江藤淳の話

 
 以前にちょっと触れたので、江藤淳の「夏目漱石」読み返してたんだが、やはり苦しい。以前は感動したんだが。
 粗雑に整理すれば、小宮豊隆ら弟子達を中心として編纂され流布されてきた、訓学者的で道徳家的な国民作家「みんなの漱石」像から、たったひとりの孤独な個人、単独者としての「裸の」漱石の「心の闇」を摘出し、あくまでも「過激でダークネスな作家」としての「私(江藤淳)の漱石」像への、漱石読解・受容のパラダイム転換を喫した評論であり、むろんその価値は今なお消えるものではない。
 「心理主義的」な「文学的」漱石読解としては、現在に至るまで最高峰に屹立している。


 「江藤以前」的な作家解釈の貧困さを我々もまた、知っている。
 為政者の道徳と化した通俗儒教、かつてエセ儒者が世にあふれ、孔子本人のラディカリズムなど、ものの見事に脱臭無害化され、開祖以来の世俗肯定の哲学は、望み通り世俗に支配者によって重用され「改良」を重ね、儒教は「人民という家畜の管理プログラム」として最適化される。
 中国には孔子の霊廟があり、黄金の孔子像が祀られ拝跪されています。
 そもそも、あの魯迅が、毛沢東以来、共産党政府公認の「体制的文豪」扱いされてること自体が、まったくのブラックジョークなのだが。


 キリスト教もまったく同様の世俗道徳化をたどった。イエスが現代に再来したら、火あぶりにかけられるだろう、と書いたのはドストエフスキーの「大審問官」です。同時期にこの「家畜の道徳」「家畜の管理プログラム」を痛烈に撃ったのがニーチェ
 内面化された=すなわち「自己規律」「社会性」「常識」「倫理」として美しくインストールされた、その「管理的家畜化」から、自由な「人間」を取り戻せ!と。これが大戦後の実存主義にまで至る。


 小宮ら弟子達「エセ儒者」どもの「国民的共有財産」から「個人(江藤)にとっての『個人』としての漱石」を奪還したのが、当時弱冠22歳の江藤だった。


 脱線余談……実際、私が持ってる古い漱石全集の全解題は小宮の手によるが、「私の先生」の、まさしく「こころ」のごとき清く美しい話が延々と続き、批評性ゼロの、まことに大正教養主義的な与太と自慢が展開される。
 夏目房之介は祖父にまとわりつくこういう白樺派的空気が心底嫌だったのだろう。コイツラ「こころ」もそういうふうに読んだんだろうな。


 孔子同様、人のいい師のもとにほど、愚劣な弟子が「師を思って」集まる。自分が近寄ること自体「師」のためにならないなどとは、夢にも思わないらしい。そーゆーのを「転移」という。
 そして連中は、特に「師」の死後において、「師」に対する第三者的な解釈とその評価を、結果的にスポイルしてしまうのだ。悪意なく。
 「『師』に傷が付かぬよう」と「『弟子』という既得権益にしがみつく」は往々にして一致し、そのくせ彼らはそのことに気付かない。
 だって「師」に「転移」するくらいの「いい人達」ですから。だからバカラシ派的大正教養主義は、駄目なんである。
 愛と欲は、往々にしてごっちゃになる。昨今話題の、マンガ家や作家の遺族問題も、これと根は同じ。「何々に傷が付く」とは単に「俺に傷が付く」の謂いなのである。


 漱石の読解と解釈から「作家論」としての最低限の「批評性」を奪還し得たこと。
 弟子とその転移に代表される、抽象化された「国民作家」としての像を排除し、単独者的な「個人」「作家」としての、具象的な漱石像を、ただ作家に感情移入し、真空のような一切の虚無点において自己の内面と漱石の内面を照射し合うという「ナイーブ」で古典的な、しかし以前のイデアルで観念的な読解よりははるかに具象的な感情・心理主義的方法論によって、文壇という溶解的な場において確立させたこと。


