曳かれ者達のレジスタンス

 保釈された堀江貴文は、拘置所の独居房で読書三昧だったとか。
 司馬遷の「史記」読んでたってのは、面白いなあ。ギボンやタキトゥスなんぞも読んでたりすると、まことによくできた話になるのだが。「三国志」ではなく。
 佐藤優のようにヘーゲルだの「太平記」だの読んで、回顧録を上辞してもらいたい。
 そういえば佐藤元分析官は「国家の罠」や「国家の自縄」といったお堅いタイトルでなく「諜報屋稼業」というホンを太田出版から出すと、ぐっとカジュアルになってファン層も広がって「情熱大陸」にも出られるんじゃないかと。もちろんタイトルはクソゲーハンター阿部広樹の「企画屋稼業」から拝借。いや、ストイックで生真面目な人なのは知ってるが。


 どうでもよいが前社長には武田泰淳の名著「司馬遷」もお勧めしたい。あまりにも有名な巻頭。
 「司馬遷は生き恥さらした男である」生き恥って宮刑の事ですが。彼もいまや宦官なので。
 

 堀江が「本を読まない」と公言したり、絵に書いたような「無教養」で「文化貧民」な発言や振る舞いを繰り返すことで、救われた気になった人間は多いと思う。
 島田雅彦が絶頂時の堀江に投げた「あんな貧しい男が」という台詞のように。
 トリッキーな作風の純文学作家というのは、大学で教鞭でも取らなきゃ食っていけないくらいのモンですが、しかしむろんのこと、心底から高貴な島田は負け惜しみで言ったわけでは毛頭ない。で、別にそれは堀江逮捕後の経団連の皆様のように「額に汗して」だの「心の教育」だのという寝言でもない。


 当該インタビューで島田は、文化資本の重要性、文化貴族の優越性特権性、文化水準によるインビジブルな階級的差別の推奨を繰り返しアジっている。「無教養」な「文化貧民」を軽蔑しろ、と。
 いや、こちらのほうがよほど寝言かもしれないが。まあ曳かれ者の小唄なんです。


 島田が言ってるのは要するに、現在各所で様々な「知識人」が呼号している「経済性・生産性に価値基準を置かない生き方」で、つまり「贅沢な暇」ということだ。だから「ロハス」だの「スローライフ」だの「清貧」だのといった「貧乏臭い暇」に島田は、与しない。あれも一種の経済性重視である。「蕩尽」こそが「贅沢な暇」の必須命題なのだ。


 ついでに言えば、かつて浅羽通明が自著のタイトルにも乱発しアジテートした「教養の復権」とは「社会で生き抜くための実践的教養」の謂いであり、島田的な「蕩尽」とは逆のベクトルにあり、そもそもが師の呉智英にちなんだ「儒教的発想」すなわち「世俗を生きる智慧」の別名なのである。
 そこには全共闘活動家であった呉智英伝来の「知識人と大衆(むろん元祖は吉本隆明)」という問題設定があり、しかしその「知識人と大衆」をともに包摂する「社会」全体の存在を呉も浅羽も断固肯定する。
 宮台真司的な「超越」志向を彼らは認めない。「怪力乱心を語らず」と。


 それゆえにこそ「儒教的」な「世俗を生きる智慧」なのであり「世俗」を彼らは否定しない。「インテリを鍛える抑圧装置」として肯定し、「脆弱なインテリ」に「向き合え!」と号令をかける。もちろん理念型としての図式的構図ではあるが。
 しかしだからこそ、オウム事件において浅羽は小林よしのりと共闘し「世俗」の側に断固として立ったのである。


 まあ当たり前なんですが、そ−ゆー立場はかつての一高生的な「差異を生きるエリート」的価値観の主には不人気だし、よってそれは小林も呉も同様だが「世俗的」価値観にまみれて「世俗」を生きるしかない、もっと言えば虫観的に生きる、宮台言うところの「亜インテリ」達のための「思想・価値観ツール」となってしまう。


