんの発言の瑕疵を看過した変則的な返答を記した私に対する違和もまた関係しているのであろうと思います。理由を説明いたします。御指摘の点、言うまでもなく、私はわかっていました。fw0さんのブログにおいて繰り広げられた「議論もどき」をリアルタイムで目撃していた者であり、音羽さんについて再三言及してきた人間ですから。ただし、ふざけているわけでもトリッキーな表現を用いているわけでもないと断りますが、正面切ってその点について幾度目かの指摘を行ったところで、音羽さんの仕掛けた「罠」に嵌まるだけです。もう貴方に対しては言及はしないと記しておきながら、その約を破る点については、音羽さんに対してお詫び申し上げます。申し訳ありません。そして、以下私の価値的な判断を措いて、音羽さんについて私が考察した限りの事項をインフォとして記します。その内容はおそらくfw0さんにとっては(そして大半のWeb者にとっても)到底受け入れられないものでしょうが、ひとつの事実の確認として勘定していただければ幸いです。


まず、音羽さんが「本件と無関係」なものまで含めた、自らがかつて示した論文のURLを当コメ欄にて列挙したのは、おそらく単に「受賞」批判ならびに鳥越俊太郎氏の講評に対する批判を記した最初のエントリの中で私が「辞書なしには外国語が読めない」と記したためでしょう。つまり威嚇であり挑発である。実際、専門的な医療知識に対して人並みに不案内である私に、英語で記された専門的な医療論文を読み解き比較参照しかつ検討を加える能力が欠けていることは、事実です。提示した本人もまた精確には把握も検討もできておらずあまつさえその必要すら感じていない、つまりは提示した本人が信を置かず依拠してすらいない専門論文に基づいて「医療専門家でもない人」ふたりが「議論」したところで悲惨な結果にしかならない。無検討にURLを羅列したうえで記した問題の箇所において音羽さんが意図したものとは、別個にある。私の情けない事情は措いて、以下詳しく記しますが音羽さんとは、常にそうした「手法」を用いる方です。ならば当然、音羽氏を知ると豪語する者が乗ってはならない。


コメ欄における私の返答は、音羽さんという個人に対する「説明」をのみ意図しました。パブリックな「応答」ではなくプライベートな体での「返事」とした所以です。音羽さんの内在的な論理に準拠して「説明」し、能う限りの意見の疎通と音羽さんに届き得る体での説明を試みたがゆえです。でき得る限り通じることを望みそのための言葉と論理を選択したということです。再三一方的に言及してきた「(直接関わり合ったわけでもない)第三者」の責を私は知っていますし、かつて複数の場所にて延々と繰り広げられた齟齬とディスコミュニケーションの「音羽さんの内在的な論理に則った」原因をおそらくは把握しているがゆえにこそ、不毛な「議論もどき」の(内容的にも)再放送にしてループしか帰結しない類のリピートを、展開したくもなかった。ひと言で記せば(あくまで括弧付きの)「紳士的」に応答することによって音羽さんにも「紳士的」な言葉を記させたかった。fw0さんには詭弁と受け取られるかも知れませんが、括弧付きの「紳士的」な対応とは理非を最優先することとは異なる。理非の貫徹についてはfw0さん達が正しく行いました。そしてその記録は(私も含めた)音羽さんを除いた大半の方を現在も説得し続けていますが、こちらにおける当該のコメントを御覧の通り、音羽さんは結局説得どころか「納得」すらしてはいない。音羽さんの内在的な論理と背反していたためです(「内在的な論理」とは「意識と主観における一貫性」のことです)。私はおそらくそれをいくばくかは知っている。であるからそれに準拠して「返事」を記しました。とはいえ公開を前提したものである以上、嘘をついたつもりも無茶を言ったつもりもありません。


fw0さんとドクターさんが指摘された瑕疵(専門誌に掲載されている論文の「電子ジャーナル」化に拠るWebにおける掲示という「常識」を知ることに専門的な医療知識は関係がない)について故意に看過したことは事実です。上記の理由に加えfw0さんのブログにおける「議論もどき」において幾度も指摘された(のは音羽さんが決して納得しなかったためですが)事柄であったためです。つまり「幾度も指摘されたにもかかわらず音羽さんが決して納得しなかった」ことを私は重要視しかつその点について考え続けていたということです。fw0さんが言われるところの(むろん出典は養老孟司氏)「バカの壁」の向こう側について。fw0さん達(ドクターさんも含みます)から見た「バカの壁」の向こう側に存在する「音羽さんの内在的な論理」とは何であるか、以下生粋の「文系」人間なりに酔狂な考察として記します。繰り返しますが価値的な判断は措いて。fw0さんが同意されるはずもない価値観の話ですが。


