ロシアより愛を込めて


私がコメントし得るような報道内容ではございません。しかるに007とスパイ大作戦のテーマをBGMとしてこすりっ放しの各局。病床にて撮影された例の写真をリロードしまくりながら。不謹慎とは思わないが、躊躇とアイデアがなさすぎる。DJとしてサンプラーとして編集屋としてその安易極まる選択はどうよ。確か山一證券が破綻した際にも、これで鉄板とばかりにマルサの女のテーマソングをリフレインしていた報道番組があったが。どれも良い曲ではある。


以前、保坂和志が『書きあぐねている人のための小説入門』(草思社)という一見、作家志願者向けでいて実は全然そうではない内容の本を記していたが(それはむろん保坂であるから。なお大変面白い)、保坂にとって前提であるのは、書きあぐねもしない奴はそもそも論外である、ということ。少しはあぐねろ、と。あぐねるところから始めろと。既成の工程に安易に乗っかるのが一番悪い、と。保坂にとっての小説業(というか文化従事業)とは製造業ではないから。結果的に個人規模ないし組織規模の事業として成立していようとも、商売を前提することはない。保坂が嫌うであろう言葉を用いれば、業、すなわちワークであると。ジョブではない。現実にはインフラ維持産業としての文化製造業は踏襲された製造工程と共に存在します。


書きあぐねている人のための小説入門

書きあぐねている人のための小説入門


ところでMI6はともかくスペッナズなどという単語を久方振りに聞いた。小学生の頃に『ゴルゴ13』を片端から読み耽って(マジで。小学4年のときのクリスマスプレゼントとして、母親にリイドコミックスの『ゴルゴ』ランダムで25冊を執拗にねだった記憶がある。小さな古本屋で大量購入するのがたいそう恥ずかしかったとママンは後に言っていた。今も自室に60冊はある。幼き日のメモリー。あれは小学校高学年が読むのにちょうどよい漫画と思う。いや馬鹿にしているのではまったくない。現に私がそうであったから。中学までは夢中であったし。少なくとも全盛期のゴルゴは非常に大人びたおませな匂いを放っていて情報量もまた多く、かつおためごかしな情緒を一切排したクールな、ビジュアルとしての大衆講談であったから。欠かさず読んでいたとはいえ、ジャンプの熱血路線が当時から時折厭わしくもあった嫌な消防だったので。脱線)覚えた知識(というか単語)がこのようなところで活きるとは。


私の友人に拳法&武術&格闘技&整体の実践的マニアというか本職を目指す求道者がいて(カタギのリーマンに最近無事納まったが、世を忍ぶ仮の姿だそうで、生活のための2足のわらじと公言している)、先日彼の部屋で開催された強制観賞会(客席私1名)にて延々と正座のうえで付き合わされた武術訓練動画、映っているのは屋外で武道着姿にて対峙しているコワモテのガイジンばかり、師範様は元スペッナズの訓練教官だそうな。ところで師範様の御師匠様はスターリン閣下のボディーガードを長く務めた経歴のある方という。嗚呼激動の20世紀が今此処に蘇る。BGM『映像の世紀』。デスクトップに映し出されている格闘訓練中のコワモテな外国人達を指して友人曰く、実戦経験者しかこの師範様には師事できないのだ、ところでこの場合の実戦とは実際の戦争のことを指す。あぁではこの方たちはみな。傭兵だそうです。上映会は淡々と延々と続く。言うまでもなく、一切ショーアップされていない素手での格闘訓練映像(それも定点カメラによる)とは、その分野の素人にとってはまるきり嗜好違いのAVのようなものでしかない。しかるに隣で正座する友人は、叶精作先生が描く小池一夫漫画の、女刺客をこました後の主人公のような、充実と空虚の入り混じった男盛りの表情を浮かべているのであった。『時計じかけのオレンジ』の、椅子に括り付けられて点眼されながら人類の蛮行を延々とスクリーンで観せられ続けたアレックスの気分であったよ。ルドヴィコ療法。ミスバラライカは生きている。