 だから俗に言われる「宝島30」的な「サブカル保守」の問題って、これは大月隆寛も含むけれど、別に「ウヨ」に必要とされたのではなくて、「世俗」に違和感を感じてしまうけれども、でも結局は自分が生きる「世俗」を肯定してほしいと願う人達に、必要とされたんだろう。
 たとえば「世俗」というものを絶対的な前提としなければ「世俗」に対して斜に構えた視線を向けたり「世俗」を撃ったりすることはできない。
 「敵」が確実に存在していてくれなければ「敵」を撃ち、あるいは嘲笑する自分もまた、安心して存在することはできない。
 「敵」を前提として初めて存在し得る自らの「政治的」立場。それははっきり言えば「敵」に依存する態度でしかないし、結局は「敵」の安泰を信じているのである。


 そして「サブカル保守」とそのユーザー達の「敵」とは「戦後民主主義」であり「人権真理教」であり、そして何よりも「市民社会」であった。
 93〜94年当時、それらの「敵」はまだ安泰だった。小林の「ゴー宣」は「SPA!」というアナーキーな価値紊乱を気取るナンパ雑誌で「世の中の通念を撃つ」ことができた。


 しかし悲しいかな、95年にオウム事件が勃発したとき、彼らは彼らが撃ち批判してきた「市民社会」の側に立ち、徹底して論陣を張ったのだ。もはや彼らが「安泰」を信じていた「公共圏としての市民社会」など、どこにもなかった。それどころか「大衆」によって支えられる「世俗」すらも、その基盤が怪しくなっていた。ブルセラ援助交際宮台真司らの台頭である。
 小林は価値紊乱雑誌を出て、大小学館の反動雑誌で、もともと体質的にそうだったのだろうが、露骨にマッチョな「頑固オヤジ」を演じ始める。


 そして彼らは、気が付けば時代遅れの「反動」となる、否、あえて「反動」として振舞い続けるしかなくなるのだ。「リベラルな知性」に支えられていたはずの「市民社会」が瓦解したいま「世俗的感性」はもはや、守るべき最後の砦であり「負け組」「弱者」達が乗り込むべき最後の「価値観の箱舟」であったから。しかしそれは泥舟だった。


 そして10年、もはや彼らが撃つべき「戦後民主主義」だの「人権真理教」だの「市民社会」だのはどこにもない。そして彼らが「知識人」としてあえて肯定し擁護すべき「大衆の現像」的な「世俗的感性」もまた摩滅し変質していた。
 「民主主義」が「人権」がお題目に過ぎないという認識が万民に等しく共有されたとき、呉智英が唱え続けた念仏がついに達成されたとき、はたして何が起こったか。
 誰も「理念」など描かない、身もフタもない殺伐とした即物的社会の到来である。
 ネオコン野郎が世界を埋め尽くし、そのネオコン野郎が「額に汗して」などと抜かす時代である。
 そもそも「敵」である「市民社会」へのカウンターとして用意されていた「世俗的感性」もまた、「敵」が崩壊すれば、所詮「世俗」には混じり得ない異物たる彼らにとって無用の長物である。


 「敵」の崩壊と喪失。後に残るは殺伐たるプラグマティズム功利主義と生産性・経済性重視の世の中。そしてそこに混じり得ない、あるいはこぼれ落ちた「負け組」としての「曳かれ者」達が、空洞化した「世俗」を「共同体」を「自分を外的に規定してくれる住処」を=すなわち「やすらぎの家」を取り戻そうと希求するのは、これまた当然の帰結である。
 そして彼らは三島由紀夫北一輝野村秋介も知ることなく彼らの著作も紐解くことなく「ウヨ」となる。自己の物質的・精神的利益確保のために。


