桜桃の味


前口上――と、いうことで長文をUPしますが、昨日記した通り、昨夜の段階でエントリ初稿を書き上げていました。その後、以下にリンクのうえで言及しているfinalvent氏とAkky氏がそれぞれ追記としてのエントリをUPしています。両者の新規エントリにおける記述を話の土俵に新たに加えると、私の手には負えなくなるため、以下にリンクし引用した御二方の初発のエントリに記された内容にのみ限定して言及します。ごく限定的な枠における話であるということを、あらかじめ御承知ください。では本編。


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文学と太宰の話で一部で盛り上がっていると聞いて飛んで来ました。


そういえば太宰治 - finalventの日記

そういえば未完の「グッド・バイ」は面白い。お腹が痛くなるくらいおかしいというか、この先にどんな太宰の文学があったかと思うと残念だなと思う。


禿同。諧謔のマーチ。太宰のこの作品、というよりもこの作品に代表される太宰文学の側面を推した太田光は、その点ではGJ。才の脂が乗り切った中期の作品、そして晩年の荒涼としたエッセイの数々は、作家の純粋なセンスの結実としてある。木田元先生はそうした佳品のみを抽出して1冊を編んでいる。


太宰治 滑稽小説集 (大人の本棚)

太宰治 滑稽小説集 (大人の本棚)


真率であるがゆえにこそ、人生の一切をなめくさったかのような態度が招来されるという、倫理の逆説がここにもある。むろん太宰は、自身の真率を誰よりも嫌悪しながら、その真率を寵愛していた。これを一般に自己愛と言いナルシズムと言う。響きは軽薄である。ゆえに、表出される真率とは常に軽薄な虚偽でしかない。太宰はそのことを知っていた。告白とは常に虚偽であることも。それは、彼が晩年に志賀直哉をDisりまくった理由のひとつではあっただろう。


告白の虚偽性に対する倫理を、道化演者たる太宰は厳格に意識していた。真率な自己表出とは常に操作であり物語であり絵であり虚偽であり、偏狭な合わせ鏡である。かかる認識を前提として真率という虚偽の倫理が宿る。文豪志賀の態度は太宰にとっては我慢のならない野放図であり高慢であり不遜であり恥知らずであり無頓着でありずうずうしいぬけぬけに映ったであろう。で、以上すべて真実でありそれこそが非倫理的な野人志賀の才を証すのであるが。


太宰治 - Wikipedia

志賀直哉 - 長篇小説『津軽』で太宰から批判(名指しではないが)を受けたのを根に持ち、雑誌の座談会で中村眞一郎佐々木基一を相手にして太宰を酷評。旧制学習院出身で貴族社会をよく知る志賀から、『斜陽』に登場する貴族の娘の言葉遣いが山出しの女中のようで閉口した、もう少し真面目にやったらよかろう云々とこき下ろされたことに逆上した太宰は、最晩年の連載評論『如是我聞』で志賀に反撃した。当時、文士が志賀直哉に逆らうということは事実上の文壇追放を意味していたと言われる。


「関連人物」の項目を眺めると、まぁ誠にひどいやつだったのだね太宰は、という感慨新たなり。 彼の行くところ揉事あり。ところで『グッド・バイ』だけではなくこの志賀らへの悪態もまたWebでタダで読める。良い時代になったものだ。私も久々に再読した。


太宰治 如是我聞


これはひどい&これはすごい。共に最高の意味において。上記wikiの引用部の直後に記されている、太宰死後に志賀が草した「太宰治の死」という一文も私は読んでいるが、両者の資質的な対照性を示している。自己の野人を封印した高名な老紳士で通っているはずが、全然封印できていない男と、野人には決してなれない痛い紳士の紳士的な御乱心と。それを、教養の対照性とも言う。対照とは上下高低を意味しない。


小林秀雄が太宰の死後に彼の作品を初めて読んで(確か『人間失格』。生きてるうちに読め、と突っ込んではいけない。文芸批評家小林秀雄は当時現代日本の文学にまったく興味を失っており、仕事上も音楽と絵画三昧)、ありゃたいした才能だね、あんな作品書いていたら早く死ぬだろうが、と身もフタもなく今更なことを言い切っていた(正宗白鳥との対談であったか?確か全集で読んだ)。


finalvent氏は、指示代名詞を用いることによって明示こそしていないが、太宰の死は「偶然だったのではないかと思うようになった。」と記している。私もそう思う。たとえば三島のように、自己の内にて必然として要請された死ではない。本人の意図においては「見事完結した」わけではない。賽によって決定された死だ。しかるに蓋然性の賽を率先して振っていたのは太宰本人である。出目のランダムな結末をこそ彼は望んでいた。内なる確信なきまま、偶然の賽は常に彼によって振られ、生涯を通して彼は賽を振り続けた。そこに解が所在する。必然を想定しない者の生はただ偶然にのみ差配される。意志して偶然にのみ差配される人間の偶然としての生の帰結は、つまりは本人にとっての必然である。自戒を込めて、私は思う。