コメ欄における音羽さんに対するレス(返事)から自己引用。

端的に言って『シム宇宙の内側にて』において管理人氏がこだわっていた「根拠」と貴方がこだわっていた「根拠」とは、位相が異なる。貴方はあくまでも現実の文脈と接続し現実の文脈によって直接的に担保された「根拠」をこそ求めた。貴方は「根拠」に現実の直接的な文脈の介在を求めたし(論文よりも主治医の診断に付く、というのはそういうことでしょう)、当該の管理人氏らは「リテラシー」に拠って規定され採用された「根拠」にこそ準拠した。そんなものは紙切れどころかURLと文字の羅列に過ぎない。貴方が再三表明していたこととはこうしたことでしょう。


「根拠」の位相が異なる、とはどういうことであるか。

「ググって収集し参照し得るネット上の情報」自体に準拠することに、貴方は信をおいていないのでしょう。挑発的に疑問で記すのではなく、自ら出している結論に至るまで述べない限り、かりそめの「意見交換」にすらなりません。「『当該問題』に関して、何かひとつでもウラが取れていて具体的に検討できる段階のものなどネット上には自分が見た限りではありません」と。


私が半ばはカマを掛けて問い質した事柄に対して、音羽さんはごく簡潔かつ間接的な形ではありながらも。

それぐらいは読み取れると思って書いてないわけですけれども。


と認めました。fw0さんは私のためではないでしょうがこの発言について音羽さんを「たしなめて」くださっていますが、私としてはこの言質を音羽さんから取っただけで満足していたのです。カマ的中、と。この肯定はつまりは何を意味するか。


端的に言って、音羽さんは「ネットにソースが存在する情報」の一切を信じないし認めない。「ネットに存在するソース(=情報源)」を、ひいては「ネット上の情報」をそもそも認めないということです。たとえそれがいわゆる「現実社会」と直接的にリンクしたものであろうとも。であるから、fw0さんがエントリタイトルともされていた「根拠の重要性を訴える音羽さんの自信の根拠が分からない」における「根拠」とは、それがネットに存在するソースであるなら音羽さんにとっては考慮も検討もなされるに値しないものなのです。たとえそれが現実に「活字化」され「印刷・出版」されている実在する専門的な論文であろうとも「出所」としてネットから拾って引用したものであるならば「根拠とはなり得ない」。さらに失礼ながら名前を挙げさせていただければ『NC-15』の管理人muffdiving氏が音羽さんと「議論もどき(いやこちらはそれ以下、むろん音羽さんひとりが)」を繰り広げることになったエントリのタイトル「他者をDisるときはDisるための裏付けがなければ話にならんと思うが」における「裏付け」もまた、それがネットに存在するソースに準拠している以上、音羽さんにとっては考慮も検討もするに値しない事柄に過ぎない。たとえそれが現実的に存在する公共的な機関NHKが公表している資料であろうとネットから拾ったものであるならば「裏付けとはなり得ない」。


それならなぜ他人に対しては執拗に「根拠」の提示を求めるのか?よくわからない。こればかりは勝手な憶測であると断りますが、たぶんに「ネットをソースとする『根拠』の無効性」を「あくまで根拠を前提する」論駁者に対して「逆に突きつける」ことによって示しているつもりなのではあるまいかと。私に対して専門的な論文のURLを羅列して迫ったのもまた同じ動機。であるから故意にズラした変則的な応答を記しましたし、音羽さんの内的な文脈もまた、議論において相互的に参照し得るような「根拠」に価値を置いてはいない。音羽さんは(音羽さんにとっては括弧付きの)「根拠」の話を聞きたいわけではない。記しますが、私の記述の不備については認めるし、音羽さんへの謝罪を変更する気はない。とはいえ自らが信じず依拠してもいない「ネット上の資料」を他意に基づいて突きつけないで欲しい、とは私も思う。専門誌に掲載された論文もまたNHKが開示している資料も含む「ネット上の資料」一切の検討に関して音羽さんが甚だ消極的であったことは明らかであり、そのことは音羽さん自身もまた認めると思うし、現に私に対する応答において間接的に認めてはいる。根拠ないし裏付けとは「なり得ない」資料の内容をめぐる検討に対する意欲を持ち得ないことは、音羽さんにとっては自明の理である。


ドクターさんが当然のことながら批判されている「つまらない数字」という表現はその最たるものです。ドクターさんがそしてfw0さんや当該「議論もどき」におけるコメンテーターの方達(医療関係者もおられた。音羽さんにとっては当然「自称」となりましょう)がこだわられていた「ネット上の資料」としての専門的な論文の検討作業など音羽さんにとっては「つまらない数字」とそれに拘泥する人達による詮索合戦の謂いでしかない。なぜなら「現場において当該の患者を直接診察している主治医」の判断を優先するから。ところで音羽さんは当該の「主治医」について存じ上げているわけではないしその気もない。一切の齟齬と行き違いの因は、こうした点に所在します。観念と科学的思考の不幸な衝突とでも言うべきなのか。私は観念家ではありますが、さすがに。


