さて、と(月を見上げる)


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世界史履修漏れ。どこの公立高校か忘れたが、講堂で行われた全校生徒への説明会で、壇上に立つ校長に向かって「先生方には僕達のニーズを汲んで頂きたい」などと抜かす(素晴らしいタックスペイヤー精神。進学校民度が高い。リバタリアニズムが根付いている)生徒と、あまつさえその発言に満場の拍手喝采を送る3年生諸君をTVで見て、なめとんのかこのガキ共は、と正しき反動精神を発動させそうになるも、ふと、高校3年のとき1日たりとも出席しなかったのに卒業証書を頂いた我が身を思い出し、苦笑してオチ。私立の有名進学校でした。公立だったら中退でしょう。むろんまったき善意と適切な世間体に基づく学校側の措置でしたが、条件は高額な学費の全納。同様の措置を受けた「卒業生」当時でも多数、でしたな。


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ことほどさように「公正としての正義」の実現に至る実践は、超身近な次元でそして我が身を省みて既に難しい。罪なき者のみ石もて投げよ、イエスの言葉は含蓄に富んでいるけれども、現在の観点からいくつか言葉と文脈を追加したい。罪なき者などいないのだから、しかしそれでも罪の異同と軽重は存在するのだから、己の罪を曇りなき眼(まなこ)で見定めたうえで、胸を張って、石を投げよ。批判や指弾という正義の暴力は公正性こそをその生命線とし、恣意性こそがその致命傷となる。己の罪が眼を曇らせ、石礫の方向が精確を欠く、それが何よりまずい。


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運動組織が構造的に抱え込む内部の弊害を対外的に捨象して、理念的な要諦をカメラに語る態度が、対外的にどう映るか。理念要諦の、その紛れもなく尊い価値すら貶めるものかも知れない。人間の尊厳は、公正と平等のもとでこそ勝ち取り得る。そんな、近代社会の原理を運動の根底に置く団体が、近代的な運営がなされていないと知られたとき、事情に不案内な人はどう思うか。言うまでもなく、私は近代社会の原理に原理として断固合意する。


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それと。教育者が死んで責任取っちゃ駄目だろ。泣いても笑っても首括っても生徒は年明けて受験迎えるんだよ。人生の常在戦場たるShow Must Go Onの『赤い靴』まがいの舞踏地獄を、骨の髄まで味わっているのがイマドキのコドモなんだよ。足首ごと靴切り離して舞台から降りたら一生不具で墓の下と喧伝されて、狭い狭い世界で脅迫され続けてるんだよ。踊り続ける処世の伝授こそが笛吹き牧童の最たる役目だろうが。最悪の形で舞台を降りちまうのは、羊飼いの敗北だ。阿呆だろうと無様だろうと踊り続けろ。阿呆の無様な精一杯の舞踏こそが、迷える羊の心を打ったりするのだから。