太宰文学のその後を追跡し得なかったことは、私にとってもまた残念以外の何物でもない。ただ、先日実家に帰省したところ父親から「お前ももっと夢や目標を持ってだな」などと即死しそうな御高説をのたまわれた身として言うなら、未来を想定しない人間に未来を求めることもまた、残酷以外の何物でもない。


ところで『グッド・バイ』は著者の急逝後すぐに映画化されていて、私は観ていないのだが、田島役で主演するのは森雅之である。ナイスキャスティング。


finalvent氏もリンクされている当該ブクマとブクマ先のエントリについて。


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(変則的な言及に過ぎないため直リンはしません)ブクマコメントにて指摘はほぼ出尽くしている。私見としての補足的な見解を2点記します。


1.「匿名で書かれたものは文学ではない」という命題はあるいは限定的には正しくもあるのだが、別に実名匿名筆名の話ではなく、記述者の交換不可能な人称性が、記述において表出されているか、という話に尽きる。大雑把かつごく簡単に言うと、19世紀に定義された日本における「近代文学」とは「個人」の個人性の表出にこそ結果的には規定され、そのねじれた達成が私小説として定着してしまった、という常套句はある。だから「文学」概念を日本におけるかつての「近代文学」として定義するのであれば、個人の交換不可能な人称性をこそ記述に求めることは限定的には正しい。それが、いわゆるモダニズムとは異なる、日本の後発的な近代において招来された「表現」概念ということだから。もっとも上記定説の最大の批判的検討者が「近代文学の終わり」を宣言してしまう昨今では、あるけれど。


だから、たとえばであるがsk-44などというふざけた匿名ハンドルを名乗る馬の骨でしかない「クズのような文章を綴って自らをただ美しく飾り立てることに汲々としている偽善者ブロガー」(この悪態は皮肉でなく素晴らしい)に矛先を向ければよい、という話ではない。交換不可能な記述者固有の人称性は、神の貌のごとく記述自体に顕れると信じる言霊信仰者としては。「語るに落ちる」とか「お里が知れる」とか「人品骨柄」とはかかる端的な事実を指します。


2.「告白」された「人生」や「生活」というのは常に虚偽なのです。日本近代文学史はかかる案件をめぐってどれほどの悶着を重ねたか。文学とは真実を虚偽によって贖う営為であり、人生を虚構によって贖う転倒であり、生活を記述によって代償する論理破綻の業である。にもかかわらず、否、それゆえにこそ、文壇では真実と虚偽をめぐって喧々諤々が繰り返される。『対話・日本人論』(夏目書房)という林房雄との対談本の中で三島由紀夫が(当時存命の)「詩人の王」ジャン・コクトーのフランス文壇における微妙な位置を指して、コクトーはあちらでは「真実(ヴェリテ)」がない、と軽視されているそうですね、といつもの皮肉な調子で言っていた。その通り。かつてコクトーに傾倒した三島はむろん、半分は暗に自分のことを指して言っている。


表出された人生とは常に虚偽であって、そこに真実などはない。人生は実在しない、ということではない。人生は個人の内に実在するが、いかなる表現を用いようと個人の外部に表出した途端に不在の徴でしかなくなる。饅頭こわい、と言う人間が本当に饅頭がこわいか否か。それは誰にも、本人にさえもわからないし、かかる問いには意味がない。ただ饅頭こわいと本人が表出したという、端的な事実が社会的な空間において徴され機能する。「饅頭こわい」と発する意図はかくして達成される。命題は命題として表意的にしか構成されず限定的にしか機能しない。真実は、不在である。


つまり「人生の真実」を記述によって表出し、社会的な空間に徴することによって機能させる変換的な虚偽の営為こそがいわゆる(通念的な)近代文学の肝であって、かかる規則の確信犯をこそ文学者と呼ぶ。そして記述による表出とは常に、社会的な空間における無数の人間の個別的な受容によって決定される。いかなる記述者もかかる決定のシステムから逃れ得るものではない。また逃れようとするべきでもない。


言わずもがな、たとえば「私小説作家」車谷長吉の作家性と言動とはかかる認識に規定されている。私は贔屓だが、彼の作家性と言動とは明白に、意識された「私小説作家のパロディ」としてのそれであって、つまりは福田和也の言う通り、スタイリストなのです。スタイルに対して車谷は常に真率であって、かかる態度が彼の文学的達成を保証していることは、付記しておく。


