第三の蛭子


本日のトップニュース。


http://www.sanspo.com/geino/top/gt200611/gt2006112200.html


http://www.daily.co.jp/gossip/2006/11/22/0000173540.shtml


http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20061122-120330.html


私的に激震。ありえる。いや相手が19歳でもありえる、そう納得してしまった我が心理のメカニズムをロジカルに説明することは、たいそう深遠で難解であるため、やめる。というか私も整理がつかない。したがって、以下インフォに徹する。

蛭子は以前、前妻が生涯唯一の相手だったと公言しており、関係者によれば、A子さんは「蛭子にとって生涯ただ2人目の相手」と証言。


童貞と処女で結婚し、共に配偶者しか知らぬまま最後まで連れ添った。以前、蛭子さんの奥さんが亡くなった直後、某所でリリー・フランキーがこの逸話に触れたうえで、最近一番悲しいニュースだった、と呟いていた。

この日、香川・丸亀競艇場のイベントに参加した蛭子さんは「年は若いし、かわいいし、ボインだし言うことなし」。


また語録が。蛭子さん直截すぎ。いつものことですけど。


いわゆる「裏エビス」の逸話はwebでは有名で、まとめサイトもある。


http://www.adachi.ne.jp/users/top-one/kubikappon/ebisu.html


根本ソースによるものなどはみな、私にとっては既知ではあったが。ちなみに本件絡みの2chスレなど覗いてみたところ、逸話はそれほど有名でもなかったらしいと、気付いた。「描いていたマンガがキチガイだ」は知られていても「本人が素でキチガイだ」は案外知られていないようだ。それは『電気菩薩』とか、誰が読むのかと。


で、私は「裏エビス」話やその「表エビス」との天地が隣り合ったような距離についていまさら屋上屋を架して言挙げるつもりもない。ただ、表でも裏でもない「第三のエビス」について、リリー・フランキーのように思いをめぐらせてみる。言い換えるなら「市原悦子の亭主である蛭子」について。


私は昔、いくつか刊行されている蛭子能収の映画評や活字エッセイを寝床にてナイトキャップ代わりに読みふけってはなごんでいた。自己の道具にあらざる「文章」を綴る蛭子は常にどこか他人行儀で慇懃でかしこまっていて、上記まとめサイトにもある「学歴コンプレックス」の故なのか、高尚かつ「ちゃんとした」文章を綴ろうとしている。が、むろんそれは「本人のつもりでは」に過ぎないからズレまくってはいて、ところどころ破れたオブラートに包まれたストレンジな感性は隠しようもない。それが面白い。


無頓着に「裏エビス」全開のかつてのマンガ群とは違って(むろんそれも素晴らしいが)、「裏エビス」を「表エビス」で隠して装おうとする、その意図された繕いが破れまくっている点も含めてなお、体裁としての社会性を纏いかつストレンジな、つまり字面には品がありながらも通俗でなく逸脱的な、よい文章であったのだ。形式と内容、とか言ってみても仕方はないが。


むろん蛭子の本筋ではなかろうが、かつて坪内祐三が蛭子の映画エッセイを評価したとき(余談だが坪内は内田裕也の文章にも賛を与えている)、我が意を得たり、という気にはなった。文章見巧者、というのはいる。私も我が田に水を引く。結局は、一貫した無頓着に惹かれたのであろう。


今回の件で蛭子のオフィシャルWebサイト上に掲載されている、蛭子自身の手になる「日記」の存在を知った。


ebiy.net - このウェブサイトは販売用です! - 蛭子能収 コチラ エビス 地方 有正 絶賛 蛭子 ゲーム リソースおよび情報


開いた瞬間凍り付くであろうが、トップの画面に引いて負けることなく「日記」を下まで眺めていくと、あぁ蛭子さんの「文章」は相変わらずだな、と嬉しくなる。まさに「自分が変であることに気付かない変人」の雑記だ。「偽善者」とは、その実、悪人だ、という含意の含まれた表現であるが、蛭子さんには善悪概念が存在しないのだから。根本敬に言わせれば「損得」しかない。だから偽善者だの悪人だのというのは、外野の勝手なジャッジに過ぎない。常套句ではあるが、その点が素晴らしい。


そして相変わらず、蛭子さんはよく映画を観ている。それもまるでこだわりなく呼ばれた試写には日参する。観た映画に対する言葉少なくオブラートに包んだ慇懃な、いや慇懃無礼な感想を読んで、私はにやりとする。自身の眼の的確な辛辣さとは、処世の損得だけで隠して隠しきれるものではない。Web公開の「日記」においてすらも蛭子さんは言ってはいけないことを言いまくってしまっている。


黒沢清を「日本で一番好きな映画監督」と言うことにも納得した。『LOFT』が「何かいい加減に創ってるように思える。」という箇所でもまた私はにやり。模糊としたごく短い感想で、痛いところを突く。現在もそうであるかはわからぬが、蛭子さんのマイフェイバリットムービーはゴダールの『ウィークエンド』で、自らの青春の記憶と絡めた評も書いている。さすが目筋がよい、というか若き日の蛭子青年が『ウィークエンド』にヤラれるというのは、とてもよくわかる。第三の蛭子の話でした。


蛭子能収コレクション (映画編)

蛭子能収コレクション (映画編)


追記。以下が私のお薦め蛭子エッセイ。講談社の文庫だから手軽です。確か『ウィークエンド』の評も本書にあった。初版は蛭子さんが人気タレントになる以前(つまりカルトスター時代)の刊行であるのだが、当時上映された、石井聰互の『逆噴射家族』を冷たく評したうえで、脚本の小林よしのりまずいのではないか、同業で自分よりもはるかに売れているマンガ家だからそっと小さな声で言うけど、と例の一見おとなしく卑屈でその実慇懃・無礼な筆にて記しているのであった。