 そして彼らの沸騰するニーズに応えるべき「サブカル保守」達は……
 もはや現状に失望し、意欲を失っていた。
 呉智英は「過去の人」になりかけている。最新時評集(といっても2003年刊行)「犬儒派だもの」において、もはやかつての戦闘的姿勢は消え失せ、お気楽なエッセイ中心となっている。「丸くなった」とは盟友夏目房之介の弁である。
 浅羽はアカデミックな方向に「転回」した。
 大月は昨日までに述べてきた通り。
 もはや戦闘的にアクチュアルなイデオローグの役目を任じ続けているのは小林だけだが、しかし彼の度重なる直観的「転回」のフレームは、共同体志向の枠を出ることはない。


 深く考察する余裕はないが、私は田中宏の「莫逆家族」というマンガを、思い出す。
 あの偉大なる金字塔が生れ落ちたのには、やはり時代的必然が絡んでいたのだ。


 ここで話は島田雅彦に戻る。


 島田は中流家庭の出身であり、別に現在に至るまでブルジョワではなく、本人もそのことを公言している。顔が貴族的なだけで。
 そして、島田的な価値観において決定的に重要なのが、この「顔」なのである。


 ここで澁澤龍彦を挙げて意味があるのかわからんが、彼も山ノ手中流の出であり、戦後は貧乏で苦労したりもしている。服も飯も遊びも切り詰めて(というか興味なく)洋書をせっせと買い漁っていたとは、種村季弘の弁である。
 で、その結果としてのアノ「顔」こそが「精神の貴族」という自認を証すのである。


 余談だが、芥川龍之介もまたアノ「顔」で誤解を受けがちだが、元来は下町の小僧である。彼は膨大な観念と教養によって裏打ちされた「精神性」「貴族性」と下世話な直接性・身体性としてのアルカディアである「下町性」「庶民性」に引き裂かれた、そしてその結果としてのあの死だ、というのが吉本隆明の芥川論の要諦である。
 要するに「一級の知識人であること」と「大衆としての原風景」の間に彼は引き裂かれた、と。
 しかしそれはのちに柄谷行人によって、下町育ちの吉本の偏向的解釈だ、と批判されたが。


 島田や澁澤に戻るが、ここで言う「顔」とは別に造形的美醜の問題ではない。その恩恵を両者とも大いに受けてるが(ちなみに澁澤は結構ヤブニラミ的な細目だが)、問題はそこにはない。
 つまり「高貴さ」や「貴族性」とは学歴や出自や経済状況や家族構成などにおいて証されるものではなく、つまりブルデューの「ディスタンクシオン」的な議論とは位相がズレていて(まあ当たり前で、社会的階級差と文化的嗜好の水準との対応関係、というヨーロッパ的な議論は、それこそ「一億総中流」を通過した「戦後民主主義国家」日本では、原則として成立しない。そもそも文化のクラスが厳格に分別されていない。公立美術館が大規模な奈良美智展を開催し、首相が「ニュー・シネマ・パラダイス」を好きと公言する。良し悪しはともかく、ヨーロッパではありえないことである。それこそ福田和也浅田彰の愚痴のように「政財界人が司馬遼太郎愛読してやがる」とか「最高裁の裁判官が適格審査で愛読書に塩野七生って挙げやがる」とか、佐藤優が言ってたが、外務省の若手キャリア達が「国家の品格」読んで「やっぱりこれからの外交は武士道だ」と呼号してるとか。最後の話聞いて私は血の気が引いたが。国際連盟脱退時の松岡洋右か)、決して物理的に算定できない、しかし「物体」として厳然とそこにある「顔」の、言ってみればベンヤミン的な「アウラ」によって証される、というまことに禅的で東洋的な、言ってみれば「道」だの(島田は実際にこの言葉を使っているが)「徳」だのの話になる。
 さらに島田は端的に「教養のない奴がモテなくなればいい」と、若きゴダールアンナ・カリーナに施した「感情教育」の例まで挙げて言い切る。たしかにゴダールは身体頑健だったといえ、若い頃からハゲでヒゲ濃くてド近眼だったが。