腑に落ちかねるのが、「ネット上のソース」を一切信じず認めないのであれば、『シム宇宙』においてコメンテーターの方達が再三指摘されていたように「記者」として「取材」を行うべきではあるし、記者云々を指摘するスタンスを採らない私にとってもまた「ネットに準拠しない現場の直接的な生の情報」にも準拠せずに、議論ないし問題提起的な情報発信においていったい何に準拠するのか?とは思う。ネットのソースを一切認めず現場の一次的な情報にもまた具体的には拠らずでは、議論としての相互検討は困難である。いわゆる事実認識(=合意された暫定的なファクト)に準拠すること自体を拒否していると受け取られて仕方のない態度ではある。かかる態度が意思的なものではあるのか。意思的であるとは自覚のうえで志向しているということです。ついでに言えば、音羽さんは「数字」というものを一概に軽蔑しているようですが「合意された暫定的なファクト」のあくまで限定的な決定解として数値とは示されるし、データないし統計とはつねそういうものです。あくまで暫定的かつ限定的である以上、数値的誤差ないし振幅ないし操作の蓋然性は恒常的に存在しますが。


情報とはソース(=情報源)と常に対応関係にある。私も到底厳守しているわけではないが、望まれる原則においては情報発信とは常なるソース(出所)の開示と開示先の検討なくしては信頼性を担保しない。それが方法論の水準において徹底される情報生産の場こそが狭義のアカデミズムであり、継続的な審査を経た方法論の時間的な蓄積が、アカデミズムの現場から(専門的な論文として)発信された情報の条件的かつ前提的な信頼性を担保する。言うまでもなく医学とは狭義のアカデミズムであって「つまらない数字」という表現に代表される音羽さんの発言および態度をドクターさんが厳しく批判されるのは当然のことです。


思想的ないし哲学的な思索であったり、文学的審美的な感慨、個人的な問題意識等を表出するような、総じていわゆる観念ないし感性の領域に属する発信であるならそれでも多く無問題です。準拠する具体枠なくとも(言語こそが具体枠を構成する、とも言えるし)他者に共感や感銘を与え得るかも知れないし、ネットにおいてもその高度な達成はいくらも見られる。それを「チラシの裏」とは繰り返すが私は言わない。しかるに(暫定解であれ)ファクトとしての準拠枠なきままなされる議論とは私が時折開陳するものも含めて空論であるし、空論を複数の人間が相互的に検討することは難しい、というか無理筋である。自覚したうえでそうした言説発信のスタンスを採っているのであれば構わない、構わないのですが、であるならなぜ貴方自身も不毛と知る「議論もどき」を飽きもせず繰り返すのですか。音羽さん。


私は数日前から知っていましたが、自ら記すことはやめようと思っていました。おそらく大半の方には知られていない事柄でしょう。『シム宇宙』同様に私がいつも読んでいるブログであり、このような事柄でリンクするのは大変心苦しいうえに失礼かつ迷惑であるとは思いますが、トラックバックを送ります。


http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20061008/1160467259#c1160818868


こちらのコメ欄における音羽さん=gerlingさんの複数のコメントが、数日前をもってすべて削除されています。言うまでもなく、悪い意味で話題を呼び「受賞」以後コピペされ各所に貼られまくって知れ渡った書き込みの数々です。魚拓も取られていることでしょうが、全削除によってコメ欄の流れが今となっては再確認として把握できない。もし間違っていたら(管理人氏が消した等)土下座しますが、音羽さんが自ら削除したのですよね。むろん自由です。当該コメ欄の関係者であればともかく、少なくとも私が論難し得るような事柄ではない。ありませんが、すべてを削除したということは、自らの振る舞いを恥じておられるのですよね。ならば、なぜまた同様の振る舞いを繰り返そうとするのですか。コメ欄におけるドクターさんに対する貴方の(以上考察してきた意識と手法に基づく)「論駁もどき」に関しては、ドクターさんを煩わさずとも(というかいまだこちらを御覧になっていれば呆れていると思います)私のこの長文記述によってフォローしておきます。貴方に対してもまた。そして、管理人として申し上げますが、内容が貴方の発言に対する批判的な指摘であったとはいえ、誠に「非科学的」な当ブログにわざわざ大変丁寧な専門的見解を記してくださった方の書き込みに対して、貴方の口調と態度と物腰はあまりに非礼です。私は貴方を存じ上げているので貴方が何を言おうと既知の範疇ですが、重要な指摘を私に代わってなされたコメンテーターに対してそうした振る舞いはしないでいただきたい。ドクターさんが「看過しきれずやむなく記した」ことを了解されていますか。私は恐縮しています。


