Answer


逡巡しました。しかしあの長大なコメント欄を読み終えた段階で腹は決まっていたわけです。いや11月7日付のエントリでトラバした野原燐さんのブログのことではありません。別です。さらにid:Apemanさんのブログ本館における、その方による最近の複数のエントリへのコメント書き込みを拝読して、これはいくらなんでもな、と思い腹はさらに固まりました。仕方がない。


11月11日付の前記エントリ、まずリンク。


http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20061111


Apemanさんや(わざわざ御説明いただきありがとうございます)MacacaFuscataさん(ありがとうございます。応答に関しては少しお待ちください)がコメントを付けてくださりもはやエントリを分割できない以上、申し訳ありませんが「追記」以降の後半部分における、N・BさんことNakanishiBさんへの私の応答部分のみを参照してください。


NakanishiBさんからトラックバックと前記エントリでのコメントによる応答を頂きました。ありがとうございます。


世間は狭い(11・12追記) - CUATRO GATOS広報部はてな非公式出張所・『渋谷ハチ公前広場』

的外れな嫌味は謝ります。ただ、こちらにもあのような文章を書く理由はあったのでそれは後ほど書きますが、単純に言えば、私にはブログを読んでいる限り、ロマン派的・「決断主義」的な思考が伺えるsk-44さんが、あのようなメタ的なところに立って、中立を装う事を続ければ、基本的に構造的に同型の振る舞いをする唐沢俊一*2や宮崎哲弥*3のような最悪の「サブカル保守」になってしまうという危惧を憶えたわけです。このように書くこと自体で、一つの返答になっていると思います。


http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20061111/1163239409#c1163359329


応答された内容に関しては後述いたします。あ、「あかね」で1度だけ長く話したときのことですが。

うーん、こちらは「常連」です(した)ので、ちょっと何を話したのかわからないと思いだせないのですが、なるほど。


演劇というか芝居の話をまったりとしました。初対面だから当然といえますが、政治や思想をめぐる話はほとんど交わさなかったと記憶します。……私は、Web上では話してわかる相手にはある程度まではわかるであろうと、本当に思っているのですよ。「話してわかる相手」の個人的なガイドライン設定も結構ユルいのです。実生活はともかく、Webでは。この場合の「わかる」というのは自分の主張を十全に相手に理解させる、ということではありません。対話相手の顔が見えるようになる、ということです。人間でなく言説相手と思うから、まず論破やDisや嫌味や揶揄ありきになる。だからこの場合の「話」とは「論理の操作と構築」に限定されない。妥当な言説になおかつ人称性を付随させる、ということです。その辺は、案外私は「人間」というものを信頼している。


人間とはまず何よりも教育だ、教育ある人間同士でありさえすれば、互いの相違を是認したうえで相互対話を構築し得る、と言っていたのはたしか塩野七生でした。むろん塩野が言う「教育」とは西欧の普遍主義的なEducationのことにほかならないのですが。そういう意味で私はEducationに規定された「人間」と思える相手とならば、話は通じ得るだろうと思います。繰り返しますと、対話において自らの主張を理解させ得るということでなく、対話を通じて互いが「人間」であることを認め合い互いの主張にたとえ理解が伴わなくとも敬意を払い得る、ということです。個人的な信念に過ぎないことですが。だから、たとえ1度でも酒酌み交わしてそれなりに楽しく話した、それも年長の、いまだに顔も覚えている方を、たとえWeb上での振る舞いに限定してとはいえ、批判したくはないわけです。本当に。もう会うこともたぶんないだろうし関係ない、と割り切る趣味を私は持ち合わせない。そのくらいの「常識」は備えているのです。


しかし、やむを得ない、やりましょう。更新本格再開してじきひと月、当ブログも最近1日単位の閲覧者がずいぶんと増えた。その人達への責もあるでしょうし、日頃公正だのフェアネスだのと記している以上、エントリで取り上げた案件に関する情報と資料はある程度オープンかつフェアに明示されるべきでしょう、私自身の手によって。そして何よりも私は、さすがにやや脱力している。まず、むろん私に対してではないでしょうが、前記エントリに対するはてブコメントで以下のリンク先URLに関する貴重なインフォを示してくださったoligamiさん、ありがとうございます、感謝申し上げます。