 そんな小林秀雄直系の大時代なスタンスが、しかし「個人性」という「私的な場所」においてきわめてセンシャルに展開されたこと。
 それこそ、若き才人のデビュー作が、日本という「独特な場所」において転回を果たし得た「私性」と「公共性」という批評的な枠組みである。


 さらなる大きな枠組みに拡大させれば、同書こそ「理念の時代」「観念の時代」「ロゴスの時代」から、現在にまで至る「内面の時代」「こころの時代」「センシャルな時代」への転回をゆっくりと準備し確立し、やがて個々人にインプットしインストールした、結果的にはまさしくパラダイムシフトの、早すぎた予言の書であった。
 同書の刊行は55年。吉本隆明の活躍はそれ以降である。
 そして何よりも、そこに宣言されたのは過剰な心理と内面と感情と情緒を抱え込んだ、22歳の明晰なる早熟の才人、江藤淳の、生に対する実存的なマニフェストだったのだ。


 だから、大塚英志こそが、江藤淳の正統な後継者であるというのは、まぎれもなく正しい。
 この「心情的な内面の批評家」は、現代においてなお、誰よりも「私性と公共性」というテーマに真摯に取り組み、それゆえにこそ現在、過剰なまでに「内面性」を排撃し抑圧するという、まさしく「心情倒錯」的な転倒を演じているのである。


 もっとも、以後の江藤淳は「私性と公共性」を自己において徹底して峻別していく、つまり分裂させてしまう。
 ゆえに、徹底した「政治的人間」勝海舟の、その政治的生涯において決して語られず表出されず記録されなかった、残余としての「ある想い」に、しかし江藤はそれを描くことなく、ただ勝の政治的行動を綴る筆の、その行間に、決して綴られることのないひそやかな想いを、沈黙のうちにさまよわせるのだ。


 その位相において、もはや「私性と公共性」に接続点はない。
 それぞれはそれぞれの内に閉じこもり、「私」を公共的に証すことはできないし、行動の内に想いが宿ることもない。
 「私」「内面」は言語によって証したり、まして「伝える」ことなどできるはずがなく、その決定的な不可能性の前に、ただ「私」「内面」は絶対的な沈黙の中に眠り続ける。
 それはもはや、誰にも知り得ない「聖廟」としての「私」「内面」、あらゆるコネクトが切断された、無人称の世界の中の唯一的な単独性、否定神学的なディスコミュニケーションの「中心」としての「私」「内面」である。
 証し得ないものとしての「私」。


 そして「公共的」な行動は、それとは一切切断されており、単なる反復的な動作様式でしかなく、内部とはいかなる影響関係にもない。
 文壇を代表するパブリックな存在である自分の「中心」に、一切と切断された無人称の場所にいる「私」が在る。空疎な公共的存在である私の内部は「私」の叫びで満ちている。しかしその叫びは絶対的な沈黙の内にあって、決して外部には聞こえない。聞こえるはずもない……
 このような「演技と心理」「衣装と実存」「外見と感情」=「表層と深層」「意識と無意識」という二元論的認識、そして究極的に「『相対的な生』と『絶対としての生』」といった原理に到達した者にとって、ではどちらが彼の生を規定する有意味な価値を持ち得るのか?
 言うまでもない。


 江藤にとって「相対的なる外部」とは虚数的なものに過ぎなかった。
 しかし「絶対的なる内部」もまた、虚数的な「認識錯誤」だったら?
 それは三島由紀夫がたどった道程だ。
 そして、たぶんそのことを、江藤は知っていた。
 「絶対としての生」とは、死の別名に決まっている。


 そのデビュー作において、江藤には「私」しかなかった。しかしやがて彼は公共的な存在となり「内部」にも公共性がインストールされた、はずだった。
 30台後半から死に至るまで彼が書き続ける「漱石とその時代」は評伝というスタイルを採ることによって「公共的」な「外部」の視点を導入している。
 そこにおいて江藤は、唯一的な絶対性においてではなく、連環的で、あるいは永劫回帰的な相対性の中において漱石を位置付けようと苦闘している。「真空のような一切の虚無点」などどこにもないことを、彼は悟ったのだ。その筆致は執拗なほどである。江藤はこの仕事を、自分の使命と感じていたのだろう。
 「漱石とその時代」は、絶筆によって未完に終わった。


