東京景(マイミク某氏へ)


読んでいて泣きそうになったので、トラバ。私も小児喘息でした。


http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20061026/1161820068

私の子供のころの一番の大切な人たちは木々であり雑草だったような気がする。


木々や雑草に触れることなく現代の東京で育った私にとっても、ティーンの頃に寄り添っていた風景こそが何よりも換え難くて、90年代の街の風景の無関心だけが、ただ私を慰めた。私は傍観者でしかなかったし、所属に守られた無価値な少年を街も風景もまた傍観してくれた。私は無関心な風景に包まれるためだけに、札幌から神戸に至るまで街をさまよった。そしていろいろ埒もないことを考えた。家族と学校の人間関係に押し潰される気がしていた。人称を持たない風景こそが、私を癒した。


もう10年、今も私の内部の原風景は、あの少年の日の、一切から切断されつつも、実は家族や学校の機構に守られていた安楽な感覚と共にある。それは過酷な孤独でもまた心地よい孤独でもあったのかも知れない。私は孤独以外の風景の存在を、我が身に感じたことがない。あの少年の日に傍観し続けた日本の街の風景こそが、私を規定している。関係性の存在によってのみ形成される郷土愛というものを、私は意識してはもたない。私が吸い込んだ風景とは、私の孤独に反映された、現実とは異なる風景だから。


そして現在の私は、もはやそのような感受性をもたない。だいぶん見えなくなった眼球に映し出されるその風景は、何物も反映しないリテラルで無機的な風景でしかない。


人間でないものに包まれることによって、人間は心休まることができる。人称を持たない存在と向き合うことで、自分が貴方であり私であることから人はひとときだけでも離れることがある。それをひたすらに希求する人がいる。そして現在、いまだに私は現実の他者を風景として傍観する癖が抜けない。関係性が介在していようとも。森鴎外が『百物語』や『灰燼』で吐露し山本夏彦が自らを「自分の中の他人が自分さえも追い出してしまった」「無用の人」と記すに至った認識とは、こういうことかもしれないと思いながら私は両者を読み続けている。街は、いまだに私にとって自己に接触してくる他者ではない。


それはリテラルな風景で人は無機なる風景に回収される。風景とは人称性の存在しない人為である。世界は人称性をデオドラントした人為でしかない。それは人間性の剥奪で、人間性を自らの手で剥奪することによってのみ、人は人であることから安らいだ。人称を剥奪した残滓としてしか、現代の人間性は規定できない。それを「アウシュヴィッツの残りもの」と言い、終わった連中、と言う(「中身のない人間」と言うかは当該書に当たっていないのでわからない)。T・ベルンハルトが晩年唱え続けた「初めから終わりまで人工性の中でのみ生きる人工人間」とは、現代人の望んだ帰結であり不可逆なコメディである。


もしも読んでいるのなら某マイミクの方へ。上記をポストモダンな認識と呼ぶのかも知れない。私はポストモダニストと自認したことはないけれども、本来認識とは理論の操作によって招来されるものではない。当人の生き方の帰結としてしか認識は規定され得ず、机上の調整は世界観の土台の上に構築される。土台としての世界観の招来は、個人のリライトし得ない生と、それへの意識的な再規定という弁証を一切とする。いかなる知識人といえども。


状況論を述べるのであれば、日本という歴史的に規定された場所の、是非取り混ぜた独自性は勘定するべきと考える。西欧において西欧的知識人であることと、日本において西欧的知識人であろうとすることは、少なくとも人文領域においては現実的にまったく異なる。それは丸山も三島も吉本も江藤も福田恒存もそして浅田彰も直面した課題です。私はあまり贔屓しないが、小熊英二の『民主と愛国』とは、その側面を通覧し再構成した書物でもあった。仏文研究者だった現代日本の代表的保守論客が指摘した通り「その側面」とは戦後の正統保守知識人にとっては常識の範疇でしたよ。知識以前の屈折した体験として。


10年前『日本・近代・美術』において椹木野衣は、西欧的枠組がはなはだ不完全かつ奇形的にしか構成されずそれもまた常に瓦解する戦後日本の「悪い場所」性を論じましたが、維新以後の戦前期におけるそれを、高階秀爾は30年以上も前に名著『日本近代美術史論』で解き明かしています。美術においてすら、です。すなわち、戦後は戦前の緩慢な再演劇でしかない。戦前の緩慢な再演を背景とする、『ダンス・ダンス・ダンス』に描かれたような高度資本主義における非人称の消費社会化と、その延長にあるITインフラ化の挙句の精華として、現代日本の奇形的なポストモダンがある。それを「白痴の楽園」と呼ぶかはその人次第。ハイモダニズムの思想的変形としてあるポストモダニズムではなく、モダニズムをスキップしてのポストモダン。日本の特異な風土的独自性とは、そういうことです。故人いわく1度目は悲劇2度目は茶番。


理論の話は別に私がすることじゃない。ただ、ポストモダンな認識もまた、ポストモダニズムといった理念から招来されるものではなく、個々人の体験的な生から、人生観=世界観として導き出されるものだ、ということだけは、書いておきたかった。個々の生の果てに認識がありその記号的なパブリクションとして思想がある。理念や思想とは認識の記号的なパブリクションです。ブッシュ的なキリから日本におけるfinalvent氏的なピンに至るまで「保守」の強靭さがどこに由来するか、そのことは視野に入れるべきじゃねえか、と。批判ではないですが。人生という単一のセルを一括捨象する人文理論はよほど先鋭的でない限り私は好きじゃない。人間性の掲揚を前提とした、古典的な近代主義をもって現代日本を批判することは、原理的に正しかろうと状況的には蟷螂の斧に等しい行為と、個人的には思う。


個人的な孤独が個人的な孤独に表層的な水準でのみ感応する、孤独の質は違えども、幾らでもあることなのだろう。私も昔、彼や彼女の個人的孤独に感応していたのだろう。質と差異を問わずに表層的に。そこに悲しい滑稽が生まれる。孤独を知るということは、結局自分の孤独を知ることでしかない。知ったつもりになっているのが、他人の孤独である。表層的な感応だけが、Web2.0に拡散し行き場もなく漂流する。孤独の象の墓場は電脳空間のどこにあるのか。