2005年10月28日付の小田嶋隆氏のブログのエントリにおける長大なコメント欄。上記にリンクしたコメントにおいて御本人が認めている通り、コメ欄で議論の中心となられているN・Bさんとは、NakanishiBさんのことです。もっとも、たとえNakanishiBさんがお認めにならなくとも、そして小田嶋氏のブログのコメ欄がメルアド明記でなかったとしても、私は同一人物であると確信したでしょう。まことに、文と論は人を語る。なお私は小田嶋氏のブログはまれにしか閲覧しないのですが、多少不明を恥じました。で、当該リンク。申し訳ありませんが、興味のある読者の方は以下のコメ欄で繰り広げられている膨大な議論を御拝読ください。


ウヨ曲折: 偉愚庵亭憮録


な ん で す か こ の デ ジ ャ ビ ュ は 


脱力しました。1年前ですか……まず補足しますが、任意の個人の過去の発言や振る舞いをもって、またはその現在の発言や振る舞いとの相違や矛盾をもって、当該個人の発言や振る舞いを批判し得るとは私は思わない。私だって、ブログ始めて更新停止に至るまでの今年4月5月6月あたり(たった半年前)のエントリで、今となっては目も当てられないようなことを山ほど書いている。コメント欄でもしかり。正直、ないことにしたい。恥の証として手直しもせず残してありますが、更新停止間の反省を経て発言も振舞いも少しは変わったつもりの現在、しかし反省とそれ以前に仕出かした各方面への不始末に関して総括を言明したうえで更新再開したわけでもないそんな現在、おまえの4月×日付の長文エントリでこんなこと書いてるがどういうことよ?とか、これ今と言ってること違うじゃねーかとか言われたら、もう白旗上げるしかない。つまり天に唾すりゃ自分に降ってくると。


いや、過ちのない人間などいませんし人生一生勉強です、反省の内実については今後の更新内容をもって換えさせていただきますのでどうかひらに御了承ください、と冷汗かきかき詭弁こくしかないでしょう。昨日今日の話ならさすがにともかく。だから私は、個人の過去の発言や振る舞いの弊をもって現在の同人の発言や振る舞いについて批判する、ということをしない、というかその資格がない。ただし、個人の過去の発言や振る舞いの弊が現在の同人の発言や振る舞いの弊と一貫して類似し共通する場合はこの限りではない。これは当然ですし、むろん私もそうであれば批判される。


私も悪文です。他人のことは言えない。当該コメ欄における小田嶋隆文章道場については、思わず拳々服膺して自戒しまくってしまいました。それでも他人に直接応答するときは自分なりに気を付けます。まして他人のブログのコメ欄であるならなおのこと。私と小田嶋氏を対比させるつもりなど毛頭ないですし、他人のエントリや文章や言葉の「虎の威」を借りて相手を批判することを当該コメ欄で小田嶋氏も戒めておられるので、引用しまくりたいのは山々ですが、私が関係した事例でもないし、当該コメ欄からの引用は一切行いません。私の言葉で記させていただきます。


しかし率直に言って、1年前の小田嶋氏の指摘が今回のことについても多く該当してしまうな、とは思いました。小田嶋氏もあるいは当該コメ欄のその他のコメンテーターの方々も「N・B」さんの発言と振る舞いに対しては、つい先日の私と同様の感想を抱かれた。我田引水でも何でもなく、当該コメ欄をリテラルに追っていけば了解される事項です。というか、あまりに同じなので驚きました。先にこちらのコメ欄を読んでいれば「小田嶋メソッド」で対応できたようです。自衛官官舎ビラ投函に関する私の見解の論拠に対する疑義を呈された、その指摘を除けば、週末の時間を費やしてまでああも真面目に応答するべきではなかったと、改めて思っています。そして、ゆえに私は以下、貴方の開示された見解の論拠に対してあくまで具体的に問いたださせていただきます。


