丸山真男と埴谷雄高

 1978年に行われた、長年の盟友、丸山真男埴谷雄高の対談。饒舌雄弁なふたり。


 丸山は武田泰淳野間宏や埴谷ら、戦後派の文学者達と、長い友誼を結んでいた。
 終戦後の超法規的非常事態における言論界のドサクサが招来した、領域横断的な異種交流。終戦直後に颯爽と新時代を画して登場した丸山や「戦後文学者」達は、激しい議論の応酬と「言わずともわかる」相互了解の中で「男の盃」を交し合う。


 爾来30年、還暦を過ぎ、もはや社会への思想的なコミットメントからも撤退した、隠居同然のふたりは「成熟し」「固まりつつある」日本社会の中で、かつての自分達のような、領域横断的な「知」の相互交流がなくなったことを憂い、嘆き合う。というよりも、達観する埴谷と、諦めきれない丸山との好対照が、興味深い。


 丸山はしきりに慨嘆する。たとえば、政治思想史を研究する社会科学者の自分に今の文学はわからない、忙しいせいもあるが「死霊」ぐらいしか読まない。むろん、作家達との交流も、30年来の仲間達以外とはない。その要石となっていた武田泰淳も死んだ。
 アカデミックな世界自体も同様だ、専門分化が徹底して進み、自分が専攻する思想史のようなディレッタント的な学問ですら、周辺的な他領域さえ追いきれず、専門分野においてすらも、日本中で日夜生産される膨大な量の論文に目を通すことはできない。いわんや世界においておや。
 結局、アカデミズムという「象牙の塔」においてさえも、みな自分の専門の研究以外フォローせず、しきれず、排他的に圧縮された高度な専門化の結果として、当該分野は専門家以外は誰も理解できないし、興味も持てなくなるのだ。
 かくして学問の「タコツボ化」は、誰が悪いわけでもない学問の正しい成熟の帰結として、加速度的に進行していく。


 そしてその「タコツボ化」は、日本の全領域に及ぶ。


 たとえば筋金入りの「文学者」である埴谷は、知的体力こそあれど、もはや社会科学書は丸山の著作くらいしか読まず、むろん数多ある学界誌の専門論文などに目を通すはずも興味もない。
 そして筋金入りの「文学」である埴谷作品のファン達は、マニアックな文学青年・文学フリークでしかなく、「死霊」を読み「わかる」こともその作者の特集を読むことも、彼らにとっては内面に耽溺する自閉的な「精神的マスターベーション」(丸山は実際にこの言葉を使っている)でしかなく、その「読書」はなんら彼ら自身の外部への「アクション」や「コネクト」に繋がる契機とは、ならない。
 実際、同対談は当時の「ユリイカ」の「埴谷雄高特集号」に掲載されたものだが、その誌上において丸山は「埴谷雄高特集なんて『ユリイカ』でやるのは結構なことだけれども(笑)」と、かなりキツく辛辣に釘を刺している。


 現在の視点から見れば愚直なまでに「ベタ」な近代主義者の丸山は、むろん「タコツボ化」なんて許しがたいのである。各々の利害的・思想信条的・価値的・趣味的コミュニティが「俺らは俺らで勝手にやるんでよろしく。邪魔しないで」と、各自のルールや幸福に自閉していってしまう光景は、最悪の共同体主義に見えただろう。同感。


 だから彼は言う。「ユリイカ」で埴谷特集をやってどうする。どうせ埴谷フリークしか読まない。
 本当は信者以外、埴谷のハの字も知らない人達、文学青年ではない、埴谷文学を実存的に必要としない、実社会でビジネスや政治や人間関係と日々格闘する、自立した社会人たちにこそ、今まで彼らの視界と世界の外にあった「死霊」を読んでもらいたい。
 そのコンタクトこそが、孤高の文学とアクティブな現実社会との、弁証法的なアクションを起動させる契機となる。
 本来社会的な文脈における「文学」の存在理由とはその一点にしかなく、現実と相を異にする価値体系を掲げて、現実と緊張関係を切り結ぶのでなければ「文学」の名には値しない。
 社会における位置的な文脈を忘却し、ブランショばりに「文学の自立」などとほざく、現実から退却した「文学フリーク」達が快楽=すなわちオナニーのために読む、そのためだけに存在する「文学」など、あるかぁ!


