イルカを喰う&おまけ


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我がママンは静岡の出身で、地元で暮らしていた頃はイルカ肉を普通に食っていたそうだ。確か『アジアを喰う』であったか、鈴木みそが静岡の魚河岸で競りに出されていたイルカの話を描いていたが、へぇと思っていたらママンがナチュラルにイルカ食いの話をしてたまげた。何かまずいことでもあるの?という感じで。いや何もまずいことはありません。貴方は正しい。実家にいた頃の話。


何であれ他人の「異質な習俗」を非難する前に御身の足元を掘り返しましょう。母親が地元でイルカ食っていたり父親が若き日に箸で相手の鼻の穴を突き刺す喧嘩をガチで繰り広げた元愚連であったり、そして自らがかかる父親の暴力的な気質を受け継いでしまっている、というような陳腐で凡庸な人生の断面は、世にいくらでも転がっています。


普遍という概念を知らぬ先人達による「習俗の継承」の膨大な累積的負債と、それに対する批判的な自省からしか、普遍という志向は確立されない。個々のプライヴェートなセクターにおいては個人的な自省のバランサーとしてしか普遍への志向は機能しない。問題はない。理性とは血を否認するためにこそ要請されるのか、と、私は自身の来し方を省みて思う。私は生き残る必要に迫られて自らの理性を育んだ。今にして思えば、それはまったくの緊急避難だった。他人をないし自らを殺しもしくは自らが他人に殺される、かかる必定から全力で逃れたのだ。それはむろん、誰にとっても蓋然性として存在する事態ではあるが、当時の私にとってそれは断じて蓋然ではなく、必然としての帰結であった。理性的であろうとすることは、当時の私にとっては生存の条件であった。


――だから?理性が血を包摂し、理性が血を消去し得るとでも?


私個人にとって理性とは常なる自己拘束のバランサーであり、つまりは生の安全装置でしかない。安全装置という私にとっての実際的な機能を、外部から装填された認識として個人を越えて掲示するその意義と価値をむろん認める。理性とは外部から招来された他律的ディシプリンであり、自己にとっての他者である。しかし。あくまでプライヴェート私見に過ぎないと断っておくが、安全装置とは身体の外部にある機械でしかない、それは精妙かつ自在に操作し得る機械であるべきだが、機械を要請する血という虚偽にしか私の自己認証は存在しない。


レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』。その終幕、整形して別人となったテリー・レノックスと再会して、マーロウは独りごちる。

彼は手を顔にあげて、色眼鏡をはずした。人間の眼の色はだれにも変えることができない。(文庫p529)


そう、眼の色は誰にも変えられない。「りっぱな」整形手術を受けても、レノックスの眼の色は変わらない。「五十ドルの淫売みたいにエレガント」な、空虚でがらんどうな男の眼の色だ。そして彼はかつての「友だち」に抗弁する「宿命だったんだ」と。


殺し殺されることを合理とする血の虚偽への反省を前提しなければ、理性と普遍という「虚偽の是正」は空論でしかない。殺し殺されることは虚偽の世界においては合理であった。虚偽の理を不合理とするジャッジメントを招来させた自省とは何であったか。個々人に、すなわち自己の来歴に遡行することなくしては、身の丈に至る最適解は得られないと、私は思う。虚偽の合理を不合理とする認識に対して同意しない者が、この世の過半を占める以上。


可視であった不合理を不可視化する人文的かつ工学的な営みによって、公式的な普遍は確立された。暫定的な不可視化を実現した意識の装置をかつて理性と呼んだ。現実に存在する不合理は不可視化され、直接性は隠蔽された。直接性とはつまりは広義の暴力性のことだ。


認識の真は虚偽によって要請され、存在する虚偽への拘束装置として借定された真がある。理性として装填される認識の真とは外部機構であって、しかるに血とは内在する虚偽だ。他律的な外部機構とそのディシプリンに対する内在的な信頼は、ソフトとしての個人において涵養され得るか。自明を奪われた近代において。人は自己の外部に存在する真よりも、自己に内在する虚偽にこそ多く従う。外部の真と内部の虚偽の、すなわち理性と血の弁証の一切によってしか、個別的な認識に規定された個人倫理の最適解は決定されない。それは公理としての普遍とは分岐する。内なる虚偽を忘却し捨象したとき、外部機構の真は公理と化する。公理と化した真は虚偽であるか。


『長いお別れ』とは、公理としての外部機構の関与なき倫理を、すなわち内なる虚偽を倫理として自律/自立させる条件を描き切った、著者畢生の作であった。むろん倫理とは真であるはずがない。公式的な真であるはずがない、と補記してもよいが。つまりは美学であり文学である、ということだ。