私が既視を感じた、NakanishiBさんの1年前の小田嶋氏のブログにおけるコメ欄と先日の私が詳細に応答したApemanさんのブログにおけるコメ欄での発言、そしてトラバを頂いた追記エントリと上記リンクのコメントにおけるNakanishiBさん自身による応答まで拝読したうえで、私が検討した以上一切の類似点・共通点について、すなわちNakanishiBさんの発言と振る舞いにおける一貫した弊について、小田嶋氏に習って箇条書きで列記します。Disでも嫌味でもなく、あくまでNakanishiBさん個人に対する応答と指摘です。指摘に批判が含まれていることは認めます。当エントリに関してもでき得る限り紳士的かつ穏当な表現でリライトしている点について、御了解ください。


1.文意不明瞭


NakanishiBさんのブログにおける記述を拝見する限り、能力の問題ではなくて、たかを括っていい加減に書いているがゆえにそうなっているから読んだ側は気を悪くするのです。特定個人の批判を意図するものであるにもかかわらず。Webで認知されている実力ある方のブログのコメ欄で、批判対象者本人に直接向けて書いているわけではないからよいと?そして本質的には、NakanishiBさんの批判における姿勢自体に決定的な問題があるためです。その点こそが、NakanishiBさんの、他者への批判を意図した文における混乱を招いている。単なる文章力の問題などではない。NakanishiBさんの他者への批判態度における決定的な問題について、批判を受けた当事者として以下具体的に詳述していきます。まず。


2.嫌味やほのめかしやあてこすり、しかも内容的にそれで尽きている


Apemanさんの本館で思いっきりsk-44さんのエントリーに嫌味を書いた


と私に対するトラバエントリ内でおっしゃっていますが(自動リンクされてしまうのでid記法は外しました)、この段階で私は既に気が滅入るのですが(直接本人に向けて言わない嫌味を普通は陰口と言います。陰口の愉しみというのはありますが)、「思いっきり」ですか、なるほどあれは内容的にも疑義や批判ではなく全編単なる嫌味でしかない、でFAですね。真面目に応答したこと自体が徒労だったようです。私は貴方の当該コメントの文意不明瞭な点について、「突撃者」に対する私的な見解について、そしてなぜ批判を意図する指摘と疑義を私に直接向けなかったのかということについて、批判や応答以前に本当によくわからず意味も汲み取れなかったため個別的かつ具体的な説明を求めたつもりなのですが、その点については一切スルーされていますね。前記のエントリにおける私に対するコメントにおいて、

>自己責任論と本質はあまり変わっていないようです。
 という揶揄をしてしまった理由もエントリーでご理解いただけたと思います。


とおっしゃっていますが、当該のトラバエントリを拝読させていただいたうえでも、本当に「揶揄をしてしまった理由」がわかりません。しかし推察はしております。それは貴方が1年前に小田嶋氏に対しては試みている「揶揄をしてしまった理由」の詳細な説明を拝読しての推察です。後述します。もし「まるで違う」ということであれば具体的に御指摘ください。


しかし、私が求めた文意開示を貴方がスルーされた件についてですが、文章単位で分節したうえで個別的な再説明を求められた際に具体的な開示と展開ができない、ということですか。あれほどの短い文章についても。見識と用意ないまま特定個人に対してDisと受け取られかねないようなことを書いても、嫌味や皮肉やほのめかしやあてこすりであると示せば、Dis相手に対する自身の発言の具体的な説明の責すらも放棄し得ると?


伺いたいのですが、そもそも単なる下手な嫌味を、貴方も御存知であろうジャーゴンで述べれば、表出ではなく表現である、と思っておられるのですか。2chでの言葉は表出に過ぎない、とおっしゃられた方がいますが。嫌味もまた有効な表現になり得る、と嫌味の天才を友人に持つ2chユーザーの私は思いますが、貴方が私に対してまた小田嶋氏のブログで氏やほかのコメンテーターに対して用いている嫌味は、貴方の言うところの「的外れな嫌味」ではなく単なる下手な嫌味です。というか、特定の他人を不快にさせるためだけにのみ文章を綴る人間の気が知れない。御自分の嫌味が、エンターテインな嫌味だと思っているのですか。むろん的も外れています。なぜ外れているかというと。


