期待しております大将


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061101-00000041-mailo-l13

1971〜72年にかけて、集団リンチ殺人や「あさま山荘」事件を引き起こした「連合赤軍」を描く映画が製作される。「水のないプール」などで知られる若松孝二監督がメガホンをとり、女優の坂井真紀さんも出演する。

裕也さん主演の『水のないプール』にヤラれた者として若松監督を敬愛してもいるし、左翼抗争&非道犯罪&人質籠城戦各々に関する年期の入った鑑賞家として好事家的な興味から警察側連赤側双方の当事者によるルポルタージュ始め数多の評論や記録実録をかつて読み漁りもしたとはいえ、事件自体や背景にある政治性へのシリアスな定見をこれといって持ち合わせているわけでない私だから、さくらちゃんを救う会への募金さえもネグった吝嗇な銭ゲバのエゴイストゆえ、申し訳ないですが製作資金へのカンパはパスですけれども公開を楽しみにして気長に待っております、と本音を記す以外のコメントはないわけです、が。


坂井真紀は悪くない女優だけれどもひょっとして永田洋子役なのだろうか。いや美醜のことは申しませんが、反射的に私の脳裏に聞こえた怒鳴り声は、

永田洋子青木さやかに決まってるだろ!

というものでありました。いやたとえば永田洋子は小柄な人だったが、私ですらもかかる通俗なイメージを彼女に対して抱いているのだな、と。かかる事柄に代表される諸々を転倒させるためにこそ監督は映画を撮ろうとしているのでしょう、きっと。物は出さずに心で応援します。石田衣良が思いきり勘違いした、その種の主体的なコミットメントを拒否する意志的な人々は、投票率の萎え具合によって明白に証されているように、現代の日本には一定して多く存在する。


あえて物を出さない(=主体的な行動に反映させない)ことによって現在進行形の事態を把握しようと(=見極めを付けようと)意志する「無関係な第三者であろうと意識して黙視する観測者」が事象の基底部において大量にプールされている状況こそが、高度消費社会&情報社会からのデタッチメント――というよりも消極的退却ゆえの健全性を担保する安全装置として、任意の運動やムーブメントに対してもまた、物(=賭金)に付随して過剰流動する心(=価値観)の不安定性をトータルにおいてバランスします。行動とコミットメントは、多く曇りなき眼(まなこ)に影を差し入れる。微少でも金銭や立場やプライドの損得勘定が絡めばなおのこと。


行動者たる若松監督の信条はそれを認めないだろうけれども、膨大な数の無責任な傍観者(≒認識者)の存在こそが、行動者による動乱なき平時の安定社会においては最良のバランサーとして機能する。あるいは行動者の動乱に基づく準有事においてさえも、また。もっとも「平時の安定社会」という偽りの虚妄こそを唾棄し撃つために、自宅を担保にして制作費を捻出しあまつさえそのことを公表してまで、古希を迎えた監督はなお映画を撮り続けるのだろう。J・カサヴェテスが無銭映画人の父として示した気高き酔っ払いの剛毅なインディーズ魂を、人生の下戸にして傍観者たる私は無条件で尊敬する。よい仕事を。


ここまで書いて私は、あ、と気が付く。坂井真紀は、あさま山荘で人質となった、牟田泰子さんの役なのだろう――きっと。うっかり。その配役もまたよし。ビートたけし大久保清や(緒形拳ではなく)役所広司の西口彰に匹敵するくらい永田洋子を真正に演り切ったら、犯罪実録ドラマ鑑賞家として私は一生尊敬しただろうけれども、坂井真紀。