男の語録


塩山芳明編集長、某所でのトークライブにて。


本読みそして映画好きとして一部で名高い塩山さん。日記本の紹介という趣向、ちくま文庫アナイス・ニンの日記を鞄から取り出し「ヴィンセント・ギャロが手前のオナニー延々と撮った映画あっただろ。2作目の」。あぁ『ブラウン・バニー』ですね。「そんな本」


ヘンリー・ミラーの推挙人のことは措く。パーソナルな作品に対する一撃必殺の断罪フレーズとして「これはオナニーだよ」と『げんしけん』原口チックに言ってのける線は存在する。しかるに開き直って、端的なMyオナニーを「作品=アート」として映画界に晒しカンヌにて大顰蹙を個人的に頂戴、というのは、見上げたものである。「これはオナ(ryと言ってみたところで「それが何か?」とあの暗い据わった眼で返されたなら、小心翼々は敬礼するしかない。「私のオナニーがスペシャルでないとでも思っているのか」言い切らずとも確信し黙って実行に移せる人間のオナニーは、それはスペシャルに決まっております。自己表現が自己目的化した自己表現とはそういうことです。病膏肓ともあるいは申しますが。


真面目に言うと、自らのオナニーが自らにとってのみスペシャルであると信じ切れるのであれば、他人のことは関係ない。信じ切れる、ということはいわゆる通俗なナルシズムからは吹っ切れて、自意識という桎梏の大気圏外へと放たれているのだから。自己という重力の及ばぬ高き場所をさまようその衛星とは、情熱と衝動の永久機関である。他人が喝采してくれるか否か、ましておひねりを投げてくれるかなど、空を切る衛星にとっては事後的な問題に過ぎない。地上にとどまり続ける自意識にとってはそうも言ってはいられないが。まして衛星なき自意識がそうも言っていられなくなるのは、至極当然のことである。オナニーを自意識の圏外へと打ち上げてかつ軌道に乗せ、自動運行という名のもとにさまよわせ続け得る者をこそ、全身での表現者と呼ぶ。それといわゆる才能は多く一致しないのだが、全身表現者であること自体が、表現者としては換え難き才能であると、衛星を持たぬその才なかった男は思う。木場の現代美術館にて開催中の大竹伸朗「全景」について、というより先日「新日曜美術館」までが特集していた大竹氏について、思い返していた。


すぐ上のエントリとの関連を少しばかり記せば、保坂和志が当該書にて説くセオリーとは結局のところ、衛星の打ち上げと軌道探索と自動運行に関する補助輪としての機能に尽きている。ゆえに「作家デビュー」という文化商売の話とは関係がない。たとえばであるが、久美沙織による小説入門(というより作家商売入門)『新人賞の獲り方おしえます』シリーズとは対極にある。良し悪しの話ではない。あれもまた、良書であった。ところで衛星の軌道における運行を、地上にある自意識は多く意図通りには操作し得ない。軌道上の自動運行に関与し得る確実なリモコンは存在しない。であるから、衛星が軌道を外れてどっかに行ってしまう見失ってしまう地上に墜落してしまう、かかる蓋然性が衛星の運行においては常に存在する。リスクの調整は、自意識にのみ拠っては図られない。多く運行の結果的な軌道に拠って図られる。


ヘンリー・ミラーもまた、自己表現においては手前勝手で自己中でエゴイストでオナニストの、生と表現行為が等価である、つまりは地上の自意識よりも宇宙の衛星であることに生の主軸を置いた、つまりは全身表現者であった。換え難き人でなしの才である。小林秀雄が『俘虜記』を書こうとする大岡昇平に告げた。あんたの魂を書くんだよ。大岡が自己の魂を直接的に記すことを可能な限り禁欲する方向へと、晩年からその没にかけて舵を切っていったことは言うまでもない。あまりに透徹した正統のインテリであった大岡は、小林のごとき表現における人でなしの天才にはなりきれなかったが、透徹した正統知識人の仕事を晩年において為した(保坂和志は大岡の『成城だより』について保坂らしい批評的エッセイを記していて、当該書に記されてある晩年の大岡とガチで対峙していて良い。『アウトブリード』(朝日出版社河出文庫)に収録であったか)。ところで塩山氏の文の刺激とは何に由来するか、衛星なき低き地上の確固とした自意識に拠る、決して自己目的化されないノイズとサービスまみれの「表現」を記すところにある。


メフィストフェレスのごとき御本人の狷介な横顔。氏は現代のセリーヌである。以下にリンクした文庫の巻末解説にてそう見得を切ってみせた福田和也の意気に禿同。


http://www.linkclub.or.jp/~mangaya/index.html


http://www.linkclub.or.jp/~mangaya/nikkan/nikkan39.html(6月2日付記述)

昨日の小宮山印刷は雑仕事の、大日本印刷は吝嗇業務の、凸版印刷はルーズ営業の、各々総代として(中略)各社にお願い。営業妨害だと、裁判所に販売差し止め請求を起こしてくれないか?東京地裁には君が代に反対、卒業式を2分遅らせたに過ぎない国士に、20万もの罰金を課したイカレポンチ判事(中略)もいるし、勝機はタップリ。勿論、本の宣伝にもなる。


注目語彙は「国士」。ニュースは私も覚えている。塩山氏の卓見と込みで。かかる行為とは「国士」の証であると。むろん半分は反語です。でも半分はそうではない。私は当該箇所を読んで少しく笑ったのち唸った。塩山氏という稀有な文章家の存在がどれほど世人に知られているのか、私はよくわかりかねる。であるからインフォします。サイトに収録された氏の日々の発言をBBSに至るまで御覧ください。お好きな方にはたまらないかと。なお私は『嫌われ者の記』『現代エロ漫画』共に大昔に買っている。Mr.福田和也には感謝しているし、以来書評家としては信を置いている。