上述の通り、貴方の質問とは常に他なる意図のみをもってなされる「意図的質問」です。『シム宇宙』においても『NC-15』においても、みな貴方の質問に対して真面目に回答する気が失せていくのは、貴方が質問の回答自体には露骨に興味がなく、他なる意図のみをもって取り付くしまもないような質問を繰り返すことのその不毛と失礼に気が付くためです。貴方の行動は内在的な論理に基づけば一貫してはいる。貴方が繰り返す質問の「他なる意図」とは貴方の問題意識に規定されてはいるけれども、問題意識を直接口にしない以上、貴方のやり方では誰も「他なる意図」には気付かず対応しているうちにネガティブな感情のみが募ることに対して、貴方は自覚のうえそう振舞っているのですか。端的に言って、問題意識の表明手段としてもあまりに非効率かつ不経済です。そのような「論駁もどき」ないしそれですらないものを「常套手段」としてどうするのですか。


リテラシー」概念を認めず「ネット上のソース」自体の無効を「ネット」において主張する。まず、その矛盾とは言いませんが無理に気が付いていますか。そして「ネット上のソースは無効です、なぜなら〜」と切り出さないことには、貴方の「意図的質問」の「他なる意図」など誰にも伝わらず単なる「荒らし」扱いされます。「なぜなら〜」以降にこそ貴方の問題意識としての「他なる意図」が所在している。明示して他人がまったく共感しない類の問題意識ではない、貴方と同様のことを考えている「ブロガー」は私の複数の巡回先にだっていくらもいる。やはり私は同意しかねますが。


貴方にとって、現在のネットとは現実でなくまた社会でない中空の虚構空間でしょう。現実の社会的な相としてない空疎な情報に準拠して仮構された括弧付きの「事実」を事実と信じて日夜構築に励む無自覚な者達による現実への専横に対して苛立っている。同意しかねるものの、繰り返しですが了解はします。であるなら貴方は「現実でも社会でもない」ネットにおいて何をするのですか。いかなる情報発信と言論活動を模索しているのです。ネットにおいて情報発信と言論活動を「社会的」な現実の文脈に接続させることを志向するなら、やはり暫定的に合意されたファクトとしての準拠枠を必要とする。門外漢の分際で腐してしまって大変申し訳ないが、オーマイニュースは少なくともそうした方法論を前提していました。それはWebとの接合において現行では不具合を起こしていますが、悪い意味ではない、既存のジャーナリズムにおいて涵養され蓄積された方法論であり倫理であった。「リテラシー」などという上っ面な文言が横行しない、私も限定的には愛する活字媒体のジャーナリズムにおける。しかるに貴方は、それもまた意思的に拒否している。では次なる一手とは。私が勝手に整理してしまうなら、そういうことになります。


と、いうことですのでfw0さん、いくらソースや「根拠」を提示したところで、残念ながら音羽さんに対しては無意味というか無効です。むろん音羽さん以外の多くの方にとっては有意味であり有効ですが。そう信じたい。おそらく音羽さんは、その点に関しては意思的な確信犯です。いかなる確信犯であるか、縷々綴ってきました。残念ながら「根拠を示せ」合戦において誠実な側は不誠実な側によって消耗させられ不快を覚え時には「言い負かされ」ます。むろんfw0さんは「言い負かされ」てもいません。悶着の光景が閲覧者に対していかに機能するか。fw0さんは「真っ平御免」でしょうし、そしてそれは至極当然のことですが、音羽さんに対して言葉を届けるには本人の内在的な論理に限定的にであれ準拠する要がある。私は私のスタンスからそれを試みた、ということです。fw0さんには御理解いただきたいのですが、それは音羽さんに「味方する」ことを意味しません。科学知識にも語学力にも欠けているけれども、私には私なりの奇妙な文系のモヒカン族が棲んでいる、ということのようです。状況全体を味噌糞いっしょくたにした言説ないし空気に対しては何であれ、違和感を覚える、ということです。音羽さん個人の内的な文脈をある程度は把握している感触が在る以上、それに対して働きかけようと試みました、本人にとってこそ強い批判として機能するような形で。手応えをいくばくかは感じたのですが……


ドクターさん。ありがとうございます、そして申し訳ありません。不甲斐ないコメンターとしても管理人としても。音羽さんの非礼については上記のようなことですので、気になさらないでください。いつものことです。そして音羽さん、私は小倉秀夫氏が新規エントリにて記している貴方に対する判断にリテラルには同意しない者ではありません。であるから幾度も長文エントリを掲示して言及している。前エントリにおいて記した事柄、貴方に対する謝罪についてもまた考えは変わらないし変更するつもりもありません。貴方はおためごかしの結語としか受け取らないだろうけれど、オーマイニュースないし別の何物かを舞台とした貴方の活躍を、悲観ではなく期待していることに、間違いはありません。以上失礼しました。〆