3.一方的な想定問答


これも癖なのか、と驚きました。私も貴方に対していくらかは試みましたが、むろんまるで違うと思われるのであれば私がそうしたように御指摘ください。生産的な対話とはそういうものです。つまり、任意の問題を分節化したうえで具体的かつ個別的な検討を相互に加えたうえで同意と相違点の明確化を意図しなければ、生産的な対話など成立しないということです。他人の発言の背景を貴方の目線で規定して断定しないでいただきたい。それも「発言の背景を貴方の目線で規定する」が「当該発言からリテラルにはまるで汲み取れず導き出し得ない発言者の内面や意図とやらを勝手に当て推量する」でしかない以上。かかる手続きのうえで他者の発言の性質を断定することがどれほど危険な印象操作であるか、わかっておられますか。


観念的な決め付けを具体的に覆す、という作業は、たとえ決め付けられた当人であろうと、いや決め付けられた当人であるほど困難でかつ徒労感を味わうものである、ということがわかっておられますか。そもそも噛み合わない。当該コメ欄における小田嶋氏と貴方との徹底した齟齬の理由は、その点に尽きています。貴方以外はみな気付いているのですが。氏は重箱の隅を突いて揚げ足を取り続けていたのではない。観念的かつ全面的な断定に対しては、問題を分節化したうえで具体的かつ個別的に覆していくしかない。同じ思いを些細ながらも味わった者として言わせていただきますが、小田嶋氏が感じた徒労とそれでも最後まで貴方に対して尽くされた誠意について、了解しておられますか。


批判であれ嫌味であれまずは的を射抜こうとしてください。的を見失うのは問題を分節化せず具体と個別に拠らず、観念と抽象に基づいて批判を意図するためです。「貴方の発言の意図はこうでしょう」と個別的かつ具体的な根拠もなくそれを直接問うことすらなく発言者の人間性まで射程に入れて断定するのは印象操作と紙一重です。議論における印象操作の危険性について、当然貴方は御存知ですよね。Webの議論におけるスマートな戦術とでも貴方が思っているらしき嫌味というのは、公開の場において特定個人や特定団体に対する印象操作を意図して用いられる言論のことです。そういうのを普通は、中傷と呼ぶのですが。だからこそ、嫌味を用いるのであれば、的の確定と巧拙すなわち洗練性こそが問われるのです。そうした禁欲と技量は貴方に存在するのですか。


4.発言内容自体の妥当性への個別的な分節的検討がない


批判対象に対しても自らに対しても。これも小田嶋氏のコメ欄で指摘されていましたが、是々非々という判断は個別的な分節的検討によってもたらされる認識です。それが貴方にはない。そのうえで大上段なことを言われる。私は唐沢俊一宮崎哲弥宮台真司北田暁大もずいぶんと読みましたが、さて自らの肥やしとなったかはさっぱりわかりませんが、貴方の議論はともかく応答自体がよくわからなかった。私は当該コメントに対して具体的かつ個別的に応答しかつ問うたつもりなのになぜこの人は一切をスルーして観念的かつ概括的な話をするのか、と。ロマン派だの決断主義だの1968年だのという抽象的な話は承知しているといえ、貴方への当該応答に関してはまるで持ち出してはいないのですが、と。いやアンタの考え方はロマン派的で決断主義的だ、と言われれば思い当たる節もないではないですが、それは当該応答の筋ではない。サブカル保守の話もしまうまさんに対してはともかく貴方の言葉に対する具体的な応答の筋ではない。私は大上段な話を貴方にレクチャーしてもらうためにトラバしたわけではない。


小田嶋氏のブログのコメ欄で貴方が開示している見解と照らし合わせて自分なりには了解しました。言わんとしていることを。立ち位置という発言主体のスタンスをめぐる議論ですか。シニシズム批判でもよいですが。レイコフや立岩真也は知りませんが貴方がおそらく踏まえておられる議論については、私もそれなりに了解している。『限界の思考』も中身を半分以上忘れたとはいえ読んでいますが、それはこの流れで持ち出す話ですか。了解したうえで書いているのです。確かに面倒な悪文の長文ではありますが、私の当該エントリについては前半部も読んでおられるのですよね。