 結局のところ、「一族再会」も含めて、江藤の文芸評論はみな、徹底して「私」的だった。そこに社会的な文脈を散りばめはするが、すべては彼の実存に呼応し実存を照射していた。形式性などクスリにしたくともなかった。
 「成熟と喪失」について、これは評論じゃなくてエッセイじゃないか、とアメリカ人に突っ込まれたと、村上春樹は書いている。


 「絶対的な『私』という中心」を、その虚数製の認識まで含めて、江藤は信じていた。
 彼の認識の根底において「世界」は無だった。
 虚数的な存在にとって、彼の外部に広がる「世界」に「実数」があるなどという「認識」は、論理的な水準でも「認識錯誤」でしかない。
 「世界」もまた、虚数だ。ハイデッガー的に言えば「存在」が実数的だと信じられるオメデタイ奴だけが「世界」の実数性を謳い上げられる。
 そして、あらゆる回路は切断され「行為」は断念され、「存在」=文壇の頂点に立つ大批評家は、唯一的で絶対的な無人称の、名前すらない「沈黙」へと還る。「石見人森林太郎」のように。そして虚数的な、甘く悲しい眠りと夢に耽溺する。実数といつしか信じて……
 まさしく「豊饒の海」の本多繁邦だ。その結末も含めて。
 あの作品を読んでいない、と江藤はかつて言った。


 保坂和志のデビュー作に、江藤が激怒したことがあったらしい。
 日常性への、そして日常を規定し構成する(「自己」をも含めた)「存在」への、不信と諦念がたりない「絶望ぶりっこ」に過ぎない、と江藤は思ったのだろう。


 実際、保坂は日常や「自己」など信じているわけがないのだが、「存在」はそれこそ唯物論的に信じているだろう。「存在」への実数的な信頼の上に、あの数々の作品は物質的に構築されている。
 ちなみに彼は「記憶」や「心理」や「感覚」や「内面」といったセンシャルなものから、もっとも縁が遠く拒絶的な、言い換えれば懐疑的で批評的な作家である。批評性は、懐疑や不信のもとでしか生まれない。
 科学的認知論に入れ込んでいる保坂は「存在」の実数性しか、あるいはその実数性を追求することしか、信じてはいない。
 彼の小説入門本は、「感覚」を懐疑しろ、「感覚」を組み換えろ、「存在」そのものの直接性に驚け、とだけ言っている。つまり唯物論
 保坂の小説は、唯物論的認識者の、やや倒錯した反小説的小説なのである。
 しかしアイロニーがマジで受け取られ、逆説が順接へと転倒するのが今の世。悪意に満ちた反小説が、小津映画のような日常肯定小説として読まれる。
 保坂は「日常」も「小説」も、すこしも肯定していない。かつて蓮實重彦が喝破した通り、小津も御同様、反映画的な映画作家なのである。


 ……この世のすべては虚数だ、「存在」の実数性を信じることすらオプティミズムに過ぎない、貫徹された不可能性にこそ跪け。「希望」とは実数か?
 そう「右翼的」な「情念家」「ロマン主義者」「荒野で内面の叫びを聞く者」に断罪されてしまったら「左翼的」な「唯物論者」は立つ瀬がない。
 彼らは言語すら信じないのだから。表象可能なもの一切を、彼らは信じていない。
 否定神学の極北である。
 宮台真司が「転向」したわけだ。


 「全虚数」を生きる人間の、切断と自己純化
 虚数純化することくらい、むなしく不毛な営為は、ない。ないがそれは「赫逆とした日輪」(三島由紀夫奔馬」)を瞼の裏側にいつか臨む、唯一の道かもしれないのだ。