 つまり島田が何を言いたいかというと、経済的に換算されることのない「教養」と「文化資本」に対して「いい顔」「モテる」という数値に生産性に還元されない「ステータス」を、いまさら与え直しているのである。で、それが「徳」であり「人品骨柄」であると。
 去年話題となった島田の中原昌也へのイヤミ(ちなみに私は、アレはホントに激励のつもりだったんじゃないかと思う。ただ島田の人間性が根っから悪いだけで)から引用すれば、あなたの日々の「脳内への貯蓄」は、いかなる経済利潤も生みませんが、あなたの「顔」に「アウラ」として顧現するのです!と。ほとんどオカルトだが。中原の顔に顧現してるのか。


 真面目に話せば、普通「ステータス」というのは、物質的な受益を伴うし、そもそも物質的な条件によって規定される。「富裕層」じゃないが。
 島田が「仮想的」としてるのは、それこそ堀江貴文に代表される、社会的な階層構造が物質的条件のみに規定されると信じて疑わないような、底の浅い「貧しい」「遅れてきたバブル野郎」達なのである。
 で、それは現実と化してるからこそ、島田は「脳内への貯蓄」の尊さを解くのだ。その受益は「いい顔」「モテる」だと島田は仮構する。「モテる」蓋然性など、もはや堀江がそうであったように、物質的条件に大部分規定されている、というシビアでリアリスティックな見解も採り得る。
 だからこそ島田は、最終的に「徳」と言う。
 「ステータス」という「王位」を、物質的条件から簒奪すること。


 つまりね、これは物質的条件に規定され有用性一辺倒に埋め尽くされる世界に対する、非有用性の価値の復権、つまるところ「精神」の復権という、まことにヨーロッパ的な認識への転換を迫るオルタナティブなわけ。
 で、これは「世俗」はむろんのこと「社会」も「世界」も否定するところまで行っている、というか、存在しないことにしている。「精神」にのみ拠る、これをラディカルに極限化すれば、論理的にそこに帰結します。好きなので度々引用しますが「豊饒の海」のごとくね。つまり「外部」の「物質的条件によって運動する世界」を、認めないことにしている。
 「リアリスティックな思考」はもはや、ネオコン的なシニカルな結論しか導かないと、山形浩生など見ててもわかるのだ。


 で、こーゆー態度を、審美主義という。
 有用性のない、というか有用性を否定した価値観など、勝ち組だの負け組みだのと右往左往する生存競争的な「リアルな現実」という観点から照射すれば、ただのお気楽な水槽的空想に過ぎない。そもそも「現実」と対応しないイデアだからである。
 これも当たり前で、島田お気に入りのニーチェを引けば、意図しての「反時代的」態度なのである。だから曳かれ者の小唄なのだ。


 さて、ここでようやく「サブカル保守」達の話と繋がるが、彼らは、自分達の言論活動はハナッから「曳かれ者の小唄」であるという認識を貫いていた。
 かつて宮台真司呉智英を「スタイリスト」と呼んだが、それは要するに敗北主義の謂いである。美しき敗北主義。というか、敗北することは大概美しいことなので。だから「戦争論」が売れ半世紀前の負け戦の評価をめぐっていまだに揉める。敗れた戦争はいつだって美しい戦争なのである。
 西部萬にしろ浅田彰にしろ、宮台が「スタイリスト」と誰かを名指すときは、それは「敗北主義者」の別名だ。美しき敗北主義。むろん宮台はせせら笑っているのだが、私はそーゆーの、案外好きである。


 小林を除けば、呉も浅羽も大月も、みな自身の敗北を、最初から現状認識として見据えていたし、それは今も変わらない。いわば彼らは、最初から負けていたのだ。
 それは別に才能や影響力の有無によるものではなく、構造的帰結としてそうなる。はっきり言えば、かつて浅羽が公言していたが、「知識人」が「日東駒専(=亜インテリ)」の肩を持ち続けるのは、様々な意味でキツいのである。
 彼ら「サブカル保守」はみな、自身を「知識人」であると、はっきり自己規定している。
 「併走」するのではない、「指導的立場」から「バカ」を「啓蒙」する、ということの無理が、多々噴出したのだろう。だからこそ彼らは小林という「起爆剤」を神輿として担ぎ徹底利用したのだ。
 小林は、現在に至るまで「知識人」という自意識がまったくない。だからこそ曳かれ者にも拗ね者にもならず「指導」だの「啓蒙」だのとゴーマンなことを考えず「日東駒専」な読者と「併走」することができる。
 この場合「併走」とは「一緒に考える」ということである。「知識人」にこれはできない。「オマエラに教えてやる」という立場しか取れないからだ。しかも彼ら「サブカル保守」は、本質的に「知」に跪く、古い体質の知識人だったのである。
 そして「真正知識人」という自意識を抱える彼らは、要請に応えて「知識人のパロディ」を演じ続けることに、やがて耐えられなくなっていく……


