日本を代表する知性達の討議を聞いての2


最近、自分のチンコに綽名を付けて可愛がってやることに凝っている。それは私個人の現実においてはエマネグラ仕様となった廃兵への臨床的介護措置の一環でしかないのだが、実はこれには深い深い意義があって、ポケットの中の野生(by中沢新一)をペット化して調教し訓致することこそが、人間性への最大の安全保障なのですよ、はいもっと近寄って。


結局、チンコと公約数的人間性とは終始乖離するし、振り返るに公約数的人間性にチンコを訓致させることこそが近代社会の金科玉条の歩みでした。公約数とは通俗化された理念のことです。とはいえチンコに人間の本質があるなどと私は全然考えないが、チンコとは常に公約数を逸脱する素数的存在であることもまた事実。


素数を統合したとき枠組は変更を迫られる。理念においては代入されるべきであった素数を排除して通俗的な公約数を維持してきたのが我々の近代社会。それへの反発としてサドを切込隊長とする対抗機能としての意識的素数が続々推参する。はい法/侵犯の図式成立。


素数としてのチンコは狂気をも発動させる。狂気のチンコ的な枠組を枠組として公約数化して提示したのがフロイト先生。素数の代入は公約数の枠組を震撼させるが、気付けば公約数として提示された素数は表層に対する深層として分割統治されていた。かくて素数は無化され、枠組みの堅牢は健在。とはいえこれはラカン以前の話。


晩年のミシェル・フーコーが、文脈によって構成されないオブジェクト(物自体≠記号)としてのチンコの素数性を改めて顕在化させました。さてここで、素数たるチンコと公約数たるチンコの宿主が、いかに仲良く付き合うか、そのソリュージョンこそが現代人の最大の課題となる。


つまり、身体と精神が仲違いしてしまったとき、公約数に素数を回収させるオプションが自明に機能しないならば、記号と意味を一致させるセマンティックスではなく記号と意味の無関連な自律運動たるプラグマティックスの枠組/枠組無効の中でいかに逸脱と暴発の制御装置を設計し得るか、それが現代社会のハイパーミッションであり、そのファイナル・ソリュージョンとして、環境管理が各所で粛々と遂行される。そんな現在。


性犯罪やシリアルキラーの顕在化は、上記と深く関連している。カント/サド的な法と侵犯の図式などもはやとっくに無効。精神と身体が枠組を構成しなくなり、精神が身体のコントロールを失ったとき、すなわちチンコの宿主たる主体が解体しチンコの宿主がチンコに乗っ取られ全存在がチンコとなったとき、チンコの自律的運動を阻止するいかなる法もない。


内規の法たるカント的な主体性と真善美を、もはや我々は知りもしないし、その自明は存在しません。法がなければサド的な自覚的侵犯意識もまたない。下部構造たるチンコは上部を失い一切は並列され、弁証法も機能せず我々はただ単一のセルとして素数のまま公約されずにリアルにもイデアルにも暴力的な世界の渦中に放り出された。


そして「私」のチンコが他者を虐待し損壊している一方で、それと並置されている反省機能なき宿主の感情は他所様の凄惨な事件に涙する。反省的な主体というのは死にました。よって結論は、すべてチンコの自律的な意志の赴くがままに。それを快楽嗜好といい性的欲望と言います。多元社会は良いことばかりじゃない。


ハードゲイフーコーが提出した暫定的な希望の在処は、主体であることをやめた個々の宿主が、チンコをカント的に強制弾圧するのではなく、個別的にチンコと壮絶な試行錯誤の末和解して調和を見出し飼い馴らし訓致すること、すなわち仲良くなることによって、他者への無制限な暴力を禁欲する身体的自律=新規の主体が構成される、というものでした。


ここにおいて、主体性とは精神の自律でなく身体の自律に拠る。己のチンコと仲良く付き合う超個人的合意事項を困難の末個人単位、否、チンコ単位で見出すことこそが、安全な人生のナイスソリュージョンであり、もはや不可逆的にチンコへと還りゆく運命にあるわれらの人間性の最大の安全保障であり、生命線なのです。それこそが、更新された新規の主体倫理となるやも知れません。倫理とはカント以来常に超個人的です。


だから話は飛ぶようですが、本田透に代表される萌え者二次元者の存在とそのリスキーな正論を軽蔑したり否定したりする連中のフラワーな脳味噌が、私にはまったく理解できません。人間性の安全保障という概念とその切実さのわからない輩は、「抜くと優しくなれる」という2chの名言をわかりもしない者は、極度に暴力的かつ加虐的なチンコの宿主として、すなわち変態のひとりとして言わせてもらいますが氏んでください。チンコと常に仲良くしとかないと社会的に絞首台で決済されかねない人間の難儀が、おまえらにわかるかぁぁぁ(エコー)。


御粗末。私が日々自分のチンコに付けてきた100に及ぶ綽名の一部は御希望あれば今度公開。え、もちろんマジでやってますがそれが何か?