馬鹿と誠実


私が愛読している(マイミクの方ではない)mixi日記の大学生世代の方達の何人かが熱狂的な坂口安吾リスペクトで、彼らは安吾のシビれる名台詞の数々を座右の銘とされたびたび日記に引用しておられる。mixi安吾コミュには名言集のトピックもあった。もちろん安吾はチャーミングで私も好きで、そのコミュの人たちに対してどうこうとかでは全然ないのだが、ちょっと思った。


安吾の言葉ってすべてが徹底した逆説なのだけれども。それはあの時代固有の文脈に規定されていて。それは文脈というより空気や雰囲気のようなもので、それを安吾や太宰や織田作は増幅された肺活量で胸いっぱいに吸い込んでいて、石川淳だけは肺が弱くて吸入器を使い続けていたから長生きして文豪になった。


時代の文脈に抜きがたく規定された太宰や安吾の言葉の逆説性を見ないままに名台詞だけをリテラルに受け取り、あまつさえ現代の世相に無闇に適用するのはまずいんじゃないか、とちと思う。状況は焼け野原で、廃墟の中で私達はヤケクソに生きるしかないのかも知れない。その認識は正しいけれど、安吾の見た焼け野原と安吾のさまよった廃墟と安吾の吐いたヤケクソは、私達のそれとは舞台が違う。


安吾が己の吐く言葉に故意に別の意味を込めていたということではない。安吾リテラルに明快な啖呵を本心から切った。ただそれは安吾の認識に規定されていて、そして認識と言葉が常に乖離し背反せざるを得ない時代こそが逆説を生んだ。それが第一次戦後文学派から戦中派に至る世代の言葉の実質だ。三島由紀夫吉本隆明大岡昇平山田風太郎は飽食の後生になろうとその位相に立ち続けた。そしてその他大勢の時代の同胞たる文学者達。時代とは戦争であり焼け跡の廃墟であり嘘八百の再生だった。


認識と言葉が乖離し背反するプログラムを生きた男達は、認識と言葉が等号で結ばれると盲信された学生運動の時代において、ある者は馬鹿誠実にも故意に逆説を吐き続け予告された敗北を遂げ、ある者は言葉を認識に一致させようと馬鹿誠実に孤軍奮闘を続けたあげく玉砕したが本人は勝利と一時だけ信じた。それは三島と吉本の対だった。しかるに彼らはひたすら愚かなまでに誠実だった。だからこそ嘘を吐き皮肉を言い続けた。


逆説を吐かざるを得ないことの誠実に対して無感覚だったのは、彼らの屍の後に続いた「戦争を知らない子供たち」の世代だった。認識と言葉が一致すると信じた者達。是非の話ではない。不可逆な状況の推移を述べている。


認識と言葉の不一致、それは近代以降の知的日本人が自問し続けた桎梏だった。戦後のアメリカニズムがそれもまた溶解させた。我々は日本人の顔をして白人のつもりでいる、と故人は呟き続けたが耳を貸すものは反動と呼ばれた。


言葉が認識をリテラルに置換し得ないとき、リテラルに吐かれた啖呵とその認識の空隙には、ある絶望が挟まれている。その規定構造を意識化したのが三島由紀夫で、だから三島の逆説は逆接とわかる。空隙に挟まれた絶望を意識化しない者が馬鹿誠実に七転八倒してわかりやすく明快な言葉を本心から吐き続けたとき、その逆説は無闇にポジティブな力強さを持つ。


文脈から切断された無時間無空間でリテラルな名啖呵は、空隙の絶望を虚空とすることによって維持され半世紀後も漂流し続ける。まるで『桜の森の満開の下』の終幕にただ残された虚空のように。虚空の周囲をはなびらが舞う。それはこの世のどこにもない桜で、安吾が意識の舞台の空隙に押し込んだ、彼の虚空にひっそりと咲く満艦飾の桜である。


安吾の言葉は生き続ける。オーケイ最高。ただ岡崎京子の最愛の書が『青鬼の褌を洗う女』だったと聞くと、私はあの作も岡崎京子も大好きだけれども、しかし焼け跡で刹那にサバイバルするホリー・ゴライトリーはJLGと並置して掲示されるべきものではないとも思う。認識と言葉が一致してしまうことの悲しみと、そのことへの革命と反抗から始めたのが、ゴダールら大ヨーロッパの戦後世代のアンファンテリブル達なのだから。


要は現代の売春を安吾眼鏡で語ってくれるな、ということなのだが。両方に失礼だ。自らの空隙の虚空と忌避された絶望を自覚しない魂は、美しくも壊れやすい。