小田嶋氏に対しても同様でしたが、発言主体のスタンスについて、指摘するだけならまだしも他人が一方的に是非をあげつらいあげく教示するのを、普通はとは申しませんが私は大きな御世話と思います。それを承知したうえでなお、というのならわかりますが。発言主体のスタンスへの疑義、という文脈にのみ拘泥し、批判がそれに終始するから発言内容自体の妥当性への個別的な文節的検討と具体的な応答が、留守になるということですか。「あなたの発言はその気がなくともこれこれこうした文脈からはこのような意味を持ってしまうから考えたほうがよい」と、無自覚であれ故意であれかかる議論を優先しない人間に対して説いて無前提で了解されると思っておられるのですか。「あのような文章を書く理由」「一つの返答」というのはこの解釈でFAですか。これが私による一方的な断定であり、まるで違うというのであれば是非御指摘ください。

sk-44さんが、あのようなメタ的なところに立って、中立を装う事を続ければ(略)最悪の「サブカル保守」になってしまうという危惧を憶えた


と老婆心でしょうか、おっしゃってくださっていますが「中立を装う」と断定されています。素で思ってしまうのですが、そう見えますか。私は本当に考えないのですよ。本エントリの一番最初に記した内容で、わかっていただけると思うのですけど。メタ的であることはなるほど意識しますが、それは批評行為の要諦でしょう。あらゆる現実的な諸関係の錯綜から離脱した真空地帯から発せられる言論や表現などないことは、もちろん承知したうえでのことですが。それと「危惧を憶えた」のは私に対して、ということですか。老婆心は有難いのですが、なら初めから私に向けて忠告していただきたかった。嫌味などという形を取ることなく。


5.言説へのフリーライド


私はそうは思いませんが、というか当該文章だけでは意味が汲み取れないのですがそれはさておき唐沢俊一宮崎哲弥が「最悪の『サブカル保守』」であることの根拠提示を他人のテキストへのリンクのみで済ませる、というのは当該テキストの妥当性とは別にすごい話だと、個人的には思いましたが。これも小田嶋氏が指摘していましたが、著名論客の発言内容自体に対して自分の見解を示して批判する、という発想はないのでしょうか。たとえばApemanさんと貴方の見解が全面的に一致する、ということはないでしょうしあったとしても特定個人への批判の根拠は自ら構築するものでしょう。かかる批判提示は私に対しても同様でありましたが。申し上げますが、私に対してであれ宮崎氏に対してであれ、Apemanさんの発言に依拠して批判を行うということは、批判対象者が結果的にApemanさんに対して視線を向けてしまうということを意味します。私がよい例でしたが、それはApemanさんの意図せざる誤解を招き得る、というリスクについて認識しておられますか。そういった振る舞いを故人は「他人の褌で相撲を取る」と呼びましたし私は「言説へのフリーライド」と呼んでいます。どちらも自由ではありますが、私の趣味ではない。よもや、Webの実力ある論客たるApemanさんの提示される見解を、御自身の批判提示の際の「弾除け」とでも思っておられるわけではないですよね。見識とは個々人がその個人性に依拠して個別的に構築するものと、私は思っておりましたが。


それと、どうしても看過しがたく思ったので指摘しますと、9月18日付のApemanさんのブログにおける、宮崎哲弥氏の発言を批判されたエントリのコメント欄で、最初にNakanishiBさんことN・Bさんが宮崎氏の当該発言を批判する書き込みをされているのですが。


http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060918174000/index.html

ダイエットでもしてて頭がぼけたのでしょうか。でも、書き手の責任だと本気で思っているというのもありそうで、必要とされる男子が生まれたことを喜ぶような風潮を生まれつきの障害者である乙武氏が批判するのは罰せられるべきだと。人間の価値は市場価格(商品としての値段) で決まり、既成事実への追従で成り立つ現在の日本社会を危うくする許しがたい悪でこのような結果は当然。このように。


いやちょっと。待ってください。当該エントリでApemanさんが引用されている宮崎氏の発言とは、

「(ブログに書いた内容が)不用意すぎる」


のみです。エントリの以下に続くのはApemanさんの見解提示です。宮崎氏の発言やそれに対するApemanさんの批判について、ここでは措きます。そうではなくて、引用された宮崎氏の当該発言のどこに、NakanishiBさんのような氏の発言意図に対する断定的解釈を引き出し得る情報が存在するのですか。私は宮崎氏の発言についてこのエントリで知りましたが、貴方は上記引用の書き込みをされた段階で、Apemanさんが引用された内容以外の当該問題に関する宮崎氏の発言について目にされあるいは耳にされていたのですか。そこから上記のような氏の発言意図に関する「推測」が成り立つということですか。


