ブラクラって


BLACK LAGOON』の略称だったのか。いやさっきも見ていたが。最初目にしたときはプラクラのことか、あるいはそれにかけているのかと思った。死語復活か、と。違うようで。きょうび誰も知らんかそんな狂乱の90年代前半の徒花の俗語。


プラクラ - Google 検索


http://journal.call-girl.jp/column/zn.html


いま参照可能な重要文献は、Google検索の上位10件にもあったが、井田真木子の渾身の名著にして遺作(遺稿集がその後編まれた)『十四歳』であろう。しかしどうしてこう、全身全霊でいい仕事する人に限って早世するかね。全身全霊でいい仕事するからだ、というトートロジーに解があるのは明らかだが。


関川夏央が『やむにやまれず』(講談社)というエッセイ集の『三月十五日の出来事』という一編で彼女の死をめぐる状況について記している。壮絶、としか言いようがない。年寄りのようなことを言うが、生き急いだのだな。関川は同エッセイにて対比させるかのように、彼が私淑する当時存命であった山田風太郎のことを記している。表題にある2001年3月15日とは、山田風太郎日本ミステリー文学大賞の、その特別賞を受賞した授賞式の日付だ。その年の7月に逝く山風は、当時すでに車椅子であり言葉を発することにも難儀していた。それでも授賞式には出席した。公の場に姿を現した最後の日だった。その前日の3月14日に、井田真木子は44歳で急逝した。関川が何を言いたかったか、私は知っている。全身全霊を振り絞って生きてしまう人へ。


wiki井田真木子の項目がないことに驚いた(ならお前が書け、という話になるがそんな重責はとても)。○○○○とか××××とか◎◎◎◎だのの項目は詳記されて貴重な森林資源どころかwikiのサーバに至るまで食い荒らしているというのに(空欄には自身で任意の作家を代入せよ)。『十四歳』。読めとは言わないがインフォします。「プラクラ」などというボーダーな風俗形態が存在していた10年前のレポートは、渋谷を孤独に徘徊する陰気で危なっかしい少年であった私にとっては、懐かしくもあり昨日の事のようにリアルな風景でもある。今も昔も渋谷は、私にとっては他人の街だったが、今夜がそうであったがたまにうろつくと隔世の感がいっそう募る。むろん街が変わったのではなく、私が齢を取った。齢を取って映画館とまんだらけにしか用がなくなるというのもどうかとは思うが。


同書にて記される「サバイバー」という言葉は、井田のその後を思うと、複雑としか言いようのない感慨を呼び起こす。断じて「痛ましい」などという(井田が最も嫌った)紋切型を用いて表現するべきでない、ある感慨を。生き残ること。


ルポ十四歳―消える少女たち (講談社文庫)

ルポ十四歳―消える少女たち (講談社文庫)