突撃隊のしあわせ


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はてなブックマーク - ぼくの知り合いのとてもモテる人について - ハックルベリーに会いに行く

2008年07月17日 b:id:geophysics social  なんとなく,ノルウェイの森の永沢さんが思い浮かんだ。

ノルウェイの森 - Wikipedia


大半の男は永沢さんにも「僕」にもなれず突撃隊のまま終わる。で、突撃隊にもしあわせがあるんじゃないの、という。作家性といえ村上春樹はそのへん残酷すぎる、『ノルウェイの森』に限ることなく。女に酷薄な男が「モテる」ということはある、総じて他人に酷薄な人間が人たらしたりえるように。永沢さんだな。


便利な関係が「便利な男」「便利な女」といった軽蔑に繋がりうるかは別の話で、すなわち関係性の問題でなく当人の内心の問題。つまり永沢さんのように。永沢さんはそれをわかっている。ま、性関係が便利で終わるか私の個人的な経験では知らない。重い人とばかり私が付き合ってきたのかも知れないし、つまり私も相応に重い。民放深夜でやってるので改めて見てる『Sex and the City』でも、米人インテリだからかも知らんがそういう具合にも行かないみたいよ。「面白けりゃなんでも」と以前書いたが、間口は広く敷居低く出口は狭く高くが好いた惚れたであることを現在思い出しているのだった。別れるとかそういう話でなく恋愛とはそうなるものだったなと。


自分に対する要求水準が低ければ、また要求水準が低いことをつね明示するかあるいは自明のことと前提するなら、相応の関係で構わないとして暗黙に合意されるのだから、それは「付き合いやすい人」「付き合って楽な人」というふうにはなるしそう登録される。そしてむろん人間は欲が出るのだが。女ときれいに別れられる女たらしというのは要求水準に基づく暗黙合意とその開示という話であって、にもかかわらず人間は欲が出るので登録と削除にまつわるトラブルは世に絶えない。


あと、ビジネスに限らず「出会い」から始まる人間関係は利害プラスαなので、利害の部分を殊更に拡大し指弾しても仕方がない。プラスαだけで構成される関係はないしあったとしたら少なくとも私にゃ地獄だ。そのプラスαとはつまり欲であるから。欲と言ったとき言葉は悪いが人それを愛と言う。ゆえに人は萌えに走る。正しい。古来人類社会の宿題はモテ云々ということでなく突撃隊のありうべきしあわせのかたちである。突撃隊的人間に対する軽蔑を、一切が経済還元される高度消費社会における芸術家村上春樹は結構隠さない。


しあわせのかたち (1) (Beam comix)

しあわせのかたち (1) (Beam comix)