 ……丸山はそう言っているのである。
 「いっぱしの文学青年」だった彼は「死霊」と埴谷を愛するがゆえに、その作品が社会的な文脈によって受容されない状況に、そして埴谷が当時すでに絶滅寸前だった「文学フリーク」(なんせ「風の歌を聴け」の発表が翌年。いわば転換期における、戦後派文学的な「旧文学」の最後の残党ども)の象徴的な「神」に祀り上げられ、そのうえ本人が神棚でまんざらでもなさそうな様子に、苛立っていたのだ。
 はっきり言えば、丸山は言外に、30年来の友に告げているのだ。現実から退却し逃避してオナニーしてるのはお前だろ、と。そしてこの俺も御同族だ、と。


 丸山の言っていることは、あまりに「実学」的な「社会科学者的」裁断であり、それゆえきわめて古典的な、一歩間違えれば「社会に資する文学」という文学実用論へと堕してしまいかねないものであり(実際はむろん違う。作品の内的な切実性は、現実との緊張感を有した反映関係によってこそ保たれ得ると、彼は言っているのだ。つまり「文学に資する社会」。「死霊」は徹底して現実を排除し作者の観念によってのみ織り上げられ構築された、一方向的に内閉的な大作である。そこに「現実」や「社会」との対照関係的な相は、ない。それが作為か天然かは分別しがたい。そしてそれこそが「死霊」の特異性であり、中毒者を輩出した因なのだ。丸山も指摘しているが、当時の若者の「自意識過剰な内閉的気分」にピッタリだったのである)、そもそも「かつての文学青年」的に「文学」のアクティヴィティを78年においても信頼する、ロマンチックな絵空事に過ぎず、文学有用論に見せかけた、反語的な文学純粋趣味なのである。
 そもそも大昔から正典のごとく、現在に至るまでさんざん繰り返されてきた紋切型である。そしてその言い草が反動として機能しこそすれ、「文学」の歴史を前進させたことなど、かつてなかった。あえてする反動的な抑圧も、すべてが終わった現在においては必要だろうが。


 後年になってまで、丸山は「若き日の私が感銘を受けた文学」として、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」を挙げている。大長編。丸山は「日本ワーグナー協会」の会長も務めていた。
 超一流の切れ者社会科学者丸山は、こと美学的な趣味に関しては「戦前昭和のリベラルな良家の子弟」的に、まさしくスノッブディレッタント的な、素朴でナイーブな愛好家あるいは鑑賞家に過ぎなかったのだろうか。


 だから、さすがに、世間を知らぬこと丸山並みだったろうが、徹底的にすれっからしの「文学者」にしてメフィストフェレス的な認識魔のニヒリスト埴谷雄高は、「認識における悲観論者にして意志における楽観論者(サイードグラムシ)」の丸山に、とりつくしまもなく言い切る。おそらく隠遁者の悪魔的な笑みを浮かべて。


「(フリーク以外は)絶対読まないよ」


 その断言は、むろん正しい。というか1+1=2並みの当たり前な指摘である。
 だって「死霊」である。あれを「現実の社会で日々格闘する多忙で有用な人間」が読むと思うのは、超エリートインテリの非知というやつであり、錯誤である。
 そして何よりも、リベラルインテリの愚劣な文学趣味である。


 かくして「意志における楽観論者」丸山先生は、またも天を仰ぎ、日本における「非インテリ」どもの、砂をつかむような田吾作振りに慨嘆するのだった。孔子のように悲劇的に。


(翌日に続く。なお、この対談は「丸山真男対話録」の1978年を含む刊に収録されている。あるいは、最近マイナーな堅物出版社から刊行された「丸山真男」というムックに当該箇所を含む部分が妙録。このムックは、巻頭の小熊英二インタビューも興味深い。以上、書誌的情報。稀代の雄弁家丸山の、闊達なしゃべりを堪能あれ)