というのも氏の発言を活字媒体に限定してフォローしていけば、上記引用のごとき発言意図の憶測が成り立つはずがないからです。というか、氏が本当にそのような意図を持って発言したと、貴方は思っているのですか。それで「頭がぼけた」だの「一から出直すべき」だの「最悪」などと名指す、と。私は氏の発言意図に関してあなたとはまったく別の「推測」を持っていますが、いま開示する必要はない。当該案件について「書き手の責任」を「書き手」のひとりとして限定的に認めているのだろうとは私は思いますが、しかし不毛と思いませんか推測合戦は。ま、私は宮崎哲弥ではないから弁護しなくともよいのですが、この種の勝手な憶測(=当て推量)に基づく発言意図の断定ないし断罪を自らに向けられてはたまらない。小田嶋氏が困惑されたなら、何よりもその点に由来します。貴方の文脈と関心と問題意識から一方的に、他人の発言をその意図に至るまで読み込み超解釈されるのは構いませんが、それが印象操作を結果すると自覚されていますか。自覚したうえでの故意であれば最悪です。嫌味はそのためのツールですか。


以上です、そして、かかる要点列記の結果として私は自ら前記エントリの前半部分を引用しなければならなくなりました。

彼らは当然非政治的な議論自体の内容について、まさしくフェアに検討を行いますが、廉価再生版の模倣者は具体的な言説や議論の内容的妥当性をオープンかつ理知的に検討することなく、批判対象のアンフェア性、すなわち政治性のみを批判し揶揄し攻撃します。だからダブスタメソッドが機能するし、そしてそれこそがいわゆる「立ち位置批判」を生みます。

「ためにする批判」を繰り広げる人間というのは左右を問わずどこにでも分布するのだなと確認した次第です。

事実と論理と価値判断とそれらに基づく問題の分節化という議論展開における階梯を一切省みないで根拠もなく、対象の人間性のみを前提とした断罪をもってなされる批判を、ためにする批判と呼びます。批判対象を全称命題化して動機批判という議論内容以前の前提にのみ依拠しない限りは成立し得ない批判です。つまり必然的に議論自体がネグレクトされ批判対象はどこにも存在しなくなりDisはただ空を切る。


NakanishiBさんが左翼と自己規定する人だから、とかまったく思いません。ただ、いわゆる「ネットウヨ」を批判しながらも上記のような発言と振る舞いを無自覚にされてしまう方というのはやはりいるのだな、とは思います。NakanishiBさんの問題意識と文脈について、私はおそらく承知しています。しかし貴方の問題意識と文脈に同意しないもしくはそれを優先しない人間もいるのです。そういった相手に対して「性根を問う」かのごとく嫌味を言っても、対話は決して成立しないのです、残念ながら。礼儀正しく率直に問う、それに尽きると私は個人的には思います。以前もこんな言辞をある方に用いましたが。


Apemanさん。Apemanさんに対して含むところはまったくないことを明記しますが、これは私には質問する権利があることと思うので伺います。NakanishiBさんに対してどう思うのかということではなく、ケーススタディの話としてです。御自身のブログのコメント欄において、常連と言っていいコメンテーターの方が特定他者に対して妥当性を欠く発言をされた際、Apemanさんはどのような対応指針を立てておられるのですか。11月7日の時点における私の説明不足な当該エントリに対して、NakanishiBさんのような観測や判断をする人がいるのは仕方ない。それはわかりますし明白な私の落ち度です。そうではなく、不快感の表明を前提とした文意不明瞭な、批判対象者が名誉回復を意図して求める文意開示にすら応じない(発言者も認める)嫌味をWeb上の特定他者に向けて発する方の書き込みに対して、管理人としていかなる対応指針を立てておられるのでしょうか、ということです。Apemanさんは上記のような振る舞いに対して厳格な方と思うので、伺った次第です。


最後にひとつだけくだらない冗談を言います。「小田嶋メソッド」の学習はブロゴスフィアにおいては必須也。小田嶋さん、有難う。