 さて、それでは「被指導的立場」にあった彼らのユーザーはどうかというと。
 一気に飛躍した話します。
 「サブカル保守」に、否、連中が先導したかに見えたオウム以前の思想的風潮(「浅薄で皮相的なシニシズムと、愚直で勤勉な教養主義ごっこ」と私は呼びたくなるが)に結果としてネグレクトされた彼ら「宝島30組」と、その自覚なき末裔達(典型的な例を挙げれば、北田暁大が指摘したような「ウヨ」としての「ネットシニシスト」達)「やすらぎの家」を求める曳かれ者の、もはや小唄ですらない叫びに、オマエラは醜悪で見苦しいとーー勝手に決め付けるがーーニーチェ的「敗北主義者」島田雅彦が「美しき曳かれ者」として提示した「対処療法」こそが、件の審美主義、もっと言えば審美的生活の実践なのである。


 結局「曳かれ者」達とは「インテリ」「文化貴族」であろうがなかろうが、物質的条件と有用性に、言い換えれば生産性と経済性に抑圧され追い詰められた連中なのである。その意味ではみな平等なプロレタリアート
 だからこそ島田のアジテートは「疎外」された者みなにとって意味を持つ。


 物質的条件に規定され有用性一辺倒に埋め尽くされた世界に対する、非有用性の価値の復権=精神の復権
 これはいわば、オルタナティブですらなくて、ロシア通の島田的にはきっと、革命の試行でさえある。それは「ステータス」という、まさしく非物質的なマクガフィンをめぐって繰り広げられる闘争。有用性から非有用性へと、王の座を簒奪せよ!


 だから島田は、堀江を「貧しい男」と言い切ったのである。
 そしてその堀江が「健全な資本主義」に粛清されようとも、有用性の王権はいまなお世界の覇権を握っている。「資本主義」が生き延びる限り、当たり前だが何も変わらない。「額に汗して」も有用性の論理です。
 そしてその「有用性の論理」への抵抗の拠点として、「精神」の38度線として「我々」という共同体志向を選択し、育んではならないと、島田は説き戒めている。
 レジスタンスはひとりで組織しテロらねばならない。「オレ」という単独者であれ、と。「自分の世界」を構築する、そのためにこそ「脳内への貯蓄」は必要なのだと。


 つまるところ、有用性の論理という「大義」に対する、レジスタンスとしての「美的生活」という、吉田健一的というと軟弱だが、そーゆー「筋金入りの軟派」としての「自己確立」こそが、もっとも過激な抵抗形態ではないかと。それはあるいは「自己退却」でもあるけれども「自己」がないよりはあったほうがよいだろうというのが、モダニストとしての私の立場。あとは「交通」あるのみ。
 有用性の戦時に対する「審美」というささやかでパーソナルな抵抗。美的レジスタンス。
 結局のところ、自身の固有性に、言い換えれば自らの「変な奴」振りに、自負を誇りを矜持を持て、ってことに尽きるんだけれどもね。


 人間の頭の中より高く飛べる鳥はいないだろう、とかつて寺山修司は言った。
 そのとーり!と、ホントは寝て暮らしたい私は思う。


 (一応大月というお題に、話は繋がったと思う。コメント置いていってくれた皆様、レスはじきします。トラックバックもリンクの張り方も、いまだによくわからないブログ音痴なのだが)