たったひとりの反乱

 かつて三島由紀夫の文壇における大プッシュを受けた野坂昭如が、18番のように繰り返し語る、三島自決当日のエピソード。


 週刊誌からのTELで事件を知る野坂。TVを付けると、市ヶ谷駐屯地総監室バルコニーから自衛隊員に決起を促す演説を絶叫している三島の、悲愴な生中継映像。飛び交う自衛隊員の野次。
 野坂はTVを付けたまま、高校時代からの先輩で、女タラシのチンピラ雑文屋だった自分を文壇に引き立ててくれた丸谷才一に電話を掛ける。


 電話に出た丸谷、事件を知らない。
 野坂「丸谷さん、いまTV見てますか」
 丸谷「なんだい、君が歌でも歌っているのかね(当時、時代の寵児だった野坂は歌手活動・笑・もしていた。「黒の舟唄」は名曲)」
 野坂「いいから付けてください。いますぐ」


 受話器を握ったまま、自宅のTVを付けた丸谷。しばしの沈黙の後。
 「じゃ、また後で」
 そして電話は切れる。


 三島と丸谷は同年生まれだった。丸谷は戦地にこそ赴かなかったが、徴兵されている。
 丸谷は三島の自決に関して、現在に至るまで直接的にはいかなる見解も表明していない。


 芥川賞を受賞した丸谷の中編に「年の残り」という作品がある。三島の自決の二年前、丸谷43歳のときの作品だ。名作「笹まくら」はすでに上辞されている。


 以下、作品の中身や重要な結末に触れます。注意。


 70歳を過ぎた、功成り名遂げた老医師と、同様に老年を迎え「名士」となった、青年時代からの彼の友人達をめぐる、生と死の物語。
 要約の困難な、きわめて複雑な構成と構造と主題を有する、テクニカルでトリッキーな作品。


 すでに社会的な成功者となって久しい登場人物達は、しかし個人的には残り少ない自らの生の総括において、それぞれひどく苦い敗北と失望の思いを抱いている。
 主人公の老医師は、期待していた息子が愚劣な「駄目な人間」でしかなく、そのまま早世したことに、悲しみ以上に深い失望を抱いている。息子が「駄目な人間」であったことによって証された自らの生。


 和菓子屋の主人になった老医師の友人もまた、若き日の画家への夢を、老後醜悪な「妾」達の裸体をデッサンし続けることによって贖い、やがて猟銃自殺する。そして彼が残した膨大な裸婦デッサンを目にした老医師は、彼の並外れた才能と、しかし自身の挫折を疑わなかった友人の冷静な自己評価、そして彼の「断念」への甚だ屈折した深い悔恨に、その思いを馳せる。


 そして学者である老医師のもうひとりの友人は、若き日の不実によって、新妻を自殺に追いやったことを、数十年立った現在もなお、心底で悔いている。
 彼は、妻が死に際して遺書を残さなかったことを、ずっと気に病み続ける。
 そしてある疑念を、長年来の友人である主人公に向けている。


 彼の妻の遺体を最初に発見したのは若き日の医師だった。
 医師は遺体の傍らに遺書が落ちていることを発見する。
 夫への短い、しかし深い恨み言だった。
 医師は即座に遺書を懐に隠し、秘密裏に処分した後、友人を呼ぶ。
 その文面を目にしたのはただひとり、医師だけ。
 以来数十年「遺書は、なかった」。


 そして余生すくない老人となったふたりは、和菓子屋の友の死に関して、自殺をめぐる議論を交わす。
 僕は自殺を肯定しない、と老医師は言う。
 なぜ、と老学者に訊かれて、彼はつい本音を漏らす。今まで一度も言葉にしてこなかった本音を。


 「自分の意志で生まれてきた訳じゃないんだから、自分の意志で死ぬべきではない」と。
 自分の意志によらず死んでいくべきであると。


 そして、会話の最後に老学者は長年の友に、初めて面と向かって訊く。
 あのとき、遺書はあったのではないかと。
 老医師は否定する。
 君を悪く思ってはいない、僕のためにそうしてくれたのだろうから。僕はただ本当のところを……
 相手が言い終わる前に重ねて、老医師はきっぱりと否定する。表情も変えずに。
 君の奥さんの遺書はなかった、と。


 しばしの沈黙の後、詰問をやめる老学者。
 実質上、ここでこの小説は終わっている。


 私は最初、老医師は友人のためを思って、嘘を貫き通したのだと思った。
 だがあるとき気付いた。違った。彼は友人のために遺書を隠蔽したのではない。


 自らの死と引き換えに言葉と想いを親しい者に、あるいは誰かに対して投げ付け、その死を賭したメッセージによって、その者の残る一生を死者自身の記憶で塗り潰し、呪縛し続けること。
 生きる者の人生を死者が「死者の言葉」が支配すること。死にゆく者がそれを意図すること。
 友人の妻の、そんな「唾棄すべき目論見」を、老医師は断固として退け握り潰したのだ。貴様の思い通り、望み通りにいかせるか、と。
 貴様の「死を賭けた計略」は果たされない。俺が残る人生を賭けて、貴様の狙いを潰す、と。貴様の遺書は、俺ひとりが墓の中まで持っていく、と。
 それは友人への友情など関係ない。医師の苦い生への認識が選択した、誰にも知られぬ決断であり、態度表明だった。そして彼は、その生者と死者への「倫理的」態度を、自身の苦渋と失望の生の只中において、老いてなお貫き通し、孤独と沈黙の中、墓場までともにすることを、貫徹したのだ。


 (余談だが、笠井潔の「哲学者の密室」を読んでいたら、以上の認識がはっきりと提示されていて、笠井潔もあまりバカにできたものではない、と思った。「倫理的なニヒリスト」というのは、私は好きだ。たとえそれが「あまりに元全共闘的」であろうとも)


 三島の死は、この作品が発表された二年後だった。
 丸谷がいかなる感想を抱いたか、容喙する余地は、ない。あるいは、ある。


 その作品と作家性に関して、丸谷は「文壇のチャンピオン」であった三島をその死後、論難している。
 それは端的に言って、三島の世界は回路が閉じている、クローズドサーキットだ、というものだった。正論である。三島は「他者」のいない人であった。
 しかし現在、ほかならぬ「文壇の法皇」丸谷自身が、その回路を閉じ、クローズドサーキットと化してしまっている。
 文壇のチャンピオン「三島的なるもの」を、そしてその種の価値観が称揚される日本的風土を、その全人生を賭けて、一貫して批判してきた丸谷が、だ。それら「敵」どもと、生涯を貫いて壮絶な言論文化闘争を繰り広げ暗躍の果てに勝利し、ついに文壇のヘゲモニーを握ったかに見えた「えびす顔のきかん坊」が。


 「閉じられた美しい死の哲学」を否定し「開かれた豊饒な生の哲学」を孤立無援で説いてきた、丸谷才一その人が。


 王の座は、悲しい。そして王位簒奪の歴史は、繰り返す。福田和也を筆頭とした「法皇」丸谷批判は、いまや廠蕨を極めている。そしてそれは当然、故なきものではない。
 丸谷才一は、今年81歳。小説を愛し軍人を憎んだ、山形の開業医の息子は、己の闊歩してきた虚しき道程について、いまいかなる感慨を覚えーーそして総括を行っているのであろうか。