文学とは記述と表出の装置的な虚偽であって、それゆえに虚構=フィクションと呼ばれる。太宰は、そのことに対して何よりも自覚的な稀有の意識家であった。ゆえにかかる意識に対して無自覚な稀有の無意識家である志賀を嫌悪した。かつて漱石門下にあった芥川龍之介漱石に、文壇の先輩にしてライバルでもあった若き志賀について、自分には志賀君のような端正な文はどうしても書けない、極意は何だと思いますか先生、と問うたところ漱石答えて曰く、ありゃ天然だ、例外であるから君は諦めろ(むろん意訳、出典がどうしても思い出せない)。志賀を意識した芥川は、自己の意識の誤作動にやがて呑まれた意識の信仰家であった。


後の意識家三島由紀夫は、太宰が倫理的につね意識した文学の規則を、人工的かつ非倫理的に推し進めることによって、精巧な括弧付きの「文学」の模造品を構築した。志賀の無頓着(すなわち非倫理性)を太宰が嫌悪したように、太宰の頓着(すなわち倫理的な拘泥)をこそ三島は嫌悪した。三島は頓着することに無頓着であろうと意識したが、ハナから無頓着ではなかった。


太宰は結局のところ「近代文学」を信じ「個人の真実」を追究した、ヴェリテの必然に駆られた道化演者であったが、ヴェリテの不在を知る三島はかかる(ピエロの涙としての)倫理的態度をこそ嫌悪し、文学をめぐる倫理の桎梏こそを唾棄した。時代的にも当然のことだが、志賀の非倫理と三島の非倫理は意識の位相において、1周ズレている。太宰は自らを笑ったが、志賀は自らを笑うことなど考えもしなかった。そして三島は自らを笑う自らに対して、にこりとも笑ってはいなかった。話していても、頻繁に哄笑しながら眼は全然笑っていなかった、と彼を評したのは野坂昭如である。


ゆえに、太宰は滑稽の文学であるし志賀は滑稽を排除した文学であるし、三島は滑稽であることの限りない苦さに規定された文学であった。いずれも素晴らしい。三島は滑稽ではありたくなかったのであろう。しかるに彼が透徹した眼差しで把握していた文学という記述の機構は、必然的に滑稽とパロディと自己模倣をしか調達しなかった。存在するはずであった、表出されるべき「個人の真実」という内実が消え失せていて、記述という表出と表象の人工的な機構のみが作動している事態に真っ先に気付きながらも、ヴェリテ在りし良き時代の近代文学によって育まれた、頭のよすぎる作家が残した屈託の文学とは、「ポストモダン」という言葉も概念もなき時代に生まれた、あまりに早すぎたポストモダン文学の先駆であった。


太宰が生涯を通じて描いてみせた「人生の真実」という軌道ないし無軌道は、太宰自身にとっても自覚されたパロディでしかなかった。そこに諧謔が関与した。「太宰治」は筆名である、という当該エントリに対するコメ欄やブクマコメントにおける指摘は、ゆえに単なる揚げ足取りではなく、そのことを指し示しているし、自身の生涯の「告白」の虚構性を最初から太宰が自覚していたという、至極当然のことを意味する。太宰はそのことに苦渋を感じ苦悩する程度には真率でもナルシストでも近代文学の信仰者でもありましたが。しかるに昭和前期において「近代文学」の日本的な公式論に居直った連中の文学は、多く現在では読めません。むろん志賀らはそうではない。本人の意図に反して結果的に「人生の真実」を描くパロディとしてしか結実しなかったとはいえ、「青春の文学」の生命とは多く諧謔によって繋がれる。


日本においても、多く現代の作家は確信犯的にヴェリテのパロディを描かないことには文学としては成立しなくなった。括弧付きの「文学」であればいまだにヴェリテを嘯けば通るが。高橋源一郎でも誰でもよいのだが、「良き時代」の近代文学を愛する、しかるに現代の日本に生きる意識的な文学者達にまた屈託がないはずはない。屈託なき例外が即座に複数浮かんだが挙げない。現代人もまた多く、人生の真実は信じたいし、それは姿なく実在し遍在している。ところが人生も真実も口に出した途端に嘘になる。では言わぬが花が最適の解か。そうした狭境から業界用語の狭義の「純文学」ではない、記述のそして表出と表現の文学が顕れる。たとえ匿名の馬の骨のクズのようなブログからであろうとも。むろんこれは一般論。