三丁目の夕日


2chの某まとめサイトのとあるエントリを呼んでいて、私もある恐怖の体験を思い出した。そう、アレは高校行かなくなり実家に籠ってた18の夏。根暗で情緒不安定な小僧のお約束で私は岩波文庫内田百輭など食卓で読みふけっていた。食器を片付けていた母がそれを横目で眺めて言う。



「アラ、内田ひゃくぶんなんて読んでるの」



心停止するかと思った。「輭」と「聞」って似てるだろ、ってそれはそうだが、我がママンは50年に及ぶこれまでの半生において一度も「うちだひゃっけん」という音声を入力されたことがなかったのか、と。全俺が泣いた。


そんなママンと離れて暮らす現在の私。団塊の世代はまったくよく働くな、と福祉に携わるママンを横目で眺めながら、懐かしき少年の日のひと夏の恐怖体験をリチャード・ドレイファスのごとき枯れ眼鏡と化した私は思い出すのであった。♪だーりんだーりんすたんばいみー♪


吉本隆明は正しいのかも知れない。